クレオの夏休みのレビュー・感想・評価
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絶対、監督の自伝的記憶入ってると思ったら、乳母に捧ぐとあった。映像...
絶対、監督の自伝的記憶入ってると思ったら、乳母に捧ぐとあった。映像も挿入される、精神分析的な絵や映像も美しく心を揺さぶる。
最後に乳母はクールに振り返って別れるので、彼女にとってクレオはそんなに大事な存在ではないのかなと思ったら、激しく泣くシーンは感動的だった。それは、監督にとっての欲望でもあるのか。
クレオにとっての乳母の存在のあり方は過酷だ。突然の別れが来るし、当然グロリアには、大事な家族がいる。きょうだいでさえ、新たなメンバーは敵対と嫉妬の対象なのに、このシチュエーションはきつい。グロリアはある意味、暴力的だけれど、でも、クレオの後の人生にとって、この夏休みの経験は忘れがたいものになっていたことがわかる。赤ん坊への儀式を迷信と言い放つグロリアそのものが2つの文化の中で引き裂かれている。
この映画はケアのグローバル化というものを映像として描き出しているのである。
海に飛び込むシーンも感動的だ。クレオは少しずつ大人になっていく。現地の少年たちの通過儀礼は、クレオにとってもそのように機能する。
とても心を強く揺さぶられる映画だった。愛着あるものから離れていくときの感情。
純粋な子供心
もっと優しい話が観たかった
何本かぶりに心和らぐような鑑賞時間だった
幼い感情は遠慮とは無縁だ。
握り締めた果実からいくつもの香りと果汁がはじけるような奔放な眼差しになん度も心を掴まれ、あるいはそれとは違った自分の幼少期を頭の片隅に思いうかべながら観た。
乳母グロリアに守られたパリでの暮らしとグロリアの故郷アフリカで過ごす夏休みのクレオ。
大好きな乳母を独占できなくなるクレオに目線をあわせていると、そこには母の不在を過ごしていた娘や息子の内なる気持ちがもやりと渦巻くのがわかる。
〝経済的〟な実情の示唆はさらりと皮肉的だ。
あんなに明るく愛情深く振る舞うグロリアとまわりの葛藤が伝わる。
そして文化や風土、風習が年月をかけ色付けする〝パリでは見えなかった〟グロリアという女性が形成されてきた道のりのようなものをリアルに感じとるのだ。
幼くして母を失ったクリオが本能的に求める愛、大切な人の不在にまだ理解もできないであろう自分を弄ぶ奥底の感情がアニメーションによって表されるとすこし切ない。
でも、そんな切ないこともある人生をどうかたくましく生きてと祈り、やがて胸のなかでそれが命やまわりへの感謝に変わる日がちゃんと訪れることを願いたくなるのは、グロリアの存在感があるからなのだろう。
じりっと照らす灼熱の太陽の光と木陰から抜けるいたわりの風。
そのなかに、まだまだ無邪気なクレオにも、彼女とそう変わらない年のグロリアの息子にも、とても若いママになった娘にも何かがすこしずつ動いたのが見えた。
成長期のこどもにとって傍らでそっと支えてくれる人の存在がもたらすものがどれだけ大切なのか。
その温度を知った〝心〟は、きっと生きていく上でいつも自分自身に寄り添い続ける力になるのだということを私は信じたい。
誤字修正済み
母親と乳母の間にある絶妙な距離感は、クレオを闇へと引き摺り込んでしまった
2024.7.17 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス映画(83分、G)
乳母との別れを惜しむ6歳の少女を描いた青春映画
監督はマリー・アマシュケリ
脚本はマリー・アマシュケリ&ポーリーヌ・ゲナ
原題は『Àma Gloria』で、「グロリアとの時間」という意味
物語の舞台は、フランスのパリ
乳母のグロリア(イルサ・モレーノ・ゼーゴ)に育てられた6歳の少女クレオ(ルイーズ・モーロワ=バンザニ)は、まるで親子のように近しい関係を築いていた
父アルノー(アルノー・ルボチーニ)は温かい目で二人を見守り、過剰なまでの干渉に口出しすることはなかった
ある日、グロリアの母が亡くなったとの知らせが入り、急遽母国のカーポ・ベルデに帰る事になった
実家には娘ナンダ(アブナラ・ゴメス・バレーラ)と息子セザール(フレディ・ゴメス・バレーラ)がいて、ナンダは出産を控えていた
母の急逝によって、ナンダのサポートをする必要も出ていて、とてもフランスにいられる状況ではなかったのである
その後、駄々をこねるクレオを見かねた父は、夏休みの間だけ、グロリアのいるカーポ・ベルデに行かせる事になった
クレオを快く思わないグロリアの家族たちは距離を置き、言葉が通じない中で徐々に孤立していく
グロリアは生まれたばかりのナンダの赤ちゃんにつきっきりになってしまい、クレオは良からぬ感情を抱える事になってしまうのであった
6歳の闇落ちを描いている内容で、乳母離れができない少女を描いていく
赤ちゃんがいなければグロリアが帰ってくると考えてしまうものの、その不穏さを見透かされて暴挙に出るなど、痛々しい場面も多い
だが、クレオを追い詰めているのはグロリアをはじめとした大人たちであり、乳母としての距離を取らなかった弊害が生まれている
クレオ自身にはそれを判断できる能力があるわけではないので、大人側が行く末を考えた上で距離感を取る必要があったのではないだろうか
いずれにせよ、5歳で演技に挑戦したと言う内容で、自然体ゆえの無邪気さがそこにあった
クレオの心情を完全に理解しているのかはわからないが、それらをうまく想像させて演技させているのはすごいことだと思う
パンフレットにはインタビュー記事が載っていて、一番簡単だったのは海に飛び込むシーンだったとのこと
色んな意味ですごいものを見たなあと感じた
ただただクレオの思いが伝わります
乳母のグロリアが大好きすぎる6歳のクレオ。
時々でてくるアニメーションから、クレオがかなり小さい頃から、グロリアが乳母としてクレオを娘のように育ててきたのかなと思える。
グロリアが母親を亡くしたことでアフリカへ帰ってしまい、寂しくて仕方ないクレオの為に、父親は夏休みに1人でグロリアの元へ行かせることに。
グロリアに会えて嬉しいクレオだが、グロリアには家族もいて妊娠中の娘ナンダと、クレオより少し大きな息子セザールがいた。言葉の壁がありながらもグロリア家族はクレオを可愛いがる。
しかしナンダが出産し、赤ちゃんが生まれると、グロリアの注意は赤ちゃんに向いてしまう。
クレオのグロリアだったのに、、、という思いだ。当然。
赤ちゃんにいなくなって欲しいと本気で願うクレオ。
赤ちゃんにいなくなって欲しいと思うのは良くないことだけど、そう思ってしまうのはたった6歳のクレオには仕方のないこと。
だってまだクレオは幼いし、ママが恋しいのだ。幼くしてママをガンで亡くし、本当のママのぬくもりすら知らないクレオが、唯一ぬくもりを感じていたグロリアがいなくなる不安にかられたのだ。
泣いてばかりいる赤ちゃんのせいでグロリアが疲れていると思ったクレオは、揺さぶってしまう。
それに気づいたグロリアはクレオを叱る。
クレオにとっては、今までにない寂しさと孤独感で不安と恐怖が入り交じって辛く深い悲しみに陥ってしまう。
しばしば流れるアニメーションに、クレオの気持ちが現れる。
グロリアはクレオを叱ったが、それでもクレオにしっかりと優しく諭し、最後はずっと愛してることを伝える。
2人にとって辛い別れとなるが、クレオはグロリアのところで過ごしたことで、大事ことを経験し、成長していくのだろう。
クレオの役作りとは思えないほど、直にその純真さ、苦しみ悲しみ、可愛らしさが伝わった作品でした。
わたしのお歌なのに
出稼ぎでナニーをしている黒人女性グロリアと
母親をガンで亡くし6歳までグロリアに育てられた白人女児クレオとの実の母娘のような絆の話
そしてその絆ができるほどの長い時間、グロリアの息子は寂しい思いをしていた
実母が亡くなり実娘の出産の手伝いで故郷へ帰ったグロリアの元へ遊びに来たクレオ
グロリアの息子はお母さんを奪った憎いクレオにつらくあたり
クレオはグロリアの孫の赤子にグロリアを取られたような気持ちでいる
大好きなグロリアがわたしだけのために歌ってくれたお歌を赤ちゃんに歌っている!わたしのお歌なのに!
クレオの心情を水彩画アニメで波のようにざわついたり、火山が噴火するような大事件心の爆発など上手く表現していた
そして何よりクレオ役の子が甘えたり怒ったり寂しい顔をしたり自然な演技で凄い
乳母との絆の良い話の反面
幼い我が子を置いて出稼ぎしなければならない問題
どうしても故郷に置いて行かれた子供たちのことを考えてしまう
24-073
本当にひと夏だけのお話し。
物語の背後にはフランスならではの歴史的、文化的な問題が流れているのかな?(乳母って感覚ないし、元植民地なのかなあの島)
クレオが訪れる島もけしてパラダイスとしては描かれてはいない、乳母の家族も清く貧しく美しく暖かくなんて先進国ってやつの理想では無い。各々の国で各々の問題を抱えた普通の家族の姿が描かれていると思った。
問題がありながらも根っ子には思いやりがあるのが、普通だと信じたい。
しかしあのクレオの生き生きとした姿は素晴らしく、とても演技だと思えませんでした。本当の表情や言動を上手く捕らえて、映画に当てはめた様にすら感じた。
クレオの家族もグロリアの家族もこれから不穏な空気流れまくりだけど、強く支えあって幸せになる事を望んでいます。
って事で、とても控え目で語りすぎない大人な子供の成長譚でした、もちろん観て良かった。
お歌はみんなの物
6歳の冒険にはまあまあ濃厚
主役交代
クレオの表情に魅入られた
フランス映画は小さい子どもや若い子を主人公にした映画が多くて、どれもがレベル高いなあと確信できてしまった。
クレオとナニーのグローリアの顔アップがとても多い。クレオが笑う、ふざける、黙る、悲しむ、泣く、謝る、寂しがる、くるくる変わるクレオの表情とまだ乳歯もたくさんかな?という口元もおでこも大きな瞳もくるくる癖毛の髪もふっくらした手足も指も全てをよくこうも美しく愛を込めて撮影できるものだと心から思った。
クレオのパパがシングル・ファザーなのはママが癌で亡くなったから。まだ6歳なのにそれを思い出して、グローリアの母親も同じ病で亡くなったことを知って涙を流して泣けるクレオが羨ましい。感情を素直に出せること、親なり大人の顔色を伺わずに済むってなんて幸せで自由なんだろうと思った。
クレオがグローリアの家に滞在中、まだ遊びたい盛りなのにおそらくシングル・マザーとして赤ちゃんを生んだグローリアの娘。今までクレオが一番年下だったのに、その赤ちゃんの誕生をみんなが祝い喜び、夜泣きにつきあう。死んでしまえばいい、とクレオが思っても仕方ない。居心地の悪さをだんだんとわかってきた。クレオの成長。
空港でクレオと健気に別れてからのグローリアの大きな大きな悲しみの涙にはつられてしまった。
間にちょこちょこ入るアニメーションはクレオの夢や願いや恐怖を表していてとても良かった。
【天然パーマで、大きな瞳の小さなクレアの可愛さにヤラレタ作品。小さな女の子の一夏の成長物語でもある。】
■6歳のクレオ(ルイーズ・モーロワパンザニ)は、シングルファーザーの代わりに愛情たっぷりに世話してくれるベビーシッターのグロリア(イルサ・モレノ・ゼーゴ)が大好きな女の子。
だが、ある日グロリアは元ポルトガル植民地の母国カーボベルデに母親が亡くなった為に帰ってしまう。
そして、待ちに待った漸く来た夏休みに、クレオはグロリアの故郷で過ごすことにするのだが。
◆感想
・クレオが行ったカーボベルデは、貧しい南国。クレオの事を母親グロリアが長年いなかった原因と思い、冷たく接する息子のセザール。
・けれども、クレオもグロリアの娘ナンダが生んだ赤ちゃんの事をグロリアを取られたと思い、”死んじゃえ!”と思ったり。
・グロリアの母親の葬儀で、亡くなった原因が、クレオの母親と同じ癌で亡くなったと知って泣きじゃくるクレオはヤッパリ優しい女の子なんだよね。
このシーンを始めとして、クレオを演じたルイーズ・モーロワパンザニちゃんの喜怒哀楽の表情が可愛くて、切なくて・・。
ホント、凄い子役さんであると実感しつつ、クレアのお父さんになった気持ちで観てしまったぞ!。
◼️今作品はクレオの可愛さに尽きる作品であり、彼女がラスト崖から海に飛び込むシーンが象徴している様に、クレオの一夏の成長物語でもある。
<今作品は巴里にクレオの乳母として、長年彼女を実の娘の様に可愛がるグロリアが、我が子を置いて出稼ぎに行かざるを得なかった背景をベースとしながらも、二人の強い絆とクレオの一夏の成長する姿を描いた作品である。
劇中、随所で描かれるアニメーションも作品に良き風合いを与えている作品でもある。>
クレオの愛らしさ
この作品のトレーラーを劇場で観て「これを見逃す手はない」と思い、また多分混むのではないかと思って土日を避けて初日の初回、いつもよりも前方の席を予約解禁すぐに購入。そぼ降る雨の中をヒューマントラストシネマ有楽町へ向かうと、広めのシアター1(162席)は思いのほか空いていました。。
で、肝心の観た感想ですが、まぁ脚本としてはクラシックですね。特別意外性はありませんし、「これは振りだな」と思う見せ方をすること(もの)についても大方間違いなく回収されていきます。それでも飽きることなくずっと観ていられるのは言わずもがな、クレオ(ルイーズ・モーロワ=パンザニ)の愛らしさです。ただ歩いている姿だけでも可愛いのに、巻き舌が出来ないのとか、もうニヤつかずにはいられません。(気持ち悪い発言ですみません)
そんなクレオが単身(フランスから)アフリカへ、大好きなナニーであるグロリア(イルサ・モレノ・ゼーゴ)に会いに行き、いろんな想いと経験をしていくわけですが、あることをきっかけに「お客さま」扱いされなくなっていき、そしてグロリアを独占できる時間がみるみる減っていくことで心が乱れます。感情が愛憎共に子供ながらの真っすぐさと容赦のなさで、観ていて非常に痛々しくなるのですが、時折挟み込まれる「回想や夢、また微かな記憶」についてのとある演出がじんわりと沁みて効果的に使われています。
多分、意識していないと作品選択において全くの埒外に置き兼ねない作品ですが、そんな方もまずはトレーラーを観てみてください。お子様と一緒の鑑賞もありですし、兎に角、劇場は空いていますよ!!
〈幼い少女の心の描き方と隠された社会問題の対比がグッとくる〉
7/12(金)から公開の映画『クレオの夏休み』
6歳の少女クレオとアフリカ出身のナニー(乳母)・グロリアの関係性を描いた約1時間半の映画。
少女とナニーの実の母娘のような愛情深い関係の描き方だけでも観ていて心が惹かれるのに、そこにフランスとアフリカの経済格差による問題がそっと隠されてるところが映画をより魅力的にしている。
ある日、電話一本でパリから故郷に帰ることになったグロリア。ずっと続くかのように思われたクレオとグロリアの関係は一瞬にして変わってしまった。
グロリアを追いかけて、夏休みに彼女の故郷を訪れたクレオは、関係性の変化を少しずつ感じ取っていく。
変わってしまった関係と変わらないといけない少女の心の描き方がとにかくエモーショナル!
少女と乳母の関係を描くだけかと思いきや、それプラス経済格差による社会問題も垣間見える。
グロリアは故郷に実の子どもを置いてパリでナニーとして働いていた。彼女の実の子がクレオを見る目は、けっして親しみに溢れたものではなかった…。自分の子どもを置いて、国を越えて働きに出ないといけない経済状況が特段の説明もなく織り込まれてるのがこの映画の深いところだと思う。
でも、この経済格差によるグロリアの出稼ぎ理由ってクレオには関係のないことで、説明なしにしれっと描かれているのがよりリアルに感じられた。多くを語らずに深く表現する映画、好き!
クレオにとっては、あくまでも大好きなナニーが突然国に帰ってしまって、それを受け入れたくないけど受け入れないといけないだけ。子どもらしい感情表現に焦点が当てられている。
まだ7月に入ったばかりだけど、早くも2024年下半期ベスト10入り確実な映画、なんなら、オールタイム・ベストに入る推し映画に出会いました。
(オンライン試写会は内容に関係せずネタバレ扱い)
今年238本目(合計1,330本目/今月(2024年7月度)1本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断」→この作品「クレオの夏休み」→次の作品「ボブマーリー」)
オンライン試写会に招いてくださったfansvoicejpさまにご感謝を。
フランスを舞台とし、いわゆる「ナニー」の女性とその女性を慕う女の子が、ある日突然の理由から分かれることになったものの、その女の子はやがて彼女の元を訪れます。そこでお互いにそれぞれが見たものとは…といった映画です。
日本では「ナニー」という職業はあまり知られていませんが、海外ではとてもメジャーなお仕事です。そして日本以上に外国人が多く住んでいる各国では(特にフランス、ドイツなどは外国人に寛容)、この映画のようなストーリーも成り立ち得ます。
フランス映画らしく、詳細は細かく描かれることがなく、「足りていないところは自分で考えてね」というタイプの余韻を残すタイプで、しかも80分ほどと見やすい時間であったのが良かったです。そういった趣旨の映画なので、正規の公開日にはもう一度見に行こうかな…といったところです。
なお、「試写会では」、映画の冒頭で登場する、フランス映画あるあるの例の「CANAL+」は表示されても「おなじみの」あの謎の旋律の音楽はなし(実際にないのか試写会だからないのかは不明)。
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