ありふれた教室のレビュー・感想・評価
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ドイツの教育って良いな、って思った。
正義感の強い教師のカーラは、赴任した中学校で1年生のクラスを受け持っていた。しばらくした頃に、校内で盗難事件が続き、カーラのクラスの生徒が疑われた。校長らの任意の事情聴取で仲間を売るようなやり方に違和感を持ったカーラは、独自に犯人捜しを開始し、自分のPCで職員室を撮影した映像に、中学の職員でオスカーの母と同じ服を着た人物がカーラの上着からお金を盗む瞬間の動画が映っていた。しかし、この盗難事件でのカーラや学校側の対応は、保護者の批判や生徒の反発、といった事態へ進んでしまった。そして、カーラは次第に窮地に追い込まれていき・・・さてどうなる、という話。
ドイツの教育って詰め込みじゃないみたいで、生徒の自主性や自由な発想を引き出そうとしてる事に素晴しさを感じた。
せっかく動画撮影するなら、もっと広角で設定してたら良かったのに、確かに服だけじゃ弱いかも、とは思った。
ラスト警官が椅子から離れようとしないオスカーを連れて教室から出ていったのだろうけど、で、どうなったんだろう?
学校は社会の縮図。移民が増えているドイツならではの複雑なコミュニケーション
まさに、現代のドイツの日常を生々しく描いた作品。脚本がとても上手い。意図していない方向に物事が転がっていく様を見事に描いていて、しかもとてもリアリティを感じる。とにかく生徒の気持ちを一番に考えているとても良い先生なのに…。でも悲しいかな、こういうことって、有りがち。学校新聞がゴシップ記事を書き、報道の自由を口にするいっぱしのジャーナリスト気取りの生徒達に、現代のSNSを見た。怖っ。
ありふれているのか…
中学校にてお金が無くなる事件が頻発し、こっそり動画を撮ったらそこには驚きの真実(?)が…
対応に迫られる教員と不信感を抱く生徒保護者達の姿を描いた作品。
先生という難しい仕事の残酷さをこれでもかと表していますね。皆の言ってることもわかるが、こうでもしないと解決はできんよな…。
生徒のことをどこまで疑ってよいものか。
信じてあげるのも大切だが、それを愛と感じるほど子どもって純粋ではないと思ってしまうが…。
んで、何か行動を起こせばすぐに吊し上げ。保護者同士のグループSNSとか怖いよ。
そんなこんなで窮地に立たされるカーラ。先生達も一枚岩じゃないし、それぞれに問題があるようにも見えるし。
やり方が正しいかどうかは置いておいて、カーラは立派ですね。あそこまでされてそれでも守ろうとするんですから。
本来は盗った奴が100%悪いに決まってるのに、この仕打ちはあんまりですよね。
終わり方がかなり好みではなかったのが残念だけど、決して長くない尺の中で生徒それぞれの存在感や先生達の出番もバランスよく、終始ヒリヒリさせられる良作だった。
嫌な映画だけど惹きつけられてしまう
良かれと思ってしたことが仇となって帰って来るとは、何ともやりきれない思いにさせられるが、カーラのような正義が”ひっくり返る”ということは実際にままあるように思う。結局、その正義が本当に正しい物なのかどうかという判断は、当事者ではなく周囲の人々や社会が下すものなのだろう。
そういう意味では、今回の容疑者が頑なに罪を認めようとせず、その状態のまま学校側が一方的に断罪してしまったことは大いに問題があると思った。本来であれば冷静になって話し合いの場を設けるのが筋なのだが、余りにも感情的になってしまった結果、カーラと容疑者の間には深い溝が生まれてしまった。
また、この一件が学校中に知れ渡ってしまったのも問題だろう。生徒たちの間に不信感が生まれ、そこから保護者へ、更には教員同士の疑心暗鬼を生み、もはや盗難事件どころではなくなってしまった。
こういうのは初手をミスると、どんどんドツボにハマってしまうから恐ろしい。
正直、観てて終始嫌な気分にさせられる映画なので、万人には決してお勧めできない。しかし、この物語の根底には人間の愚かさや弱さが流れており、そこに惹きつけられてしまうのも事実だ。自分は終始画面から目が離せなかった。
監督、脚本は本作が長編4作目という作家である。長編以前には短編をたくさん撮っており、キャリア自体は結構長いようで、演出はかなり手練れていると感じた。
リアリズムを重視したストイックな語り口と軽快なテンポ、全編学校内で展開される物語が閉塞感や緊張感を上手く醸造していた。
また、中盤でカーラの心象を表すシュールなシーンが登場するが、ここは本作で唯一幻想的なタッチで表現されている。とは言っても、全体のリアリズムから変に浮くようなこともなく、このバランス感覚も絶妙だと思った。
更に、キーアイテムとしてルービックキューブを持ってきたのも面白いと思った。最初は突然出てくるので少し不自然に感じたのだが、要は”答えを出すことの難しさ”ということを暗喩しているのだろう。そのメッセージはカーラからオスカーに宿題のように託され、最後に思わぬ形で返答される。
印象に残ると言えば、エンドクレジットへの導入も見事で、思わず声が出てしまった。オスカーのカーラに対する、あるいはカーラを含めた大人たちに対する”宣戦布告”のように思えた。
もう一つ、本作で特筆すべきは音楽ではないかと思う。もはや、音楽と言うより効果音と言ってしまった方がシックリとくるのだが、これが全体に不穏なトーンを持ち込んでいることは間違いない。
まるで現代社会の縮図。
決してカーラは間違ってたのか?とか、どうすべきだったのか?ということを問うている映画ではない。
それは、最後まで犯人が明らかにならない事からも明らかだ。いや、あえて犯人を明らかにしてないと言ったほうが良い。犯人探しのミステリー映画ではないのだ。
鑑賞前は、最後に犯人や驚きの事実が明らかになるミステリー映画だと思ってたから、いやオドロイタ ( ゚д゚)
最初の、 「0.999··· は 1 と同じか」 の授業で、それは「主張」なのか「証明」なのかを問う場面がある。カーラが数学教師であることの単なる紹介の場面だと思っていたが、作品が問いかけてくるテーマに絡んでくる。
この映画は僕たちに、真実(事実)とは何かを問うてくる。果たして僕たちが正しいと信じる真実は正しいものなのか? 真実と思ってたものが、思い込み、勘違い、推測、間違った情報を元にしたものかもしれない。それは単なる「主張」であって、「証明」された真実とは限らない。その「主張」がたまたま真実である事もあるが、「証明」されて初めて真実であると言える。
しかし、ここで最近の生成A Iの凄まじい進歩が頭に浮かぶ。写真どころか本人、家族、側近でさえ見分けがつかない音声付き動画が簡単に作れてしまうらしい。いや、それ以前からネットのフェイクニュースは、プロのジャーナリストでさえ見分けるのが難しかったり、騙されたりするという感じだった。
この映画を見てて1番恐ろしかったのが、生徒達が正義の名の下に自分達の作った真実を突きつけてきた場面だ。 生徒は、親と生徒どうしの話を信じ、カーラと教師たちには不信感がある。
ここでも生徒たちは、自分達が正しいと思う正義と真実を主張する。それが正しいと証明されたワケでもないのにだ。
で、このレビューは特に結論も出さずに、突然ここで中途半端なまま終わる。
もう日付も替わって1時だし、よく分からないし上手くまとまらずに結局レビューしなかったという僕のよくあるパターンになりそうなので、このままレビューをUPする。
ナイスアイデア。
ああ、あと映画の最後にオスカー少年がルービックキューブを6面揃えた事と、玉座で運ばれる王様のようにPOLICEにイスのまま担がれて運ばれる場面も何か意味あるはずだから、他のレビューを見ることにしようと思いました○(マル)。
「女王の教室」の天海祐希なら、、、
ほとんど予備知識無しで鑑賞しました。ふれこみのサスペンススリラーと言うのとは、自分はちょっと違う印象。不寛容方式とやらを導入していると言う教育現場の問題点を鋭くついた社会派映画だと思いました。スリラーと言うならちゃんと真相を明らかにして欲しいが、明確な結末ではない。観るものにその解釈を任せると言う場合によってはズルいなあとよくあるラストでしたが、自分はおそらくラストであの少年が自分の母親が盗難事件の犯人だったことに気がついたのではと、少年の涙を見て思いました。また、それを見た女性教師もそれを察して校長たちを追い出して教室を施錠したのだと思います。少年がルービックキューブを完成させて、彼女に見せることでお互いの間にある種の信頼関係が生まれたのだと思います。自分の人生の味方は、必ずしも血の繋がった血縁の人間ではないと言う辛いが厳然たる真実がここにはあります。この映画で一番最悪なのは校長ですね。上に立つ者の資質が欠けてます。問題が劣勢に傾くと下の者に責任転嫁するあの光景は、よく見かけます。遊川和彦の「女王の教室」の天海祐希なら、もっと観る者にフラストレーションを与えないリアクションをしてくれるんだろうなあと思いながら観てました。
ドツボサスペンス?
まさに淡々とドツボにハマっていく。
些細な原因から始まり、主人公カーラは彼女の信念で対応していく。
しかし状況はどんどんとドツボに・・・
どうなるのか?真相は?
もはやそんなことは関係なく事態は想像を超えて悪化して、
そしてどんどん周りに感染し、巨大化していく・・・
確かにラストはある意味衝撃。
最近の伏線回収映画に見慣れた人にはどうかな?
個人的には映画らしい映画なので、好きです
ますます子供が嫌いになる
うーん、結構ポジティブなレビューが多いですが、私的には全く楽しめなかった。観ている間、終始気分が悪かった。リアルだとの声が多いが、こんなリアル淡々と観せられても面白くも何ともない。映像が綺麗だったので⭐️x2。楽しみにしてただけに残念。
教員なんて、なるものじゃない(笑)
「熱狂×驚愕×賞賛の嵐」とか、「今観るべき衝撃の…」とか告知媒体には勇ましい宣伝文句が並んでいて、また騙されたかな?と一抹の不安を感じておりましたが、噂に違わぬヒリヒリする緊張の99分。
大傑作とは言いませんが、ちゃんと定価を払って観る価値のある佳作だと思います。
日本で言うと中学1年生程度の子供たちを預かる新任女性教師が、校内で起こった連続盗難事件をキッカケにちょっとしたボタンの掛け違いから窮地に陥れられる…言ってみれば一種の「恐怖映画」ですね。
人も殺されないし、派手な暴力もレイプも、ハラハラするカーアクションも何もありませんが、とにかく画面に釘付け。怖い怖い。
誤解や想いのすれ違いや行き過ぎた正義感が絡まると、組織がここまでこじれるのか、いや自分の職場でも全く起こり得ない話でもないなと我が身に置き換えたら更に怖くなります。
主人公の心情を表すような不安定なカメラワーク。
神経を逆なでするような弦主体の劇伴が効果的。
ノヴァク先生を演じるレオニー・ベネシュという俳優さん、もちろん初めて観る方ですが、ギリギリで正気を保っている新任女性教師をとてもリアルに演じていて素晴らしいです。
結末は観ているものに委ねる系のラストシーンで、おやっコレで終わっちゃうの?と最初は拍子抜けしましたが、テーマを観客にしっかり考えさせるには、こういう終わり方もありかな?とも思います。
今年観た映画で5指には必ず入るであろう素晴らしい作品でした。
あと、学生時代二十歳くらいまでは教員にないたいなぁ…とわたし漠然と思っていましたが、そちらの道に進まなくて大正解。
教員なんてなるもんじゃない、と心底思わせてくれる問題作でもあります(笑)
面白かった!
子供の自主性が、ドイツの教育現場においては日本より強く重んじられているようですが、そこから様々な綻びが生じる様がリアルでした。子供を守ろうとしても、誠意が伝わらず子供たちの反逆にあったり、大人たちが感情的になる余り、真相が不明瞭なままになってしまったり。次から次へ問題が起こるので、1時間半、全く飽きずに面白く見られました。
これがありふれている恐怖
田舎出身の私にはあまり馴染みはない自主性を重んじるような学校。しかしながらも、不寛容方式というなんとも矛盾した方式。
真実に目を向けるのではなく、真実に至るまでの過程や、行動を起こす引き金に焦点を当てている。
校則・規律は守られるためにあるが、どこかで例外ができると特別扱いになってしまう柔軟性のないもの。
全ての人間がそれを許容できるはずもなく、学校という大きくて閉鎖的な空間ではギチギチになるまで不満が溜まってしまい、どこかに穴ができないと吐き出すこともできない。
穴を作らずに解決する方法はあるのか、それぞれがもつ正義は仲良く手を繋ぐことはできるのか。
少年がルービックキューブを渡したのは全てを揃えて解決することができたからなのか、それとも一つに過ぎない反発なのか。
真実や答えではなく、過程や方法に目を向けることで新しく見れた視点でした。
違法に収集した証拠と基地外への対応と隠ぺい
考えさせられたが1点の除き面白いとは思わなかった。
1点とはラストのタイミングが良かった。
そこだけ。
証拠には合法な証拠と違法な証拠があることを知っておかなければいけない。
違法な証拠であるから、その証拠を本人に突き付けてはいけない。
推定無実だとして、反論せず子供に迷惑をかけるの基地外だ。
隠さず
「違法に収集した証拠より疑わしい人が浮かび上がりした。その人は反論しません。また、推定無罪であるため引き当学校は犯人を探します」
と公表するしかない。
隠すから噂や新聞のネタになってしまった。
今年も、年に数本の逸品に出会えました。
我々の日常の社会活動において、「状況証拠」だけで、何かを判断しなければならないことは結構たくさんある。最後まで決定的な証拠が出てこなくても、裁判であればそれなりに結審するし、納得できない側の者も法律上の審判であれば(最終的には)矛を収めざるを得ないし、よほどの恨みや執着がない限り、当事者同士の社会での接触機会は一応終了する。
ところが、学校や会社などで発生した「疑わしき事案」は当事者間の関係性が複雑かつ厄介でいびつなまま、継続される。
その後の展開がどう進んでいくのか、大まかにこんな感じで意見が分かれるのではないだろうか。
① もういい加減、正直に自白してよ(状況証拠だけで決着しちゃおうよ)
② 証拠がない以上、追及自体が人権侵害ではないか(論点が犯人探しから、いつの間にか倫理的な課題に移行)
③ この事案はもうなかったことにして、みんなで穏便に済ませませんか(これだけ騒ぎになれば、真犯人ももう罪をかさねないでしょ、という希望的観測に逃げることで問題解決を図る)
この映画では、明確な真相は語られない。というより、ルービックキューブに象徴されるアルゴリズム(ある問題を解決する方法や目標を達成させるための手順)こそがテーマの核心なのではないか。
事実(正解)がどうだったのか。そこに行くつくための手順を初動で間違えてしまったカーラ(まさか、不寛容ルールをこんなにも杓子定規に運用するとは…)。
結果として、全面同じ色になるはずのキューブがバラバラのまま、時間切れ。
それでも、教師であるカーラは、本当にたどり着くべきゴールは事件の真相などではなく、オスカーのこれからの道筋を整えてあげることであるとアルゴリズムを修正する。そして教室では、生徒一人ひとりが、他者からの情報(噂)に惑わされるのではなく、自分の直感で人や事象を判断できるように導くことが今なすべきこと。
アルゴリズムというとコンピューター的で無機質なイメージが先行するかもしれないが、人間社会では驚くほど自分で確認もしていない外部情報からの先入観や偏見によって、本来思考すべき手順が始めから歪められている。
この映画はカーラという、正義感・他者への思い・行動すること自体への熱量をもった教師を通じて、不測の事態が発生した時のアルゴリズムの重要性とその修正能力について、無機質とは反対の有機的な物語で示している。
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