「ドイツの学校の“怪物”」ありふれた教室 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
ドイツの学校の“怪物”
国それぞれの学びや教え方、方針がある教育の現場。
このドイツの学校はわりかし日本と似ている気がした。
担任教師がクラスを受け持ち、一人でほとんどの学科を教える。教えだけじゃなく、生徒や保護者らとの向き合い、行事やその他たくさんの雑務。全く同じ激務と言われる教師の仕事。
同じような問題も。日本の学校(『怪物』)でも起きたような事件。
渦中の生徒、非難する保護者、保身に回る学校側、孤立する教師…。
この図式だけはどの国も変わらない。
新任先の中学校で1年生のクラスを担任する事になった若い教師のカーラ。仕事熱心で正義感強く、自主性を尊重した教えで生徒や同僚からも信頼厚い。
ある時校内で盗難事件が続く。カーラのクラスの生徒オスカーが疑われる。
決め付けるような校長や同僚のやり方に疑問を抱いたカーラは独自に犯人探し。隠しカメラを設置し、犯人と思われる人物の撮影に成功。
映っていたブラウスの柄から同じ柄のブラウスを着ていた事務員のクーンが疑われる。彼女はオスカーの母親でもあった。
クーンは自分じゃないと訴えるが、隠しカメラの映像やまたも強引な決め付けで疑いは晴れず、発狂。自宅謹慎となる。
罪悪感や腑に落ちないものも感じていたカーラだったが…。
隠しカメラが盗撮に当たると問題視。
盗っ人の子供としてオスカーがクラスで嫌がらせの標的に。
保護者会にクーンが現れ、他の保護者たちの知る事になる。
学校新聞で根掘り葉掘り。その事が同僚たちとの間に溝を。
クーンら保護者、生徒、同僚と険悪になり、カーラは完全孤立してしまう。
それでも己の信念を貫くカーラだったが…。
学校はいずれ社会へ進出していく為の練習の場とも言われている。
人間関係、縦社会、皆で何かに取り組み、責任や時には失敗も。そこから学ぶ。
また、社会の縮図とも言われている。殊に諸々の問題については。
たった一つの問題から波紋が広がっていき、捩れ、拗れ、どんどんどんどん悪い方向へ転がっていく。本当に社会の悪循環を見ているよう。
学校を舞台にした作品と言うと、生徒たちの友情、教師との交流や信頼、部活に打ち込む青春や恋などが専らだが、そうではないものも。“怪物”的な何かが…。
この件も誰が悪いとか、何が原因とか言い出したらキリがない。
そもそもは盗みを働いた誰かが悪いのだが…、対応ややり方も間違っていなかったとは言い難い。
誘導や尋問のような校長や同僚。
隠しカメラは一つの手段だが、プライバシー侵害を盾にされたら何も出来ない。はっきりとクーンが映っていた訳でもなく、否を押し付けるのも問題。
カーラの境遇は察するが、自己主張が強い気もする。
カーラだけじゃなく、クーンや同僚、生徒たちも。事を一層荒立てただけ。
生徒の一人が言っていた。しわ寄せは生徒に来る。
不憫なのはオスカー。
何の根拠も無いのに疑われ…。母親も疑われ…。そのせいでクラスから嫌がらせ。カッとなって喧嘩となり、先に手を出してしまったオスカーは停学処分。まるで切り捨てられたかのように。
その後オスカーはある行動に。自分や母は無実であると示す、勇気ある無言の訴えであった。
たった一つの小さな盗難事件から雪だるま形式に悪い事態が膨れ上がっていく。その脚本や演出の巧みさ。
社会派の面を持った学園ドラマだが、サスペンスのような終始途切れない緊迫感。
新鋭イルケル・チャタクの演出が見事。
カーラ役のレオニー・ベネシュの熱演は勿論だが、オスカー役のレオナルト・シュテットニッシュくんの眼差しや佇まいが胸打った。
気掛かりだったのはラスト。『怪物』のように誰か、特に子供たちに悲劇が訪れるような最後になったら…。
そうはならなくて安堵したが、人によって意見や解釈分かれそうなラスト。
何も解決していないようなバッドエンドであり、見る者に委ねられたようなモヤモヤ感…。
個人的には悪い事態を打破する希望の兆しを感じた。
面倒な周りを締め出し、一対一、正面から向き合って。
双方にとって納得と穏便な解決を。