「「生き方」を考える映画」燃えるドレスを紡いで JGさんの映画レビュー(感想・評価)
「生き方」を考える映画
ファッションデザイナーの中里唯馬は、服の着用後の服の最終地点である"衣服の墓場"として知られるケニアを訪れることから物語が始まる。
ゴミの山となるきっかけは、政府が関税を緩和する代わりに廃棄物を引き受けるという条約を結んだことによる。その結果、西洋や先進国から大量の着用不能な服が送り込まれ、安価でリサイクル不可能な素材で画一的なデザインで大量生産されている。その結果、世界中で服の供給過剰が生じ、二次流通でも処理しきれないほどの状況となり、廃棄された服はゴミの山となり、川に流され、水質汚染も進んでいる。
そこには、子供から大人までが何十年もの間暮らし、衛生環境が劣悪で飲み水や食べ物が不足している中でも、カラフルなビーズでアクセサリーを作り、装飾を楽しむ人々の姿が映像に残されていた。
かつて私も着なくなった服をブックオフに持ち込み、それらが途上国での活用を説明され、それが善意の行為だと思っていたが実際にはゴミを増やす結果となっていた。
中里氏は、150kgの古着を日本に持ち帰り、再生紙の技術を応用して繊維を再生する技術を活用して再生布を作り出した。映画では、この再生布がファッションショーで使われるまでには至らなかったが、今後、リサイクル可能な技術の研究開発が進んでいくことを願っている。
が、その技術革新と同時に、人間の生き方やマインドセットの変革こそが重要だと考えさせられる。
服屋は街に溢れ、誰もが服を買ったことがあるだろうが、ファッション業界の仕組みやデザイナーの思想に触れる機会は少ない。流行を人工的に作り出し不必要なまでの消費を促しているネガディブな側面を持つ事もある。
特に日本では”TPOに適した服装”が明確にあり、服を選ぶ際に相手視点が強くなりすぎており主観的な視点はかなり削られ、時には特には気に入っている訳でもないけどその場に相応しいから選ぶ服というのも少なくない。
さらには仕事用の服、趣味の時に着る服、女友達と会う時の服、男性と会う時の服など様々な使い分けをしている。
中里氏は、ココシャネルのように女性がパンツスーツを着用する事により女性の社会進出を促進させたように、ファッションが社会への訴えかけることや変革のきっかけとなり得ることを示唆している。
その場に適した服装を選ぶ事もとても大切で伝統を重んじる事にも繋がる場合もあると思うが、自分を表現する一つとしてファッションがあり今後自分が何を選ぶのかを考えるきっかけとなる映画だった。
#BGMがとても良かった。