ヒットマンのレビュー・感想・評価
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好き系統
【”君の為に。そして、一線を越えちゃった二人。”今作は実話ベースである事も驚きのイケてない大学教授&殺し屋(の振り)を演じたグレン・パウエルの都度替わる服装、髪型、顔を愉しむクライム・コメディです。】
■ゲイリー(グレン・パウエル)は、イケてない大学教師。
だが、副業で警察に協力し、殺し屋の振りをして、殺しを頼んできた人たちの検挙に勤しんでいた。
だが、ある日、夫殺しを頼んできた美しき女性マディソン(アドリア・アルホナ)に惹かれてしまい、彼女から渡された金を”君の新しい人生に使いな!”と殺し屋ロンとして、格好良く返してしまった事から、可笑しな物語は始まるのであーる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ご存じの通り、今作は実際に1990年頃から警察に協力し、70人以上を検挙したグレン・パウエル氏が元ネタである。
・だが、そこに熟練の監督であるリチャード・リンクレイターと、今や売れっ子のグレン・パウエルが、共同脚本で面白可笑しく映画化したのが、今作である。
■面白い点は多々あるが、序盤のイケてない大学教師ゲイリーを演じるグレン・パウエルが良い。髪の毛7対3分け。ダサい眼鏡。
学生たちからは”アイツ、車は○○だぜ!(車名は敢えて、自粛)”と揶揄われているが、実は、警察の協力者で、殺し屋に扮して殺しを依頼して来た人たちの検挙に協力しているのである。
ココでの、数々の殺し屋に扮するグレン・パウエルが【明らかに】変装を愉しんでいる風情が笑えるのである。
革ジャンの殺し屋ロンを筆頭として、まあ良くそれだけ変装するなあ!と言う程の数々の変装。クスクス笑える。
挙句の果てには、女装である!!。
・だが、殺し屋ロン(グレン・パウエル。もう、何役だか分かりません!)は、美女で屑な旦那の殺しを依頼に来た美女マディソンに惹かれて、気障な台詞を口にするのである。
”君の新しい人生に使いな!”
・そんな、二人はあっと言う間に恋に落ちるのだが、屑な旦那が”誰かに殺された。“ことから美女マディソンは、保険金を積み増ししていた事もあり警察に疑われるのである。
ここで、殺し屋ロンとして登場するゲイリーが、警察が盗聴している事を知っているので、口にする台詞とスマホでマディソンに”真実を伝える”シーンが、凄く可笑しい。
マディソンを演じたアドリア・アルホナが、笑いを堪え乍ら演技をしているように見えたのは、私だけであろーか!
序でにいうと、大学でもゲイリーはドンドン格好良くなって行って(そりゃ、そーだ!)、女生徒たちから”最近、セクシーじゃない?”何て言われるようになっていくのである。
・そして、二人の関係を知っていて、ゲイリーに仕事を取られた下衆な警官ジャスパー(オースティン・アメリオ)は、警察が帰った後に、じゃじゃーんと登場して二人を脅すのであるが、マディソンは彼に薬をちょびっと入れたビールを飲ませてジャスパー君は昏睡するのである。
そして、ここがグレン・パウエルの真骨頂なのだが、ジャスパーの事を良く知っているゲイリーは落ち着いて、ジャスパーの悪徳振りを口にしながら、彼の頭に安っぽいスーパーの袋を被せて、袋の口をキュッと締めるのである。
<そして、数年後、ゲイリーとマディソンは”可愛い二人の子供に恵まれて、新しい幸せな生活”を送っているのである。
可愛い女の子から”パパとママはどうして結婚したの?”と聞かれて、ニッコリ笑ってその問いに答えるゲイリー。
今作はクスクス笑える、グレン・パウエルの都度替わる服装、髪型、顔を愉しむクライム・コメディなのである。
そして、グレン・パウエル君が、更にビッグになりそうな予感がする作品でもあるのである。>
All pie is good pie.
まさか、こんなブラックなオチになるとは…
思ったより笑いがないなぁ、とは思いながら、“殺し屋”デビューまでのテンポはいい。
モブの依頼人が多くてちょっとしつこいかな、とは感じたが、話の流れ的にはなかなか面白かった。
“特定ワード”を引き出す弁舌で魅せるのも地味だが好み。
しかし、倫理観がぶっ飛び過ぎてるんですよね。
殺人依頼のハードルが低いのはまぁ、コメディだし。
でもレイとジャスパーの件で主役とヒロインがそれやっちゃうのは、ね…
もうひと転がりあるかな、と思ったらハッピーエンドになっててビックリ。
作品の温度感というか、リアリティラインが高かったために、余計に受け付けられなかった。
演じてるうちに(学生に「最近セクシーね」と言われるくらい)ロンに引っ張られるのは面白い。
けどその割に、元の“ゲイリー”が描ききれてない。
元嫁を出した意味もよく分からん。
過去の依頼人から逆襲される展開とかもないし、だったら法廷シーンも要らない。
行動に説得力を持たせるために必要なのは分かるけど、イチャつきパートは退屈で眠くなった。
(家を訪ねたら美女がコスプレで待機してて、そのままイメージプレイとかは最高だが)
正体をバラすあたりは初めてちゃんと笑った。
しかし、マディソンのジャスパーに対する「やっちゃった」あたりからは困惑が勝ってしまう。
自分だけでなく、場内に「え、これ笑っていいとこ?」という戸惑いが広がるのを感じた。
ラストはもう少しやりようがあったのでは。
キラー・コンテンツ
実在したゲイリー・ジョンソンのエピソードがとんでもなさすぎて、記事を読んだパウエル氏がこれは映画になる!と快哉を叫んだであろうことは想像に難くない。ただおそらく当の本人はそうたいした起伏もなく生涯を終えたので、映画としてはあのような無理やり取ってつけたようなオチを付け足したかと思われる。途中まではかなりカリカチュアライズして、殺し屋コスプレ大会の様相を呈していたのに、突如明らかに主人公らしからぬ行動に出る。倫理的にどうこうと言うより、そんなことをしそうもないキャラクターなのだ(女の方はいかにもしそう)。
それにしても元ネタの捜査方法はあまりにもリスキーすぎないか。接触する相手はそもそも人を殺そうと思っている連中なので、どんな行動に出てもおかしくない。しかもその後裁判に出廷して顔出ししているので、報復の危険性も非常に高い(裏社会にも情報が広まって依頼もなくなりそう)。
レオンはジョン・ウェインの仮装とかしていたけれど、あちらは本物の殺し屋だった。この主人公の仮装はほとんど殺し屋コント風なのもあって、どう見ても調子に乗っている。
鑑賞前に読んだ解説がちょっと理解出来なかった。それと結末が想定外だったヨ。
鑑賞前に解説を読んだが、アメリカの犯罪捜査と主人公の設定がサッパリ想像出来なかったが映画を見て「へえ」と思った。
具体的には解説の 「警察への捜査協力のため偽りの殺し屋を演じていた」 という部分と、同じような「おとり捜査で殺し屋役となる」という部分が全く理解出来なかった。
そもそも「偽りの殺し屋」とか「殺し屋役」って何だ? というのが最初の疑問だ。
だけど映画を見て、アメリカでは殺してほしい人物を殺し屋に依頼する犯罪が多数ある事が分かった。そして、その対策として殺人の依頼者が殺し屋に殺人の依頼をした時点で逮捕するためのおとり捜査が行われているということらしい。
ここでやっと「偽りの殺し屋」 つまり 「殺し屋役」 というのが理解できた。
アメリカではこういった”依頼殺人” や ”おとり捜査” が世間の話題になる事が多いのかもしれない。もしそうならアメリカで生まれ育った人や、外国生まれでも長く住んでいる人にはよく見聞きする話で、この映画の設定や話も肌感覚で理解出来る事なのかもしれない。
依頼殺人というのは日本でもたまにあるが、ニュースや記事で取り上げられることは少ないというのが僕の実感だ。
ネットが発展する前は、裏社会に関わりのない素人が依頼殺人を思い立っても、じゃあ一体どうやって殺し屋と連絡を取るんだ見当もつかないというのが一般的な感覚だったと思う。
だけど今は闇サイトとか有るから、誰でも簡単に依頼殺人が出来そうではある。怖えー。
この映画は、おとり捜査の殺し屋役にモデルとなった人物がいるということだから、アメリカは日本に比べて依頼殺人がかなり多そうな気がする。
ぞれと結末が、「えー、マジかよ」ってぐらい超意外だった。
殺人事件がテーマの映画では、犯人が結局捕まらなかったり分からなかったりしてモヤモヤドヨヨーンとした気分で終わる事もある。
だけどこの映画みたく殺人事件が絡んでいても軽い展開で話が進むと、ラストは犯人が捕まったり殺されたりして、見てる方が「ざまーみろ、天罰テキメン。やっぱしバチが当たったんだよ」などとスッキリして映画館を後にする事が多いように思う。
ところがどっこい、何とこの映画は殺人犯がニコニコニッコリ、可愛い子にも恵まれて幸せな生活を送るという稀にしか見られない結末をむかえ、犯人がハッピーエンドで幕を閉じるのであった。
エエ~( ゚Д゚)、マジかよ、いやもうホントビックリしたあ。
よくある映画と違って、捕まらない犯罪も多々あるだろうから、リアルっちゃリアルなのかもしれない。
「おまわりさーん、ここにワルイやつがいまっせえ、つかまえて下さ~い。天誅ぅ~」
おしまい。
「元の自分」と「演じている自分」
『トップガン マーヴェリック』以降、出演作品のヒットが続いて日本でも知名度爆上がりのグレン・パウエル。今作はリチャード・リンクレイター監督の新作に主演とのことで、私も楽しみにしていた本作、サービスデイの角川シネマ有楽町は平日午前中にしてはなかなかの客入りです。おそらく“ビフォア”トリロジーからのリンクレイター監督ファンも多いのだろうと思います。勿論、私もその一人。
で、今回はいきなり結論から入りますが、確実に面白いです。ゲイリー・ジョンソンという実在する人物を基に作られたフィクションですが、ゲイリーの本業と副業の意外な組み合わせから展開される物語は、経験と状況によってゲイリー(グレン・パウエル)に意外な変身をさせていきます。実はこれ、物語の前半に伏線としてのシーンがあることで、ゲイリーだけでなく観ている私たちも信じてしまう暗示となっており、やはり巧い脚本だと思います。
そして、ゲイリーを変えるさせるのに強い原動力となるマディソン(アドリア・アルホナ)の存在が重要。二人のまさかの出会いから、ゲイリーに魔が差すきっかけを与える彼女。持ち前の天然性からの大胆すぎる行動は、常に「何か起こりそう」な不穏さも感じますが、魅力的なルックスと抜群な相性の良さでゲイリーもついつい大胆になっていきます。そして、思いもよらぬ展開に、「元の自分」と「演じている自分」の境界線が曖昧になっていくゲイリー。もはやゲイリーとマディソンの運命の行方に目が離せません。
緩急の利いた展開で、前半には想像し得ないほど後半には絶体絶命の状況もあり、まさに興奮のエンターテインメント。勿論、今回もグレン・パウエルの可愛げといい身体全開で、彼のファンなら勿論必見の一作。満足度高いと思います。
え?いいの?
変装はできないが、変奏し続けるリンクレイター
ゲイリーは様々な人物になりきることで、
複雑なミッションを遂行していく。
この多面的で変幻自在なキャラクターは、
一見するとタランティーノ作品のような、
ユーモアや、ブラックなテイストを期待させる。
しかし、リンクレイターは、その期待を裏切るような、
コメディの成分は多少はあるが、
どこか真面目なトーンで物語を進めていく。
どういう事か。
本作のおもしろさは、
◯主人公の多人数の変装。
◯殺人の依頼を受ける殺し屋。
◯おとり捜査。
◯ラブ
だろう。
それに、ブラックさ、ユーモア、アクション等々を加味しない理由は、
リンクレイターのパーソナリティ(作家性というよりも)、
に関係があるのかもしれない。
本作のセリフでも何度も出てきたが、
〈自分って誰〉
〈新たな人生〉
〈違う自分〉
これは、
「スラッカー」から、
手を変え品を変え、
インディペンデントで、
メジャーで、
時には裏声も使いながら、
さじ加減も変えながら、
常に同じメッセージを作品に内包させ続けてきた。
その理由を類推すると、
アメリカ人として、
映画監督として、
ひとりの人間として、
小文字の、
make america great again
を、
人生に仕事に、
アイデンティティに、
目の前で途中下車した、
または、
乗り換えた仲間たちに、
ささやき続けてきたのではないか。
そして本作でも、
残り少ない時間を意識しながら、
あらゆる変装を試みて、
自己探求を行うだけでなく、
社会の中で様々な役割を演じ、
その中で自己を見出そうぜ、
エブリバディ・・と。
ユーモアの成分を少なくして、
つまり、
ゲイリー100%で、
俺はロンにはなれないんだと、
言い続けていたような気がしてならない。
【蛇足】
新宿ピカデリーの、
「リトルダンサー」4K上映のプロモーションのポスターのデカさ、
デジタルサイネージの物量に驚く。
ケン・ローチ作品でおなじみの、
ゲイリー・ルイスが演じるガンコ親父と、
主人公の兄貴のストライキのシークエンスは、
自分が参加した作品のシナリオ会議で、
このシークエンスの親子の関係、
仕事仲間との、
対立、葛藤の役割りの、
バランスの按分を何度例に挙げた事か、、、基本のき。
悲しい結末の論争を呼ぶ(かもしんない)デートムービー
多分デートムービーではあるが、
「面白かった〜!」
「え?面白かった?」
「面白かったでしょ」
「ムリ……自分の都合で二人殺したのがバレないのがハッピーエンドとか、ありえない」
「授業で前フリってか言い訳してるしファンタジーじゃん。そこつっこむとこじゃないから」
「え、つっこむでしょ、永遠につっこむでしょ」
「単なるコスプレラブコメエンタメじゃん。怒るような話?」
「いやマジ信じらんない」
て価値観の違いが露呈してふたりは二度と会いませんでしたってなるかもしれん。
グレン・パウエルのコスプレを楽しむ映画だけど、ラストはちょっと重めかな
2024.9.17 字幕 MOVIX京都
2023年のアメリカ映画(115分、PG12)
実在した偽の殺し屋のエピソードを基に描くクライムミステリー
監督はリチャード・リンクレーター
脚本はリチャード・リンクレーター&グレン・パウエル
原案は2001年10月のテキサスマンスリーの記事「Hit Man(執筆者:スキップ・ホランワース)」
物語の舞台は、アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズ
ニューオーリンズ大学にて心理学と哲学を教えているゲイリー・ジョンソン(グレン・パウエル)には裏の顔があった
それは、殺人依頼者を逮捕し、事件化させないためのおとり捜査に関わるもので、彼は主に小道具などのバックアップを担っていた
だが、主任捜査官のジャスパー(オースティン・アメリオ)が不道徳な事件で逮捕され、その代わりを務めるように言われてしまう
ゲイリーは依頼者と接触して「自白と金銭」を引き出すことが仕事で、彼の最初の捜査は「厄介な依頼人クレイグ(マイク・マークオフ)」だった
うまくクレイグを誘導したゲイリーは、その後も多くの依頼人を未遂に導き、法廷での証言台にも立ってゆく
そして、その仕事に慣れた頃、彼の元に夫を殺したいと願う若き妻マディソン(アドリア・アルホナ)がやってきた
ゲイリーは、マディソンが衝動的に依頼をしていると感じ、その依頼を取り下げるように仕向けた
物語は、その後マディソンと交流を持つゲイリーの様子が描かれ、それは殺し屋ロンを演じ切ると言うものだった
恋仲に発展した二人だったが、ある日、離婚したと聞かされていた夫のレイ(エヴァン・ホルツマン)とばったりと会ってしまう
レイの様子から、マディソンに危険が及ぶと感じたゲイリーは、彼女にそれを告げる
だが、マディソンは何を思ったのか、護身用の銃を購入し、それを使用してしまったのである
映画は実在の人物のエピソードを基にしたフィクションで、おとり捜査のエピソードは本物、後半のレイ殺害に関するくだりがフィクションとなっている
元記事も英語版で読めるし、考察記事などもググると出てくる
映画のラストでは、実際のゲイリー本人がアーカイブで登場するが、Wikiのようなページは存在しない
基本的に「ラブコメ」の領域に入る本作は、ゲイリーとマディソンの恋の行方を眺めるもので、それが主軸になっているためか、ラストは倫理的にアウトのハッピーエンドになっている
この終わり方でOKと思う人もいれば、さすがにそれはまずいでしょと思う人がいるのも当然で、人は変われると言うメッセージがあっても、それを鵜呑みにはできないところがある
ゲイリーが哲学を教えているだけあって、そういった談義が登場し、元妻アリシア(モーリー・バーナード)との会話もそう言った言い回しの多い流れになっていた
このような会話劇が好きだと面白いと思うものの、思っていたのと違うと言う人がいても驚かないように思えた
いずれにせよ、軽く観る感じの映画としては最高で、いわゆるポップコーンムービー的なところはあった
ラストは事故と言う感じならまだ擁護できると思うが、事故(自殺)に見せかけた殺人になっているので看過はできない
フィクションを織り交ぜるとしても、もう少しマイルドにした方が良かったのではないだろうか
気になっていた作品。こういうテーマにありがちなシリアス展開があんま...
天網恢恢、疎にして漏らしちゃった!
囮捜査って、ある意味『マイノリティ・リポート』のプリコグを使った犯罪防止のようでもあるけど、やはり恣意性の介在リスクは高いと思う。
それはさておき、微妙にバランスの悪い映画ですね。
哲学を勉強してるというか生業にしている人として、それなりの倫理観とか論理の帰結があるはずなのに、まったく合理性のない結末の展開で、主人公のキャラとしては破綻してませんか?
それなら闇堕ちしても仕方ないよね、という要素もなく、お天道様の下で堂々と幸せになってるし。
『天網恢恢、疎にして漏らさず』なんて故事成語が意外と身体に染み付いてる我々日本人にはちょいと馴染まないというか。
まぁ、コメディといえばコメディなところもあるのでいいんだけど、後味が悪いので〝契約〟を見直してもう一度編集し直したらいいのに。
根が真面目なもんで…
グレン・パウエルの七変化はオモシロかったんだけどね…
マディソンが、好きになれなかったよ…
というより、
旦那さんが殺されても当然という理由がみえなくて、
ジャスパーにも言えるんだけど、
もっと悪い人に描いてくれていたら良かったのに…
そしたら、ふたりの今も、
ハッピーエンドで良かったね!って思えたんだけどさ…
なんか、こわっ!てなって、あんまりラストは笑えなかった…。
地味で面白みのない主人公が、充実して輝き始める変化にワクワク!〝危険な男〟の空気をまとい、恋まで絡んでキュンと心くすぐられるばかりか、濃厚なベッドシーンにゾクゾクしました。
「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレイター監督と「トップガン マーヴェリック」以降、ハリウッドの出演作でヒットを連発している人気俳優グレン・パウエルがタッグを組んだクライムコメディ。
パウエルが脚本と製作にも参加し、スター映画の裏面のごとき傑作を作り上げました。 偽の殺し屋に扮して、殺人を依頼してきた人物を逮捕に導く。米国の潜入捜査官の実話をもとに、膨らませた作品です。“自分”とは一体何なのか。どうしたらなりたい自分になれるのか。ポップで遊び心たっぷりな物語の中に、哲学的な問いも内包されています。
●ストーリー
ニューオーリンズで2匹の猫と静かに暮らすゲイリー・ジョンソン(グレン・パウエル)は、大学で心理学と哲学を教える傍ら、地元警察に技術スタッフとして協力していました。
ある日、おとり捜査で殺し屋役となるはずの警官が職務停止となり、ゲイリーが急遽代わりを務めることに。依頼人を事前に調べ、その人好みの殺し屋になりきって逮捕につなげます。このとき殺人の依頼者を捕まえるためにさまざまな姿や人格になりきる才能をゲイリーは、思いがけず発揮してしまうのです。こうしてゲイリーは、演技”を始めます。専門の心理学の知見を活かしつつ、多様な顧客のニーズに合わせて、彼らが求めるタイプのヒットマンへの変身を個別に繰り返す偽の殺し屋を演じていくのです。時にはタフで非情な男に、時には色男に。そして、有罪判決を勝ち取るための証拠を引き出し、次々と逮捕へ導いていきます。
ところが、支配的な夫との生活に追い詰められた女性・マディソン(アドリア・アルホナ)が、夫の殺害を依頼してきたことで、ゲイリーはモラルに反する領域に足を踏み入れてしまうのです。
セクシーな殺し屋ロンに扮して彼女に接触。支配的な夫レイ(エバン・ホルツマン)との生活に傷つき、追い詰められた様子の彼女に、ゲイリーは思わず手を差し伸べてしまいます。逮捕するはずの相手に対し「この金で家を出て新しい人生を手に入れろ」と見逃してしまうのです。恋に落ちてしまったふたりは、やがてリスクの連鎖を引き起こしていくことになるのです。
この出会いで2人は恋に落ちますが、後日、マディソンの夫が何者かに殺害され、彼女と彼女と一緒にいた殺し屋らしい人物(ロンのこと)が容疑者として浮上します。殺し屋ロンに扮し続けるゲイリーは、マディソンの容疑を晴らすため、一芝居買って出ますが…。
●解説
人間関係の機微をつぶさに描いてきたリチャード・リンクレイター監督が、人との出会いによってもたらされる自己への影響に焦点を当てました。地味でさえなかったゲイリーは、マディソンとの出会いを経て自ら作り出したロンの人格を気に入っていくのです。だけど、全く違う人間に変わるわけではありません。もしかしたら、なりたい自分の要素はすでに自分の中にあって、運命的な出会いが引き出してくれるものなのではと思わせる展開なのです。
ゲイリー…もとい、パウエルが、服装や髪形、話し方まで変えて様々なタイプの殺し屋を演じる一連のシーンは見もの。ゲイリーの繰り広げる七変化はまるで詐欺師の仕業。時にそれをリアルに演じ分けているパウエルの演技力の凄さを感じさせてくれるものです。特に大学教授のゲイリーと殺し屋として登場する彼とセクシーな殺し屋ロンとして、マディソンの逢瀬で鼻の下を伸ばす彼とでは、別人のようなキャラの違いを感じさせてくれたのです。
自分ではない誰かになりきる、芝居の根源的な楽しみを謳歌しているようでした。
ところで、普段の我々にとって殺し屋は遠い存在ですが、フィクションの物語としては定番でしょう。本作の劇中には古今東西の殺し屋作品を紹介するラインがあり、日活映画「拳銃は俺のパスポート」も含まれていました。言わば犯罪映画のパロディーという枠組みの中で、演じる営みを笑いながら〝人間の正体って?〟などちょっと哲学っぽく扱う趣です。そんな哲学的な問いも流れ、味わいも深いのです。
何より本作の愉快な設定を生きるパウエルは実に楽しそうでイキイキしています。彼にとって“演技”はエンティンメントの歓びそのものなのでしょう。「サービス業ですから」との台詞を笑顔で放つ俳優パウエルの存在証明は、まさに演じることの中にこそあるのだと思いました。
●感想
地味で面白みのない主人公が、意外や〝別人になりきる〟才を発揮し、充実して輝き始める変化にワクワク!〝危険な男〟の空気をまとい、恋まで絡んでキュンと心くすぐられるばかりか、濃厚なベッドシーンにゾクゾクしました。マディソンって本当に色っぽい女なんですぅ~(^^ゞ
●プロの殺し屋を演じ70件以上を逮捕に導いた実在のゲイリー・ジョンソン
本作のモデルとなったゲイリー・ジョンソンは、1990年頃から偽の殺し屋として警察に協力しはじめ70人以上を逮捕に導いたスゴ腕潜入捜査官。
本作は彼の活動について2001年「テキサス・マンスリー」誌に掲載された記事が基となっています。記事によるとゲイリー(1947ー2022)はテキサスで2匹の猫と暮らし、地方検事局で働きながら、講師として地元のコミュニティカレッジで心理学などを教えていたというのです。まさに本作の設定そのものです。「テキサス・マンスリー」誌の記事では映画に登場する依頼者の基となった数々のエピソードが語られています。
全141件中、61~80件目を表示