劇場公開日 2024年9月13日

「病める米国社会の風刺画。実話ベースの前半は興味深いが」ヒットマン 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5病める米国社会の風刺画。実話ベースの前半は興味深いが

2024年9月18日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

笑える

映画冒頭、「ゲイリー・ジョンソンの人生に着想を得た やや本当の話(a somewhat true story)」との断り書きが示される。主人公のモデルは、警察に協力して殺し屋(hit man)になりすまして殺人教唆の容疑者ら多数の逮捕に貢献した実在の人物だ。

リチャード・リンクレイター監督らがこのユニークな経歴の人物を知るきっかけになったテキサス州の月刊誌の記事(ウェブでもtexas monthly hit manで検索して閲覧できる)を読むと、同州ヒューストンを拠点とするゲイリーが10年で60人以上の殺害を依頼されたという事実にまず驚かされる。ヒューストン市は人口230万人ほどで、日本で規模が近いのは名古屋市。名古屋で毎年6件の殺害依頼があると言われたら嘘っぽいと感じるが、アメリカではそれが現実であることに社会の病み具合の深刻さを思い知らされる。

撮影の都合で舞台をヒューストンからニューオーリンズに移したものの、カレッジで心理学を教えるゲイリーが、囮(おとり)捜査の対象を事前にリサーチして相手が好みそうな殺し屋キャラクターを演じ分けるという前半はおおむね実話の通り。これは殺人教唆犯と囮捜査官という特殊な関係に限らず、相手に応じて複数のペルソナを使い分けるという、作家の平野啓一郎が提唱する分人主義にも関わるような対人コミュニケーションをめぐる興味深いテーマで、後半の内容次第ではアイデンティティと対人関係の観点から人間の本質について深く考えさせる映画にもなり得ただろう。

DVをふるうパートナーを殺してほしいと頼んできた女性を説得して思いとどまらせ、別れて新しい人生を歩むようアドバイスしたエピソードも、元の記事で紹介されている通り。だが、グレン・パウエル(リンクレイター監督と共同で脚本も手がけた)が演じるゲイリーと殺しを依頼してきたマディソン(プエルトリコ系米国人女優のアドリア・アルホナ)との間に芽生えるロマンスと、その後の展開はもちろん創作だ。

フィクションが優勢になるこの後半の展開が、7月に日本公開されたトッド・ヘインズ監督作「メイ・ディセンバー ゆれる真実」に通じる大きな問題を抱えていると感じた。未見の方に配慮しぼかして書くが、この問題には主に2つの側面があり、第1は実在の人物をモデルにしながら、ストーリーをより“劇的に”する狙いで、その人物の価値観や倫理観が偏った、歪んだものとして受け止められるようなエピソードを創作して加えること(元の人物への配慮と尊重を欠いた印象を受ける)。第2は、主人公側による善悪の判断に基づき、悪いことをした奴を(たとえそれが私刑であっても)罰していい、主人公側の目的や幸福のために悪人は犠牲になっても仕方ないとでもいうような独善的なメッセージを伝えかねないこと。

リンクレイター監督作には「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に」などお気に入りもあるだけに、今作の出来は残念。「メイ・ディセンバー」と同様に、ハリウッドのフィルムメーカーの傲慢さが出たと思う。こうした企画が通り、大規模な予算がつき、完成・公開に至るのもまた、米国社会の病んだ一面を自らさらしているようで皮肉でもある。

高森 郁哉
田中スミゑ 90歳さんのコメント
2024年9月22日

分人主義について興味深く拝読

田中スミゑ 90歳