ヒットマンのレビュー・感想・評価
全132件中、1~20件目を表示
いろんなパウエルが拝めるクライムラブコメ
グレン・パウエルの容姿からくるイメージは、個人的にはジョック(アメリカのスクールカーストの頂点)っぽいセクシーマッチョ陽キャな感じなのだが、今回彼が演じたゲイリー・ジョンソンはほぼ真逆のキャラクター。髪をぺったりと七三に分けた地味な心理学の教授だ。
でもねえ、その口角やらがっちり体型から既にセクシーが漏れ出ちゃってるんですよ。逆にゲイリーでいる時の姿がコスプレに見える。もちろんそのギャップ受け狙いのキャラ作りだろうし、これはむしろ高評価。
冒頭で設定の説明はさくっと済ませて、前半はパウエルの七変化を楽しむパート。ポスタービジュアルから膨らんだ期待をちゃんと満たしてくれる。囮(おとり)捜査官としての仕事内容に深入りはせず、パウエルのビジュアルで遊ぶことにウエイトが置かれている。
中盤からは、彼の変装レパートリーの中でロンという一番パウエルらしいキャラが物語のメインになり、ロンとしてマディソンに出会ったことをきっかけに、ゲイリーとロンの境目がだんだん曖昧になってゆく。
オープニングで「 ”やや” 本当の話」という断りをちゃんと入れ、エンドロールでも念押ししてはいるのだが、アメリカ映画は時々実在の人間の扱いが大胆で困惑する。
ゲイリーのモデルになった実在の囮捜査官の実名をそのまま使い、飼い猫の名前まで実際のままなのに、そのゲイリーに物語の中とは言え犯罪を隠蔽させ、殺人までさせてしまうことにはちょっと驚いた。
夫殺しを依頼しに来た人妻を思いとどまらせたところまでは実話らしいのだが、実際のジョンソン氏はもちろん殺人の隠蔽も人殺しもしていない。
フィクションかつコメディなので真顔でダメ出しする気は毛頭ないが、正義に立つ側の仕事をしていた実在の人間をモデルにするなら、礼儀として物語の中でも正義を貫かせるだろうという先入観が、私の中にはあった。
だが、後半の展開を見て勘違いに気づいた。ああこの作品の方向性は実在のジョンソン氏の仕事ぶりの凄さや面白さを知らしめるものではなくクライムラブコメディで、人間の自我のあやふやさがテーマなんだな、と。
だけどね、物語中の真実としてはマディソンは保険金を釣り上げて夫を殺し、ゲイリーの前任のジャスパーにも毒を盛ったとんでもない女だよ? そんな女と、共犯になってまで付き合うってなんだか破滅的で、素直によかったねという気持ちになれない。コメディの中のことで真面目に心配するのも野暮なだけだとは我ながら思うが。
心理学の小ネタを布石にして、自分がなりきった架空の人物に本来の自分が影響を受けるという話の筋は興味深かったが、恋愛パートのオチにいまいち乗れなかった。
美男美女カップルだし、いろんなパウエル&セクシーパウエル見られたし、猫も出たからまあいいけどさ……
ところで、ああいうやり方の囮捜査って犯罪を誘発しているとは言えないのかと疑問に思って調べたら、アメリカには「罠の抗弁」なる判例法があるそうだ。
被告人が囮捜査以前に当該犯罪を実行する「傾向性」がなかったと陪審や裁判官によって認められれば、処罰されない場合もあるとのこと。つまり、囮捜査員に引っ掛からなければ犯罪行為に踏み出していなかっただろうという人は罪に問われないで済む仕組みが一応ある。
ただしこの「傾向性」という概念の具体的な定義、認定方法などには曖昧な面もあるとか。
マディソンは、囮捜査員から説諭されたのに自分で夫を殺したからなあ……こりゃ傾向性あるわ。やっぱあかんわ、ゲイリー目を覚ませ。
コメディの枠内で人間を掘り下げる巧みな語り口
リンクレイター監督は映画に有機的な空気を持ち込むのに長けた名匠だ。今作でもコメディというジャンルを月並みなテイストに留めることなく、軽やかなタッチの中、主人公の内外面を無理なく味わい尽くす巧みな趣向が試みられている。そこに絶妙にハマっているのがグエン・パウエルの存在感。一つ間違えば癖の強くなりがちな役柄が、ナチュラルさとスマートさと人間臭さを併せ持った彼の魅力によって、嫌味なく引き立てられているのが最大の魅力と言っていい。さらには大学教師のパートタイム仕事が、いつしか”演じる”という真実と虚構性の間にある境界線を行き来しつつ、自らの専門でもあるフロイトの言う”イド”と”エゴ”という意識の構造を身をもって体感することになるという、決して難解になりすぎない程度に心理学で遊ぶ知的なストーリー構築も忘れがたい。実話ベースの素材と、語り口と、演技。これら三要素が実にバランスよく奏でられた一作である。
病める米国社会の風刺画。実話ベースの前半は興味深いが
映画冒頭、「ゲイリー・ジョンソンの人生に着想を得た やや本当の話(a somewhat true story)」との断り書きが示される。主人公のモデルは、警察に協力して殺し屋(hit man)になりすまして殺人教唆の容疑者ら多数の逮捕に貢献した実在の人物だ。 リチャード・リンクレイター監督らがこのユニークな経歴の人物を知るきっかけになったテキサス州の月刊誌の記事(ウェブでもtexas monthly hit manで検索して閲覧できる)を読むと、同州ヒューストンを拠点とするゲイリーが10年で60人以上の殺害を依頼されたという事実にまず驚かされる。ヒューストン市は人口230万人ほどで、日本で規模が近いのは名古屋市。名古屋で毎年6件の殺害依頼があると言われたら嘘っぽいと感じるが、アメリカではそれが現実であることに社会の病み具合の深刻さを思い知らされる。 撮影の都合で舞台をヒューストンからニューオーリンズに移したものの、カレッジで心理学を教えるゲイリーが、囮(おとり)捜査の対象を事前にリサーチして相手が好みそうな殺し屋キャラクターを演じ分けるという前半はおおむね実話の通り。これは殺人教唆犯と囮捜査官という特殊な関係に限らず、相手に応じて複数のペルソナを使い分けるという、作家の平野啓一郎が提唱する分人主義にも関わるような対人コミュニケーションをめぐる興味深いテーマで、後半の内容次第ではアイデンティティと対人関係の観点から人間の本質について深く考えさせる映画にもなり得ただろう。 DVをふるうパートナーを殺してほしいと頼んできた女性を説得して思いとどまらせ、別れて新しい人生を歩むようアドバイスしたエピソードも、元の記事で紹介されている通り。だが、グレン・パウエル(リンクレイター監督と共同で脚本も手がけた)が演じるゲイリーと殺しを依頼してきたマディソン(プエルトリコ系米国人女優のアドリア・アルホナ)との間に芽生えるロマンスと、その後の展開はもちろん創作だ。 フィクションが優勢になるこの後半の展開が、7月に日本公開されたトッド・ヘインズ監督作「メイ・ディセンバー ゆれる真実」に通じる大きな問題を抱えていると感じた。未見の方に配慮しぼかして書くが、この問題には主に2つの側面があり、第1は実在の人物をモデルにしながら、ストーリーをより“劇的に”する狙いで、その人物の価値観や倫理観が偏った、歪んだものとして受け止められるようなエピソードを創作して加えること(元の人物への配慮と尊重を欠いた印象を受ける)。第2は、主人公側による善悪の判断に基づき、悪いことをした奴を(たとえそれが私刑であっても)罰していい、主人公側の目的や幸福のために悪人は犠牲になっても仕方ないとでもいうような独善的なメッセージを伝えかねないこと。 リンクレイター監督作には「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に」などお気に入りもあるだけに、今作の出来は残念。「メイ・ディセンバー」と同様に、ハリウッドのフィルムメーカーの傲慢さが出たと思う。こうした企画が通り、大規模な予算がつき、完成・公開に至るのもまた、米国社会の病んだ一面を自らさらしているようで皮肉でもある。
主演もいいが脚本もいいグレン・パウエルが本領発揮
大学で哲学と心理学を教える男が、訳あって職務停止になったおとり捜査官に代わって潜入捜査を始めることに。このありそうでなさそうな話がさらに面白くなるのは、主人公が依頼人の女性に恋してしまってから。実話ベースの物語に適度な脚色を加筆し、観客をぐいぐい引っ張っていくのは、主演と脚本を兼任しているグレン・パウエル。今、あちこちで"ポスト誰々"という形容詞付きで語られているハリウッドの新しい救世主だ。 話の肝は、誰しも別人格を装うことは楽しいに違いないが、そこから、自分を変えることと自分自身でいることの配分にこそ生きる知恵があると我々に分からせるところ。そのあたりもパウエルの脚本は巧みだ。 監督のリチャード・リンクレーターはパウエルと共に製作と脚本を担当している。『ファーストフード・ネイション』(06)から20年近くバディ関係をキープして来た2人だが、早くからリンクレーターが"将来きっと大物になる!"と信じていたという盟友のグレン・パウエルが、本当の意味で気になる脇役から魅力的な主演俳優にシフトしたのが本作だ。
昔は"自分探し"の旅に出る若者が居りましたが、
探す"自分"はそこにいるじゃないですか!?と揶揄しても詮無い事で、まぁ色々な人に会って「どのような人間になりたいか」を探る旅と言う事だったのでしょう。なりたい人間となると男の子は昔からハードボイルドと決まってる訳で、高倉健氏とか松田優作氏とか、作品中で演じた役が理想というのは誰しも経験のあることだと思います。
ハードボイルド「殺し屋」を演じてかっこ良く見せてモテちゃって、しょーもない事件になっちゃったけど上手く誤魔化せましたー幸せ!って、「ニセ殺し屋vs本物」のハードボイルド展開とか「ミイラ取りがミイラになる」ブラックコメディ展開とかとか期待していたので終盤少し肩透かしでした。
旦那・お父さんとか上司・部下とか販売員・お客様とか、演じるとは言わないまでも気持ちの作り様で態度を変える事は誰でもある訳で、ラストシーンに「皆んなそんなモンでしょ!?」と突っ込んじゃいました。
オトリで殺し屋を演じてたら別チームで捜査する事になって自分を監視するハメになったとかそんな「暗闇のスキャナー」みたいな話ならもっと面白かったのかも、と思ったらその「スキャナーダークリー」の監督でした。
ギャフン。
グレン・パウエルが書いたセリフはどのあたりだろう?
今年、グレン・パウエル主演作を観るのは『ツイスターズ』『恋するプリテンダー』に続き3本目。 本作では冴えない大学教授の役だけに、今年の他2作ほど元気ではなかったのだが、「偽の殺し屋」を演じ始めてからはイキイキし始めたのでかなり楽しめた(笑) 『ツイスターズ』『恋するプリテンダー』に共通するのは、相手役の女性とのシーン。 シドニー・スウィーニーもデイジー・エドガー・ジョーンズも、本作のアドリア・アルホナも本当に魅力的で……。そう見えるのはグレン・パウエルのおかげ!とまで言わないものの、彼とのシーンがもたらす効果は少なくないように思える。 脇役たちが「コメディですぜ!」と言わんばかりの演技をしてくれるのが楽しく観られ、まさに職人芸だった。 リチャード・リンクレイターとともに脚本にもクレジットされているグレン・パウエルが、一体どのあたりのストーリーやセリフを考えたのか、興味津々である。
今年1番のクライム・ミステリー
空を飛ぶでもなく、カーチェイスで脅かすでもないが、オレ的に今年1番の傑作になったのはストーリーが最高に面白いから。 大学教授で一見普通のおじさん(グレン・パウエル)がおとり殺人請負人。 数々の成功を収めた決め手は「現金」の受信。なのだが、新たな色っぽい依頼人の若奥様(アドリア・アルホナ)には金がないから色気で迫ってきたのには流石の殺し屋もイチコロでした。 ローに抑えた画面がクライム・ミステリーにはまった。リフレインが自然で本が上手い。ただし、パピーエンドに終わるかどうかは見てのお楽しみ。
このお話自身が何処までが囮なのかと惑わされる
殺人を請け負うと見せかけて依頼人を誘い込み、「あいつを殺してくれ」と言う言葉を引き出し、現金を手渡した途端に逮捕という囮捜査に関わる捜査員のお話。まず、そんな捜査がアメリカでは本当にあるなんて事に驚きます。でも、そのネタを作り話として軽やかに押し広げ、一方で深く掘り下げつつ物語を二転三転させる技の冴えは流石にリンクレイターでした。ヒットマン役のグレン・パウエルの本気がどこにあるのか分からないとぼけた振る舞いも魅力的でした。 そして、本作を観終えて直ぐ、元ネタの Texas Monthly (2001/10月号)のweb記事を観に行ってしまいました。
オールパイ・イズ・グッドパイ
近頃人気のグレン・パウエルが、ニーチェだのフロイトだの哲学だの人生だのと長いカットで説教くさいことをしゃべるリンクレーター監督らしい作品なのだが、ひと言で言うと、そんな都合のいい相手がいるかよ!そんな羨ましいうまい話があるかよ!という感想。一応、ちょっと実話を基にしているということで、リアル囮捜査官のゲイリー・ジョンソンさんが人を殺してマディソンみたいなとんでもない美女とくっついたというわけではないと思う(当たり前)。 そんな終盤のイリーガルな展開を受け入れられるかどうかというのはあるが、オレ自身は世の中には死んだ方がいい人間もいると思っているので、ジャスパーはそこまで悪じゃない?と思いつつ、ウディ・アレンのマッチポイントっぽさを感じさせる捻りすぎないアイデアが、犯罪ラブコメとしてちょうどいい加減という気がした。
イドとエゴって猫の名前すごく素敵だな
10月のファーストデイ2本目は有楽町ビックカメラ8階の角川シネマへ。たまたまここでやる作品に縁が無くて初めて行ったけど良い感じの映画館でまたここで何か見たいと思いましたね。
映画は既にNetflixでやってそうなクライムコメディで、パートタイムの潜入捜査官っていうお仕事があるということさえ腹落ちすれば、あとはもう話の流れに身を任すだけ…なんですけどまずここで引っかかってしまって入り込めず(残念)。前に見たグレン・パウエルの出演する「恋するプリテンダー」も彼自身の感情の変化がとてもわかりにくい話だったので、この人との相性悪いのかも?と思ったり。
そもそも相貌失認で外国人の顔の区別があまりつかないワタクシなので、前半は見た目と立ち居振る舞いがいろいろ変わって疲れちゃいました…。
あと幸せそうにしてるけどその幸せって2人の死体の上に成り立ってるからね!ってこと忘れちゃダメですよね。
なんてことを考えながらビックカメラを見て回ってるうちにApple pencilを落としてしまってすごく落ちむなどしています。
それではハバナイスムービー🎞️
コメデイにとどまらない哲学性
実在した「偽殺し屋に扮したおとり捜査官」をモデルに、コメディドラマ(映画)にしたと言うことで、中身はまったくの創作のようでした。 予告編では全体の1/2~2/3くらいが、「おとり捜査官が殺人依頼の犯罪者と恋に落ちてしまった」ことが主要なエピソードのように見せていましたが… その話は本編115分中、ラストの30~40分くらいしかなく。 素の彼は善良だがヘタレな弱虫で、心理学の面でのただの警察サポート役な大学講師でしかない人物なのに… 担当捜査官がスキャンダルで離脱したせいで、急遽ピンチヒッターでおとり捜査官をする羽目になり。 コスプレというか「変装によるおとり捜査」でなりきりをすると性格が変わって大胆になり、多羅尾伴内的な活躍をしていき、だんだん性格が変わっていくそのギャップや変化を見せるコメディが、尺の大半でした。 だから予告に騙されたような感覚で観る羽目になりました。 しかも、オチはいくらなんでも倫理的にどうよ、という。 「着想にはモデルがいるけど完全創作」なのはクレジットされているとはいえ、これモデルの捜査官にとってはめちゃくちゃ不本意かつ不名誉な内容じゃないかと、かなり心配になりました。 ただ、その「だんだん性格が変わっていく」部分、考え方が理想から現実に寄り添いつつも思いやりにあふれた哲学的なものになっていくあたりが、いろいろ考えさせられて、単なるコメディにとどまっていなかったのは興味深かったです。
楽しく見られる作品ではあろうが、字幕がやや難解か
今年353本目(合計1,445本目/今月(2024年10月度)4本目)。 ※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。 ※ 時間調整のために「シティハンター」を見てからになりますが、アニメ系作品(派生も含む)は憲法論が絡まない限りレビュー対象外です。 さて、こちらの作品です。 最近、いわゆる「*し屋」を扱う映画が増えてきましたが、まぁ全体的にそうであるわけではなく、「ベイビーわるきゅーれ3」や今日(10/4)からの「~ドキュメンタリー」等、一時的に「あたかも多く見える」というのに過ぎないのでしょう。 本映画もそれを扱った映画ですが、シリアスなアクションものというより笑いを誘うコメディものの扱いで、そこは同じ「*し屋」を扱う映画の中でもよい具合に「すみわけ」ができている点は良かったです。同じ理由でそうした「ちょっとどうか」と思う職業を描きつつもその表現の幅も色々で、この手の映画でありがちな「表現が残酷すぎる」という点についても本映画はコメディ系(お笑い系)に偏っているので見やすいのが良かったところです。 ただ、それでも全くないわけではないわゆる「マシンガン等のシーン」も数は少ないとはいえありますので、耐性がない方(いわゆるちかちかシーン)は後方推奨といったところです。 採点に関しては以下まで考慮しています。 ------------------------------------------------------------ (減点0.4/「アズイフ構文」が何を指すか理解しがたい) これはそのまま出てくるのですが、より分かりやすく書くと「as if構文」です。as if には「あたかも~であるように」の意味が主にあり、「この意味では」その後には仮定法現在(接続法)が来ます。 一方で相手の表情や話し方などから「~(状況から)~のように見える」の意味では直説法が来ることもあります。例えば、 >> You talk as if you're angry (怒っているような話し方だね) …の場合には as if 以下は直説法です(ここが接続法なら as if you << be >> になる)。 映画でいう「as if構文」はこのことを指している(ネイティブでも誤用が多く、正しく使えるかどうかが「教養のある話し方」「書き方」ができるかのバロメーターとして使われることも多い)のですが、このことは一定の英文法の知識があればわかりますが、当然映画内ではこの単語がいきなり出てくるだけで英文法の話にも一切飛ばないので、そこがちょっと好き嫌い分かれるかなといったところです(多くの方には多分理解が難しい。ただ、一度出てくるだけでこのことはトリックになっていないし、これがわからないと理解ができないという趣旨の映画でもないので、減点幅はある程度多くは見ても調整済み)。 ------------------------------------------------------------
ただの七変化コメディじゃなかった! 実話ベースのブラック・コメディ
殺し屋になりすまし、殺人依頼者を逮捕するおとり捜査官を描く。
劇中で実話ベースで本人の写真や逮捕歴なども紹介。
様々な殺し屋を、相手が信じ込みやすいようなキャラクターを想定して、演じ分けているのが面白い。
ある日、殺人を依頼してくる女性を説得して、依頼を思いとどまらせてしまう。
その女性に魅かれて何度か会ううちに(ラブシーン、彼女のコスプレも見どころ)、嘘の殺し屋を演じる中で、生きがいを見出し、実際の自分も自信を持ち始める。
そんな中で、彼女に殺人容疑がかけられ、ついに真実を明かす日が来てしまう。
時には、囮捜査が必ずしも良い面だけでなく、逆に殺意を誘導しているのではないかと非難される面もあるというところもきちんと描いている。
ここから先、彼の苦悩だけでなく、彼女と警察の狭間で次第に追い詰められていく複雑な展開が面白い。
ただ可笑しいだけでなく、殺人も絡むブラック・コメディ。
結末も、ブラックに微笑ましい?
犬好きの社会と猫好きの個人
大学講師の傍ら電子工作の副業で警察の捜査に協力していたゲイリーが、殺し屋役として囮捜査に担ぎ出されたばかりに足を踏み入れる道ならぬロマンスと、その結末を描いた作品。 変装モノの作品は変装の出来やキャラの使い分けのぎこちなさによって白けてしまったり、どの顔がハマっているかでストーリーの先がわかってしまう部分があるので、個人的には難しいジャンルだと思っている。本作はゲイリーを変装の名手とせず、織り交ざるチープな変装が依頼者達の短絡さを強調したりコメディ味として効いていた。 人付き合いの薄いゲイリーの人格を掘り下げる際にモノローグだけに頼らず絶妙な距離感の人物を登場させたり、合間に挟むゲイリーの授業風景をそれまでの話の総括と次の展開の匂わせに使ったり、伏線の徹底回収ぶり、囮捜査で公判を維持できるのかという疑問にも答えて…と、ストーリー構成が非常に丁寧だった。そうして感心した分、ラストには驚いた。 ロンとして語っていた言葉が半ば本心だったのか、奔放かつ理解ある彼女ちゃんの存在には勝てなかったのか、興味本位で覗いていたものに影響されたのか、授業で言っていたことが持論だったのか、…等々、納得材料が無いわけではないのだが、これまでの変遷の描写が丁寧だった分セリフだけの説明には唐突感があった。 エピローグでは画面に幸せの記号を敷き詰め、モノローグでもポジティブなことを語り、従来のゲイリーの暮らしとの対比も強調し、「めでたしめでたし」感をこれでもかと並べていた。それでも、大団円と言えるのかに疑問が残るラストだった。テンプレ的な幸せや『犬』達の実態、もっともらしいペルソナを皮肉ったブラックコメディと受け取ればよかったのだろうか。単に『顔』をもう一つ追加するためのエンディングなのかも知れないが。 ゲイリー・ジョンソンという人物が殺し屋に扮して囮捜査に協力していたというのは事実だそうで、このエピソードを多くのプロデューサーや俳優が映画にしようとしては断念していたらしい。ロマコメ的な切り口を入れることで今回の企画が進んだのだとか。遠慮のない脚色をした上で「実話に基づく…」という煽り文句を便利に使う作品が少なくない昨今、またラストがラストだけに、エンドロールで『ここまでは本当』という意味の説明を入れてくれた点は良かった。
夜勤明けで意識朦朧の状態で鑑賞した。
自分の体調が最悪だったから、間違っているかもしれないけど、登場人物達の会話が分かりにくくて、字幕を追うのに難儀しました。
普通に映画を見ていたら、会話が理解できないという事はまず有り得ないのだけど、応援チームの面白黒人女性とか、変な髪型の男とかが会話しているシーンもギャグが寒すぎて寒すぎて、面白いとかいう以前に何を言っていたのかが理解できない。
脚本も担当していたグレン・パウエルの演技はトップガン以外は知らないけど、この作品を見た限り...、演技うまいか?終始ニヤニヤしているだけだったぞ?
色んな変装をするんだけど、ヅラと服装を変えるだけの変装でキャラに合わせて演技を変えていると話題になっているけど、役作りも何も物真似のコロッケが何やってもコロッケであるように、グレン・パウエルがコスプレしているね?という感想しか思いつかない。
犯人をハメる時に部屋にこもって現金を受け取ってから、犯人が刑務所で背丈がわかる壁をバックに撮影した写真がバーンと出るシーンが、全く同じ構図で繰り返されるんだけど、同じシーンばかりで撮影して飽きない?
殺し屋を装った心理学の教師が、殺人未遂の容疑者を何人も挙げるんだけど、あの程度の演技で騙される人はいるのか?ショカツの女のウッチャンナンチャンのナンちゃんの刑事の演技といい勝負だぞ?
おそらく、コメディのつもりで作ったのだろうが全く笑えない。
笑えないコメディ映画って、クリープを入れないコ
今回は短かかったけど、どう?
← だから、誰に言っているんだ。お前は。
TARGET
グレン・パウェルがたくさんの殺し屋のフリをするというところに惹かれての鑑賞。
アメリカのコメディの苦手な方の作品でした。
殺し屋に化けるというテンポの良さを期待したのに思った以上にスローに進む物語に謎のタイミングで入る笑いにちょっと振り落とされそうでした。
笑いのツボだとは思うんですが、ここが笑いどころですよってところで全く笑えなかったのが致命的でした。
ゲイリーが殺し屋ロンとして、1人の男としてマディソンとこれでもかってくらいイチャコラするのは見るに耐えなかったです。
アメリカはこんくらいフランクだってのは知っているとはいえ多すぎていらない供給の過多でした。
ラストのスマホの画面で指示しながらゲイリーとマディソンでやんややって切り抜けるところだけはしっかり笑えて面白かったです。
ただラストシーンだけはちょっと腑に落ちずでした。
ジャスパーに薬を盛って気絶させて、そこからゲイリーが窒息死させて…ここは史実を大胆に改変していてそこから子供達が生まれてワハハ〜って終わり方はいくらなんでも雑すぎるのでは?と思ってしまいました。
フィクションでのこのハッピーエンドならまだしも、実在した人物のやっていない行為を+αして映画にするのはゲイリーに少し失礼ではないのかと思ってしまいました。死人に口無しとはこのことなんでしょうか。
役者陣、特にグレン・パゥエルの七変化は観ていてとても面白かったです。
コメディチックになる時もあればクールにもなって、イカつくもなってと役職と演技が見事に噛み合っていて単調な物語に凄まじいスパイスを加えてくれていました。
自分とは相性が悪かっただけで合う人には合うコメディだろうなと思いました。んーちと残念。
鑑賞日 9/24
鑑賞時間 18:40〜20:45
座席 E-3
シリアスにコメディ
良質なシチュエーションコメディだったように思う。
実在の人物から着想を得たようで、語られるエピソードがどこまで事実に近いのか知りようもないのだが、世界観の説明から始まる導入部にワクワクもする。
偽の殺し屋
殺しを依頼してきた人物を逮捕する
警察の囮捜査官
そんな人物が、依頼してきた女性に恋をする。
彼の名前は「ゲリー」で偽名は「ロイ」
ロイの状態で恋愛が始まる。
なので、ロイの状態である時は全てが虚構だ。
このロイが超絶セクシーなのだ。
恋愛の初期の頃は多少なりともカッコはつけるが、それはさすがに…と思う事の目白押しだ。
恋愛が始まる時の「契約」とか、笑いを堪えるのそうなのだが、流れるように出てくる嘘と、ありもしない説得力に思わず感心してしまう。
このシーンは情事を経てからのものなので、もう彼女はロイにゾッコンなのだ。
殺し屋との恋っていう、禁断のスリルに陶酔してる。
よくぞ凌いだと思わせる演出と脚本に拍手喝采である。
その後は嘘に嘘を重ねるのだけれど、ロイからは罪悪感は感じられず、幸福感しか感じない。
どこまで、この状態が続くのだろうと思ってた矢先に殺しが起こる。
犯人は彼女である。
殺し屋と恋愛が出来るぶっ飛んだ女性であるのだが、そのせいもあり殺しが身近にもなってたんだと思われる。ここから物語は転がりだす。
どこに向かうのだろうとドキドキしてるとまさかのハッピーエンドが待ってた。
作品が残したメッセージは
「なりたい自分になれ」だ。
いや、そうかもしれないが…w
彼女は元旦那を射殺し、彼は同僚を殺害してる。
2人とも立派な殺人犯で、その真実をお互いだけが握ってる。元同僚の死体をバックに再契約の熱烈なラブシーンだ。
もう、殺し屋とその伴侶のシチュエーションをコレ以上に証明できるシーンはないと思われる。
偽の殺し屋なのにっ!w
同僚にビニール袋を被せるとなんて、冷静沈着でジョークなんかも混じえながら熟練の殺し屋の空気さえある。自己暗示や自己催眠ってここまで!?と突っ込まずにはおられない。
もう、中盤以降大笑いはしないまでも、笑いを堪えるのに必死だったし、なんなら軽いツッコミを声にだしてたw
「ロイ」を見てて思うのは、どんな自分でも肯定して受け入れてくれる他人の存在って、偉大だなぁと思うし、人格を形成するにあたり絶大な効力を発揮するのだなぁと思う。
ソレが愛情を示し応えてくれる存在ならば尚更だ。
なので後半は怒涛の展開ながら、澱みなく流れハッピーエンドが訪れる。
そのハッピーエンドにも突っ込まずにはおられないし、途中の展開にも疑問点はあるものの、総体的には面白かった。
冒頭うだつの上がらない「ゲリー」がラストでは、イケメンにはなってて、そら元がハリウッド俳優なので、当たり前ではあるのだけれど、その変化も楽しかった。
日本で言うと昔の三谷幸喜さんなんかが書きそうな、良質なコメディだったなぁと思う。
全132件中、1~20件目を表示