「「分断」される世界の戯画としての、「捕食者に蹂躙される獲物」を描く容赦のない物語。」胸騒ぎ じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
「分断」される世界の戯画としての、「捕食者に蹂躙される獲物」を描く容赦のない物語。
ごめんなさい、悪いけど意外と面白かったわ、この映画(笑)。
いろいろと「ひどい」映画であることは間違いないが、
まあ世の中、こういうもんだよね。
確かに、僕たちが思ってる「予定調和」のエンディングではなかったかもしれないけど、これはこれで、「予定調和」を超えた「予定調和」なのだと僕は思う。
弱者必滅。弱者は常に強者に蹂躙される。
鹿はライオンには勝てない。スズメは鷹には勝てない。
蛇ににらまれた蛙は、どうひっくり返っても蛇には勝てない。
可哀想だけど、仕方がない。
それが本当の「予定調和」というものだ。
一番弱いのは子供。しょせん、子供は大人に勝てない。
子供にとって、ぬいぐるみを拾ってきてくれるお父さんはヒーローかもしれない。だが殺人鬼の標的にされたとき、元SEALsでも元モサドでもないただのお父さんは、ぶっちゃけクソの役にも立たない。
映画でお母さんは、たいがい子供に「私が必ずあなたを守る」と口にする。
でも、お母さんが子供を守れるのは、常識の範囲内で事態が推移しているときだけだ。
殺意と悪意を持って迫って来る相手の前で、母親はただの狩られる獲物でしかない。
この映画は、そういう「当たり前の世のことわり」に、ごく自然に従うように出来ている。
映画だからといって、弱いはずの両親が生き延びたりもしないし、
映画だからといって、蹂躙されるはずの子どもが助かったりもしない。
だから、僕にとって『胸騒ぎ』は大筋のところでとても素直で、腑に落ちる映画だったのだ。
同じテーマで、同じような結末に向けてひた走ったミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』と比べると、だいぶメタ度は抑え目といってよい。
「ごくふつうの凡庸なサスペンス・スリラー」の枠組みのまま、やりたいことをやり切ったという印象で、逆に監督はキモが座っているのではないかと思わされた。
下卑たスカム・ホラーでもなく、グロテスクな文芸作でもなく、まっすぐテーマと向き合って、淡々とふつうのサスペンスとして撮り切ったというのは、ある種の職人としての矜持だと思うからだ。
本当のことを言えば、
前半の「なんだかおかしい」という違和感。
これをテーマに、そのまま最後まで押し切ったほうが、よほど良い映画になったのではないかともしょうじき思う。
ちょっとした主義主張や教育方針の違い。
対人的な距離感の取り方のズレ。
赤の他人とノリを合わせるのは、なかなかに難しい。
たとえひととき旅先で意気投合できたとしても、その後付き合いを続けるうちにどこかで違和感が生じて、ギクシャクしてしまうというのはままあることだ。
とくに近隣住人との関係性やPTA仲間との交流は、こちらも逃げられない部分もあっていろいろと気を遣うところだ。犬の散歩で会う人達なども、犬を介して話している間はいいんだけど、いざ親密になってくると「なんか思ったより面倒な人だな」「え? 家まであがってきちゃうの?」みたいなことは往々にして起きる。
その対人関係の怖さ、ストレス、危険性「だけ」に焦点を当てて、ホラー的なギミックを使わないままに話を終わらせても、心理劇としては十分面白かったと思うし、話のキモはむしろ伝わりやすかったのではないか。かなり終盤まで僕はそう思っていたのだった。
でもまあ、ちょっとあのラストは想像の埒外というか、思っていたより相当に強烈だったので(笑)、これはこれで衝撃的だったのかな。
なんで●●●にするのか。なんで●●を投げるのか。
理屈はよくわからないけど、なんだかとても怖いやり口だ。
(パンフには、旧約聖書レビ記20章に「モレクに自分の子どもをささげる」大罪を犯した者がこの罰を受けると書かれているとあって、おおお!なるほど!と)
最後の最後で「ただのホラー」になってしまった点はもったいない気もするが、十分に「嫌な気分」にはさせてくれるエンディングだった。
― ― ―
犯人側の視点で言えば、この映画は良く出来ているとは思い難い部分もある。
犠牲者に何度も脱出のチャンスを与えてしまっているし、出だしから相手に警戒心を与えるような動きを何度もかましていて、お前らチャンとヤる気あるのかよ、という気がだんだんしてくる。
相手が夜中に起きだしてうろうろすることが多いのに、見られて困るようなものをあちこち出しっぱなしにしているし、振り返ればいくらでも計画は失敗した可能性があると思う。
だいたい異国オランダだとはいえ、警察に英語で電話されて踏み込まれたら(あんな写真山ほど貼った部屋とか放置してるわけだし)こいつらはどう言い訳するつもりなのだろうか。
そもそも、こういう「子とろ鬼」みたいな犯行を繰り返して、この夫婦は一体何を得たいというのか?? たしかに真相としてはショッキングだけど、犯罪としてのロジックがあやふやすぎる。
それに彼らのやり口だと、相手の財産を銀行口座ごと奪ったり土地まで収奪したりはできないだろうから、きわめて非効率な感じがするし、口がきけないからって子供がどこにも連絡できないのも若干不自然な気がする(完全に精神的に支配されてるということなのだろうが)。
犯罪者夫婦に「悪意」が満ちあふれていることはしっかり伝わって来るが、何を考えているかも、どれくらい意識的に「ずさんな」ままで犯罪計画を実行しているのかも、今一つよくわからない。まあ、そのへんのあやふやでルーズな部分もひっくるめて「得体が知れない」ことで、「絶対悪」としての恐怖感を増幅させようという意図なのかもしれないが。
あるいは、彼らにとっては、これが犠牲者を「試す」儀式なのかも。
途中で逃げ出して帰ってもらっても一向に構わない。むしろチャンスを何度も与えている。それで「帰らずに敢えて残った」というのなら、それは自分からモレク神に子どもを捧げたということになるのだ――そういう理屈の「試練」の儀式。結局のところ、デンマーク人夫婦は、悪神の仕掛けたこのゲームに「負けた」ということになるのだろう。
一方で、犠牲者側の描き方のほうは、実に堂に入っている。
まず、お父さん。この手の善人ってたしかにいるよね。バランサーで、気を遣うタイプで、なるべく相手に合わせて「場」を取り繕うタイプ……って、ああ、僕だ。
そう、お父さんは僕そっくりだ。怒るのが苦手で、弱い男。
要するに、摩擦が怖い。相手を怒らせるのが面倒くさい。人とトラブルになるくらいなら自分がひっかぶったほうが楽だ。で、偶然、それで今までは楽しくやってこられた。
でも……もし、こういう悪意剥き出しの人間にロックオンされたらどうする?
僕は似たタイプだから、このお父さんの考えていることはよくわかる。
一挙手一投足が理解できる。
逃げたほうが良いと、あれだけ感性が訴えているのに、理性の訴えに負けてウサギのぬいぐるみを取りに戻ってしまう。
明らかにおかしい空気なのに、楽しませ上手のホストになんとなくほだされて、ずるずると長居をするうちに、脱出するきっかけを失ってしまう。
最初のうちは、ささいなことでも脱出をはかっていたのに、終盤戦になると「逃げること」すら忘れて、あれだけ子供のことで口論になっても普通に夜はベッドで寝ている。
そう、このお父さんは「ゆでガエル」だ。
じわじわとやられると、押しに弱いから順応してしまう。
だんだんと、おかしさがおかしさだと認識できなくなる。
そして、突然の暴力に遭遇すると思考が停止して言いなりになる。
よくわかる。きっと僕でもそうなるからだ。
お母さんも、よく造形されたキャラクターだ。
基本は良い人なのだが、絶妙なバランスで「微妙に感じが悪い」。
ヴェジタリアンで、自己主張が強く、不正義が許せず、子供への他人の干渉を嫌う。
神経質で、うるさいときはうるさいと怒鳴り、いざとなったら無断で帰ることも辞さない。
いかにも「ポリティカリー・コレクト」な「まともな人物」。
人当たりは良いし社交的だが、どこか「上流市民」感、「見下してる」感を漂わせている。
おそらく保守的な田舎の人間にとっては、いちばん「鼻に付く」タイプの人間だ。
娘も娘で、巧い具合にひっかかりを残す演出が成されている。
ウサギのぬいぐるみをなくしたと娘が言い出して、逃げてきた家に引き返すことになった、あの運命の分かれ道。少女は、後からぬいぐるみが車のシートの下から出てきたといって、母親に満面の笑みを見せる。
あれはないよね(笑)。
お父さんに悪いことしたって思えないんだ、この子。
ある程度のわがままが「聞いてもらえるもの」と安心しきって育ってる。
僕自身のなかでは、このお父さんは自分によく似ているという思いはあるものの、一方でいかにも「正しくあろう」とするこの今どきの家族に対する、そこはかとない違和感、抵抗感も感じざるをえない。
要するに、まともだけど、いけすかない連中なわけだ。
そんなこんなで、終盤の悪夢のような展開が始まったとき、僕のなかでは「なんてひどいことを!」成分85%、「ちょっとイラっとしてたから溜飲が下がるわ」成分15%といった感じで、実は全力で犠牲者家族に肩入れ出来ていたわけではなかったのでした(笑)。
どんなホラーでも、殺される犠牲者にはなんらかの「罰されるわけ」があることが一般的だ。キャンプ場で飲んで騒いでセックスをしたら片端から殺されていく、アレだ。いわゆる「悪事」を働いたわけではないが、羽目を外したり、調子に乗ったり、図に乗った行動を取ったものは、比較的ターゲットにされやすい傾向にある。
本作の場合、それは「正しさ」であるのがポイントだ。人当たりの良さ。喧嘩をしない丁重さ。子供を怒らない冷静さ。環境への配慮で肉を食べない正しさ。そういった、「しもじもをいらつかせるまっとうさ」が、悪の攻撃性を倍加させるトリガーになっている。
これは、まさに今、世界中で起きている「分断」の戯画でもある。
守旧的な田舎者と、進歩派の都会人の乗り越えられない深い溝。
本作におけるオランダ人夫婦とデンマーク人夫婦の価値観の相違は、欧州に実際に存在する「分断」の一要素ではあるが、アメリカにおけるトランプ主義者と民主党支持者の価値観の違いとも相似する部分が大きい。
粗野で、性的にあけすけで、気性が荒く、他人との距離感が近く、平気でウソをつき、子供を従属的に扱う、いかにもな「底辺のオランダ野郎」の在り方は、そのままアメリカのレッドネック(白人貧困層)の生態とも被っている。
こういう連中にとって、北のほうでぬくぬくと文化的な生活を送っている、善良で正しくて知的で愛に満ちた上流市民は、吐き気がするほどムカつく、壊してやりたい対象に他ならない。本作で二つの家族が示す激しいコンフリクトは、世界で起きている二つの潮流のぶつかり合いの縮図に他ならない。
パンフをつらつら読んでいると、監督が面白いことを言っていた。
「僕たちはスカンジナビアの問題を描いたつもりでしたが、アメリカでは『まさにアメリカの問題だ』と言われ、韓国では『これぞ韓国の問題』と言われました。きっと、これは世界に共通する“人間の問題”なのでしょう。文化圏にかかわらず、世界中の皆さんに共感してもらえればと思います」
あと、パンフつながりでいうと、「イタリアは天国、デンマークは辺獄、オランダは地獄」として舞台を構想していたという監督の発言も紹介されている。おお、要はこれも「地獄めぐり」の映画だったというわけか!
ちなみに監督のクリスチャン・タフドルップは、「キリスト教ペンテコステ派で育った(現在はその信仰から離れている)」らしい(ついこのあいだ『プリシラ』の感想でペンテコステ派については触れたばかり)。トランプ支持の母胎でもあるプロテスタントの保守的な精神風土で育った監督が、主人公たちのような「良識的な文化人」に育って、この映画をわざわざ撮ったのだと思うと、いろいろと考えさせられるものがあるよね。
最後に。タブロイド新聞を模したパンフって、アイディアは面白いけど、猛烈に持ち帰りづらいし、保管しづらいし、マジでやめてほしい……(笑)
返信ありがとうございます。
私は基本パンフレットは購入しないので「お前達が捧げた」意味が本当にわかりませんでした。聖書での罰は石打ちがメジャーですよね。そこからじゃいさんなりの解釈が興味深かったです。