「現代社会への風刺」オーメン ザ・ファースト R41さんの映画レビュー(感想・評価)
現代社会への風刺
1976年公開の名作ホラー「オーメン」
1973年にあの名作「エクソシスト」が世界中の話題をさらった。
このオーメンは、それに匹敵した。
心霊という当時誰もが信じる世界に現れた「エクソシスト」は、憑依されることを想像する恐怖があった。
またこの「オーメン」は、「悪魔」という実態によって、キリスト教徒たちの深層にある悪魔という恐怖を描き出した。
どちらもその恐ろしさが斬新で、リアルだった。
神が全能であるように、悪魔もまた人間から見れば全能だ。
人が考えていることはすぐ読まれ、先手を打つように始末されていく。
そしてこの「オーメン ザ・ファースト」の設定は非常にリアリティがあって面白かった。
そもそも反旗リスとなる悪魔を誘致することで、失いつつある権力 教会の力を取り戻そうとするのは、愚かな人間がしそうなことで、その動機も非常によくできていた。
当然最初の作品と2回目の作品のあらすじを踏襲している。
同時に、物語の中で悪魔の力のようなもので死ぬ人々の様子も非常によく似ていた。
大統領の息子を入れ替えるという作戦
昨今の世界情勢を鑑みてもありそうなことだ。
さて、
ホラー故に、その怖さをどのように仕掛けるか?
そこが肝であり、非常によく考えたポイントだろう。
極力脅かしのような手法は使わずに、視聴者の心理に訴えかける恐怖として描いているのも秀逸だった。
どんでん返しの型は単純な狼男の型で、「犯人は私自身だった」というもの。
処分の対象でしかなくなったマーガレットと娘をあえて生かすことで、その後の奥行きが生まれる。
同時に、カルリータ・スキアータが14号まで作られたことは、教会がいったい何をしてきたのかを物語る。
その、ヒトゲノムとジャッカルのゲノムが入った「モノ」
当然人間か否かという問題があるが、穏やかに暮らしたいというのは、人も動物も同じだ。
マーガレットと娘、そしてカルリータ
実際にこんな人がいるのではないかと思ってしまう。
物語は、男であるダミアンに悪魔の意思が宿っているという設定
しかし、
悪魔とは人間の狂気であり、後付けであり、環境や教育によって作られる。
悪魔の証明こそ神の証明とするバージョンのエクソシストがあったが、この二つの存在を示しているのが教会そのもので、神父が話したように、「教会の権力」のために「神の声」という身勝手極まりない論法で人々を恐怖で縛り付けているのが教会だ。
教会を作り、初代教皇となったのがペテロ
裏切者がユダ
このように「設定」されているが、少し前に発見された「ユダの福音書」には、真逆のことが書かれている。
神は、たぶんいる。
しかし神は第三者的存在などではなく、私たち一人一人の中にいる。
それを悪魔とか地獄という言葉で人々を陥れ、神から与えられてみな共通に持っている「力」を、教会に差し出してしまったことで、人々は「力」を失い、教会に言いなりにしかならないようになった。
そんな風にして起きた「魔女狩り」 そして「免罪符」
ローレンス卿がマーガレットに「神は君の功績を讃えている」のようなことを言った時。彼女は「自分の声しか聞こえない」と言ってローレンス卿を刺した。
このシーンこそが、嘘で塗り固められたキリスト教会に対する決別だったように思う。
彼らのしてきた歴史は、戦争による皆殺しと略奪と侵略だった。
しかし、
本当に彼らがしてきたのは、個々人の心に対する殺戮であり、略奪であり、侵略だった。
この作品は、ホラーというモチーフを使い、この真実を描いている。
ブレナン神父は何とかして彼女たちを救いたいと思っているが、それさえもOKしなかったマーガレットこそ、新しい時代の先駆者なのかもしれない。