「拙くても、この感動をレビューしたいんだ」数分間のエールを momokichiさんの映画レビュー(感想・評価)
拙くても、この感動をレビューしたいんだ
熱量と疾走感に圧倒された1時間。
私にはめずらしく「もう一度体感したい」と思った。
■MVを作ること、映画レビューを書くこと
「先生の歌に感動したからMVを作りたい。」
「彼方の作るMVは応援なんだよ。」
今書いてる"映画レビュー”もそういえばそうなんじゃないか?
ぜんぜんMVとは芸術度も、制作に必要なスキルも、キラキラ度も違うけれど、
「この映画の良さを言語化して伝えたい。」
「映画を観て感じたことを上手く掬い取りたい。文字で表現したい。」
という想いや表現欲は映画レビューも同じだ。彼方の衝動はなんかすごく共感できた。
溢れる感動を文字にしたいから書いているのであって、別に「共感した」や「コメント」がなくても構わない。でもだからといって自分のスマホの中に書き留めておくのではなく、こういうサイトで公開しているのは「映画を観て感じたことを私はちゃんと言語化できているだろうか?」「この表現に共感してくれる人はいるだろうか?」「この映画の良さを言語化してみんなに伝えたい」という想いがあるからだ。
自分が制作した表現物(MV、レビュー)に対する反応を確認したい欲と、
感動した対象(曲、映画)へのエール。
拙くても感動した映画にはレビューを書き、感動したレビューにはコメントを書いていくことを、その衝動に正直でいていいんだと背中を押された気がした。
■夢破れた者たちへのエール
「未明」のMVのシーンでうなだれながらキャンパスの前から去っていく人たちのように、大量に書き留めたスケッチブックを捨てる外崎のように、表現することを、夢を、諦めざるを得ない人たちがいる。(それで身を立てて行こうとするなら特に)私も芸術ではないがスポーツの夢を諦めた経験がある。いまでもたまに夢でうなされるなど、その傷は未だに完全には癒えていない。
なかには先生のように、また走り出す人もいるだろう。趣味的に続ける人もいるだろう。
「他者の評価がなくとも、衝動のままに表現を続けるんだ!」ということをこの映画は推してるのか?違う。そんな単純で安易なオチじゃない。
去らざるを得なかったとしても、表現をしてきた時間は無駄じゃないということ、
夢を追いかけたその瞬間に意味があるってことを。
夢破れた自分にもエールをくれている気がした。
※先生の路上ライブシーン、浜辺で泣きながら訴えるシーン、「未明」のMV、この3つのシーン。魂が震えるとはこういうことか。
※MVがキーワードなだけあって音響が大事。Dolby Atmosで観てほんと良かった!
※画が綺麗。教室の中の光とか。
※石川県羽咋市。美しい所だ。
※映像がユニーク。Wiiスポーツ(古い!)の中のキャラみたいだった。Google MAPの箇所の表現も面白いなあ。
※MV作っていくシーンがミッションインポッシブルを思い出した(笑 こんな風に自分が想い描くイメージをサクサクと形にすることができたら、めちゃくちゃいいなあ。「Hurray!」の人たちとかひょっとしてこんな感覚なの??
未だに夢でうなされるとのこと。
なかなか普通の人は、そこまでの経験はできません。
でも、そんなものを持てたのは、ある意味、特別であり幸せなのかもしれませんね。(本気の経験があるほど、そんなもんじゃないと、怒られそうですが)
映画のレビューに例えてあるのもおもしろかったです。