劇場公開日 2025年5月23日

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「代理自殺」デビルズ・バス 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 代理自殺

2025年10月30日
PCから投稿

「わたしはこの人生にすっかり嫌気がさしたので殺人を思い至った」というテロップではじまるこの映画の内容をまとめてしまうと、この時代の教区において自殺は殺人よりも悪い行為だった。殺人を犯して神父にそれを告解すると、罪を赦された上で処刑(断頭)された。すなわち天国行きが約束された。だから、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは、自殺したい者は死刑になるために殺人を犯した。そんな事案(Suicide by Proxy)がドイツ語圏では400例以上記録されており、その大多数が女性だったそうだ。──という史実にもとづくホラー。ミッドサマー系のトラウマ話である上、実話でもあった。
ナオミワッツ版ではなくその元ネタのグッドナイトマミー(Ich seh, Ich seh、2014)を手がけたデュオ監督が演出しており、あちこちのAwardで賞もとっている。
imdb6.6、RottenTomatoes91%と62%。

このホラーを構成しているのは殺人行為に合理性が与えられてしまったという時代背景である。ここで言う合理とは、道理にかなったとか分別のあるという意味ではなく、費用に対して便益がもたらされるバランスが整合しているという意味の合理である。費用は殺人であり、便益は処刑である。この仕組みを与えたのは宗教である。
信心深い教徒で、自殺したい者や鬱病を患っている者らは、劫罰を避けた上で死刑になることができる殺人を、最良の自殺方法だと悟ってしまった。結果、自分の子どもや年端もいかない少年少女が犠牲になった。なぜならこの新手の自殺方法を選択したのは女性だったから。子どもであれば、かよわい女性でも殺すことができたことに加え、まだ罪を犯していない無実の子どもを殺せば、その子どもも天国に行くと教義されていた。彼女らは堂々と子殺しをやって告解によって赦し(天国行きの約諾)をうけ、神の祝福を感じながら断頭されていった。──という恐ろしい話だった。

殺人を犯した者の死体が縁起物であるかのような描写もあった。生首がさらされ、身体の一部が御利益(ごりやく)があるかのように切り取られ、持ち去られた。主人公のアグネスは死体から切り取られた指をお守りのように持っていた。公開処刑でアグネスの首がちょん切られると民衆はアグネスの血を欲しがって断頭台に群がった。それは神に祝福された霊験あらたかなる血と見なされた。

よって映画内には整合性=合理があり、生活の中心に宗教があり、自殺は大罪で、むしろ殺人には恩赦があり、罪を犯していない無実の子どもを殺せばその子どもも現世の苦しみから救うことができるとなれば、狂信者がそれを実践することは有り得るだろう。それは間違っているし、鬱病を発症したアグネスが受ける治療、後頸部に糸を潜らせ気分が塞いだらそれを動かしてその痛みと違和感で憂さを忘れさせる、も非科学的で間違っている。しかし世界が間違いだらけでも、それらは天動説のように時代と宗教の下では間違っていない、わけである。恐ろしいが納得のいく世界だった。

現代でも、生きているのが嫌になったなどの理由で誰かを殺すという事件が定期的におこるがそれとは根本的に違う。この映画はまるでミッドサマーのように禍々しいが、顧みれば現代の殺人のほうがよっぽどホラーである。

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津次郎
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