「渡る世間はデビルばかり」デビルズ・バス よしてさんの映画レビュー(感想・評価)
渡る世間はデビルばかり
『デビルズバス』というタイトルと不気味なポスターを見ると、血なまぐさいホラー映画を想像してしまいますが、実際はまったく異なる作品です。18世紀のオーストリアの農村を舞台に、若き女性の過酷な運命を通じて、信仰や社会の不条理を描く、重厚なヒューマンドラマです。
物語の中心は、結婚したばかりのカロリーヌという女性で、姑との関係はうまくいかず、頼りない夫や閉鎖的な村の住民たちとも馴染めず、彼女は鬱屈した日々を送ります。とかくと、橋田壽賀子ドラマのような印象も受けますが、本作はそんなに甘くありません。
懊悩する主人公の抑うつは、当時の社会では「悪魔憑き」と見なされ、宗教上、自ら命を絶つことも許されません。カロリーヌの閉塞感は、観る者の心を強く締め付けます。
映像表現も印象的です。カラー作品なのに、貧しい村や森のシーンは色彩を抑えたモノトーンのような雰囲気で描かれています。これは、カロリーヌの絶望や社会の閉鎖性を映し出すようで、観客に深い印象を与えます。
物語の展開は、現代の感覚では驚くべきものです。カロリーヌは、自死という「大罪」を避けるため、特異な「罪」を犯し、教会での告解を経て、死を選ぶことで魂の救済を求めます。当時の信仰に基づくこの選択は、現代人には理解しにくいかもしれません。さらに、処刑された彼女の遺体の一部が村人たちに聖遺物として分けられる場面は、事前に伏線があったとはいえ、強い衝撃を残します。
序盤では、処刑された女性の遺物をめぐる描写がホラー的な雰囲気を漂わせますが、中盤以降はカロリーヌの内面や社会の抑圧に焦点が移ります。そして、クライマックスで彼女が過酷な運命をたどる姿は、観客に深いメッセージを投げかけます。この構成は、単なるホラー映画を超えた見事な展開です。
この映画は、歴史の一場面を描くだけにとどまりません。女性が強いられる過酷な運命は、当時の社会構造を浮き彫りにし、近代化の裏に隠された犠牲を教えてくれます。また、男女平等が進んだ現代でも、男性中心の社会構造や生きづらさを抱える女性の存在を思い起こさせます。同時期に公開された『ガール・ウィズ・ニードル』とも共通するテーマですが、本作は歴史の闇に埋もれた個人の苦悩に光を当て、現代の私たちに考えるきっかけを与えてくれます。
ホラー映画を期待して観ると、驚くかもしれません。しかし、『デビルズバス』は、人間の魂の救済、信仰、そして社会の不条理を問う、忘れられない作品です。心して鑑賞してほしい一本です。
