顔を捨てた男のレビュー・感想・評価
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「エレファント・マン」から45年、映画と私たちは進歩したのか?と問いかける
人の外見の好き嫌い、また内なる嫌悪感や差別的感情についての難題を突きつけてくる映画だ。ただしけっして社会派のまじめなドラマというわけではなく、サスペンスとダークなユーモアと不条理さのバランスが絶妙な娯楽作になっている点もいい。
主人公エドワードの序盤の外見は容易に「エレファント・マン」(1980年のデヴッド・リンチ監督作)を想起させる。一方、新薬の効果で古い異形の“外面”が崩れて中から新しい(セバスチャン・スタンの)顔が出現するシーンは、「ザ・フライ」(1986年のデヴィッド・クローネンバーグ監督作)の変身シーンの逆バージョンのようだと感じた。「2人のデヴィッド」の80年代の名作に通じる趣は、スーパー16ミリフィルムで撮影された映像の質感によって補強されている。
脚本も手がけたアーロン・シンバーグ監督は、生まれつき口唇口蓋裂があったため矯正手術を何度も受けたことを明かしている。そうした実体験に基づき、外見やアイデンティティをテーマに映画を作っており、長編第2作「Chained for Life」では神経線維腫症1型の当事者であるアダム・ピアソンを主演に抜擢。シンバーグ監督はこの第3作でもピアソンをオズワルド役で起用し、脚本開発段階から助言を得て当事者の視点を盛り込んでいったという。
イングリッド(レナーテ・レインスベ)が書いた舞台劇に、「醜いものを忌み嫌うのは人間の本能だ」という台詞がある。また、序盤に映る啓発ビデオでも、「“恐れ”は獣への警戒心から生まれた」「我々は原始的な脳の反応を制御できません」と説明される。そうした本能に基づく感情を理性や知性で制御するのが文明人としての進歩というわけだ。「エレファント・マン」から45年が経ち、多様性やインクルージョンといったお題目は語られるようになったものの、映画やドラマの中でアダム・ピアソンのような当事者が重要な役で登場することはまだ少ない。また世界的な傾向としても、主に民族や人種の点で昨今、多様性尊重への反動が広がりつつある。「顔を捨てた男」を観ると、私たち人間の理性は本当に進歩しているのか、と問われている気がする。
この映画が言いたかったこと。それは・・・🥋
顔が奇形化する病気のために消極的な人生をおくるセバスチャンスタンが、病院で顔を直して新しい人生を歩んでると、目の前に自分の前の顔に似た男が現れるという話。
ルッキズムを扱った映画ということで「サブスタンス」にも似た話かなと思ってましたが、こちらは観客に、エドワードみたいに見た目を気にして消極的な生き方でいいの?オズワルドみたいに見た目関係なく、よりよい人生をおくるにはどうしたらいいの?というメッセージ性が感じられ、とても面白かったです。
と、書きましたが…。
ご覧になったほとんどの方は、そのメッセージを見逃し、この映画が何を言ってるのかよくわからないかと思いました。いや、むしろわからなくて当然だと思います。。
この映画が言いたかったこと。
それは「柔術をやれば自信がついて人生が変わる!」(爆)
いや、柔術やってない人わかんないって😛
冒頭にマンションの住人がエドワードに「柔術とか格闘技やれば?」みたいに言ってきて、だいぶ話が進んでオズワルドが自己紹介するとき「柔術やってる」と回収。ガイが舞台で暴れて事故った時、柔術やってるオズワルドは無傷で回避できるのも、護身や危険回避こそが柔術の考え方の根底にあるから。ラストに日本食レストラン行くのも柔術の源流の国、日本に対する敬意かなと好意的に感じました。
👉柔術とは。
現在、世界的に柔術(JIU-JITSU)という場合、ブラジリアン柔術を指します。こちらは元は講道館柔道の前田光世が海外諸国に柔道を普及するために世界を渡り歩き、最終的にブラジルの地で暮らし、カルロス・グレイシーに教えたところから始まった格闘技です。最初はグレイシー柔術と呼んでいましたが、やがてグレイシー以外に分派、拡大し、ブラジリアン柔術もしくは、柔術という呼び名となりました。
元々、柔術は武士が刀を無くした際の格闘術として日本で生まれたもので、打撃技、投げ技、関節技などを含み今でいう総合格闘技のイメージに近いものでしたが、嘉納治五郎がスポーツ化するために、柔術から打撃技など危険な行為を除き発明したのが今の講道館柔道になります。前田光世も嘉納治五郎も元々は柔術の技術がバックボーンにあったわけです。
つまり、今の柔術(JIU-JITSU)は、柔道が柔術として元々もっていた技術、いわば武士の魂をタイムカプセルのように保持したまま、現代に伝える格闘技とも言えるわけです。
👉柔術の力。
成り立ちは実践重視な格闘技ですが、護身を重要なコンセプトにし、弱い人のための格闘技でもあり、やると知らないうちにフィジカルも強くなりますが、ボディコミュニケーションで自分や他人をコントロールする面白さ、そこには知恵の輪のようなパズルみたいな要素もあり、何歳からでも始められる格闘技です。
👉柔術で自分に自信がつく。
今行ってる道場でも通い始めて半年から一年もすると男子も女子も顔つきが変わる方、たくさん見てます。どこか表情がキリッてなるんですよね。
この映画も午前中に柔術道場でさっぱりしたあとに観たタイミングだったので、え?って声出ちゃいましたが😆
明日も練習がんばりまーす。
ルッキズムの皮肉に満ちた寓話
かつての「エレファント・マン」を想起させる設定だが、本作はその一歩先を行く物語だった。
”エレファント・マン”ことジョン・メリックはサーカスの見世物として悲惨な人生を歩むが、彼に比べると本作のエドワードは周囲からの奇異の目を気にしながらも、それなりに普通の日常生活を送っている。彼が住むアパートの管理人、仕事仲間、バーの客たちは彼を見ても気味悪がる様子を見せない。そういう意味では、19世紀末頃を舞台にした「エレファント・マン」とは明らかに時代の違いも感じた。
ただ、そうはいってもエドワード本人は自身の容姿に対するコンプレックスに苦しみ、友達も恋人も作らず孤独と不安に駆られている。周囲がどう見ようと、本人の中では”普通と違う”ことに苦しみ、ジョン・メリックと同様に常に疎外感を感じているのだ。
そんなエドワードは実験段階の治療でハンサムな男に生まれ変わり、不動産会社の営業マンとして新たな人生をスタートさせる。高級マンションに住み、恋人もできて成功の美酒に酔いしれる。ここから本作は「エレファント・マン」から一歩先を行く物語になっていく。
そこでキーマンとなるのがオズワルドという、かつてのエドワード同様、顔に大きな障害を持った男である。彼はエドワードと正反対で、自分の外見を気にすることなく、陽気で社交的で誰からも愛されている。エドワードの持っていないものをすべて持っているのだ。
以前の自分のように醜い容姿をした彼が幸せそうな人生を送っているのを見て、きっとエドワードはこれまでの人生を否定されたような気持になったのではないだろうか。外見ではなく内面が魅力的であれば愛される。それを体現するオズワルドを見て、エドワードの心は打ち砕かれたに違いない。
カラオケで美声を響かせて聴衆をうっとりさせるオズワルド。それを羨望の眼差しで見つめるエドワードの表情が印象的だった。
人間的魅力は外見ではなく内面にこそ宿る。これはルッキズムに対する痛烈な皮肉とも取れる。個人的には最近観た「サブスタンス」を連想した。ただ、「サブスタンス」のデミ・ムーアが最後まで若さと美貌に憑りつかれていたのに対し、今作のエドワードはそこまで暴走しなかったのはせめてもの救いである。そこは両者、似て非なる所である。
監督、脚本は本作が長編3作目の新鋭ということである。自分は初見となるが、余白を残した演出が時折見られて中々面白いと思った。
例えば、エドワードの部屋の天井にできた水漏れによる穴。これは日が経つにつれてどんどん大きくなっていく。ドラマ上これが特に機能するような場面はないのだが、エドワードの孤独のメタファーと捉えれば中々シュールで面白い。
終盤のエドワードの行動も、どういう感情から起こしたのか説明されない。かなり突然だったので驚いてしまったが、自暴自棄的に見えるこの行動にもきっと何か真意があるはずだ。オズワルド=かつての自分をバカにされたことによる怒りだったのかもしれない。
一方、ラストシーンの意味については今一つよく分からず、後になって調べてようやく分かった次第である。確かに途中で何度か伏線は張られていたが、少し分かりづらいと思った。画面をよく見ていないと気付かない人も多いのではないだろうか。
ちなみに、このラストシーンでも見られたが、カメラが度々がズームインする場面がある。ちょっと作為的という気もしたが、インパクトを与えるという意味では中々面白い効果を上げていると思った。
キャストでは、エドワーズを演じたセバスチャン・スタンの巧演が素晴らしかった。前半は特殊メイクをしているため、ほとんど彼だと気付かない容姿をしている。先入観をなくして純粋に彼の演技力を堪能できた。舞台がニューヨークということもあろう。劇中でも指摘されていたが、ウディ・アレンよろしく猫背でオドオドした演技は新鮮だった。
また、オズワルド役のアダム・ピアソンも印象に残った。彼は実際に神経線維腫症を患っており、本作の外見そのままの素顔ということである。
尚、彼は同監督の前作で主演を務めたということらしい。残念ながら、日本未公開作なので観ることは出来ない。ただ、彼のような個性派俳優を続けて映画に登場させていることから、この監督は何かしら一貫したテーマを持っているような気がした。
後半のトントン拍子で軽くなってしまう
トッツィーに軍配。
理想と現実のギャップ
顔に特異な形態的盗聴を持つ男の理想と現実が反転する不条理スリラー。原題「A Different Man」は「エレファント・マン」を意識したような題名ですが、ストーリーに面白みが無く比較するまでもない印象を受けた。
2025-118
ルッキズムにとどまらない深みのある作品
ルッキズムを取り上げた作品なのだろうとタカを括っていたが、
それにとどまらないところに心を打たれた。
というのも、
セバスチャン・スタン演じる主人公エドワードは、
その特異な外見から、ひどい扱いを受けてきていて、
自分自身にも自信がない。
そんな彼が治療を受け、新しい顔(本来の顔だろう)を手にいれ
それなりに仕事がうまくいったりモテたりするようるなったが、
エドワードの本質は変わらないのだ。
人と比べる、人を羨む、自分に自信がないのは変わらない。
一方、昔のエドワードの顔に良く似たオズワルドは、
特異な顔にも関わらず、周囲の人たちとのコミュニケーションは抜群だし
自分に自信があり、顔のことをコンプレックスに感じているそぶりがない。
人と比べたりなんかしないし、むしろ人をたてるのだ。
だから人から好かれ、信頼されるのだろうと思う。
この人間的な本質の違いが、彼らの人生が全く異なる結果を生んでいる。
まさに人としての本質を抉り出すように描いていて、
私は心を打たれたし、自分自身も外見にコンプレックスを持ったり
他人と自分を比べたりせず、自分の人生を楽しもうとあらためて思った。
パンフレットも購入。
じっくり本作の余韻に浸ろうと思う。
エゴとアイデンティティのはざまで
なかなか際どい題材を扱って攻めている脚本演出が上手い。観客が自分の感覚を自らに問いがちなシーンがあり、外見による差別ということについて向き合うことになる。
ただ本作の秀逸なところはそれ以上に、外見の変化によって明らかになっていく主人公のエゴを描いていくところ。外見含めた自分を全否定し、違う人になることを選んだくらいなのに、好きだった女性への執着と外見が変わっても元々の自分のアイデンティティは捨てられないという様子の描き方が独特。自分と同じ病を持っていても人生を謳歌している人に感じる強い嫉妬。観客は自分がこのスクリーンの中の話に対して感じる感情感想は正しいのか?と自問自答してしまう。不思議な魅力を持った作品。
主人公のエドワード役は「アプレンティス」で見事なトランプ像を演じた人。内面と外見の演技の複雑なバランスが見事。
驚いたのは後から出てきた主人公が嫉妬することになるオズワルドを演じている方は本当にその顔の症状を持っている方とのこと。すごい役者、だからこそこの作品に力があるのかもしれない。
2025 58
生まれ変わる時
顔に特異な形態的特徴を持ちながらも新薬により治った男が、治療前の自分と似た男と出会い、動き始めたはずの新しい人生が…といった物語。
これは深く考えさせられる作品ですね。
現実問題として、男女問わず見た目が良いことは計り知れないほどのアドバンテージであることに異論はないと思います。
自信が付いたエドワードは仕事でも成功していき、かつて憧れた彼女と…。
そんな中、突如現れたオズワルド。かつての自分と同じ立場にあり、そんな彼と心を寄せ合って熱い友情が生まれる…的な展開になると思いきや。
う〜ん、そのことを気にもしていない(ようにみえる)オズワルドに、人知れずコンプレックスを抱いたのでしょうか。あれ程苦しんでいた自分と何故こうにも違うのか。そしてあろうことか、生まれ変われたはずの自分が、かつての"自分"に全てを奪われていくような感覚…。
結局大事なのは見た目ではなく心だよね…
なんてくだらない綺麗事を言うつもりはサラサラないですが、エドワードとオズワルド、確かに輝いてみえたのはオズワルドであることもまた事実か…。
なんとも複雑な気持ちにさせられた作品だった。
それはそうと、皆さん動物は責任をもって飼いましょうよ。んで、イングリットさん、最初は素敵な女性かと思ったが、あんたも中々にね…。。
そして最後。日本食なのが何となく誇らしいが、この後がどうなるか…っていうか何を伝えたい場面なのか?
また、エドワードに関しては主治医には普通にありがとうございますで良かったのでは?
細かい所が少し気になってしまったかも。
いずれにせよ、難しくも良作だったと思います。
容姿というより、過剰な自意識
ルッキズム云々という問題ではない
見た目が全てではない
ストレンジダーリンと比べると遥かに面白かった。
あそこまで酷い容姿の人っていない?と思うけどでも役者を目指してるのも凄かった。
よく目指そうと思えたね。勇気がある。
整形して演出家の女性と良い感じになったらオズワルドという過去の自分に遭遇性格は明るくおしゃべり奥さんやお子さんもいたから驚いた。
オズワルドの登場で男性もおかしくなり知人を殺して刑務所行き顔にボール当たる監視官も知らんぷり顔にボール当たると痛い私も経験者なので分かる。笑えない。
刑務所から出てきてオズワルドと女性誰?再会来てくれたのはいい人だった。
私もあまり容姿を重視しすぎる人が苦手そういう人は言葉悪いけどクズが多い。
内容考えた人中々良かったと思います人間は顔だけじゃないんですよそう思いませんか?
全80件中、1~20件目を表示










