顔を捨てた男のレビュー・感想・評価
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ルッキズムにとどまらない深みのある作品
ルッキズムを取り上げた作品なのだろうとタカを括っていたが、
それにとどまらないところに心を打たれた。
というのも、
セバスチャン・スタン演じる主人公エドワードは、
その特異な外見から、ひどい扱いを受けてきていて、
自分自身にも自信がない。
そんな彼が治療を受け、新しい顔(本来の顔だろう)を手にいれ
それなりに仕事がうまくいったりモテたりするようるなったが、
エドワードの本質は変わらないのだ。
人と比べる、人を羨む、自分に自信がないのは変わらない。
一方、昔のエドワードの顔に良く似たオズワルドは、
特異な顔にも関わらず、周囲の人たちとのコミュニケーションは抜群だし
自分に自信があり、顔のことをコンプレックスに感じているそぶりがない。
人と比べたりなんかしないし、むしろ人をたてるのだ。
だから人から好かれ、信頼されるのだろうと思う。
この人間的な本質の違いが、彼らの人生が全く異なる結果を生んでいる。
まさに人としての本質を抉り出すように描いていて、
私は心を打たれたし、自分自身も外見にコンプレックスを持ったり
他人と自分を比べたりせず、自分の人生を楽しもうとあらためて思った。
パンフレットも購入。
じっくり本作の余韻に浸ろうと思う。
エゴとアイデンティティのはざまで
なかなか際どい題材を扱って攻めている脚本演出が上手い。観客が自分の感覚を自らに問いがちなシーンがあり、外見による差別ということについて向き合うことになる。
ただ本作の秀逸なところはそれ以上に、外見の変化によって明らかになっていく主人公のエゴを描いていくところ。外見含めた自分を全否定し、違う人になることを選んだくらいなのに、好きだった女性への執着と外見が変わっても元々の自分のアイデンティティは捨てられないという様子の描き方が独特。自分と同じ病を持っていても人生を謳歌している人に感じる強い嫉妬。観客は自分がこのスクリーンの中の話に対して感じる感情感想は正しいのか?と自問自答してしまう。不思議な魅力を持った作品。
主人公のエドワード役は「アプレンティス」で見事なトランプ像を演じた人。内面と外見の演技の複雑なバランスが見事。
驚いたのは後から出てきた主人公が嫉妬することになるオズワルドを演じている方は本当にその顔の症状を持っている方とのこと。すごい役者、だからこそこの作品に力があるのかもしれない。
2025 58
生まれ変わる時
顔に特異な形態的特徴を持ちながらも新薬により治った男が、治療前の自分と似た男と出会い、動き始めたはずの新しい人生が…といった物語。
これは深く考えさせられる作品ですね。
現実問題として、男女問わず見た目が良いことは計り知れないほどのアドバンテージであることに異論はないと思います。
自信が付いたエドワードは仕事でも成功していき、かつて憧れた彼女と…。
そんな中、突如現れたオズワルド。かつての自分と同じ立場にあり、そんな彼と心を寄せ合って熱い友情が生まれる…的な展開になると思いきや。
う〜ん、そのことを気にもしていない(ようにみえる)オズワルドに、人知れずコンプレックスを抱いたのでしょうか。あれ程苦しんでいた自分と何故こうにも違うのか。そしてあろうことか、生まれ変われたはずの自分が、かつての"自分"に全てを奪われていくような感覚…。
結局大事なのは見た目ではなく心だよね…
なんてくだらない綺麗事を言うつもりはサラサラないですが、エドワードとオズワルド、確かに輝いてみえたのはオズワルドであることもまた事実か…。
なんとも複雑な気持ちにさせられた作品だった。
それはそうと、皆さん動物は責任をもって飼いましょうよ。んで、イングリットさん、最初は素敵な女性かと思ったが、あんたも中々にね…。。
そして最後。日本食なのが何となく誇らしいが、この後がどうなるか…っていうか何を伝えたい場面なのか?
また、エドワードに関しては主治医には普通にありがとうございますで良かったのでは?
細かい所が少し気になってしまったかも。
いずれにせよ、難しくも良作だったと思います。
容姿というより、過剰な自意識
ルッキズム云々という問題ではない
見た目が全てではない
ストレンジダーリンと比べると遥かに面白かった。
あそこまで酷い容姿の人っていない?と思うけどでも役者を目指してるのも凄かった。
よく目指そうと思えたね。勇気がある。
整形して演出家の女性と良い感じになったらオズワルドという過去の自分に遭遇性格は明るくおしゃべり奥さんやお子さんもいたから驚いた。
オズワルドの登場で男性もおかしくなり知人を殺して刑務所行き顔にボール当たる監視官も知らんぷり顔にボール当たると痛い私も経験者なので分かる。笑えない。
刑務所から出てきてオズワルドと女性誰?再会来てくれたのはいい人だった。
私もあまり容姿を重視しすぎる人が苦手そういう人は言葉悪いけどクズが多い。
内容考えた人中々良かったと思います人間は顔だけじゃないんですよそう思いませんか?
題材はいいのだが、、、
何かと「サブスタンス」と比べられるのかもしれないですが、全然違うと思います。
サブスタンスが、自身の希望により変化を遂げたのなら、こちらは、特に自身が変わろうとして変わったのではなく、むしろ変えられてしまったのではないかと思います。
いくつかの設定には、結構簡単に済ませてしまったんだなと思うところもあったりで。
はじめ行われていた治験も、当の本人がいなくなったということでその後全く出て来ずそこで終わってしまったり、イングリッドは男を取っ替え引っ換えというキャラかなと思えば、オズワルドとは長く続いてそれが簡単に覆っていたり、と。
エドワード(ガイ)とオズワルドの同じ境遇であるようなのだが、全く違った者の対比を描いているのかもしれない。が、簡単に描き過ぎてるように思えて。
突っ込みどころはいろいろあり、ガイの身元を調べたらすぐわかるやんとか、イングリッドがガイにマスクを付けて来てとベッドでお願いをしいざ付けてくるとやっぱり違うと笑って済ませておきながら、オズワルドとはプラトニックな恋愛を続けられているのかと疑問を持たせられたりとか。
題材はすごく良いと思うのですが、最後はもっと驚きを持って来て欲しかった。
最後もなんかモヤモヤが残る終わり方でした。最後少し映った女性は誰?何だったのでしょうか?
醜い顔の二人の真実「格差」
平日の昼にもかかわらずヒューマントラストシネマ有楽町のシートは
7割ほどうまっていた。
やはり今話題性があるのか。タイトルがキャッチ―なのか。
そんな中私も何がスクリーンに映されるのか期待して見に行ったのです。
結果的には大いに満足した映画でした。見終わった時より地下鉄で
文章の草稿を書いているとき、ふつふつと満足感があふれてきた
そんな映画でした。私の感想文を読んでください。
【映画感想文】
見終わったとき、オズワルドがエドワードに「君は変わらないね」と発する一言がうまく消化できず、映画を見終わったとき悶々とした。
「人は見た目が9割」というタイトルの本がかなり売れたように「そうだよな」と納得したことがあった。エドワードは疑いなくそう考えて生きてきた。自分の顔が醜いことに負い目を持って生きていた。自信がなく何かにチャレンジすることなく「社会の迷惑」にならないように生きていくことが、彼の信条だった。
顔の醜さを矯正する手術を決断し、ハンサムな顔になり別人として生きていく。彼が今まで経験したことのないこともできて万々歳ではなかった。ハンサムになり人気者になっても彼には過去を払拭できずにいた。そしてオズワルドが彼の目の前に現れたのだ。
オズワルドは、以前のエドワード同様、顔が醜かった。ただ二人には圧倒的な違いがある。オズワルドは、誰とも議論し、ジョークを言い、歌を歌い、楽器を演奏し、教養も多種にわたり、ひろい人間関係を構築している。
この違いは、エドワードは引っ込み事案で暗い性格だからであろうか。オズワルドは、エドワードに話したことがある。「大学在学中に投資で大儲けした」という一言だ。オズワルドは、大学に行ける環境下にあり、そこで莫大な財力を手に入れたことに目を向けないといけない。オズワルドには、顔の醜さを覆い隠してしまう知力と財力があったのだ。
顔が醜い男でなくても同じだ。学歴、育った環境、人はそれぞれ同じでなく、平等ではない。このことを今の社会は「格差」という。この映画は、一見特殊な人間を扱いながら、人間普遍の問題をテーマにしている。
エドワードとオズワルドの「格差」にしてしまえば「変わらないね」ではなく「変われない」のがエドワードのいる世界だ。それゆえ見終わったとき、消化できず悶々とした感覚は、まさにそこに答えがあったのだ。
今属している「世界」を変えるには、フルモデルチェンジが必要だ。エドワードは「世界」を変えた。彼が過去をすべて払拭さえすれば、人生は皮肉だ。
自分と真逆の人間は自分を映す鏡
この作品で、顔を捨てた男を演じたセバスチャン・スタンが、ゴールデングローブ賞、ベルリンの銀熊賞を受賞している。彼は、ルックスが自分の人生をダメにしていると錯覚し、自分の特異な顔を捨てる男を演じている。かたや、特異な顔を卑下せず、なめらかな弁舌で、コンプレックスなんのそので人生を好転させていく男が登場する。その好対照とやるせなさが丁寧に描かれている。
この主人公と真逆の存在が、この作品を面白くしている。
自分と真逆の人間が、自分を映す鏡の役割をはたしている。
人からどう思われているか、とあまり考えすぎるとこういうことになってしまう。自分をよく見せれば好感を得られるという錯覚から、地を出しても人望がある人間を妬むのだと思う。でも、ありのままに生きてるタイプの人間にも、人知れない葛藤があり、しかも、そのタイプは、実はほんの一握りだという事実を忘れてしまう。対極にいる男の目に見えない努力に蓋をし、なぜ彼女が彼を?の問いばかりをつきつめる。
ルックスを変えようが、生来の癖はなおらない。それがその人らしさであり、人間臭いところ。主人公のさわやかな苦笑いで終わるラストが、彼の初めて見る安堵の表情に思え、とても印象的だった。
鏡の話
ラストの主人公の表情 この作品の全てを物語っている演出に唯々、ひれ伏すばかりである
結局は性格や性質、能力も又加味される事なのだろうけど、持って生まれたモノは仕方がない 変えることができないならば羨ましがらずに、淡々と自分の人生を生きる "諦める"事の大事さを教えてくれる作品である
エドワードを批判できるほど自分は強くなれるのか…
エドワード(主人公)と同じではないが、自分も外見から分かる障害がある身なので、ヒリヒリした気持ちで見ていた。
本作の主要人物の多くは、顔に障害のあるエドワードに悪意を持って接しているわけではなく、むしろ友達としてそれなりに好感を持っている人もいる。
しかし、エドワードの顔ではSEXできないわwと悪気なく話したり、エドワードの顔はヒロインの愛を試すための「試練」だと話すなど、「自分の顔が化け物のように扱われたらどう思うか」ということはあまり想像していないようで、デリカシーもない。
エドワードが出演していた、障害者への理解促進用ビデオのメッセージ「外見に障害がある人を見て、ゾッとしてしまうのは仕方のないことです。コミュニケーションを重ねて少しずつ慣れていけばよいのです」が、エドワードの周囲の人間の偽善を象徴しているようにも思う。
「ゾッとされるのが自分だったら、仕方のないことと納得できるのか」と相手の気持ちを想像することは一切せず、「障害者を差別しない善人の自分」を一方的に押し付けるという。
(エドワードに感情移入しながら見ていたので、こうゆう偽善的なキャラクター達にムカついたが、自分が偽善者側にまわる可能性もあるな…とも思った)
「自分の顔が化け物のように思われる痛み」を嫌と言うほど味わってきたエドワードと、その痛みがわからない周囲の人間のディスコミュニケーションが辛い作品だった。
悲しみを周りと共有できないまま、孤独を募らせていくエドワードの姿はとても痛々しい。
エドワードが必要としていたのは、単に「仲良い人」とか「優しくしてくれる人」ではなく、「痛みを理解し、共感してくれる人」だったのかもしれないと思う。
顔に囚われて卑屈になるのではなく、オズワルドのように他者に心を開いていけば自然と他者からもリスペクトされるようになる、というのは真実だと思うし、幸せになるにはそうせざるを得ないのかもしれない。
しかし、自分はそうなれるのか…自分の顔がゾッとされるのは仕方がないと主張するような理不尽な社会を受け入れて、憎まず、心を開いて人と交流しようと思えるほど強くなれるのか。
異なる人生を歩んできた他者に、自分の痛みを完全に理解してもらうことはできないような気もする。経験や価値観の違いにより、時に傷つけ傷つけらてしまうことも受け入れないと、生きていけないとは思う。しかし難しいことでもある。
その痛みを乗り越えて他者と共に生きていこうとできたオズワルドは強い人だと思うが、それができなかったエドワードを責める気にはなれなかった。
見ていて辛いが、色々考えさせられる作品だった。
楽な作品じゃないよ・・・
思い返せば思い返すほど辛くなる
万人に当てはまるからか? それとも共感性羞恥からか?
あなたにもぜひ確かめてみてほしい。そんなことを思わされた一本
リンパ腫の影響で顔の大部分が腫れ上がっているエドワード。俳優を志しているが、陽の目を浴びるのはまだまだ遠い様子
そんな彼に新薬の治験の話がやってくる。顔の腫れがなくなり、目立つ容貌でなくなるというのだ
ここまで観て漠然と『笑ゥせぇるすまん』の基本フォーマットを想像した私だったが、投薬後に現れる一人の男によって物語は思いもよらなかった方向に進み始める・・・
今作の原題は『A Different Man』
元もシンプルゆえに色々な受け取り方ができるが、観た後では邦題も味がある名訳じゃないかと思えた
障害やルッキズムが要素として登場する作品ではあるが、あからさまに差別する人々は出てこず「主たるテーマはそこではない」というメッセージが聞こえてくるようだ
冒頭に「辛い」と書いたがより近い言葉は「居心地が悪い」かもしれない
主人公バカだなぁと笑えるほど楽な作品を見せてくれる気はさらさらなさそうだ
自分が問われている
かなり単純に「人は見た目より人柄」、陰の者より陽の者のほうが好かれ...
人間ってなんだろうか?
もっと狂気じみた物語と思っていたのだが…(微エロあり)
結末がどうも自分的には納得できなくて、この手の映画ってもっと振り切ったほうが観客の心に刺さると思うのですが中途半端に終わった感が否めません。
エドワードとオズワルドは正に陰と陽、エドワードはビビリで周囲に対して控えめに生きているのに対してオズワルドは明るく積極的でお茶目なところもあり真逆。薬のおかげでエドワードは普通の顔を取り戻しそれが自信となって人生を謳歌していくがオズワルドの出現で歯車が狂っていく。
オズワルドは自身の醜い顔に関係なく周囲を魅了していきエドワードの 領域まで侵食。やがて悲劇が訪れるのですが期待していたほどではなく「えっ」で感じ。エドワードが(殺人未遂であろう)刑期を終えて出所したところでオズワルドとイングリットと再会しほのぼのしたところで劇終。なにコレっていうのが観た直後の感想です。
エドワードがもっとオズワルドに羨望と嫉妬で狂っていき、オズワルドを殺してかつての自分をオズワルドに重ねて後悔にとらわれ自殺するか廃人になるというような結末はいかがでしょうか?
余談ですが、最後3人でレストランに入るのですが和食のメニューを日本語で頼んでいて(メニューが日本語)オドロキ(向こうでは当たり前なのか?)でした。それとヒロインのイングリットのおっぱいが拝めます。
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