「醜い顔の二人の真実「格差」」顔を捨てた男 かなさんの映画レビュー(感想・評価)
醜い顔の二人の真実「格差」
平日の昼にもかかわらずヒューマントラストシネマ有楽町のシートは
7割ほどうまっていた。
やはり今話題性があるのか。タイトルがキャッチ―なのか。
そんな中私も何がスクリーンに映されるのか期待して見に行ったのです。
結果的には大いに満足した映画でした。見終わった時より地下鉄で
文章の草稿を書いているとき、ふつふつと満足感があふれてきた
そんな映画でした。私の感想文を読んでください。
【映画感想文】
見終わったとき、オズワルドがエドワードに「君は変わらないね」と発する一言がうまく消化できず、映画を見終わったとき悶々とした。
「人は見た目が9割」というタイトルの本がかなり売れたように「そうだよな」と納得したことがあった。エドワードは疑いなくそう考えて生きてきた。自分の顔が醜いことに負い目を持って生きていた。自信がなく何かにチャレンジすることなく「社会の迷惑」にならないように生きていくことが、彼の信条だった。
顔の醜さを矯正する手術を決断し、ハンサムな顔になり別人として生きていく。彼が今まで経験したことのないこともできて万々歳ではなかった。ハンサムになり人気者になっても彼には過去を払拭できずにいた。そしてオズワルドが彼の目の前に現れたのだ。
オズワルドは、以前のエドワード同様、顔が醜かった。ただ二人には圧倒的な違いがある。オズワルドは、誰とも議論し、ジョークを言い、歌を歌い、楽器を演奏し、教養も多種にわたり、ひろい人間関係を構築している。
この違いは、エドワードは引っ込み事案で暗い性格だからであろうか。オズワルドは、エドワードに話したことがある。「大学在学中に投資で大儲けした」という一言だ。オズワルドは、大学に行ける環境下にあり、そこで莫大な財力を手に入れたことに目を向けないといけない。オズワルドには、顔の醜さを覆い隠してしまう知力と財力があったのだ。
顔が醜い男でなくても同じだ。学歴、育った環境、人はそれぞれ同じでなく、平等ではない。このことを今の社会は「格差」という。この映画は、一見特殊な人間を扱いながら、人間普遍の問題をテーマにしている。
エドワードとオズワルドの「格差」にしてしまえば「変わらないね」ではなく「変われない」のがエドワードのいる世界だ。それゆえ見終わったとき、消化できず悶々とした感覚は、まさにそこに答えがあったのだ。
今属している「世界」を変えるには、フルモデルチェンジが必要だ。エドワードは「世界」を変えた。彼が過去をすべて払拭さえすれば、人生は皮肉だ。
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