「わたし(永瀬正敏)は「箱男」 古いダンボール箱を頭からすっぽりと被...」箱男 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
わたし(永瀬正敏)は「箱男」 古いダンボール箱を頭からすっぽりと被...
わたし(永瀬正敏)は「箱男」
古いダンボール箱を頭からすっぽりと被り、町の隅から世界を一方的に覗き見ている。
その匿名性、完全な孤立・孤独を得て生きている。
宿敵はワッペン乞食(渋川清彦)。
同じような存在だが、彼は完全な孤立・孤独を得ているとは言い難い。
わたしは勝った。
が、斃したのは謎の男(浅野忠信)。
男は、軍医と呼ばれる男(佐藤浩市)のもとで働き、軍医とともに「箱男」の地位を乗っ取ろうと目論んでいた。
彼らには、葉子という名の美しい女性(白本彩奈)がいた。
彼女は「箱男」の出口なのか・・・
といった物語で、冒頭、1973年からの物語として始まるが、実際は2023年の物語として描かれます。
雰囲気は、最近の映画でいえば『シン・仮面ライダー』に近いか。
あの映画も「変身」の映画で、別の存在になっていった。
いや本郷猛は仮面ライダーを自覚していて、匿名ではないのか・・・という思いが浮かび上がる。
現代社会の匿名性の不条理さを描いているようにみえるが、箱男vs.ニセ箱男の対決にスライドする後半は「虚実の境界の曖昧さ」「主体と客体」「実存」の物語へと変化する。
ここでは『ドグラマグラ』を想起する。
が、「虚実の曖昧さ」は、元の小説では「文字」によって表現されている(だろう)から問題はないのだが、映画は「映像」「音」「編集」「文字」などのさまざまな要素で構築されているので、なかなかに厄介。
小説で表現された虚実を、映像に移し替えようとしているが、結果、あまり成功しているとは言い難い、と感じました。
たぶん、虚実を結ぶマクガフィンが日記だからで、日記は文字によるもの(文字の形、配列、挿絵なども含まれるが)。
2023年のマクガフィンとしたら、「写真」「映像」「短い文章(つぶやき)」になるのだろう。
ま、SNSだ。
さらにSNSでやり取りされる「写真」「映像」「短い文章(つぶやき)」は、各個人の手元に存在しているようにみえて、その実、存在していない。
実体がわからないクラウドにアップされたものだ。
さらに、それらは時系列さえもランダムに表示され、「覗き見」たり「感じ」たりしたことを記録(したように)できる。
これならば、最後の台詞、「箱男はあなただ」がまさにその通りだと感じたかもしれない。
付け加えるなら、映画は底意地悪く、エンドクレジットでスマホの着信音などを鳴らしているのだから、日記→スマホのほうが適切だったと思う。
(箱の覗き穴はスクリーンと同じ縦横比を用いた演出で、「箱男はあなただ」の「あなた」が映画を観ている観客を指しているのはわかりやすいが、スマホにすると演出にもう一工夫がなるけれど)
ただし、そんな脚色をすると、安っぽく、別物の映画になったかもしれないが。
なお「箱」は、執着の果てとして、京極夏彦『魍魎の匣』の「匣」に通ずるや否や。