ドリーム・シナリオのレビュー・感想・評価
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全シーンが面白くてストレスフルな、中年男性が陥る袋小路問題
主人公が大学の講義で語るシマウマの生態についてのエピソードが、この作品の基本理念を象徴している。群れの中にいることで、努めて目立たず、我が身の安全を確保したいが、自分がいるクラスタの中では認められたい、モテたい、チヤホヤされたい。しかし評価されるに足るものはというと、まだ一文字も書いていない論文だったりする。ああ、小さな不満を蓄積させながら、つまらない毎日に甘んじている自分たちになんと突き刺さる映画か(もちろん本物のシマウマは野生の王国で必死にサバイバルしてると思うけども)。
もうひとつ重要なのは、これが中年男性の映画であること。仮に主人公の性別を置き換えても、困ったひとの映画であることは変わりないが、おそらくこんな人もいる、という話になったように思う。中年男性が(無自覚であっても)どんな圧を発し、周囲を不安にさせるのか。いや、悪気はないのに!というのもひとつの正しさだし、そうであっても権威的な立場から社会に及ぼしてきた影響の積み重ねがあって、個人のささやかな望みが破綻する物語でも、中年男性にまつわる社会現象のシミュレーションとして機能している。
そこが監督の前作でSNS世代の承認欲求のこじらせを描いたブラックコメディ『シック・オブ・マイセルフ』と大きく違う部分だし、こちらのほうが複雑に絡み合った問題の根深さがあらわになっていて、じゃあどうせいっちゅうねん!と叫びたくなる一歩手前の問題提起として非常に優れている。そしても全シーンが面白くて美しくて哀しくて愚かしくて、繰り返し観ることで編集の冴えにも惚れ惚れするばかりです。
またしてもケイジの脚本選びのうまさ際立つ
脚本や演出が良いのか、ニコラス・ケイジが巧いのか。ケイジが我が身を顧みずとことんかっこ悪く不運な役柄を演じる時、そこにはなんとも言えない魔法が立ち現れる。あるいは、彼のバランスの効いた飾らない存在感が脚本の面白さをより際立たせるのか。ともかく本作は『The PIG』『マッシヴ・タレント』に続き、ここ数年で際立つ彼の脚本選びの才覚が最も花開いた出色の作。ボルグリ監督の『シック・オブ・マイセルフ』を見ればこの作り手が一つの着火点から居心地悪くも目が離せない不条理世界を生み出せる才人なのは一目瞭然だが、今回はその語り口を深化させ、どこかチャーリー・カウフマン的香りすら漂わせつつ、ケイジで遊び、祭り上げ、叩き落とす。彼の魅力を熟知した演出の巧さ。そしてケイジのリアクションの妙。当初、誰もが抱く「なぜ?」という感覚も気にならなくなるほど、彼の魅力と一つの事案に揺れる社会状況を見事に凝縮させた秀作だ。
フェイクの拡散に着想を得てSNSの功罪をからめた不条理コメディに、ニコケイのトホホ感が絶妙
昨年日本公開の「マッシブ・タレント」のレビューで「ニコケイ、第2黄金期の幕開けとなるか」と書いたが、この最新作でのニコラス・ケイジもお馴染みの困惑気味の表情が絶妙にはまっていて、好調を維持しているようで嬉しい。ほぼ予備知識なしで観始め、チャーリー・カウフマン脚本っぽい話だなと感じ、まず「マルコヴィッチの穴」が思い浮かび、ああそういえば「アダプテーション」ではニコケイが双子の二役で主演していたなと。
鑑賞後に資料で監督・脚本が「シック・オブ・マイセルフ」のクリストファー・ボルグリだと知り、同作で扱ったSNSや動画共有サービスの功罪がこの「ドリーム・シナリオ」にもつながっていたのかと得心。
私自身は知らなかったが、ある男が大勢の夢の中に現れるという話には元ネタがある。2009年頃にイタリア人のマーケティング専門家が創作した「大勢の夢に同じ男(This Man)が出てくる話」を、フィクションであることを伏せてゲリラマーケティングの一環として拡散させネット上で大いに話題になり、事実として報じるメディアまであったそう(Wikipediaに「This Man」の項が設けられ、経緯が紹介されている)。今年6月公開の邦画「THIS MAN」もこの元ネタから着想しているので、同作と「ドリーム・シナリオ」を両方観た人なら似た設定だと気づいただろう。
製作に名を連ねたアリ・アスターとも、主人公が不条理な状況に陥っていく恐怖をシニカルなユーモアも交えて描くセンスが似ていて、互いに共感するところがあるのだろうか。ボルグリ監督の次回作「THE DRAMA」(ゼンデイヤ、ロバート・パティンソン、「リコリス・ピザ」のアラナ・ハイムが出演)もA24とアリ・アスターの製作だそうで、今から楽しみだ。
難しくは無いけど、正直、あんま解らなかった!
極普通の大学教授のポールがなぜか?解らないけど
ある日突然、世間の人々の夢に一斉に現れて、一躍有名人になる。
街中で「あなたの夢を見た!」と見知らぬ人々に声をかけられるのだけど
同じようにある日突然、今度は夢の中のポールが夢を見てる人々を襲い始める。
なんですと??
夢を見た人の夢の中でポールが悪事を行うことで
現実のポールに直接何かされた訳でも無いのに、
世間ではポールに対しての偏見や嫌悪が渦巻き始める。
と、ここまでは、レッテル貼りの怖さ、
みたいなそんなのが主題かな〜と思ったのですが
どうやら、そんな単純な話では無いらしい。
ニコラス・ケイジの久々のメジャー感のある映画!
なので頑張って観てきました。
で、月に8回程映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
タイトル通り、後半、所謂IT企業っぽい描写が出てきてから、
ちょっと眠かった事もあって、理解できてません。
最初に受け取った「レッテル貼りの怖さ」や
「群衆心理の行き過ぎ」などを受け取っておこうと思います。
ニコラス・ケイジの魅力が大爆発した作品
ニコラス・ケイジはすごい俳優だ。ハリウッド大作に主演していた過去にしがみつくことなく、(借金という理由があったとはいえ)小さな映画にたくさん出演してきた。あまりにニッチな映画にも出すぎて、少し笑えてしまうくらい。
本作で彼が演じるのは大学教授のポール。2人の娘と妻がいて、幸せな家庭を築いている。そんな彼が多くの人の夢に登場するという話。ちょっと前に、似たような話があったよな。あの話を題材に(題材にしたのかは不明だが)うまーく映画にしていると感じた。
多くの人の夢に登場したことで一躍有名になったポール。ここで調子に乗ってしまうのが小市民っぽくていい。有名になることの功罪が描かれている印象だ。夢に登場するポールが、何もしないおじさんだったのが、危害を加えるようになって周りの対応が変化していくのも面白い。自分は何もしていないのに勝手に印象が操作される感じ。ドラマや映画で悪い人の役を演じたことでその俳優の印象も悪くなる現象に似ている。かなり理不尽ではある。最後は若干胡散臭い要素も含まれていたが、なかなか興味深い終わり方になっていた。一連の現象に振り回されたポールのことを考えると切ない。
本作に登場するポールはあくまで小市民で、基本的に無害な人間だ。それが夢に登場するととても不気味で猟奇的で暴力的でエロティックな存在になるというアンバランスさが面白いのだが、ニコラス・ケイジは見事に演じ分けていたと思う。特に不気味で猟奇的で暴力的なポールの演技が見事だった。それらのシーンが素晴らしすぎてちょっと笑ってしまった。こんなのニコラス・ケイジにしかできないかもなと。
万人受けしない
もう少し分かりやすく作ってくれたなら評価は高かったかもしれない。夢の中盤までは何とかついて行けるのだが後半は何となく惰性で観てしまう。言いたい事は分かるのだがだから何だって、現実に置き換えられないので困惑してしまう。
小難しいシナリだと思うし、なんともいえない鑑賞後の不燃焼感がある。
無名大物YouTuber「syamuさん」のスケールダウンな映画
自分のあずかり知らぬ所で、
見ず知らずの人から憎悪を向けられ、命を狙われるという設定は、
今年の映画だと、cloud(クラウド)の菅田将暉がやっていたが、
この映画の場合は、主人公が不特定多数の夢の中でミーム化され、
よくわからないまま有名になり、
そこから憎悪を向けられるという設定を、一枚嚙ませている。
一旦「持ち上げてから落とす」というのは、
インターネットが普及してから度々みられる光景であり、
素人ストリーミング配信で有名になった人が、
有名になり過ぎた為に批判され、どん底に落ちていくのと同じ構造の中に主人公はいる。
つまり、無名YouTuberの、syamu_gameさんの話だなと思った。
syamuさんを大学教授の設定にしただけなんだなと。
なるほど確かに、この教授は平凡で何も無い凡人だが、
凡人なりに、著書論文を出版したいという小さな我欲を持っている。
凡人のくせに、しょうもない自己顕示欲は隠せない。
もうそれだけで、憎悪を向けられる資質は「ある」ような気がする。
syamuさんは、雑談も面白くない、何のスキルも持ち合わせていない、
つまらないYouTuberだったからこそ、あれだけ有名になり、そして叩かれたのだ。
ミーム化された凡人の栄枯盛衰物語。時代に即したという意味では、
目の付け所の良い映画だったのだが、
これは脚本のせいなのか、テンポが悪く、鑑賞中は眠気との闘いになってしまった。
いや、すでにこの手の、ミーム化された凡人の栄枯盛衰物語は、
ネット上で散々観てきてしまったが故、それらと比すると、
そちらのほうが面白い人生だったのだろう。
ニコラス・ケイジの髪型で出オチピークであり、もっとこう、
持ち上げ<尽くして>から落としたほうが、
ダイナミックな人生となり、面白くなったのではないだろうか。
持ち上げ部分のフリが弱い。なので、オチも弱くなる。
そんなことならsyamuさん主役の設定でも良かった。
でぃすマン
コレはどう捉えたらいいんだろう?
ラスト含め全体的にふわっとしていて、観念的な内容。
ニコラス・ケイジじゃなかったらもっと地味になっていたかもしれない。
子どもには難しそうなので、R15ぐらいにしてエロ全開でもよかった(笑)
◇ニコケイと共同幻想
日本の思想家である吉本隆明が用いた『共同幻想』という言葉を思い出しました。自己幻想<個人的な幻想>---対幻想<家族・恋人などの幻想>---共同幻想<国家・企業などの社会的幻想> 幻想という無意識的領域を階層化して分類した上で、社会思想化するような論理であったと思います。
この作品の主人公は冴えない感じの大学教授ポール(ニコケイ)。いつかは自分の論文をまとめた書籍を出版するという夢を持っています。但し、「できたらいいなぁ」という漠然とした希望。夢を実現させるような行動が伴わない個人的幻想(夢)のようなものです。自己幻想。
そんな大学教授ポール(ニコケイ)が娘の夢に登場する場面が物語の冒頭です。夢の中で娘が「危機的状況であるにも関わらず何もしない」、ただ立ちすくんでいるだけです。家族が夢に出てくることは珍しいことでもないでしょう。対幻想。
見所であるトリッキーな設定は、家族にとどまらず、生徒たち友人たちにとどまらず不特定多数の人々の夢の中に登場し始めることです。さらにはSNSを通じて世間一般にまで「夢に登場する人物」としてバズっていきます。共同幻想。
嘗て個人の自由を抑圧する国家権力や社会規範などが持っていた強固な存在感は後退して、多様な価値観が乱立する中で、相対的で移り気な世間のレピュテーション(評判)のリスクばかりを気にして振り回されてばかりの世の中なのかもしれません。SNSの軽やかさがその傾向に拍車をかけている気もします。
夢の中で浮遊する感覚は、空に浮かぶ雲のようなネット仮想空間をふわふわ漂うわれわれの日常を象徴しているようです。急速に拡散と収束を繰り返す混沌とした共同幻想に対して、改めて個として自己幻想と向かい合うことの大切さを考えてさせる作品でした。
A24らしい作品☺……かな
映像のテクスチャーとでもいうのかな??
少しノスタルジックな感じがとても特徴的。
これがA24らしさ?それとも製作のアリ・アスターらしさ??
細かいことはあたしにはわからんけど、好きな感じ💜
音は間違いなく『ミッドサマー』っぽさ満載!これも好き💜
これまたヘンテコ世界のMOVIE来たなー。
ただ、これはオーバー過ぎるけど、自分のコントロールの範囲を超えたところで急に人から認知されちゃうこととか、身に覚えのないことで突然他人から避けられちゃうこととかって現実世界でもよくあること。
兎にも角にも日常がいつどんな風に変わるのかはわからないから、いつだって自分にとっての大切な人のことはなんだって後回しにしたりせず、後から後悔することが無いようにその都度なんだって対応するべきだゎ❤ ❤ ❤と感じた☺✨
夢の中に登場、とかの設定はあたしの頭では難しすぎてわかりません‼️
もう刑事(ケイジ)ものは無理かも知れないけれど
何故か多くの人々の夢の中に登場している事が知られてネット上で急に人気者になっていい気になっていたら、今度は「あいつのせいで夢の中で酷い目に遭った」と一転してバッシングされ始めるという理不尽な巻き込まれ型心理ホラー物語です。同じように理不尽な不幸に見舞われる男を描いた『ボーはおそれている』のアリ・アスターがプロデューサーを務め、SNSの評判に人間性が支配される『シック・オブ・マイセルフ』のクリストファー・ボルグリが監督であると聞けば、「なるほどなぁ」とこの居心地の悪いお話も腑に落ちます。
そして、この主人公の男を演じるニコラス・ケイジのショボさがいいんです。決して無垢で善良な市民という訳でなく、ずるさやセコさもある小市民的味わいが絶妙。実生活での浪費が祟って借金を背負ったせいか、彼はこの10年近くは酷いB級映画にばかり出演しており、それはそれでファンもおられた様ですが、僕はちっとも面白くありませんでした。ところが、この2~3年、漸く骨のある映画に帰って来ました。もう刑事(ケイジ)もののアクションは無理かもしれませんが、渋さとみじめさが滲み出る男としてスクリーン上で頑張って欲しいです。
人間はそこまで愚かではないと信じたい
前半は眠気との戦いになってしまい、ドリーム・シナリオに突入するところだった。
現実では絶対に起こらないであろう出来事や葛藤が永遠と続くので、どうしても話に興味が持てず、途中までは「どうでもええわ」となってしまった。
この映画の中にはいろいろな人の夢のシーンが出てくるが、そういうシーンが出てくるたびになんか違和感を感じてしまい、何故だろうと考えた結果、そもそも夢ってそれを見ている人の主観視点で描かれるもののはずなのに、この映画に出てくる夢シーンは全て第三者視点で描かれているから違和感があるんだ、みたいなどうでもいいことを映画を観ながら考えてしまった。
途中、唐突に性的なシーンが出てくるが、女性の言っていることが意味不明すぎてついていけない。
ポールが家族を大事にする男のように描かれていたが、そもそも妻と娘が二人いて女性の家について行ってんじゃねえよと思った。
ポールが人々の夢の中で悪さをするようになってから、周囲の人間がポールに対して差別的な言動をとるようになるが、ここが個人的に受け入れがたかった。
現実のポールは何も悪いことをしていないのに、「ポールに夢の中で酷いことをされた」というポールからすれば理不尽極まりない理由で、非人道的な行動を取る人なんているのだろうか?
人間はそこまで愚かではないと信じたい。
この場面を観ていて、SNS上でデマといっても差し支えないような真偽不明な風説を流布された結果、何も悪いことをしていないのに差別的な扱いを受け続ける川口のクルド人のことを想起した。
この映画で良いと思ったのは、差別的な扱いを受けるポールが世間に屈せず、立ち向かう姿。
車椅子の人が映画館の入場を拒否され、それに文句を言ったらネット上で誹謗中傷の雨嵐、それでも映画館に要望をを伝え続けた結果、映画館側が謝罪し、車椅子の人でも鑑賞しやすいシステムを構築、そんなニュースを思い出した。
車椅子の人が他の人と同様のサービスを求めるのは当然のことだと思うし、何も悪いことをしていないポールが他の人と同じ権利を求めるのも当然のことだと思う。
ずーっと可哀想なニコケイ!
を拝める映画!
またまたA-24の不条理劇。
みんなの夢に自分が現れる!
序盤ちょっとバズって調子に乗ったら、あとはずーっと可哀想な目に遭うニコケイ。
調子に乗ったといっても自分の本が出版されるでも無い、スプライトの下り。研究をパクられる?し、代理店の若い女とSEX我慢したのにーー!
怒りが反映されるかのように、夢の中で人を殺し始めるニコケイ。
そこからの顛落ぶり!
が!こういう時に取り乱すニコケイの演技は至高!
クライマックスの娘の舞台のシーンは観ていられないが、観ずにはいられない!
ラストも全然救いがないが、ボーは恐れているより好きかも。
収拾がつかない旅は突然に
自分アピールを焦るポール。
しかし彼、まだ具体的には何もしていないらしい。
そう…まずは、何もしていない彼の欲と現実の差にちょっとニヤッとし、ドキッとしてしまうのだ。
そしてその狭間にひょこっと産み出された思い入れの副作用のように奇想天外な怪奇現象が一気に増え始め、
〝何もしていない〟彼が〝何もしないうちに〟シュールな誰かの夢の世界を〝何もせず〟歩き回り、ちょっとの〝天〟にうかれ、これでもかの〝地〟に落ち踊らされ続ける。
それなりの社会的居場所も家庭もある男に起きた悲劇の設定から面白いのだが、だんだんエスカレートするみんなの頭のなかの〝自分じゃない自分〟は得体が知れずおそろしいし家族にも悪影響が出てくる。
しかし彼は思いのほか頑張り屋。
夢の話に、真面目に対処する様子が気の毒でちょっと同情してしまう。
気楽に観れるかと思っても、そうはいかないスパイシーさもある社会風刺アリ・アスターの風味をニコラス・ケイジが絶妙な表情でサーブする珍味的逸品。
映画ならではの不思議な災難の世界に浸りつつ、いつの間にか収拾なつかないし旅にでる性質のSNSの扱いにはうんと気をつけなきゃと思った。
スリラーなのかと言われると謎
昔流行った都市伝説のthis manのような誰の夢にもでてくるようになるという変な話スリラーとは違う気がするけど、他人の変化する状況に伴う揺れ動きや、それゆえの主人公のはがゆい感情や、平常であり続けようとする故の下り坂を転がり落ちていくような流れはおもしろい
結末として見るよりは主人公と周りの前後での温度差で風邪を引きたくなる映画
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