ドリーム・シナリオのレビュー・感想・評価
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潜在意識が明晰夢を見せて、それがシェアされる世界線のお話でしたね
2024.11.25 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ映画(102分、G)
夢の中に現れる教授が不条理に晒される様子を描いたスリラー映画
監督&脚本はクリストファー・ボルグリ
物語の舞台はカナダのどこかの地方都市(ロケ地はカナダのオンタリオ州トロント)
オスラー大学にて進化生物学の教鞭を取っている教授のポール・マシューズ(ニコラス・ケイジ)は、妻ジャネット(ジュリアンヌ・ニコルソン)と長年連れ添い、ハンナ(ジェシカ・クレメント)とソフィ(リリー・バード)の二人の娘を授かっていた
ハンナは高校に入って彼氏ができたようで、妹のソフィは中学校で演劇部に入っていた
ある日のこと、ソフィが「自分の夢の中にパパが出てきた」と言い出す
聞けば「ソフィが宙に浮いてどこかに連れ去られようとしているのに、パパはただ突っ立っているだけだった」と言う
何もしないことに引っ掛かりを覚えるポールだったが、夢の話だと意に介さなかった
その後、観劇に出向いた夫婦は、その帰り際にポールの元カノのクレア(Marnie McPhail)と遭遇する
彼女は「あなたの夢を見る」と言い、「何もせずにただ突っ立っている」と続けた
クレアはユング心理学を題材にした記事を書こうと考えていて、ポールが夢に出てきたと言う話を書きたいと言い出す
ポールは何も考えずにOKを出すものの、それが思わぬ事態を引き起こすことになった
それは、彼女以外にも多くの人がポールが出てくる夢を見ていて、ただ突っ立っているだけだと言い、それは瞬く間にネット上で拡散されてしまうのである
映画は、何もしないはずの夢の中のポールが徐々に何かをし始める様子が描かれていく
ポールに興味を持った企業が接触し、アシスタントのモリー(ディラン・ゲルラ)は「夢の中のポールは積極的に動いて、二人はセックスした」と言い出す
その再現をするために彼女の部屋に出向いたポールは、そこで失態を演じて退散することになる
だが、その日を境に、多くの人の夢の中で「ポールが人を殺し始め、それに恐れをなした学生たちは授業をボイコットし始める」のである
物語は、自分の知らないうちに誰かの加害者になっていると言うもので、一次情報が悪用されていく現代風刺にも見えてくる
だが、それよりも「夢をコントロールすること」が主体となっていて、それぞれが見ている夢は深層心理の現れになっている
当初ポールが何もしなかったのは、ポール自身に無関心であると言う受け手の感覚があり、さらにポール自身がそれらの夢に無関心だったと言うものが共鳴していた
だが、自分が積極的にセックスをしたと聞かされ、それによって他人に影響を与えることを感じ取ってしまう
モリー自身はポールを好意的に見ていたが、それ以外の人物、特に生徒などは自分の生殺与奪を決める存在だったこともあって、恐怖が増幅されている
キノコの夢を見ていたアンディ(David Klein)は大男(Stephen R.Hart)ではなくポールに殺される夢を見るし、グレタ(Star Slade)は地震が起きる中でポールに襲われると言う夢を見る
そうした先にソフィも父から襲われる夢を見てしまうのだが、これはSNSなどで拡散された「人を殺すポール」の話を聞きすぎてイメージしてしまったのではないだろうか
ポール自身もハンターになった自分自身に襲われる夢を見ていて、これは妻の言う軽率な行動というものを理解し始めたことが原因だろう
最終的にポールは妻娘と別れることになり、そして彼の能力を解析して作られたデバイス「ノリオ」にて、妻の夢に現れようと考える
それがラストシーンへと繋がっていた
夢を覚え、それをコントロールすることを明晰夢というのだが、これは潜在意識が夢に影響を与え、自分自身の願望や恐れなどが映像化されている状態だと言える
ノリオはそれを増幅させることができ、それはより自分の夢をコントロールしやすい状況へと繋がっていく
さらに夢によって人間の世界はある程度干渉しあっていることがわかり、それが相手の夢に入り込むことができるようになっていた
夢の中にダイレクトに現れて商品のPRをするというシークエンスがその世界線であり、その延長線上にノリオが開発されている
実際に干渉し合う夢の世界において、明晰夢的な操作が可能かはわからないが、そう言った世界においてでしかポールの魂は救えないということなので、ハッピーエンドに見えるバッドエンドなのかなと思った
いずれにせよ、前半はわかりやすいスリラーなのだが、ノリオが登場する近未来的な話になると一気に意味がわからない作品になっていたように思う
映画のテーマが「意図しない改変」で、これはポールの著書のタイトルにも現れていて、フランス語訳だから意訳されていた、みたいな感じになっていた
「夢のシナリオ(Dream Scenario)」というタイトルが「Je suis ton cauchemar(私の悪夢)」になっているのもその一環であり、自分自身が発信した情報(本)ですら、人を介在すると歪曲されてしまう怖さがある
それをわかった上で情報(本)と付き合うかどうかを受け手(読み手)のリテラシーとするかは微妙なところだが、今の世の中には自分で考えないとダメな情報で溢れているとも言える
妻にだけ現れなかったのは、友人で学長のブレッド(ティム・メビウス)同様に、夢そのものに興味がないからのように思える
彼らは登場人物の中で長い付き合いがあって継続しているキャラなので、15年以上の付き合い(妹は見るけど姉は見ない)があれば、夢の中には出てこないのかな、と感じた
ニコケイ>A24
A24作品だけどニコケイなんだよなぁ……んー、やっぱり観よぉっと!
A24への警戒感よりニコケイ愛が勝ったワタシ(そりゃなんてったって「ニコラス」の冠を戴いてますからね)。
のっけから強烈な夢のシーンで幕を開け、その後の展開も現実だか夢の中だかよくわからない世界が繰り広げられます。
それでも頭の中に湧いて出る「なんじゃこりゃ?」の感覚を打ち消してくれるのがニコケイの不安げでセンシティブ、それでいて胸の奥に渦巻くダークなプライドの塊、そんな全てを理解させてくれる顔のアップ!
結局、話の筋を深く考えるでもなく最後まで薄笑いを浮かべながら鑑賞しているワタシがいました。
ワタシの中のニコケイはずぅっと低迷中だったものが「プリズナーズオブゴーストランド」で底の底に落ち、そこからはV字回復!作品の中身や規模の大小に関わらず何でもやる姿には以前から感服していましたが、最近はキャラがマッチして来て今が人生最大の充実期じゃないのかとさえ思わさせてくれます。なんか凄い。
さて、本作に戻ると現実世界で自分自身を押さえつけている黒い意識の部分の反動が夢として具現化され、それが何らかの原因で様々な人の夢の中に登場したのかな?とも思えるのですが、そもそもは全てがポール・マシューズ教授の頭の中(いや、夢の中か)で展開されてる物語なのでは?などと思った次第です。
そんな風に考え始めると人びとがそれぞれ体験していると思っている「現実世界」というもの自体が実は各人の頭の中で繰り広げられている世界だったりして、なんて終わりのないモヤモヤに引き込まれてしまいました。
ワタシにとって苦手感のあるA24、それを乗り越えさせてくれるのはニコラス・ケイジしかいない、そんな風に思わせてくれた作品でした。
I Dreamed a Dream
既視感(デジャヴ)
一度も体験した事の無いものを
体験した事のように感じること
ではどこでそれを体験したか
についてはハッキリと思い出せず
主に夢がベースになることが多い
脳内の情報処理のプロセスの
錯誤であるとされている
毎度イマイチわかりづらい
意識高い系ムービーでおなじみの
A24系プロダクションの作品
どうだったか
本人の知らず知らず有名人になり
知らず知らず嫌悪されていき
現実世界を脅かしていく
まさにこれって
ネットインフルエンサーの
暗喩ですよね
まあネットインフルエンサーの
場合は炎上した結果イメージが変わる
という自らの行いが原因であることが
殆どでしょうが
結局ポールが他人の夢に出てくる理由は
最後までハッキリしていない部分が
違いがありますが
当初の夢に出てくるポールは
何もせず立っているだけ
それで有名になるのですが
ポールが大学教授として
生物学の研究を本にする事が
夢だったのをパクられて
激高した瞬間から
夢の中のポールが凶行し始め
次第に人々は現実世界のポールを
糾弾し始めます
でもポールにはどうしようも
ありません
他人の夢の中で自分がどんな
事をしでかしているのかも
わかりゃしない
映画の終盤にポールを
利用してビジネスにしようとした
会社が夢の中で企業広告を行える
ブレスレットを発表します
ポールの体験を商品化したような
感じですがこれもネットっぽいですよね
あったこともない人と繋がってしまう
ということの恐ろしさみたいのを
とらえるとなかなか面白いんですが
ちょっとホラー表現が物足りない感じも
しました
夢の中の荒唐無稽な表現が正直弱い
決定的に現実世界と違う感じが
もう少しあってもと思いました
あの最近のAI生成動画みたいな
わけのわからなさをね
いろんな意味で不思議な感覚
夢でもし会えたら素敵なことね
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画って出落ちに近いですね。テーマは夢。そうですか。寝てる時のやつね。私ね夢の話しは嫌いなんですよ。大体オチがない。意味もない。渋々ながら夢の話しをします。意味なし芳一ですが。
最近見た夢
近所のスナックに行ったんですよ。スナックの名前は「来夢来人」 何故か中で大谷翔平が居るんですね。それで何故か踊っています。夢だけど大興奮。けど周りの客は冷めています。おいおい大谷さんだぞ!
おしまい。
話は飛ぶんですが夢がテーマの映画って結構ありますよね。有名どころだと「エルム街の悪夢」本作でも擦られています。一番好きなのは4作目のドリームマスターかな。ジョニーデップがウォーターベッドに入ってるやつね。今から考えると酷い扱い。まあ駆け出しの頃だからしゃーない。
少し前にみた夢
ある日の事、ツルツルの床にシャーペンの芯をぶちまけてしまった。メッチャとるのが大変。しかし夢だと気づいた。ダブルで、めんどくせー
おしまい。
私は猫を抱っこして都内を彷徨ってる。あっ!夢だと気づいた。目覚めれば脱出できる。しかし猫はどうするんだ!夢といえども、猫ファーストだ!
おしまい。
私はなにか悪事を働いたらしい。大量の警察官が私を追いかける。なんとか逃げたが、なんと所持金が600円!しかも500円札と100円札!絶滅危惧種だ!
おしまい。
ごめんなさいね。オチなし。意味なし。中身なし。
ストーリーは簡単、不特定多数の夢に何故かおっさん、ボール マシューズ(ニコラス ケイジ)が現れる
。
元ネタは2006年に実際にあった。NYの精神科医をある女性が訪ねる。夢に知らない男がいつも出てくる。女性は似顔絵を描き医者はそれを公開するんですね。すると世界中から私も見たの報告が!その数8000人!
あの眉毛が繋がったやつね。忘れられん容貌。
しかし数年後、驚愕の事実が発覚!
全部、フェイクニュース‼️
だよなー。一瞬信じた私が馬鹿でした。イタリアの社会学者の仕業でした。
イタリア人はナポリタンでも食って寝てろ‼️
ごめんなさいね。映画の話しに戻します。マシューズは最初は他人の夢の中ではただの傍観者。しかしそこから悪党に変わっていくのでした。あくまでも夢の中でね。
ひとつ 人の世の 生き血をすすり
ふたつ 不埒な悪行三昧
みっつ 未来の大物だい!
なんで最後は大ちゃん数え歌なんだよ‼️
この映画は一応はオチはあります。安心して下さい。
言いませんけど。
まあまあ面白かったです。時間がある方は是非。
お付き合い頂きありがとうございました。とっちらかっていてごめんなさい。
いい夢みろよ!あばよ!
おしまい
社会現象映画
かなり良かった
色んな場面で自分ならこうするかもなぁ、現実味あるなぁって(;´∀`)こんな顔になりながらと自分と重ねて楽しめました。
特に終盤の妻からの結婚の下りの一言は胸が痛くなってしまい、決してハッピーエンドではない終わり方にも学びがあると深くうなずきながら鑑賞いたしました。
終始ニコラスに寄り添いながら鑑賞できたのでかなり満足です。
日本だとどうなっていたんでしょうね
はてな?
すごーく変なスリラー
ニコケイにぴったり。 日本映画「THIS MAN」と同じ都市伝説がネタ元?
全世界で、同じ男を夢に見たという人が同時多発的に発生したという「ネットミーム」の映画化ですよね?
同じテーマでも、普通はこうなると思うのですが、Jホラーとして日本映画がつくると「THIS MAN」になってしまうという…興味がある方は観てください。いや観ないで下さい「THIS MAN」は。奨めてませんからね!
その「THIS MAN」の1億倍面白い「ドリーム・シナリオ」ですが、実際に「ネットミーム」を身をもって経験したニコケイ主演。
後味の悪さでは定評のあるA24製作。
はじめは、無防備に只浮かれてしまう主人公ポールが見ていてイタイ。
案の定、有名税を払うことになり、それだけならまだ良かったけれど、下心のあることで大失敗し自己嫌悪から失意のどん底。
ここが一番イタイ。
このことをきっかけに夢の中のポールが大暴走しだすのが怖い。
娘の夢の”ドンドンドン…と走ってくるニコケイ”怖い!
いや実際に怖いのは、現実世界で精神的にも物理的にもバッシングされる恐怖。
本人は何もしてないのにバズって有名人でモテモテになり、今度も実際に何もしていないのに一転して社会から排除される恐怖。
家族にも被害が及ぶから、家族すら遠ざかってしまう。
特に常に味方だった最愛の奥さんが離れていくのがつらい。
(こんな時でも助けてくれるのは、ホラーオタクたちというのが笑える?笑えない?)
しかし、ある日突然、夢出てこなくなる。
現実世界で娘の中学校教師に傷を負わせてしまったことがきっかけらしい。
やはり現実とリンクしているようで。
ここからラスト前までが蛇足に思えるが、その後、夢は人々の間で共有される?ことが判明。
(ここの原理が早口で駆け足でわかりにくい。)
他人の夢に自由に出ることができるツールが開発される。
唐突すぎ!
そして、ネットやSNSのように、他人の夢が広告活動の場になる。
社会風刺!?
ラスト、奥さんの、まさに「夢がかなった」というオチ。
滑稽だけど心温まる。
これはハッピーエンド???
可哀想な顔が似合うニコラスケイジ
何故かたくさんの人の夢に登場することで一躍時の人となり、そして炎上する。一連のバズりと、翻弄される哀れなポールをひたすら眺める作品でした。
「夢に出てくる」
自分にはどうしようもなく、自身の手柄でも落ち度でもないこの現象で、人気者になったり嫌われたり。多少調子に乗ったりもしたけれど、基本的に何も悪いことをしていないのにどんどん不幸になっていくポールがただただ可哀想。きっとこのバズりがなくても平凡に見える日々に綻びはあって、順風満帆ではなかったのだろうけれど、それにしても理不尽な理由で攻撃を受けるのは同情。
全体的にヘンテコ映画でしたが、ニコラスケイジがボロボロになっていくのがユーモラスで、ブラックコメディっぷりを盛り上げていました。
【"City of Dreams。私は悪夢。”今作は、突然他人の夢に出没するようになってしまった男を襲う悲喜劇を描く”良くこの不可思議なシナリオを考えたなあ。”と思った不条理コメディホラーである。】
■大学教授のポール(ニコラス・ケイジ)は、ある日多くの人の夢に”何もしない人”として現れるようになる。最初は、生徒達からも不思議がられて、それまで地味だった彼は、注目を浴びて少し嬉しげである。
だが、夢の中のポールは、徐々に”何かする人”に変容していく。最初は仕事で出会ったモリー(ディラン・ゲルーラ)の夢に現れ、激しいセックスをして彼女を満足させるところから、さらにエスカレートして行き、(チラットしか映されないが)拷問、暴力などをするようになり、全然身に覚えが無いのに、街中や友人達から嫌われてしまう。
不思議な事に、妻のジャネット(ジュリアン・ニコルソン)の夢には現れず、”私の夢にはピンチの時にトーキング・ヘッズのあの変な服を着て、助けに来てね。”(もちろん、デヴィッド・バーンがライブの時に来ていたダブダブの”ビッグ・スーツ”の事である。)と言われる始末である・・。
◆感想
・序盤は、クスクス笑いながら鑑賞する。全く身に覚えが無いのに、ドンドン人気者になって行く様に、嬉し気なポール。
一番笑ったのは、モリーの自宅に誘われ、”もう一度、襲って頂戴。”ってな感じで、部屋の隅っこに立たされてから、怖がるフリをするモリーの座るソファの横に座り、キスをしてモリーにチャックを降ろされた途端に、”出しちゃう”シーンである。あの、オロオロしたポールを演じるニコラス・ケイジの情けない表情が絶妙であった。クスクス。
・だが、そんな楽しい時はあっと言う間に過ぎ、夢の中のポールは人々に酷い事をし始め、一気に嫌われ者になって行くのである。
友人のディナーに夫婦で訪れても、夫人の夢で酷い事をしたらしく”もう無理‼”と言って追い返されるし、ダイナーで本を読みながら食事をしていても店の人から”出て行って下さい。”と言われる始末。
そして、到頭ある日ランニング中に、彼は自分ソックリの男からボーガンで矢を身体に撃ち込まれるようになり、その深刻さを実感していくのである。
■だが、彼が起こす不思議な現象は、若手技術者により、”ノリオ”と言う他人の脳にアクセスする仕組みが発明され、彼の著書「私は悪夢」はベストセラーになる。
ー ここら辺が、良く分からなかったのは、私だけであろーか。ー
・それでも、境遇は相変わらずで、娘の学芸会には出禁を学校から喰らい、無理に入ろうとして先生に怪我をさせたり、散々である。
家族からも分かれて住む羽目になったポール。
<ラストも、実に不条理である。
妻のジャネットが何故か囚われており、彼女の周りには炎が。そこにやって来たポールは、デヴィッド・バーンがライブの時に来ていたダブダブの”ビッグ・スーツ”を着て、助けようとするのだが・・。
今作は、突然他人の夢に出没するようになってしまった男を襲う悲喜劇を描く不条理コメディホラーなのである。
良く、こんなシナリオ考えたなあ。クスクス。
エンドロールに流れる、トーキング・ヘッズの"City of Dreams”も、ピッタリの作品でもある。>
■ニコラス・ケイジは、度重なる離婚による大借金を抱えていた頃は、”どんな脚本の映画にも、物理的に出演可能なだけ出演し続けた故に、多数の駄作俳優”という有難くないレッテルを貼られていた。
が、借金を返済し終え、「マッシブ・タレント」で復調したが、それが本当かどうかは今作を観た人の判断によるかな。
還暦を迎えて、ますます盛んな最早、怪優と言っても良いニコラス・ケイジでありました。
あまりにも可哀想すぎ
ただたくさんの人の夢に出てきて悪い事をした、それだけで全てを失う男性
実際は夢なのにそこまで嫌う事ができるかなという疑問が私には大きく残りました
普段は友達もいるしちゃんとした仕事もある普通の人なのに、そんな人が夢で襲ってきたからってあそこまでやるのか
ごく普通の人の事が一気に広まるって今の世の中にも実際にありそうな事ではあるけど
それを利用しようとする人達もリアルです
ホントまさにいろいろホラーです
何も悪い事をしてないのにあそこまで追い込まれて本当に可哀想でしかなかったです
夢を叶えたようでも望んでいた形ではなく、全てを失くしたポールは「あれ」に救いがあるのか、そんなラストに爽快感はありませんでした
A24ですもん
とっても久しぶりに観たニコラス・ケイジはやはり良かったです
ナイトメア・シナリオ
ポール(ニコラス・ケイジ)が他人の夢に出てくる。最初の方は誰かの夢の世界だと分かりやすいが、終盤は本人の夢であったり、娘の学芸会以降はまるで分からない。
……………
現実世界のポールは、悪事はもちろんモラルやマナー違反もしていない。しかし何故か多くの人から嫌悪を抱かれる。そして休職や家族にも追い込まれる。
でもこれっていわゆる集団リンチだよね。実社会でのSNSによる無責任投稿と同じだと思う。SNSでは実際グレーの人も多いかもしれないが、グレーの濃さを決めるのは関係の無い一個人ではない。
だから無実だと主張して闘うのか、自ら本当の殺人鬼になるのか、実は集団催眠をする悪の教祖だったとか、色々考えたけど。
悪夢が急になくなり、夢の世界に入り込む事ができるアプリが開発された。って何なの?
その前の黒枠の写真。アメリカでの意味は分からないけど、ポール、もう亡くなっているんじゃないの?そしてその後は天国でのポールの夢の世界。
もう分かりましぇん。ぴえん(死語)。
意外にリアリティがあってゾッとするお話
今年観たアメリカ映画(合作も含む)は本作で31本目。その中でA24制作作品は、本作をはじめ、「ボーはおそれている」や「関心領域」など7本。同社の作品が如何に日本で上映されており、かつまた話題を集めているかが分かるところです。制作会社基準で比較するのも安直ですが、その7本の中ではアリ・アスターが監督を務めた「ボーはおそれている」と路線が重なる作品でした。まあアリ・アスターが制作陣に加わっており、ある意味当然と言えば当然なのでしょうが。
「ボーはおそれている」は、ホアキン・フェニックス演ずる主人公・ボーの幻覚(と思われる出来事)が、ボーを襲ってきて苦しめるというお話でしたが、本作はニコラス・ケイジ演ずる平凡な大学教授である主人公・ポール・マシューズが、いろんな人の夢に登場するという珍現象が発生し、次第に現実世界のポールを苦しめて行くというお話でした。いずれも何が現実と夢(幻覚)の二転三転に面白さがありました。
また、現実世界でポールを知っている妻や学生だけでなく、彼と会ったこともない人までポールの夢を見るという設定はあくまで”作り話”ではありますが、ひとつの話題がマスコミやネット上で共有されて指数関数的に話が広がる現象は、現実にもしばしば発生すること。本作では、初めこの驚くべき珍現象を物珍しさも手伝って好意的に受け止めていた大衆が、夢の中のポールが乱暴狼藉を働くようになった結果、現実世界でも彼を怖れ始め、忌避し、最終的には排斥していくという流れが、中々示唆に富んでいて興味深かったです。
世論というものが、誰かを散々持ち上げておいて、何かをきっかけに一転してバッシングしまくるというのは、しばしば目にする光景です。ポールが体験した悲劇はまさにこれでした。しかも彼は、学術的に目立った研究成果がある訳ではないようで、見た目にも特段の色男である訳でもなく、また結婚して家持ちの妻の姓を名乗るなど必ずしも金持ちではないというキャラクターとして設定されており、まさにどこにでもいるような普通の人として描かれているのがポイントでした。つまり、我々誰しもが、何かをきっかけに有名になり、チヤホヤされるのも一瞬で、次の瞬間にバッシングの憂き目に遭う可能性があるということを言っているようにも思えたところです。この辺を考えると、かなりゾッとするお話ではありました。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
SNSと夢の世界の不思議な共通点
『ドリーム・シナリオ』を観終わった後、不思議と胸に残るのは、この物語が単なる奇想天外な話ではなく、どこか現代社会そのものを象徴しているように感じられるからかもしれません。平凡な大学教授が、突如として多くの人々の夢に登場し、一夜にして注目を浴びる。最初はその奇妙な状況に引き込まれつつも、次第にその名声が主人公を追い詰め、やがて日常が壊れていく過程に、どこか既視感を覚えました。
夢という無意識の領域が他人と共有され、それが社会的な評価や名声と結びつくという設定。これが、私たちの日常における「SNS」のあり方と重なります。SNSもまた、もともとは個人的な発信や交流の場であったはずが、いつの間にか他者の視線が色濃く入り込み、「見られること」が本質的な性質となっています。この映画を見て、SNSに投稿するたびに感じる漠然とした緊張感や、自分の行動が誰かに評価されるかもしれないというプレッシャーの正体を、改めて考えさせられました。
この映画を観ているとき、頭をよぎったのが『トゥルーマン・ショー』です。知らぬ間に自分の人生が他者に監視されている状況。『ドリーム・シナリオ』は、夢という形でさらに無意識の領域にまで踏み込むことで、トゥルーマンのような「意識的な監視」よりも、もっと不気味で避けられないものとしての「見られる存在」を描いています。そこには、ジャン=ポール・サルトルが語った「他者の視線による自由の喪失」というテーマが鮮明に浮かび上がります。サルトルは「人は他者の視線を通して自己を意識する」と語りましたが、この映画の主人公も、他者の夢の中で「勝手に見られる」ことで、自己のアイデンティティすら揺らいでいきます。
また、フーコーの「パノプティコン」を想起させる側面もあります。誰かに常に見られているかもしれないという監視の構造が、人々の行動を制御する。『ドリーム・シナリオ』では、夢がまさにその「監視」の舞台として機能しています。他者の無意識の中で主人公が行う行動が、現実世界で評価や批判として跳ね返ってくる。この構造は、現代のSNSやインターネット空間の相互監視の関係とほぼ同じです。
同時に、『サンセット大通り』や『ジョーカー』といった、名声がもたらす狂気と破滅を描いた作品ともつながりを感じました。名声を得ること自体が幸福に結びつくのではなく、それがどれだけ不安定で、時に危険なものであるか。特に本作では、名声のきっかけが夢という制御不能な舞台である点が、現代の「バイラル文化」の儚さや危うさを鮮烈に表現しています。
この映画を観終えたとき、気づいたのは「見られる」という行為が、どれほど人間に影響を与えるかということです。他者の視線を受けることは、ある意味でアイデンティティを強化しますが、同時にそれが過剰になると自分自身を見失う危険も孕んでいます。『ドリーム・シナリオ』は、この「見る・見られる」の関係を、夢というユニークな舞台で鮮やかに描き出しました。映画を観ながら、私自身が普段どれほど「他人にどう見られるか」を気にしているのかを改めて考えさせられました。そして、その意識がどこかで自分を縛り、行動を規定しているのではないかという不安も。
この映画が描くテーマは、現代社会の私たちにとって非常に身近なものです。それだけに、鑑賞後の余韻が心に深く残ります。『ドリーム・シナリオ』は、ただ奇抜なストーリーを楽しむだけの映画ではありません。日常にある「見られる」行為の影響や、そこに潜む危うさをじっくり考える機会を与えてくれる作品でした。自分の無意識や行動がどこまで自由で、どこまで他者の影響を受けているのか。そうした問いを抱きながら、この映画のテーマにもう一度向き合いたくなる作品です。
ただの偶然の夢なのか、悪夢への前兆か
何百万もの人の夢に現れて人気者になった大学教授が夢の中で悪事を働くようになり現実の世界でも非難を浴びる様を描きだす。ただの偶然の夢なのか、悪夢への前兆なのか。ニコラス・ケイジ主演の悪夢系スリラー爆誕。まさに”夢の続き”が気になる感覚と近しくそこにユーモラスを混ぜた不穏感。またアリ・アスターが製作に名を連ねてる文脈なりニコケイの芸達者ぶりが遺憾無く発揮される。端的にA24での「MEN 同じ顔の男たち」(‘22)の不気味感を連想した。シチュエーションが既に暴走してるためニコケイ自体の怪演もそれに相まって相乗効果的に上昇する。ニコケイの個性を最大化させたA24作品らしいヒトヒネリある奇怪な怪作へと昇華させる。
わざわざ「夢」の話にした意味はあったのだろうか?
何かをきっかけにして、いきなり「時の人」に祭り上げられたり、何も悪いことをしていないのに「民衆の敵」として憎まれたりと、ここで描かれている「夢」は、明らかに「SNS」のメタファーだと思われる。
身に覚えがないにも関わらず、周囲の人々から忌み嫌われたり、レストランから追い出されたり、職を失ったり、娘の学芸会を観られなかったりする主人公の境遇は、まさに「悪夢」そのものなのだが、それは、ネットでの「炎上」によって、現実世界でも起こり得ることだろう。
だからこそ、その理不尽さを身近なものとして実感でき、他人事ではない恐怖を味わうことができるのだが、それだけに、終盤の、他人の夢に入り込めるデバイスの開発という、まるで「インセプション」のような展開には、戸惑いを禁じ得ない。
そもそも、主人公が、どうして多くの人々の夢の中に出てきたのか、その原因が究明されていないのに、デバイスが開発できてしまうという設定自体がよく分からない。
ここは、「MOZU」のダルマの夢のように、屁理屈でもいいから、主人公が夢に出てきた理由を説明してもらいたかったと思う。
さらに、主人公が、そのデバイスを使って妻の夢に侵入するというラストも、結局、何が言いたかったのかがよく分からず、釈然としないものが残った。
こんなラストにするぐらいなら、わざわざ「夢」などという比喩を用いずに、SNS社会の危うさをそのままの形で描くことで、ファクトチェックの大切さや、情報リテラシーの必要性を訴えた方が、よほど心に響く話になったのではないかと思えるのである。
妻ほか脇役もなかなか
夢と無意識の関係をユング的解釈(無意識において人間はつながっているので他人同士でも似た夢を見ることがある)でとらえた面白い脚本。
平安時代とかの日本人もそれに近くて、夢にある人が出て来るのは自分がその人のことを気にかけているのではなくその逆だと思われていた(だから「なぜあの愛しい人は私の夢に出て来てくれないのか」となる)そうだけど本当だろうか。
不特定多数の人に知られていて勝手にいろいろ妄想されたりするのって怖いことなんだなあと思わせるストーリー。
「マルコビッチの穴」とかケイジ自身の「マッシブ・タレント」のように俳優の名声とキャラクターを知っているとより面白く見られるタイプのメタ映画です。さえない大学教授のケイジ、見ていて楽しい。
全182件中、121~140件目を表示














