ドリーム・シナリオのレビュー・感想・評価
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火のないところから立つ煙
ある中年男性(主人公ポール)が突如として不特定多数の人物の夢に登場し、夢を見た人々に翻弄させられる物語。
いい夢に出てくればいい奴、悪い夢に出てくれば悪者扱いされ、主人公にはどうすることもできない。夢に影響されているのが、若者ばかりなところも気になる。現代の過剰なSNSの印象操作を端的に示しているのだろうか。
ホラー要素もあるが、コメディ色も強め。無音のシーンでいきなりおならの音が響いたときは、クスッと笑ってしまったが、周り(劇場内他2名)が笑っていなかったので、少し気まずい空気になってしまった。
ストーリー自体は分かりやすく、難解な部分的はない。ただ、結末は特にひねりはなく、尻つぼみな印象となった。
無名大物YouTuber「syamuさん」のスケールダウンな映画
自分のあずかり知らぬ所で、
見ず知らずの人から憎悪を向けられ、命を狙われるという設定は、
今年の映画だと、cloud(クラウド)の菅田将暉がやっていたが、
この映画の場合は、主人公が不特定多数の夢の中でミーム化され、
よくわからないまま有名になり、
そこから憎悪を向けられるという設定を、一枚嚙ませている。
一旦「持ち上げてから落とす」というのは、
インターネットが普及してから度々みられる光景であり、
素人ストリーミング配信で有名になった人が、
有名になり過ぎた為に批判され、どん底に落ちていくのと同じ構造の中に主人公はいる。
つまり、無名YouTuberの、syamu_gameさんの話だなと思った。
syamuさんを大学教授の設定にしただけなんだなと。
なるほど確かに、この教授は平凡で何も無い凡人だが、
凡人なりに、著書論文を出版したいという小さな我欲を持っている。
凡人のくせに、しょうもない自己顕示欲は隠せない。
もうそれだけで、憎悪を向けられる資質は「ある」ような気がする。
syamuさんは、雑談も面白くない、何のスキルも持ち合わせていない、
つまらないYouTuberだったからこそ、あれだけ有名になり、そして叩かれたのだ。
ミーム化された凡人の栄枯盛衰物語。時代に即したという意味では、
目の付け所の良い映画だったのだが、
これは脚本のせいなのか、テンポが悪く、鑑賞中は眠気との闘いになってしまった。
いや、すでにこの手の、ミーム化された凡人の栄枯盛衰物語は、
ネット上で散々観てきてしまったが故、それらと比すると、
そちらのほうが面白い人生だったのだろう。
ニコラス・ケイジの髪型で出オチピークであり、もっとこう、
持ち上げ<尽くして>から落としたほうが、
ダイナミックな人生となり、面白くなったのではないだろうか。
持ち上げ部分のフリが弱い。なので、オチも弱くなる。
そんなことならsyamuさん主役の設定でも良かった。
不憫兎に角不憫😂
あのニコラスケイジの夢の中でなんもしないところが、SNSで何となく好感度もなんも無いのにちょっと気に止まってメモ代わりにいいね押しちゃう感じに近くていいなと。んでその男が自分とお互い同士存在しているだけで干渉し合わなかったのに、自我を持ってどちらかが干渉しだすと大抵良くない火が起こるところなんてSNSそっくり。夢とか無意識の領域に入ってくる辺りがSNSの広告以上に嫌だけど、夢と現実のシーンの違いは分かりやすいのに地続き感のある撮り方が不思議で面白く見れました。
不可抗力すぎて可哀想なのにあまり同情心を呼ばないキャラクターがナイスでした。そんな中、奥さんとラブラブなのがとても救いになります。そう、自分の周りとの関係が築けていれば人は大丈夫なんだよと思わせてくれる。
そして警戒心と不安に怯える表情がコミカルに見えるところが流石のニコラスケイジ!
SNSのいいねボタンの安心感と肯定度の高いいいねって名前って日頃からなんだかなぁって思ってたけど、ボタンを押すくらいには見たよボタンでもういいじゃん。お前の事見たよボタンなら少しは無礼もはたらけなかろう。
ニコラスケイジは自身がミーム化した時の経験をフルに活かしたとパンフレットで語っていて、一周回って嫌な経験がこの映画に昇華されてニコラスケイジにとってはある意味ハッピーエンド。
でぃすマン
◇ニコケイと共同幻想
日本の思想家である吉本隆明が用いた『共同幻想』という言葉を思い出しました。自己幻想<個人的な幻想>---対幻想<家族・恋人などの幻想>---共同幻想<国家・企業などの社会的幻想> 幻想という無意識的領域を階層化して分類した上で、社会思想化するような論理であったと思います。
この作品の主人公は冴えない感じの大学教授ポール(ニコケイ)。いつかは自分の論文をまとめた書籍を出版するという夢を持っています。但し、「できたらいいなぁ」という漠然とした希望。夢を実現させるような行動が伴わない個人的幻想(夢)のようなものです。自己幻想。
そんな大学教授ポール(ニコケイ)が娘の夢に登場する場面が物語の冒頭です。夢の中で娘が「危機的状況であるにも関わらず何もしない」、ただ立ちすくんでいるだけです。家族が夢に出てくることは珍しいことでもないでしょう。対幻想。
見所であるトリッキーな設定は、家族にとどまらず、生徒たち友人たちにとどまらず不特定多数の人々の夢の中に登場し始めることです。さらにはSNSを通じて世間一般にまで「夢に登場する人物」としてバズっていきます。共同幻想。
嘗て個人の自由を抑圧する国家権力や社会規範などが持っていた強固な存在感は後退して、多様な価値観が乱立する中で、相対的で移り気な世間のレピュテーション(評判)のリスクばかりを気にして振り回されてばかりの世の中なのかもしれません。SNSの軽やかさがその傾向に拍車をかけている気もします。
夢の中で浮遊する感覚は、空に浮かぶ雲のようなネット仮想空間をふわふわ漂うわれわれの日常を象徴しているようです。急速に拡散と収束を繰り返す混沌とした共同幻想に対して、改めて個として自己幻想と向かい合うことの大切さを考えてさせる作品でした。
個人的には好き
個人的には好きな作品だった
理不尽に他者から攻撃されたり自由を奪われ挙句の果てに謝罪をさせられ、家族にまで同調圧力受ける
現代社会におけるネットリンチを風刺した作品で個人的には笑いながら楽しめたわ
A24らしい作品☺……かな
映像のテクスチャーとでもいうのかな??
少しノスタルジックな感じがとても特徴的。
これがA24らしさ?それとも製作のアリ・アスターらしさ??
細かいことはあたしにはわからんけど、好きな感じ💜
音は間違いなく『ミッドサマー』っぽさ満載!これも好き💜
これまたヘンテコ世界のMOVIE来たなー。
ただ、これはオーバー過ぎるけど、自分のコントロールの範囲を超えたところで急に人から認知されちゃうこととか、身に覚えのないことで突然他人から避けられちゃうこととかって現実世界でもよくあること。
兎にも角にも日常がいつどんな風に変わるのかはわからないから、いつだって自分にとっての大切な人のことはなんだって後回しにしたりせず、後から後悔することが無いようにその都度なんだって対応するべきだゎ❤ ❤ ❤と感じた☺✨
夢の中に登場、とかの設定はあたしの頭では難しすぎてわかりません‼️
もう刑事(ケイジ)ものは無理かも知れないけれど
何故か多くの人々の夢の中に登場している事が知られてネット上で急に人気者になっていい気になっていたら、今度は「あいつのせいで夢の中で酷い目に遭った」と一転してバッシングされ始めるという理不尽な巻き込まれ型心理ホラー物語です。同じように理不尽な不幸に見舞われる男を描いた『ボーはおそれている』のアリ・アスターがプロデューサーを務め、SNSの評判に人間性が支配される『シック・オブ・マイセルフ』のクリストファー・ボルグリが監督であると聞けば、「なるほどなぁ」とこの居心地の悪いお話も腑に落ちます。
そして、この主人公の男を演じるニコラス・ケイジのショボさがいいんです。決して無垢で善良な市民という訳でなく、ずるさやセコさもある小市民的味わいが絶妙。実生活での浪費が祟って借金を背負ったせいか、彼はこの10年近くは酷いB級映画にばかり出演しており、それはそれでファンもおられた様ですが、僕はちっとも面白くありませんでした。ところが、この2~3年、漸く骨のある映画に帰って来ました。もう刑事(ケイジ)もののアクションは無理かもしれませんが、渋さとみじめさが滲み出る男としてスクリーン上で頑張って欲しいです。
今夜ニコラス·ケイジが夢の中に出てきませんよーに(/--)/。 着想とキャンセルカルチャー(この言葉初めて知った)批判は良い。夢でもしぃ逢え~たら~♪ ブキミなこと~ね~~ 𝄽 by本田美奈子?
今回は,みんな大好きニコラス・ケイジ♪ヽ(´▽`)/
知り合いの夢の中だけでなく、見ず知らずの他人の夢にまで頻繁に現れるようになり人気者になっていく。ここまではコメディで,けっこう笑える。
しかし、夢の中で、夢を見ている本人を殺したりして、嫌われ者になっていく。 悪夢だけど夢の中の事だから現実には何もしてないし,されてもない。 なのに、まるでもう犯罪者扱いで、なんかスリラーみたくなってくる。
ニコラス・ケ~イジ ♪ヽ(´▽`)/
自身は何もしてないのに人気者として祭り上げられ,これまた何もしてないのに地面に突き落とされてしまう。
結局、始めからから良いことも悪いことも何もしてないのに、なんと社会から排除されてしまう。
「何てこったい、いったいワシが何をしたと言うんじゃ」 ( ̄□ ̄;)!! by ニコラス·ケイジ
ここいらへんは、キャンセルカルチャー批判だと思う。
昔から、著名人や企業·団体の発言や行動が問題視され、ボイコットや不買運動につながることはあった。
しかし、昨今はSNSの普及により、排除や排斥の言動が行き過ぎてるように思う。
して,我らがニコラス·ケイジ君♪ヽ(´▽`)/
けっしてSNSで誹謗·中傷が拡散されたワケではなく、不特定多数の人々が勝手に見た夢による社会からの排除である。だから、余計やり過ぎと理不尽さが強調されてる感じがした。
まあでも,そこいらへんはニコラス・ケイジだから仕方がないのかな,と妙に納得してしまう (^^)。 「すまん、ニコラス・ケイジ」
何度も何度も同じ悪夢を見て意識に刷り込まれてしまうのは、似た意見のSNSやブログを何度も何度も見て考えが凝り固まってしまうのと同じだと思う。
だけど、何度も同じ悪夢を見たからといって、それによって人々が考えや意識、行動を変えるのはおかしいと思う。だから、この映画にはSNSで人々の考えや意識、行動が変わる事への皮肉や風刺、警鐘が込められてるのかもしれない。
というわけで、キャンセルカルチャー批判とSNSへの警鐘を鳴らしたかったのだから、ニコラス選手がなぜ夢に現れたかはどうでもイイ話なのでその理由は描かれない。
「ええ~、SNS批判とか,そんなこたあどうでもイイから、ニコニコケージが夢に出てきた理由を知りたーい。なぜ描かんのじゃあ。消化不良ぉ~」、と思った。
映画には関係ない話
最近のGoogle検索は最初に ”AIによる概要” というのが出てきてすごく助かる。 全く知らない言葉の時は、WikipediaよりこのAIによる概要のほうが簡潔でわかりやすい。
タイパは良くなったが、自分で色々調べる能力が低下してアホが加速してしまいそうでチトこわい。
人間はそこまで愚かではないと信じたい
前半は眠気との戦いになってしまい、ドリーム・シナリオに突入するところだった。
現実では絶対に起こらないであろう出来事や葛藤が永遠と続くので、どうしても話に興味が持てず、途中までは「どうでもええわ」となってしまった。
この映画の中にはいろいろな人の夢のシーンが出てくるが、そういうシーンが出てくるたびになんか違和感を感じてしまい、何故だろうと考えた結果、そもそも夢ってそれを見ている人の主観視点で描かれるもののはずなのに、この映画に出てくる夢シーンは全て第三者視点で描かれているから違和感があるんだ、みたいなどうでもいいことを映画を観ながら考えてしまった。
途中、唐突に性的なシーンが出てくるが、女性の言っていることが意味不明すぎてついていけない。
ポールが家族を大事にする男のように描かれていたが、そもそも妻と娘が二人いて女性の家について行ってんじゃねえよと思った。
ポールが人々の夢の中で悪さをするようになってから、周囲の人間がポールに対して差別的な言動をとるようになるが、ここが個人的に受け入れがたかった。
現実のポールは何も悪いことをしていないのに、「ポールに夢の中で酷いことをされた」というポールからすれば理不尽極まりない理由で、非人道的な行動を取る人なんているのだろうか?
人間はそこまで愚かではないと信じたい。
この場面を観ていて、SNS上でデマといっても差し支えないような真偽不明な風説を流布された結果、何も悪いことをしていないのに差別的な扱いを受け続ける川口のクルド人のことを想起した。
この映画で良いと思ったのは、差別的な扱いを受けるポールが世間に屈せず、立ち向かう姿。
車椅子の人が映画館の入場を拒否され、それに文句を言ったらネット上で誹謗中傷の雨嵐、それでも映画館に要望をを伝え続けた結果、映画館側が謝罪し、車椅子の人でも鑑賞しやすいシステムを構築、そんなニュースを思い出した。
車椅子の人が他の人と同様のサービスを求めるのは当然のことだと思うし、何も悪いことをしていないポールが他の人と同じ権利を求めるのも当然のことだと思う。
ずーっと可哀想なニコケイ!
ニコラス・ケイジさん、ごめんなさい。
いやー
これ現代社会に対しての凄い問題作なのですが
そのテーマ性以上に
「ニコラス・ケイジが酷い目にあっている」
のが観ていて楽しくてたまりません。
(といっても、隣にニコラス・ケイジがいても虐めたりしませんが)
ニコラス・ケイジさん、ごめんなさい。
と、今自分の人間性に疑問だらけです。
収拾がつかない旅は突然に
自分アピールを焦るポール。
しかし彼、まだ具体的には何もしていないらしい。
そう…まずは、何もしていない彼の欲と現実の差にちょっとニヤッとし、ドキッとしてしまうのだ。
そしてその狭間にひょこっと産み出された思い入れの副作用のように奇想天外な怪奇現象が一気に増え始め、
〝何もしていない〟彼が〝何もしないうちに〟シュールな誰かの夢の世界を〝何もせず〟歩き回り、ちょっとの〝天〟にうかれ、これでもかの〝地〟に落ち踊らされ続ける。
それなりの社会的居場所も家庭もある男に起きた悲劇の設定から面白いのだが、だんだんエスカレートするみんなの頭のなかの〝自分じゃない自分〟は得体が知れずおそろしいし家族にも悪影響が出てくる。
しかし彼は思いのほか頑張り屋。
夢の話に、真面目に対処する様子が気の毒でちょっと同情してしまう。
気楽に観れるかと思っても、そうはいかないスパイシーさもある社会風刺アリ・アスターの風味をニコラス・ケイジが絶妙な表情でサーブする珍味的逸品。
映画ならではの不思議な災難の世界に浸りつつ、いつの間にか収拾なつかないし旅にでる性質のSNSの扱いにはうんと気をつけなきゃと思った。
けっこうよかった
SNSで大バズりしたせいでその後大炎上して、ニコラスケイジが選挙前の斎藤知事くらい蛇蝎のごとく嫌われる。奥さんに謝れと言われて生配信すると、泣いて謝っているのに自己中心的すぎると言って奥さんに怒られる。最初はもっぱら奥さんの方から好き好き言われていたのに、どんどん嫌われてかわいそう。奥さんと別れて子どもとも別居生活で、仕事も失い、いいことが一つもなくて、気の毒すぎて悲しい気持ちになる。
そもそもそんなに悪い人でもない一般人のできごとで、夢はないにしてもSNS社会では現実でもあり得ることだ。飛躍しすぎて現実離れしていれば、いくらなんでもないわ、と安心できるのだけど、非常に抑制された表現であり得る形だけで描いているので恐ろしい。
スリラーなのかと言われると謎
閑話:結婚すると報告した息子に親父は説いた「
自分に非が無くても謝る事が出来ないなら、オマエは結婚の準備が出来ていない」というショート動画を思い出しました。
休題:劇中の謝罪配信したところで「これで家族との関係は修復されるのかな?」と予想したのですが...。やっぱり謝らなければ良かったのかそれとももっと早く謝れば良かったのか、謝る道理、謝るタイミング、謝る方法、どうすれば良かったのかその答えが今もわかりません。謝るということが何と難しいことか。
最後のあの機械は蛇足だったかな、と思いました。"機械使いました"は寂しいですねぇ、それを意図したのかも知れませんが。
"原理が解明されネイチャー誌に寄稿された"ぐらいに留めておいて、教授は自力?で他人の夢に現れる事が出来る世界で唯一の人間なのですから、初めて意図的に他人(妻)の夢に入り込むことに成功したのかそれとも只の夢だったのか、曖昧にして言及しない方がロマンを感じます。
学校会社職種役職、人生の節目の都度"夢のシナリオ"を描いて来ても思い通りには行かないのですが、思い通りじゃなくても人生のシナリオで出会う人達には「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」ぐらいは素直に言いたいもんですね。
不気味さと笑い
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