「「男女逆転」だけにとどまらず」不死身ラヴァーズ ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
「男女逆転」だけにとどまらず
原作では想いを募らせ告白するのは
『甲野じゅん』のほう。
それが映画では両想いになった途端に消える側に変更されている。
『長谷部りの』が諦めず執拗に追いかけるのだが
なぜそのような男女の入れ替えを?
元々は
『甲野じゅん』の想いが通じれば
『長谷部りの』は消えてしまい、
周囲の人々の記憶も無くなり存在した痕跡すら残らない(ここがみそ!)。
『じゅん』の親友の『田中』ですら同様、
ハナシとして聞くばかり。
ある種の{不条理劇}であり、且つ{SF}がバックボーンも、
映画版での改変は「男女逆転」だけにとどまらず、
そうした物語りの根幹にも及ぶ。
『甲野じゅん(佐藤寛太)』が消えたと
『長谷部りの(見上愛)』が大騒ぎする相手は
何時も『田中(落合モトキ)』ばかりで、
ここが本作の一番のポイント。
最後には「消える」理由の説明を
きっちりとつけているわけで、
主要な登場人物の何人かが
中途したり顔で呟く科白はそれを予感させはする。
要は「記憶」を主軸とし、人は都合の良いように書き変えるもの。
が、記憶を保持できない人間が現れた時に
上書き不可が露わになる。
消えてしまうことが分かっているのに、
猪突猛進し受け入れられるまで想いを伝え続ける強引さや
繰り返し現れる『長谷部りの』の年齢の振れ幅(少女から中年のおばさんまで)、
それでも一目見て『じゅん』は『りの』を認識でき
毎度のように「好きです」と言い放つ直情さに付く疑問符が原作の妙味であった。
そして最後には、性差までをも越えるのだが・・・・。
印象的なエピソードは引用、
根幹となる部分は踏まえつつ
設定を大きく変えてまで映画化をしたモチベーションはなんであったか?
確かに分かり易さと腹落ちの点では映画作品に軍配が上がるし
ヒロインが感情移入できる造形にもなっており。
一方でコミック版の無鉄砲な熱量は欠損、
唯我な主人公の物語り世界に
ぐいぐいと引き込む醍醐味が無くなったのも同様。
『松居大悟』監督作品の中では
今のところ〔アズミ・ハルコは行方不明(2016年)〕が個人的なベスト。
そういえばこちらも、小説ではあるものの、原作アリモノだったな。