「主人と犬」チェンソーマン レゼ篇 あんのういもさんの映画レビュー(感想・評価)
主人と犬
この映画を憧れの女性から一緒に観に行こうと誘われた。だが、仕事で即答できず、数日後に会ったときに私は彼女に迷惑をかけてしまった。その翌日、謝罪のメッセージを送り、彼女は一応許す旨のメッセージを返してくれた。それでも私は、自分が嫌われたと思い込んでしまった。不安と焦りに押しつぶされそうになりながら、その日の映画を一緒に観に行きたいと伝えた。既読だけがついて、返信はなかった。それから約半月を過ごし、当日を迎えた。
彼女と出かけるときは、ほぼ毎回、映画館へ映画を観に行った。カフェで少し話した後、映画を観て、食事をしながらその映画の感想や、良かった作品、良くなかった作品を共有した。私は彼女に誘われたら、必ず受け、一緒に観に行った。彼女に勧められた作品は、時間が許す限り追いかけていた。そんな日々を過ごしていたら、いつしか彼女は私の中心にあった。
皮肉にもこの映画はそんなシーンから始まる。主人公の男の子は恋心を抱いている憧れの女性にデートに誘われる。それは朝から晩まで映画館を梯子して、丸一日映画を観続けるというもの。付き合わされている主人公は、最初は新鮮な体験に心躍らせていたが、次第に飽きてくる。2人が心を打たれるような作品に出会えぬまま、残りは1本。その映画に2人は心を打たれ、涙を流し、帰り道にその喜びを分かち合う。
そんなシーンを観ているときに、私は思い出に耽っていた。彼女と会って映画を観に行っていた頃のことを。今日この映画を見る時に、隣に彼女がいたかもしれないことを。この映画を観終わったら、その喜びを分かち合えたかもしれないことを。そんな未練で心がいっぱいになっていた。そのシーンの主人公のセリフを借りるなら「なんでもないシーンなのに、涙が溢れてくる」。まさにそんな気持ちだった。主人公と女性の関係性が、私と彼女の関係性と重なる部分があり、正直、観ていて辛かった。主人と犬のような。
その後、主人公は1人の少女と出会い、急速に関係を深め、恋に落ちる。しかし、その少女が欲しかったものは主人公の命で、深まったように見えた関係は、主人公に近づくための演技にすぎなかった。祭りの夜、花火と共に2人はキスをする。と見せかけ、少女は主人公の舌を噛みちぎり、主人公は瀕死の重症。それを皮切りに2人を中心に市街を巻き込んだ死闘が繰り広げられる。しかし、最後は主人公が起点を効かせ、玉砕覚悟で少女諸共海の中へ、入水自殺を図る。主人公の仲間が2人を助け出し、砂浜に打ち上げられた2人は蘇る。少女は改めて主人公に対する好意は全て演技で、そこに恋心はないことを伝えるも、主人公は、その少女を仲間に引き渡すことを拒み、逃がす選択をする。そしてあの日の夜と同じように、少女が主人公にキスをしようと迫ると、主人公はそれに応じる。が、少女は主人公を殴り、「少しは勉強しなさい」と吐き捨て、その場から立ち去る。体の動かない主人公は、少女と関係を深めるときに通っていたカフェで待っていることを叫ぶことしかできなかった。その後、少女は主人公が恋心を抱いている憧れの女性に殺される。別れ際、主人公が叫んでいた約束のカフェのすぐ側で。全てが演技だったと強がりを言ったが、実際には互いの心の中に恋や愛のようなものが芽生えていた。
この映画のテーマは「禁じられた恋と破滅」だろうか。私の今の心の状態と酷似している点が多々あり、非情なほどに訴えかけてくる。偶然にもエンドロールに彼女のファーストネームと同じ文字が目に止まり、勝手に追い討ちをかけられる。しかし、主人公は自分の気持ちをその都度しっかりと言葉にして、相手に伝えていた。対して私は、今までの関係性が壊れるのが怖くて、何も伝えられなかった。そんな真っ直ぐで正直な主人公が私には眩しかった。気持ちは言葉にしなければ伝わらない。そんな当たり前なことが私にはできなかった。
映画館を後にして歩いていると、彼女がハンバーガーを食べたいと言っていたことを思い出す。1人でハンバーガーを食べながら、スマホを見つめるも、彼女からの返信はやはりなかった。だけど私は、この映画を観たことを、もう一度だけ彼女に伝えたくなった。それが、彼女が私の中に残していったものだから。
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