侍タイムスリッパーのレビュー・感想・評価
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純真無垢な昔堅気の映画野郎
タイトルと主題だけでなく、この映画丸ごと、タイムスリップしてきたかのような気がしました。弟子入りを志願して「落ちる滑るって言っちゃいけない」などというベタベタのシーンがそれを表していたかのような。水戸黄門、銭形平次など昔の人の如何にもというやり取り、困っている人を放っておけない優子さんのような古風な頑張り屋が活躍する、庶民的な舞台劇を観たかのような、そんな印象。
タイムスリップといってもSF要素は余りなく、古き良き時代劇や映画バカの撮影風景、そういうのがテーマだったのではないでしょうか。撮影所の楽屋?でポスターは時代劇なのに、テレビの横に並んでいたDVDは、何故か伊丹十三監督作品。これも、この映画の主張の一つだったのかな。話の流れも無理などんでん返しもないトントン拍子。最後に武士の身の上に立ち返っての一騎打ちも、まあ、予測通りではあるけれど。
でも、最後の殺陣(たて)は痺れました。いつ動き出すんだという凄まじいタメ。刃が打ち合う鋼の音は、これまでのチャンバラシーンで録に擬音を付けなかったのが効果を上げているのでしょう。本当に真剣でやっているんじゃないかという緊迫感。劇中劇の顛末も踏まえて、歯を食いしばってしまうほど凄まじかった。
そして出来上がった劇中劇の映画は、なんというか、本当に無骨な作品のようですね。この映画とまったく同じ、最後の一騎打ちが売りでしかないような骨太い時代劇のようですけど、果たして、売れるんでしょうか。恐らく、例え売れなくとも「これぞ本物の映画だ」という評価さえあれば、劇中の監督も満足したのではないでしょうか。この映画そのもののように。
この前に観た「ルックバック」という漫画家のアニメ映画を思い出した。自分達の仕事をもモデルにしているからこそ、カタルシスが凄まじい。ましてや、私たちも武士の国。美味しいおにぎり、美味しいケーキがいつでも食べられる時代になって本当に良かった。先人達に感謝、感謝。
昔の人が生きた時代の延長線上に私たちの現在はあるのだ
どこにでもあるショートケーキをはじめて口にし「これが普通の人でも食べれるとは。。本当に良い世の中になった。」とボロボロ泣く。会津藩の悲惨な最後を知り、むせび泣く。感極まるこの2つのシーン。昔の人たちの努力や犠牲の上に、私たちの平和で豊かな世界があることを改めて実感し、感謝した。
竹光で本身を振っているようにみせるため、振り方を試行錯誤した結果、本当に重さが加わったように見えてきた演技に驚き。 いやいや待て待て。この映画の中にいくつかある真剣のシーンも、実際は竹光使って演じているはず。(クライマックスの風見との対決シーンなど)凄い演技力だ。
クライマックスの戦いのシーン。最初のながーい無音の時間の演出が真剣による緊張感を最大限高めることに成功している。
時代劇を辞めて東京に行っていた大物俳優の風見恭一郎が、時代劇&京都に凱旋。このシーン、風見が真田広之とオーバーラップした。真田広之は別に時代劇やめてないけど。(笑
2021年に上映された『サマーフィルムにのって』を思い出した。共通項多し。
・タイムスリップもの
・時代劇
・映画を撮る映画
・低予算ムービー
・拡大上映!
そしてなんといっても「空気感」が同じなのよ!
朴訥なこの侍のように、背筋を伸ばし、周りに感謝して生きようと、気持ち新たに映画館を出た。
※失礼ながら知らない役者さんばかり。
※高坂と風見と女将さんがいい!
※風見は誰かに似てるなあ~と思ってあとで調べたらそうそう「別所哲也」「 西岡德馬」「嶋大輔」だ。冨家ノリマサさんという方なんですね。これからチェックさせていただきます!
※真面目で無骨で、少し汚い高坂が侍っぽくてとてもいい!
※ロケ地は随心院、亀岡の大正池まではわかった。京都がほとんどだと思う。聖地巡りしたい。
→ 10.15追記 このレビューで教えていただいた「油日神社」に行ってきました。最後の真剣でのシーンの舞台です。京都でなく滋賀県(三重県との県境)でした。飾り気のないとても良い気が流れる神社でした!ぜひ。
※風見が怒って池に石を投げ込むシーン(笑 見逃さないよ。
※どうしても受けてしまったり、師匠を斬ってしまったりするシーンも笑けた!
※パンフレットはまだ届いていなかった。あらためて買いにいかねば。
※殺陣の指導シーンで「当たるから切っ先は上へ」と。なるほど。
山口馬木也に主演男優賞をあげたい
インディペンデント監督が書いた脚本のために京都の撮影所が協力して実現した娯楽活劇コメディ、という作品の成り立ちは美しいし、主演の山口馬木也があまりにもみごとで、立ち姿や所作、殺陣の決まり具合に惚れ惚れする。
しかも演技がべらぼうに上手い。上手いを超えている。正直、和尚が檀家の前で電話をするシーンとかは観終わってあれ必要だっけ?と思ってしまったし、ベタすぎて鼻白む部分も多いのだけれど、どんな場面でも、どんなセリフでも、山口馬木也という人が驚くほど誠実に、自然に演じてしまうので、山口馬木也を見ているだけで十分お釣りがくる!という気がしてくる。
ただ、別の時代からやってきた異分子という設定に即していて成立してないわけではないのだが、山口馬木也の佇まいがあまりにもナチュラルなせいで、他の出演者の芝居がクサく誇張されたものに見えてしまうのも事実。それくらいの圧倒的な本物感が山口馬木也にあったということでもある。
しかし、最後の真剣のくだりは、正直ザザッと音を立てるように気持ちが離れた。理由はいくつかあり、あの二人の対決自体は当人たちの決断としてお好きになさってくださいなんだが、撮影現場が容認してしまう流れは、全員が完全に狂気に取り込まれた!くらいの描写でない限り絶対にナシだろうと思ってしまう。ビンタで許されることじゃないよ、マジで。気がつけばあの二人が真剣でやりあっていて、誰も止められなかったとかならまだわかるんだけど。
あと、あの真剣勝負に、どこから撮ったの?という寄りの短いカットがモンタージュされるのも気になった。さらにいえば、これは単に自分の好みですけど、最後の対決だけは、撮影用に刀を上に掲げるように修正された上段の構えを、もともとの構えに戻して戦っていいんじゃないかなと思ったりしました。
廃れゆく時代劇と日本人スピリッツへの思いが溢れる
8月に都内1館のみの公開から全国100館以上での公開が決まったタイミングで、大急ぎで鑑賞。口コミで広がった映画にハズレはないとは思っていたが、出来栄えは想像以上だった。
幕末の京都から雷と共にタイムスリップする会津藩士の着地した場所が、一瞬、江戸時代の京都かと思わせて、実は時代劇を撮影中のセットだったと言う幕開けから、すでに捻りが効いている。そこからの展開は、映画スタッフや関わる人々が主人公を役者だと勘違いし続ける様子を上手に描いて、なんら不自然さを感じさせない。それは、タイムスリップの先輩がいたことが分かる後半でも同じだ。
ベースには廃れゆく時代劇とそれを支える人々、そして、日本人のスピリッツに対する熱い思いがある。こちらは自主映画で、越えるべき壁の高さに違いがあるだろうが、監督と脚本を兼任する安田淳一と『SHOGUN 将軍』で遂に天下を獲った真田広之とは根っこで繋がっているのだと思う。
信じるものの為に全力をつくす
終盤30分が本当に良くできていた。
会津藩が辿った歴史を知った高坂は、最後まで戦わず生き長らえてしまった後悔と仲間への自責の念から、戦いの中で死にたい、風見との決着をつけたい思いがあった。
一方で、風見の本当の武士の姿を現代の人にも知って欲しいという思いに共感もしていた。
そこで両方の思いを実現する、真剣での撮影を提案する。
高坂は風見に切られて仲間への罪悪感を払拭し、本当の戦いを後世にも残すことをイメージしていたが、風見の剣を落とす形で勝負がついてしまった。
当時長州藩の風見を切ることには意味があったが、決着がついた現代では切ることに意味がないと気づき、本来の剣ではなく殺陣の稽古で習った上段の構えで切らないことを選んだ。
当時は信じるものの為に死ぬことが武士の本懐であったが、お互いの信じるものの為に戦った。それでいい。
いつかは時代劇も歴史も忘れ去られる時がくるだろうが、それでいい、今日がその日ではないなら近くの明日のために伝えていくことでいい。それでいい。
自分の信じるもののや愛するものを継続する時に、これは意味があるのかとかいつかは無くなるならやらなくても同じだとか考えてしまう時があるけど、他者や後世の評価を気にして自分の思いに蓋をしてしまうのはもったいないし、それでもいいと思ってやり遂げることが大事だと思った。
睨み合いの緊張感が良かった。
ケーキや米を食べて日の本は良い国になったと涙するシーンも良かった。
脚本上も高坂が風見を切る話であったと解釈するが、長州の風見が会津の高坂に切られる脚本を用意していたのも風見のメッセージだと思うが、真剣勝負になった時点で風見がわざと剣を落としたとは思いたくない。
話題になってたけど裏切らなかった!
めちゃめちゃ面白かった!
主演の山口さんがすごくよかった!
喋り方や佇まい、刀さばきがかっこいい〜
殺陣技術集団「剣会」となるものを知らなかったし、時代劇ってこうやって作ってるのかと勉強になった。
お侍さんの礼儀正しさが素晴らしいし、殺陣のシーンは息を呑む素早さ!
幕末から突然未来にタイムスリップしてからの馴染みの早さはびっくり笑
で、切られ役の初稽古で切られないでいる連続シーンで吹き出してしまった笑
暗殺しようとした相手もタイムスリップしてんだろ〜
と思ってたらまさかの30年というタイムラグ笑
ラストシーンまで抜かりなくとても楽しめた!
まさに真剣。
幕末の侍がタイムスリップして、時代劇の斬られ役として働くことになるというコメディのノリの映画。
と思いきや、終盤は緊張感が次第に高まり、最終シーンの真剣での戦いの場面になる。タイムスリップする前も真剣同士の斬り合いなんだけど、終盤の真剣の戦いの方が遥かに緊張感がある。それは、まさに現実シーンで役者同士が本当に真剣を用いているかのように感じられるからだろう。映画を見る時、戦いのシーンは真剣で戦っているとは考えながら見てはいるけど、そうは言ってもフィクションの世界。真剣でのやり取りなんてことは本当には思ってない。それを、劇中劇の時代劇と、現実の世界と分けて、現実の世界に真剣を持ってくるという構造にするおかげで、本当に真剣で戦うことの緊張感を感じさせてくれている。非常に上手い扱い方だなと思う。
役者さんの力も多分にあったとは思う。
とはいえ、良いところばかりではなく、前半と後半の主人公の性格のギャップが大きいすぎて半ば強引に終盤のシーンに持っていったなといった感じ。喧嘩腰すぎでしょ。
優子さんとのクダリがまあまあくどい。
全体的に低予算感あふれる感じは最後まで拭えなかった。
文句なしの星5!!
こんなに面白い映画あったのか!と今まで観てなかった自分を引っぱたきたい!
なんの前情報もなく、暇つぶしに流し見するつもりで流した映画だったんだけど、導入からもう引き込まれて結局最後まで食い入るように観てしまった
間違いなく人生トップ3に入る。それくらい自分の好みドストライクで、滅多に星5なんかつけないんだけどこれはもう何の迷いもなくこの評価
とにかくコメディとシリアスのバランスが本当に絶妙。自分の描く"創作"の理想形そのままだった。殺陣で切られ役なのに侍が染み付いちゃってるせいで反応して斬っちゃうのも涙出るくらい笑ったし、「コメディ映画」としてだけでも完璧なのに、そこに「侍の矜恃」を時代劇と上手く合わせるこのシリアスさ
30秒くらい無音で両者動かずに間合いを取り合うあの時間、あんな風な時間の使い方したら普通は「長すぎやろ!笑」ってなるところ、二人の演技が本当の「侍」に見えて、これから始まる本当の殺し合いを感じさせて目が離せなく、手に汗握る
最初は本物の侍がタイムスリップしてきたらその本物侍パワーで時代劇を無双する!みたいな話かと思ったら、「現代においては無用の長物」として斬られ役という脇役として生きていく、というのもいい。でもそういうなろう展開が一切ない訳じゃなくて、ちゃんとその等身大を見せたあと、最後その場にいたスタッフには「本物の侍だった」って理解できるような構図になっていて、それは勿論過去からタイムスリップしてきたという証明ではなくあくまで「侍の心を持つ者」という証明に過ぎないんだけど、ここではじめて本当の侍の凄さを現代人が理解する、ってのが斬られ役に徹してきた下積みからのカタルシスを感じさせる展開になってる
もうね、とにかく本当に面白かった。コメディもシリアスも、脚本も演出も演技も、全てが完璧だった。人生で好きな映画トップ3にはいりました。「笑って泣ける」みたいな宣伝文句してる映画で一切笑ったり泣いたりしたことなかったけど、この映画は終始笑って泣きました
ねぎらわざるをえないふんいき
伝わってくるものがあったが言いたいことはある。
むかしのことだが一般の国内映画冷評にたいして映画関係者が「必死で味噌汁をつくっている裏方の苦労なんかおまえたちにはわからんだろうな」とツイートしたのが話題になったことがある。じぶんはこのエピソードを日本映画界を言い表すエピソードとして何度か使っている。
俗にこれを根性論と言い、日本では往々にして芸能が根性論というエンジンによって動くことがある。そして根性論にたいする日本的反応が「ねぎらい」である。日本映画界が根性論で作品をつくると、やさしい日本人は「ねぎらい」によってそれに応える。たとえおもしろくなくても「ねぎらい」票は入る。
そればかりか低予算やぎりぎりのスタッフ・キャストでの映画作りならば「ねぎらい」が賞賛に変わる。金も人もない状況下でつくった映画を賞賛しなければ不人情になってしまうからだ。日本では映画が免罪符要素を持ってしまうことがある。
こうした根性からのねぎらいからの免罪符──という展開は海外映画にはぜったいにない。日本映画だけの特殊事情といえる。さらに幕末設定により武田鉄矢的な泣き要素が加わることで、もはや手に負えない根性論免罪符環境が構築されたと言っていい。命がけの会津っぽに誰が抗えるのかという話である。
もちろん侍タイムスリッパーの製作陣は「根性論からのねぎらい」を狙って映画をつくったわけではないだろうが、見ていて気恥ずかしくなるほど実直な作りかつアマチュア精神な作りなので、ねぎらい&賞賛をせざるを得ないような気分へと追い詰めてくる映画だった。意図してはいないのだろうが、必死で味噌汁をつくっている裏方の苦労を思いやってほしいオーラを感じる映画だった。
なにしろ低予算であるし─『10名ほどのスタッフで制作しており、安田は車両からチラシ作成・パンフレット製作まで11役以上を1人でこなしている。助監督役の沙倉ゆうのは実際の助監督なども務めており、沙倉の母親も小道具の刀の整備などを手伝っている。また他の演者も度々スタッフとして協力している。』(ウィキペディア、侍タイムスリッパーより)
──という家内制手工業でつくられている。その努力や頑張りをかんがみて、またその大変さやけなげさを思いやって、また、みんなが一致団結してつくった温かみに触れて、みなさまご苦労様でした、としか言いようがなくなる、わけである。
このように皮相が根性論で塗られている映画を一般的な日本人はけなせない。わたしも人の子であるし鬼じゃないから限られた予算で頑張ってつくった製作陣をねぎらいたい気持ちがないわけではない。が、あまりにもベタすぎていやになるところはあった。
たとえば高坂(山口馬木也)が剣心会への入門を願い出た際、住職が滑るとか落ちるとかそういうことぜったい言うたらあかんで──とふっておいてからの(雨道に)つるっと滑って怪我でもしたらとか、(内閣の支持率)こんだけ景気わるなったらそりゃおちるに決まっとるとか、──言ってしまう超絶のベタスクリプトには恥ずかしさで鳥肌が立った。
こ・の・低・脳・な・台・詞・は・な・ん・な・ん・で・す・か。
しかし「真剣の重みを感じるようにしたい」という監督の意図は伝わってきたし、殺陣も緊張感があった。
根性論とは製作側の思い入れのことだ。映画とは製作側の思い入れを観衆につたえるものだ。で、大概の日本映画が根性論の段階で止まる。
本作の斬られ役のモチーフになっているのは福本清三氏だと思われるが、個人的に福本清三氏の情陸風コンテンツに見たのは、ほかの斬られ役に比べてどこが違うのか解らない斬られ方と、かれを褒めまくる著名な時代劇役者だけである。もちろん福本清三氏は悪くない。5万回斬られた男──だからなんなのか、5万回斬られたことをもって観衆はなにを面白いと感じればいいのか──を提供していないことが悪い。5万回斬られた男という装丁だけでそれ以外のアイデアをもっていない作り手が悪い。そういうのを根性論というのだ。
が、侍タイムスリッパーはストーリーがクライマックスの真剣勝負へ誘導していくし、観衆を話の中に引き込む工夫もあった。侍タイムスリッパーははじめて見た根性論ではない斬られ役コンテンツだった。と言える。
ただ貧乏くさすぎる。これは2025年の日本映画である。
にもかかわらず金もなくスタッフもキャストも限られ貧しさの極地で映画作りしている日本とはいったいどんな発展途上国なのだろうと思った。
先日見たネトフリ映画The Electric Stateの製作費は465億円だそうだ。侍タイムスリッパーは2,600万円だそうだ。
文化庁と経済産業省のお抱えNPO法人映像産業振興機構(VIPO)に給付される税金750億円はどこへ消えて無くなるのだろうと思った。
結果的に、日本映画界のわけのわからなさをひしひしと感じてしまう映画だった。また、カメ止めはねぎらいを感じなくてよかったからカメ止めとの近似性は感じなかった。
侍タイムトリッパー
入口としては入りやすいタイムトリップから意表をつく展開。コメディながら熱い気持ちが伝わる良い映画でした。
最後の映画作りの過程からラストまで二人とも同様に大切なものを全力で守ろうとしていたこと。ただし、その大切なものが違うだけであるという状況が切なかった。
最後の殺陣のシーンの二人がすごい迫力で圧倒された。今を全力で生きるだけしかないというメッセージが伝わってきた。
初めのタイムトリップのシーンで相手役の方ががいい雰囲気を持っていたので、あの人はどうなったのかな?と思っていたが、案の定途中で現れた時にキターってなりました。そしてぼんやり、じゃああのパッとしない人はどうなったのかな?って思っていたところエピローグ的なシーンで、第三者的なアングルに変わったときに、もしかしてもしかしてと思ったら、やっぱり最後に現れてスッキリ!
期待し過ぎたか
随分と評判がいいので、アマゾンプライムで見られるということで見てみた。映画館で見ていたら、もうちょっと印象はちがったかもしれないが、アマゾンプライムでみると、テレビドラマ風にしか感じられなくて、それほど面白味もなかった。過去から現代にタイムスリップするという、SFではありがちだが、こういう日本の映画ではそれほど作られてはいないテーマのものだろう。それが生かされている、とはちょっと思えなかった。
この映画の主題は、時代劇は素晴らしいものだ、ということが言いたいのか、それを演出するために、過去から侍をつれてきました、というだけの内容だったように思う。
劇場公開されていたときには、私の趣味ではない日本映画、と言う印象だったが、その印象通りだった。なんというか、日本映画らしい役者の演技、というものがあるようにいつも思うのだが、それがよく感じられた映画だった。
最初から最後まで抜かりなし
欲しいところに欲しい玉をくれる。
映画というエンターテインメントが心底好きな事が伝わってくる、丁寧な作りの映画。
ラスト前の殺陣も良かったし、
ラストはそうそう、それだよねというシーンで良かった。
傑作。
低予算を取っ払っても、いい映画
いい意味で自主制作映画的。場面転換に大きな幅がないところは、逆をいうとCGにもロケにも頼り過れないというところだ。ここがいい意味で自主製作映画的と評したところ。つまりは低予算という縛りをうまく活用していると思う点だ。
こうした低予算つまり、制約性を取っ払って観る。脚本の芯がスッと通っているから、ブレずに没入できる。タイムスリップものとしては、ありがちだが、斬られ役というところに着目したところが侍のタイムスリップとしては、ドラマが進みやすい。
主人公がその設定を少しずつ理解し、受け入れていく流れに多少の引っ掛かりを持つのだが、その前段の現代の平和な世界と豊かな食生活に驚くあたりで解消を試みているのがとても良かった。いつまでも、現代の生活に驚き続けるのではなく、ちょうどいいところで幕末との違いを受け入れるあたり。ここを引っ張り過ぎると、食傷気味となるのだ。
物語は時代の生き方・立場・信念を呼び戻し、敢えてそこに身を投じ直す二人の侍がぶつかり合う。斬られ役ということで、劇中劇の視点が必然的に取り入れられ、ある意味メタ的な俯瞰視点に切り替わるのかと思えばそこに執着しない。
安田監督のテクニカルで情熱的で映画への溢れるまっすぐな想いが伝わってくる。「ほら、それはキミの思い通りの展開とちがうで」と言われているように。
優子ちゃんのかわいらしさが、ラブコメ路線を裏側で牽引している。深入りしないラブコメさはとてもココチいい。また、京都のいい意味での閉鎖的な土地柄・「いけず(イジワル)」さを知った上で、和尚夫婦をはじめとする「人間の優しさ」ってものが人情味を深める。つまり、よそ者に厳しい京都人のくせに、優しいやん!ということだ(筆者は生まれ育ちいまなお京都人である)。
7,000万円という低予算に対して、興行収入10億を越えたこと。日本アカデミー賞「最優秀作品賞」とのことだが、注目されるきっかけを与えてもらわなくては観ることもなかった自分の映画眼(ムービーアイと呼んでいる)がフシアナなのが恥ずかしい。
主演の山口馬木也さんはテレビでちょいちょい目にすることはあった。もっと光を浴びて欲しい役者というのが世の中にまだまだいるのだろうと感じてしまった。
斬られ役といえばの「福本清三」さんと侍がタイムスリップするというCMを結び付けたあたりが、安田監督の眼のよさなのだとつくづく思った。良い映画だった、ちょっと疲れた大人は必ず観るべきだと思う。
良い映画だと思うけど
主演の役者さんが素晴らしいし、笑えて良い映画だと思うけど評判ほどのめり込めるかと言われるとうーん…。会津藩の最期を知って真剣で撮影する必然性がよく分からなかった。
低予算の知ってる映画といえば「カメラを止めるな」と大好きな「運命じゃない人」。どっちも脚本で唸らされる映画だったから、そういうのを無意識に求めていたのかなあ。
悪くはないけど
絶賛する程かなぁと言うのが正直な気持ち。
使い古されたタイムスリップ物と言うネタを良く仕上げたとは思うんだけど、サムライわりとすぐ現代に慣れてるなwなので、お約束の、その辺のドタバタは良くも悪くも短い。
細かい部分が気になるので、映画界で働き始めたサムライ(しかも、先に来てるヤツも居た)が戸籍とか、納税どうしてるんだろう?って思ってしまう。先に来たヤツは既にスターなんだしね。
ラストの真剣でのシーンは蒲田行進曲の階段オチが元ネタかなぁ。蒲田行進曲はあくまでも、元々のストーリーに沿った階段オチなんだけど、コレは相手が勝ってた場合どうすんだ?
笑ったのは、最後の「今日がその日ではない」だけだった。
アイドル出演の日本映画には興味もないが…
某令和の虎を主宰する社長の言い方を真似するなら…
『ヒットしてるとはいえ所詮自主制作映画でしょう?…』なんて軽い気持ちで観たら画面に釘付けになった。
安易に人気グループの男の子やアイドルを起用する、所謂どう見てもキムタクじゃん!的な恋愛日本映画には興味もないが
先ず、主演の山口馬木也にハマった。
とにかく渋いし何気ない笑い狙いの演技も自然で無理矢理なストーリーが楽しく進んだ
今や大御所俳優に指名された時のビックリ展開も良かったし益々惹き込まれた。
最後の場面は?????だったが
自主制作映画なんだから思い切って過去から来た二人のことを皆んなが理解してる事にしちゃえば、現代では御法度な場面を撮影してることも許せる…みたいにして欲しかったかなと感じました。
アッという間の120分?楽しかった…ありがとうございました。
蒲田行進曲が好きな人ならおすすめ
数多の秀作を抑えての日本アカデミー賞。
何でだろうと思いながら鑑賞しました。
映画を創る人、それに関わる人、映画を愛する人には胸アツの台詞が散りばめられており、賞の受賞はやや内輪受けとも言えるのかもしれません。
寺の門前の決闘シーンからのタイムスリップ、撮影所から寺に居候するまでの展開は、芝居も脚本もテレビドラマレベルで、「映画」として観るには正直ちょっと辛いなと思いながら観ていました。
風向きが変わったのは、高坂新左衛門がショートケーキを食べるシーン。
この作品が単なるコメディではなく、ちゃんとメッセージ性がある作品であることがハッキリした転換点でした。
そこからは胸アツシーンの連続。
昔の映画最盛期からタイムスリップしたような、今ではスベリもしないギャグも散りばめながらのお約束のラスト。
このラストのために3人用意していたのねと合点がいきました。
高坂新左衛門と風見恭一郎の決闘シーンは痺れましたね。
今度観た時は、あの間合いの時間を計ってみようと思います。
最後に、風見恭一郎は寺泉憲さんが演じていると思っていました。
冨家ノリマサさん、ごめんなさい。。。
人間デロリアン
コメディパートではベタな事を存分にやってくれてて面白かったし、本身での殺陣のシーンは凄まじい緊迫感があって思わず見入った。
ストーリーもよかったし、高坂さんはホントに現代に迷い込んだお侍さんみたいに見えた。
感激屋さんなのも、奥手なのも可愛らしかったし。
30年前とは言え、同じような境遇の人が現れたならピンとくる人は居そうなもんだし
現代と30年前の撮影現場に同じおじいさんの役者さんを起用してたのはちょっと気になっちゃった。
雷に打たれてタイムスリップするなんて、なんだかBTTFみたいだし
最後のシーンはターミネーターみたい。
それぞれオマージュだったりするんだろうか
現代で仇を討つかどうかラストシーンが見もの
・過去の闘いを思い出すラストシーンが見もの
・戦闘力を無くした相手に最後に切るかどうか、昔仲間が散々な目にあった仇を討つかどうか
・ギリギリの判断が痺れる
・侍は礼儀正しい
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