「映画人たちと侍の思い」侍タイムスリッパー ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
映画人たちと侍の思い
ありきたりな設定と高をくくっていたら、中々どうして。時代劇にかける映画人たちの思い。侍として信念を貫き通す新左衛門の熱い姿に、観ているこちらも思わず感情移入してしまった。
前半は主にタイムスリップ物の定番、カルチャーギャップをネタにした笑いがフィーチャーされている。
初めて見る撮影風景に戸惑ったり、白米のおにぎりやショートケーキに感動したり、テレビの時代劇を見て興奮したり等、新左衛門のリアクションが面白可笑しく描かれている。
そして、そんな環境の変化にもめげず、時代劇の斬られ役として真摯に取り組む姿を見て、自分は新左衛門というキャラクターに一気に好感を持ってしまった。正に愛すべきキャラの見本と言った所だろう。
健気に新左衛門をサポートする助監督の優子や、彼が居候する寺の老夫婦といった周囲の人たちも中々魅力的に描けていて、悪役らしい悪役がおらず全体を通して爽やかに観れる作品である。
そんな周囲の助力もあって、新左衛門は時代に合わせて自らをアップデートしていく。映画中盤に入ると、”ある人物”が姿を現し、ここから物語はいよいよ佳境へと向かっていく。
自分はこの展開をある程度予想していたが、それでも少し捻りを入れてきた所は面白いと思った。考えてみれば、タイムスリップは入り口は同じでも出口が一緒とは限らない。更に、このアイディアは映画のプロローグにも継承されており、この辺りも実に心憎いと感じる部分である。
聞けば本作は自主製作映画ということである。監督、脚本、撮影、編集を含め、一人で何役もこなしたのは本作が初見となる安田淳一。ここまでのワンマン映画になると、得てして独りよがりな作品になってしまいがちになるのだが、誰が観ても楽しめるエンタメ作品として見事に昇華されている辺りに並々ならぬ才気を感じる。
もちろん全てにおいて完成度が高い言うつもりはない。幾つか演出、脚本に粗が目立つのも事実で、このあたりは予算的な限界なのかもしれない。
物語の舞台がほぼ寺と撮影所に限定されていたり、新左衛門のカルチャーギャップネタもボリューム的にはやや物足りない。おそらくアイディアとしては色々とあったのだろうが、十分に映像化できなかったのだろう。このあたりは予算の少ない自主製作映画の悲しい所である。
また、新左衛門が自らの藩の末路を知る経緯は、もっとスマートに演出できなかったか…と惜しまれる。ここに至るまでにいくらでも知る術はあっただろうにと突っ込みを入れたくなってしまった。
ただ、こうした粗は感じたものの、それを補って余りあるストーリー的な面白さ、魅力的なキャラクター。これがあることによって鑑賞後の満足感は十分である。
加えて、ドラマの背景に忍ばされた時代劇の衰退についても考えさせられるものがあった。
確かに今の日本では時代劇という文化は無くなりつつあるのかもしれない。しかし、歴史というものが決して無くならなのと同じように、古き物もまた後世に脈々と受け継がれていくものであって欲しいと思う。
そんな映画人たちの思いが詰まったクライマックスシーンには見入ってしまった。
このヒリつくような緊張感には「椿三十郎」が想起された。また、今や語り草となっている「切腹」の仲代達矢と丹波哲郎の決闘シーンも連想させられた。
本気で作ったものはきっと観客に届く。その信念が映画界にあれば、きっと時代劇が無くなることはないだろう。