「主人公は師匠の言葉に従い、刀を捨てるべきだった」侍タイムスリッパー jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
主人公は師匠の言葉に従い、刀を捨てるべきだった
時代劇ラバーの自分としては、本作の監督とスタッフ、俳優陣の時代劇に対する熱意に頭が下がります。今の時代にこんな時代劇トリビュート映画を観ることができること自体、幸せなことです。ありがとうございます。
本作は3つのパートに分けることが出来ます
A:会津藩家老から密命を受け、同僚と二人で長州藩士を襲撃するが…
B:2007年頃の京都にタイムスリップし、周囲のサポートを得て時代劇の斬られ役になるまで
C:本格時代劇映画「最後の武士」の敵役に大抜擢されるが…
以下、パートごとに良かった点と気になった点など。
Aパート。
ここはガチの殺し合いシーンなので、Cパートよりもリアルさが要求される場面です。標的を待ちながら暗殺者の二人での思い出話は緊迫感が削がれます。これから人を斬ろうとする人間のようには見えませんでした。そういうのは前日の居酒屋で最後の盃を交わす設定にしておけば、もっとよかったかも。あと、斬り合いのシーンのライティングが白じらしい気がします。あれじゃ満月。しかもその後いきなり雷雨。このAパートの斬り合いにこそリアリティを込めて欲しかったです。
次に本作唯一のコメディタッチのBパート。
山口馬木也さんはじめ役者陣の熱演が光ります。時代と文化のギャップギャグ、武士が平和と繁栄を享受してしまうおかしみ、斬られ役の師弟関係、大変楽しめました。しいて言うなら、風呂とかトイレとか服とか、もっと身近な風俗についての驚きや戸惑いを見せてもらえるとより楽しめたと思います。
Cパート。
物語はここから一気にシリアスに。斬られ役の役者として軌道に乗った主人公は、会津藩の悲劇を知り深い葛藤に陥ります。「斬られ役の自分は偽物の存在に過ぎない…。必死で戦い、死んでいった者たち(本物)に申し訳ない…」この葛藤を乗り越えるためにどうするか。
主人公は抜擢された大作映画の中で、同じ武士である相手に本当の斬り合いを申し込みます。「大義のために命を捨てることこそモノノフの本懐である!」勝負は決し、相手は潔く死を受け入れます。主人公は思いとどまり、作り物であることを受け入れます。
本作の山場であるこのシークエンスが、実は時代劇が死んでしまった最大の原因でもあるという皮肉な構造になってしまいました。会津藩の悲劇も昭和の戦争も、すべてこの「大義」とやらのせいです。彼らの思想や生き様は戦後民主主義に受け入れられるはずもなく、「大義」を失った時代劇は勧善懲悪のチャンバラ活劇となり果て、衰亡しました。「武士道」や「大義」へのこだわりが時代劇衰退の大きな理由の一つです。
もう一つの理由は「本物らしさへのこだわり」ではないかと思います。厳格すぎる時代考証、本身を使っての死亡事故など、本物へこだわるあまり、時代劇は創造性を失い硬直化してしまいました。そもそもわれわれは「本物」など知らないのに。本物らしさを追求し本身でチャンバラすれば客は感動するというのは安易な思い込みです。チャンバラせずとも、言葉遣いや立ち居振る舞いで十分武士としての本物らしさは出せますし、山口馬木也さんの演技は見応えありました。
武士道に凝り固まった武士が、平和と繁栄を享受し、本物へのこだわりを捨て、作り物としてのプライドを獲得し、ラストで髷を落とす、そんなストーリーであればもっと若年層にも受けるのではないでしょうか。劇中で出てくる不良少年3人組。彼らに訴求する新しい時代劇を作ってこそ、時代劇復活の道があるのでは。ウェス・アンダーソン監督のように、あえて作り物感を主張するような時代劇映画があってもよいのでは。関本師匠の言う、「作り物を本物らしく見せることこそ、我らのプライドだ」という言葉は映画製作全体に当てはまる言葉だと思います。主人公は師匠の言葉に従い、刀を捨てるべきでした。
時代劇の歴史は3つのパートに分けることが出来ます。
A:チャンバラ活劇映画の量産時代
B:1954(S29)の「七人の侍」に始まる時代劇映画の黄金時代
C:勧善懲悪チャンバラTVドラマの量産時代
山本優子が好きな時代劇として口にするのは全部C時代のテレビドラマばかりです。時代劇業界は活況で、撮影所や役者陣は儲かったでしょうが、同じパターンの繰り返しに陥った時代劇はそのまま死んでしまいました。そういう意味で、劇中の無邪気な心配無用ノ介の姿には先の不安を感じました。やっぱり時代劇はチャンバラ活劇でしかないのでしょうか。変なこだわりに囚われず創造性に富んだ面白い時代劇がまた観られる日が来ますように。
サルタイサオさん、コメントありがとうございました。
時代劇トリビュート映画として、その志もアイディアもすごくいいと思いましたが、終盤はやや残念でした。
「一周回ってそこに戻るか…」というのが正直な感想です。
過去の時代劇は男たちが戦う理由を、武士道から離れて、愛する女性のためや、家族のため、弱い立場の者のためなど、個人的理由を全面に出すか、大義との板挟みで苦しむ姿を見せることで、観客の納得を得ました。
でも本作の主人公は藩命という大義から離れることはできず、仇敵と本身で斬り合うことを選びます。たしかにかっこいいし緊迫感もあるのですが、これをかっこいいと喜んでしまうのはマズイ。これではただのチャンバラ活劇です。
主人公にもともと妻子がいる設定にすれば、物語に深みが増し、また別のエンディングがあったと思いますがどうでしょうか。
非常に細かな分析があり、 内容に対する印象は僕も同感です。
真剣を使うことの劇中の主人公の本意と劇としての本筋、道理は外れていたように思います。
特に現代は本身を使わなくとも充分に殺陣の技術があり、たとえ敵討ち、仇討ち、幕末の背景があっても
相手の先にスリップしてきたベテランがもう時代に馴染んでいて改めて真剣勝負と言われても
流れ的には無しでしょう。
劇中劇として首を落とされるとするのも違和感でしたし、そこはもう少しきっかけのところ(会津藩がどうのこうの)を別の時代背景からの流れをもってきて、現代にすんなり納得させるような流れが欲しかったですね。
コメディーシーンも僕は爆笑でもなく、やや新喜劇の薄まったような感じを受けてあれでも満足するいまの観客に軽さを感じてしまいました。
時代劇として、また後世に残す作品としてはもう少し重みが欲しかったです。