「幕末の京。 会津藩士・高坂(山口馬木也)は同士とともに討つべき長州...」侍タイムスリッパー りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
幕末の京。 会津藩士・高坂(山口馬木也)は同士とともに討つべき長州...
幕末の京。
会津藩士・高坂(山口馬木也)は同士とともに討つべき長州藩士を門前で待ち構えていた。
使い手の長州藩士は新左衛門の同士をあっさりと当身で気絶させ、新左衛門と刃を交えることとなったが、その瞬間、雷に打たれてしまう。
新左衛門が目を覚ましたところは江戸の町。
どことなく奇妙なその町は、それもそのはず、時代劇撮影所だった。
親切な助監督・優子(沙倉ゆうの)に助けられ医務室へ運ばれた新左衛門だったが、そこも逃げ出し、彷徨するうち、明治維新から150年経っていたことを知ってしまう。
彷徨の末、たどり着いたのは、件の寺の門前。
天に向かって「雷、落ちよ」と叫ぶ新左衛門だったが、疲れ果てて眠ってしまった・・・
といったところからはじまる物語。
大部屋俳優と間違われ、寺で居候することになった新左衛門。
ひょんなことこから時代劇に出演することになった彼は、この時代で生きていくしかないと覚悟を決めて、殺陣集団「剣友会」に入門、その後、斬られ役として生きていくことになる・・・
前半はコメディ部分が多いが、進むにしたがってドラマ部分が立ち上がってきます。
この時代で生きていくしかないと覚悟を決めた新左衛門の目の前に、「この時代」に繋がる「あの時代」が再び現れて・・・
覚悟を決める。
この「覚悟を決める」って、最近、経験しなくなったし、観なくもなった。
この覚悟は、監督・脚本・その他もろもろ一切合切の安田淳一監督の「面白い映画をつくる!」という覚悟でしょう。
で、本島に面白い映画に仕上がりました。
興味深い点を記しておくと、
1.周囲の人が、誰も主人公を「過去からきた人」と認識しないこと。
2.主人公が「元いたところに戻りたい」と思わないこと。
このふたつによって、タイムスリップ映画のお約束、「元の時代、元いた場所に戻る」サスペンスを捨てている。
さらに、「戻ること」=めでたしめでたし、も捨てている。
その分、タイムパラドックスも回避できるという利点はあるけれども、監督はそれは意識していないでしょう。
さて、もうひとつ本作の魅力はアクション。
本作でのアクションは殺陣ということになるのだけれど、殺陣シーンはそれほど多くない。
多くないがゆえに、効果的。
クライマックスの殺陣はもちろんなのだが、剣友会率いる殺陣師関本(峰蘭太郎)と新左衛門の稽古シーンが秀逸。
打ち合わせのとおり、主役側(斬る側)の関本に対して、斬られ役の新左衛門が、本能的に侍としての性分が出てしまい、何度も何度も関本を斬る振りになってしまう。
ことなる振りをすべてワンカットで撮り、テンポよく繋ぐのは、アクションコメディのお手本といえるでしょう。
なお、後半登場の冨家ノリマサほか、撮影所所長(井上肇)、斬られ役俳優(安藤彰則)、心配無用ノ介こと錦京太郎(田村ツトム)、住職夫妻(福田善晴、紅萬子)と脇もみな好演。
いやぁ、面白かった。
映画って、ほんと、いいものですねぇ。