侍タイムスリッパーのレビュー・感想・評価
全909件中、1~20件目を表示
笑いと涙とメッセージ性がしっかりとある作品
見る前は、侍が現代にタイムスリップしてきて、現代とのギャップにドタバタとなるコメディかなと思ったら、予想通りのコメディ要素はあるものの、しっかりとしたメッセージ性も高い作品だった。
時代劇が廃れていく寂しさは、朝ドラの「カムカムエブリデイ」も描かれていて、世の中栄枯盛衰だから致し方ないよなーと思ったけれど、現代の人たちの視点ではなく、あの時代を生きた侍に時代劇を演じさせることで、より一層の寂しさが募ると同時に、申し訳なさみたいな感情が芽生えた。
また、当事者の彼らの視点だからこそ、現代にあの時代の皆の想いを残したいという気持ちの強さがより伝わってきて、涙腺を刺激された。
幕末の志士たちは、新政府軍と幕府軍に分かれて各々の信念のもと戦ったけれど、どちらが正しいというわけではなく、ただその時貫いた信念が今に続いている。会津藩の高坂にとっては辛い事実でも、今日本は争いのない平和な世になっているし、良い国にしたいという彼らの願いは叶えられているんだよなと思った。
インディーズ映画あるあるで、俳優さんは皆さん初めて見る方々でしたが、主演の山口さんの演技がとてつもなく良かった!わざとらしくなく、本当に侍がタイムスリップしてきたような動作や話し方で驚いた。周りの方々の演技がわざとくさく見えてしまうほど。
また、劇伴や効果音がちょい古典的でダサいのは笑ってしまうw
カメとめの再来言われていて、ずっと気になっていた作品だったので、見れて良かった!
純真無垢な昔堅気の映画野郎
タイトルと主題だけでなく、この映画丸ごと、タイムスリップしてきたかのような気がしました。弟子入りを志願して「落ちる滑るって言っちゃいけない」などというベタベタのシーンがそれを表していたかのような。水戸黄門、銭形平次など昔の人の如何にもというやり取り、困っている人を放っておけない優子さんのような古風な頑張り屋が活躍する、庶民的な舞台劇を観たかのような、そんな印象。
タイムスリップといってもSF要素は余りなく、古き良き時代劇や映画バカの撮影風景、そういうのがテーマだったのではないでしょうか。撮影所の楽屋?でポスターは時代劇なのに、テレビの横に並んでいたDVDは、何故か伊丹十三監督作品。これも、この映画の主張の一つだったのかな。話の流れも無理などんでん返しもないトントン拍子。最後に武士の身の上に立ち返っての一騎打ちも、まあ、予測通りではあるけれど。
でも、最後の殺陣(たて)は痺れました。いつ動き出すんだという凄まじいタメ。刃が打ち合う鋼の音は、これまでのチャンバラシーンで録に擬音を付けなかったのが効果を上げているのでしょう。本当に真剣でやっているんじゃないかという緊迫感。劇中劇の顛末も踏まえて、歯を食いしばってしまうほど凄まじかった。
そして出来上がった劇中劇の映画は、なんというか、本当に無骨な作品のようですね。この映画とまったく同じ、最後の一騎打ちが売りでしかないような骨太い時代劇のようですけど、果たして、売れるんでしょうか。恐らく、例え売れなくとも「これぞ本物の映画だ」という評価さえあれば、劇中の監督も満足したのではないでしょうか。この映画そのもののように。
この前に観た「ルックバック」という漫画家のアニメ映画を思い出した。自分達の仕事をもモデルにしているからこそ、カタルシスが凄まじい。ましてや、私たちも武士の国。美味しいおにぎり、美味しいケーキがいつでも食べられる時代になって本当に良かった。先人達に感謝、感謝。
昔の人が生きた時代の延長線上に私たちの現在はあるのだ
どこにでもあるショートケーキをはじめて口にし「これが普通の人でも食べれるとは。。本当に良い世の中になった。」とボロボロ泣く。会津藩の悲惨な最後を知り、むせび泣く。感極まるこの2つのシーン。昔の人たちの努力や犠牲の上に、私たちの平和で豊かな世界があることを改めて実感し、感謝した。
竹光で本身を振っているようにみせるため、振り方を試行錯誤した結果、本当に重さが加わったように見えてきた演技に驚き。 いやいや待て待て。この映画の中にいくつかある真剣のシーンも、実際は竹光使って演じているはず。(クライマックスの風見との対決シーンなど)凄い演技力だ。
クライマックスの戦いのシーン。最初のながーい無音の時間の演出が真剣による緊張感を最大限高めることに成功している。
時代劇を辞めて東京に行っていた大物俳優の風見恭一郎が、時代劇&京都に凱旋。このシーン、風見が真田広之とオーバーラップした。真田広之は別に時代劇やめてないけど。(笑
2021年に上映された『サマーフィルムにのって』を思い出した。共通項多し。
・タイムスリップもの
・時代劇
・映画を撮る映画
・低予算ムービー
・拡大上映!
そしてなんといっても「空気感」が同じなのよ!
朴訥なこの侍のように、背筋を伸ばし、周りに感謝して生きようと、気持ち新たに映画館を出た。
※失礼ながら知らない役者さんばかり。
※高坂と風見と女将さんがいい!
※風見は誰かに似てるなあ~と思ってあとで調べたらそうそう「別所哲也」「 西岡德馬」「嶋大輔」だ。冨家ノリマサさんという方なんですね。これからチェックさせていただきます!
※真面目で無骨で、少し汚い高坂が侍っぽくてとてもいい!
※ロケ地は随心院、亀岡の大正池まではわかった。京都がほとんどだと思う。聖地巡りしたい。
→ 10.15追記 このレビューで教えていただいた「油日神社」に行ってきました。最後の真剣でのシーンの舞台です。京都でなく滋賀県(三重県との県境)でした。飾り気のないとても良い気が流れる神社でした!ぜひ。
※風見が怒って池に石を投げ込むシーン(笑 見逃さないよ。
※どうしても受けてしまったり、師匠を斬ってしまったりするシーンも笑けた!
※パンフレットはまだ届いていなかった。あらためて買いにいかねば。
※殺陣の指導シーンで「当たるから切っ先は上へ」と。なるほど。
山口馬木也に主演男優賞をあげたい
インディペンデント監督が書いた脚本のために京都の撮影所が協力して実現した娯楽活劇コメディ、という作品の成り立ちは美しいし、主演の山口馬木也があまりにもみごとで、立ち姿や所作、殺陣の決まり具合に惚れ惚れする。
しかも演技がべらぼうに上手い。上手いを超えている。正直、和尚が檀家の前で電話をするシーンとかは観終わってあれ必要だっけ?と思ってしまったし、ベタすぎて鼻白む部分も多いのだけれど、どんな場面でも、どんなセリフでも、山口馬木也という人が驚くほど誠実に、自然に演じてしまうので、山口馬木也を見ているだけで十分お釣りがくる!という気がしてくる。
ただ、別の時代からやってきた異分子という設定に即していて成立してないわけではないのだが、山口馬木也の佇まいがあまりにもナチュラルなせいで、他の出演者の芝居がクサく誇張されたものに見えてしまうのも事実。それくらいの圧倒的な本物感が山口馬木也にあったということでもある。
しかし、最後の真剣のくだりは、正直ザザッと音を立てるように気持ちが離れた。理由はいくつかあり、あの二人の対決自体は当人たちの決断としてお好きになさってくださいなんだが、撮影現場が容認してしまう流れは、全員が完全に狂気に取り込まれた!くらいの描写でない限り絶対にナシだろうと思ってしまう。ビンタで許されることじゃないよ、マジで。気がつけばあの二人が真剣でやりあっていて、誰も止められなかったとかならまだわかるんだけど。
あと、あの真剣勝負に、どこから撮ったの?という寄りの短いカットがモンタージュされるのも気になった。さらにいえば、これは単に自分の好みですけど、最後の対決だけは、撮影用に刀を上に掲げるように修正された上段の構えを、もともとの構えに戻して戦っていいんじゃないかなと思ったりしました。
廃れゆく時代劇と日本人スピリッツへの思いが溢れる
8月に都内1館のみの公開から全国100館以上での公開が決まったタイミングで、大急ぎで鑑賞。口コミで広がった映画にハズレはないとは思っていたが、出来栄えは想像以上だった。
幕末の京都から雷と共にタイムスリップする会津藩士の着地した場所が、一瞬、江戸時代の京都かと思わせて、実は時代劇を撮影中のセットだったと言う幕開けから、すでに捻りが効いている。そこからの展開は、映画スタッフや関わる人々が主人公を役者だと勘違いし続ける様子を上手に描いて、なんら不自然さを感じさせない。それは、タイムスリップの先輩がいたことが分かる後半でも同じだ。
ベースには廃れゆく時代劇とそれを支える人々、そして、日本人のスピリッツに対する熱い思いがある。こちらは自主映画で、越えるべき壁の高さに違いがあるだろうが、監督と脚本を兼任する安田淳一と『SHOGUN 将軍』で遂に天下を獲った真田広之とは根っこで繋がっているのだと思う。
期待を裏切らない面白さ
これは面白い
タイムスリップ映画
作品自体というよりその作品の状況を魅力に感じた
時代劇という文化の衰亡と
江戸幕府の衰亡が重ねられ
それに抗うこともできずに今を生きていくしかない人々の姿は
2010年代の洋画のおっさんキャラに
通ずる格好良さがあった
しかし殺陣というのは本当に美しいものだなと思った
ずっとチャンバラがカッコよくて笑いながら観ていた
すると、どうだ
最後にそれを裏切って
いきなり緊張度Maxだ
あのギャップは上手い脚本だなー
と感心した
『カメ止め』と較べる方が多くて気になって観たが
『カメ止め』程、映画として完成度が高いかと言われればそうでもない
使い古されたネタに苦笑する人もいてもおかしくない
でも結局殺陣がカッコよくて
周りの人たちが暖かくて
定番だからこその安定感が心地よいと感じれば
この映画は最高のタイムスリップ体験になるだろう
孤独な魂の邂逅ですよ!
良いBLでした!
30年抱えていた孤独を分かち合えるのはかつての政敵、相見える度にちょっと涙目なのがもう(号泣
極め付けはあの挨拶(以後大号泣
抑えめな時代ギャップコメディ演出も良い。静かに怯える侍w
剣友会の先生も良かったですー!
あの胴衣は先生のお古ですよね!
師匠への暇乞い…(嗚咽
殺陣が本当にきれいでした。
失われていくものの継承
2024年。安田淳一監督。幕末の京都で会津藩の剣豪として長州藩士と斬り合っていた男は、雷に撃たれて現代の京都の撮影所へタイムスリップ。知らぬ間に時代劇の撮影に紛れ込んでいた男は自らの境遇を徐々に悟っていくと、助監督の女性に一目ぼれしつつ、切られ役として生きていく決意を固めていく。そこへ、かつての敵である長州藩士もタイムスリップしていたこと、幕末後の会津が過酷な運命をたどったこと、を知って、、、という話。
侍として生きること(当時)も時代劇を撮影すること(現代)も時代とは合わない生き方であり、だからこそ、何もしなければ当時の人々の生き方が忘れられてしまうので、誰かが継承しなければならない、という展開。当時と現代、現実と虚構の境界を超えていくときの葛藤が描かれていくが、二つのものの境界はあいまいに溶けていく。
話題のコメディー映画と思い、気軽に観に行きましたが
武士・時代劇へのオマージュと佐幕派(会津藩)の悲運
高坂新左衛門が思わず商店のシャッターから引き剥がして見入ってしまったポスターに書かれていたように、自潘が命を懸けて従おうとしていた幕潘体制が崩壊してしまってから140年も経った日本に降り立ってみれば、幼少から磨いてきた剣術の腕前は、時代劇の斬られ役くらいにしか役に立たない-。
その寂寥感は、並大抵のものではなかったことでしょう。
そういえば、本作を観終わって考えてみると、ひところはテレビの定番とも言えた「水戸黄門」も「遠山の金さん」も「大岡越前」も、放送終了になって、もう久しくなってしまってもいたようです。
本作は、いわゆる武家社会の「担い手」として、武芸(剣術)に生きた武士や、その武士の生き様(ざま)、そして武士を主役とした時代劇ドラマへのオマージュとして、素晴らしい一本でもあったと、評論子は思います。
本作の題名は「タイムスリッパー」ではあるのですが、「どっこい、時代劇はタイムスリップ(時代錯誤の遺物)なんかじゃぁないんだよ」という、時代劇・斬られ役の魂がこもった一本だったことも、間違いがありません。
「素直な気持ちで「観てよかった」と思える作品」とは、評論子が入っている映画サークルの先輩会員の、本作に対する評でしたけれども。
その先輩会員の評どおりに、十二分な優秀作ということだったと、評論子も思いました。
(追記)
長岡潘は、かつての盟友であった会津潘攻撃の尖兵として官軍(明治政府軍=薩摩・長州を主体とする連合軍)に利用されることを拒んで、官軍から壊滅的な打撃を受けてしまいます。
(この間の事情は、別作品『峠 最後のサムライ』に詳しい)。
当然、会津潘の方でもそういう事情は知悉していたので、長岡潘の手前、簡単に官軍の軍門に下ることもできない。
そして、他方の官軍としても、いわば「官軍に楯突く不届き者」に対する、いわば「見せしめ」として、作中の高坂新左衛門が目を通した台本でも言及されていたような、酷(むご)い仕打ちを、あえて会津潘に行わなければならなかった。
そして、後にそんな仕打ちを受けるほど、佐幕派(会津潘)の薩摩・長州の両潘に対する恨み(敵愾心)には、お互いに骨髄に染みるような相当に根深いものがあったことは、想像に固くありません。
本作でも、高坂新左衛門と風見恭一郎との確執にも、上記のような背景を考えると、締めつけられるような胸の痛みを感じます。
(正直に自白すれば、そのことに思いが至り、鑑賞中には、何度も涙が出そうになった評論子でもありました。)
そして、それが、武士や武士道(そしてその流れを汲む時代劇)に対するオマージュと並んで、本作のもうひとつのバックボーンを構成していることも、また疑いのないことだろうとも、評論子は思います。
(追記)
本作は、自主製作の作品として単館上映から全国公開に拡大した作品ということですけれども。
その故もあって、いわゆる「豪華俳優陣」が主役を演じたり、脇を固めているわけではなく、言ってみれば「あまり顔なじみでない俳優さんたち」が演じているだけに、「芝居くささ」を感じることなく、そのぶん素直にストーリーに感情移入できたという要素はあったかと思います。
変に「豪華俳優陣」に引っ張られていないという点も、本作の美点として指摘して良いのではないかと、評論子は思います。
(追記)
幕府の治世を是と信じて、新政府(薩長連合軍)と血みどろの死闘を繰り広げ、劣勢を強いられた佐幕派(会津藩)は、態勢挽回の、いわば切り札として、長州藩士・山形彦九郎の暗殺を計画。その刺客として高坂新左衛門が差し向けられる―。まさに血で血を洗うような争いを繰り返していたものの、140年余りを経てみると、庶民にもイチゴのショートケーキが日常の茶菓として用いられるような国になっていた。
高坂新左衛門にしてみれば、あの死闘の日々はいったい何だったのかという寂寥感・徒労感に、さぞかし苛(さいな)まれていたことでしょう。内心では。
しかし、このことはおくびにも出さず、140年後の世界では、その140年後の世界で、果敢に時代劇の「斬られ役」としての居場所を求めようとする。
武士は、他人に内心の動揺を知られることを「恥」と認識したと聞き及びますけれども。
そして、それ故「武士は食わねど高楊枝」ともいいますけれども。
やっぱり、高坂新左衛門もその意地があり、彼も間違いなく武士であったということなのでしょう。
本作のビジュアルにある襷(たすき)がけの高坂新左衛門の後ろ姿からは、その意地が、オーラのように立ち上っているように思えて、評論子には、なりません。
(そして、それ故、あのイチゴのショートケーキは(会津磐梯山に降り積もった雪のように白い握り飯と並んで?)、本作では意外と重要なアイテムだったのではないかと、評論子は思います。)
(追記)
ちなみに。評論子の祖先も武士だったと聞いています。
仙台地方を治めていた亘理伊達藩が、藩財政の立て直しを北海道の拓殖にかけて入植してきた当時、その亘理伊達藩に仕官しており、当主とともに北海道に移り住んで来たようです。
(評論子が北海道で生まれ育った理由が、それで分かったりもしました)
侍ですから、やっぱり腰に大小はぶら下げていたとは思うのですけれども。
しかし、お役目が「物書役(ものかきやく)」ということで、今ふうに言えば「財務会計係」ということでしたから、別作品『武士の家計簿』のような、いわゆる算盤侍(そろばんざむらい)だったようです。
それ故、そちらの方面は、高坂新左衛門のような「藩内随一の使い手」どころか、おそらくは、満足に抜いたこともなかったのだろうと思います。
抜くどころか、生活苦から「武士の魂」も売払ってしまい、腰に差していたのは、とっくの前から竹光だったと言うのだけは、その末裔である評論子としては、「なし」にして欲しいところです。
そして、その末裔である評論子も、いっときは財政再建団体転落も必至と言われた、さる貧乏自治体に奉職(仕官)してしまっているわけですから、「末裔よ、お前もか。」とばかりに、さぞかし草葉の陰で苦い顔をしていることでしょう。
思ったほどコメディではないな
最初はタイムスリップお決まりのコメディ、どんどん徳川幕府の終末を知った侍の悲哀へシフト。
粗は目立つけど面白かった。
ドラマも邦画もあまり見ないので知らなかったけど、主役の人めっちゃいいね。うまいしイケメン。
素晴らしい作品
ケジメ
笑って、改めて考えさせられる
君は真剣を持ったこと有るか?
映画館で観れてよかった!
殺陣のシーン、そこにすべては詰め込まれている。そして、それが素晴らしい!
そのための前置きの話。
これは映画館でみる必要がある映画。当地では一旦は上映終了してしまい、ネットかディスクになるまで待つしかないか、と諦めていたら、なんとリバイバル上映!('25.1.6時点では、~1.9迄となっていたのが再延長で~1.16になってる) 日曜日ってこともあったけど、そこそこの人が入ってたから、まだ観たい人がいっぱいいそうだな、とは感じていた。
素人が言うのもなんだけど、脇の役者さんの演技が・・・とはなったけど、主役・準主役・ヒロインがしっかりしているからなんとかなっている。というか、主役・準主役のおふたりはすごい!脚本が良かったから引き受けた、的なコメントを公式からみたけど、確かに良く出来た脚本だと思う。そして、それをしっかりと映像に落とし込んだ、この監督もすごいと思う。
安田監督の本望かどうかは分からないけど、個人的には、お金をかけるのは映像美じゃなく脚本と役者さんってところを貫いていって欲しい。そういう監督が作った映画が、またみたい!
全909件中、1~20件目を表示