「誰かのサンプル」ラストマイル 田中スミゑ 90歳さんの映画レビュー(感想・評価)
誰かのサンプル
中だるみもなく退屈しなかった。が、これの何が気に入らないのか自分自身にもよく分からない。
いかにも日本のお茶の間向け映画といった、あざとい予定調和がなんとなく嫌なのかもしれない。
なお、河川の内部にちょっとだけいたことがあるのだが、下請けには相当無茶を言う会社だ。電話で下請けの配送業者さんに何回も逆切れされた。それでももっともっと経費を削るために、最初からミニバンと台車を持ってる個人事業主に委託し始めた。現実に、当たりの強さと大変さを見てきたので、見ていていたたまれない気持ちになり、そこが視聴後の後味の悪さの一つかもしれない。キレイにまとめて欲しくなかった。むしろ社員にとってはワークライフバランスを大切にした稀に見るホワイト会社だと思う。テロを起こすならどう考えても下請けのほうだろう。
日本の河川は、形態的には独立した合同会社。企業理念は改変してあったものの確かにあんな感じの〇か条があり、他にも、内部にいたら、あの事か、とピンとくる小ネタが沢山あった。直接取材したのかもしれない。googleもそうだが日本で商売してる外資は、日本の警察や弁護士の言うことなど聞かない。
何が気に入らないのか考えてみたが
人物の描き方や演出が表層的で深みがないのが最近の民放ドラマの趨勢をそのまま具現化したかのようで、そこが一番気に喰わないのかもしれません
なんか全てのキャラクターから「私って、ひたむきな善人でしょ?」という主張が放たれているような鬱陶しさと厚かましさと、生身の人々を平均化して平均化して平均化して、できた合成人物のような、そんな万人受けを狙った当たり障りのない人物造形だと感じてしまった
まるでバラエティの再現VTRのように無難で、一人一人の人間に味がないというか
人間を描いているようで、実は、最も生身の人間から遠い、顔のない人間を描いている
臭いものに蓋をしたまま、臭いものを描こうとしている
そんな嫌悪感を抱いた
まず日本のドラマの主人公は、「好かれる人」でなくてはならない
「共感できる人」でなくてはならない
「いい人」でなくてはならない
「常識人」でなくてはならない
皆が顔色を窺いあって生きている社会、「ソツなくやってます!コンテスト」の息苦しさを映画の中でまで感じたくはなかった
だから、この映画に出てくる人は、皆、属性のサンプルになってしまってる
これは私の邪推だけど、
たとえば、脚本家さんがエレナという人物を生み出すとき、もちろん企画段階である程度の制約(こういう映画を作りたいので脚本お願いします、と注文されているから)はあって当然なのですが、その過程で、
「こういう悩みや葛藤を抱えてこういう状況にある女性を描きたい。だんだんイメージが固まってきた。うん、こういう人。名前はエレナと名付けよう」ではなく
「帰国子女で外資の女バリキャリってこんな感じかな~?」と、属性のほうから逆算してキャラを生み出し、それを「個人」としてラベリングしてまとめた成果物の名前に最終的に「エレナ」と名付けた、そんな感じがするんですね
だから繰り返しますがこの映画に出てくる人物というのは生身の人間ではなく、属性から逆算されたサンプルであると強く感じます。
「気難しくて職人肌。仕事は真面目な運送業者のおじいちゃんと、父に反感を抱きつつも尊敬しているちょっとドジな息子を用意しよう。そしてこの二人の職業意識に対する世代間対立も要素として盛り込みつつ」脚本家がテキトーにひょい、と用意した、って、そんな感じに見えるのです
実際の人間はこれまでの経験や感情を元に言葉を発します。
だから一つ一つのセリフに必ず、その人物の背負っている過去や、それによって形成されてきた価値観や人格を推察させるものがあります。
しかしこの映画に出てくる人々にはそれがないのです。
そのくせ演出で表情だけはシリアスそうな顔をしてるのです。
ガモウひろしの脚本でも、小畑健がシリアスな絵を付けたらシリアスな作品に見えるのといっしょです。
実際の人間はそんなに単純ではないので、このような描き方を見ていると、さすがに舐めていないか?と思う。
娯楽作品であり、そのあたりのリアリティを求める映画でないとは思うのです。
そして創作技法としておかしいわけでもないでしょうけど、そのサンプル感が露骨すぎるのと、度が過ぎているので、いかにも茶番に見えてしまって、鼻につくんです。
演出含めて、キャラクターのサンプル感が観客に伝わらないように設計すべきだと思います。
「外資のお姉さん」ではなく、「エレナ」という一人の人間として魅せて欲しかったです。
エンタメなんだから仕方ないとは思うし
むしろ万人受けを狙うのが正解なのかもしれないが自分には気に入らなかった
なお、問題提起や社会派作品を求めているわけではありません
また、この作品の趣旨がそういうところにあるとも思いません
まず企画を立ち上げて、それに合わせて話や演出を詰めていくのでしょうから、多くの妥協をした結果だとも思います
でも民放がオワコンなのを感じてしまった
あと満島ひかりの演じるエレナのセリフ回しや挙動がものすごく鼻につきます
正直ウザいです
女性なら独善的なウザい言動が何でも許されるという甘えを感じました
男性部下への態度もパワハラに近いもので見ていられませんでした
チューブに入ってお着換えとか、パジャマで徹夜アピールとか、可愛いとでも思ってんの?と、イライラします。おばさんのぶりっ子を見せられた男性部下のほうが反応に困るんじゃないでしょうか?
そしてこの、もはや、ヴィンテージといっていい、古色蒼然たる天然アピールの直後に
「好きでもない男と死にたくない」という、ここだけ異様に、「明確な生身の人間らしさ」が感じられる、不気味な、浮き上がった台詞が登場します。
全体として、何がしたいのかわからないエレナですが、このセリフにだけは、このキャラクターのこれまでの人生や経験、感情を推察させるものがあり、力がこもっています。
多分、脚本家は外資企業もバリキャリも帰国子女もよく知らなかったから、想像で書いた。
しかしこの恋愛セリフにだけは実体験が伴っており、気持ちを乗せる事ができた。
だから仕事シーンとの落差があってチクハグなんでしょう。
部下にそんな言い方をするのがモラル違反なのは置いといて、
これまで羊運送にパワハラを続けてきたおばさんが、急にぶりっ子を始めて「配属されてから眠れなくなった…」と独白したり、恋愛要素を出してくるのはホラーでしかありません。
エレナというキャラクターはこの変節ぶりによって、前半は「企業にとっての、いい人」後半は「労働者にとっての、いい人」両方のバッヂを獲得します。気色が悪い。
帰国子女の女上司にあんな熱意の空回りした現代版の「おしん」みたいな人、いないでしょう
本社の上司にも、あんな絵に描いたような金髪のけばけばしいおばさんや、
高慢そうなイケメン、いないでしょう
島耕作の上司かよ
要するにこの作品では旧態依然とした日本の会社を自称外資にしただけの世界が描かれていました
日本人が想像する「外資の上司ってこんな感じだよね」という・・・日本のドラマでこれまでさんざん描写されてきたパワハラ管理職をなんだか意識高い系風にしてみただけのキャラクターでした
あれを「できる女」だと思うなら痛すぎます
あと全体的に女性の登場人物の顔が気に入りません
どの人も役に合っていないと思います
そして男性の登場人物は超イケメンばかり
脚本家さんと監督さんは、もしかして女性?と思ったらやっぱりそうでした・・・
個人的には今田美桜がエレナだったら鼻につかなかったと思う。
しかし満島ひかりへの「当て書きだ」というので。本人は一度辞退したらしいがご本人の感覚のほうが私の感じ方に合っています
あと、外資=超合理的、非情、利益最優先
というイメージ、さすがに古くないか?
どっちかというと日系企業のほうが圧倒的に社員に冷たいです。
巨大外資は社員の健康も「自社の利益」に含めているため(社員に訴えられたら手間だし自殺されたら評価も株価も下がるから)むしろとってもワークライフバランスは良いです。証券と金融は知らないけど。
でも脚本家は、とにかくツンケンさせれば外資に見えると思ってるらしいので、エレナがどこまでも上滑りする。そのくせ、本社のサラという上司には人生相談などしているという設定。上司をお友達と勘違い。勝手に期待して傷つく。業務上の叱責をすぐ好き嫌いの問題にすり替える。
バイトの女子大生?外資のバリキャリどころか日本企業の勘違いした女子労働者の甘えの悪いとこばっかり出てる気がする
更にもう一つ気に入らないのが、普段から強く当たられてる運送会社の人たちが時給150円アップだっけ?その程度の賃上げで喜ぶわけがないのにみんなで万歳してて違和感あるし馬鹿にしてるのか?と思えてしまった
最後の、息子さんが爆弾を洗濯機に投げ込んで爆発を食い止めるシーンも、運送業者は汚れ仕事をするもんだよね~という意識が透けて見える気がした
そして自己犠牲の賞賛。
自己犠牲を賞賛するということは、労働問題を扱っていながら、サービス残業とか、過労死とか、賞賛しちゃうんでしょうか?
社会問題を扱ってるフリして実は配送業を見下しているようにやっぱり感じられてしまう上にこの映画に出てくる人々自体がいちばん労働搾取的なメンタルしていると思う
運送業者のオヤジさんは「仕事ってのは魂を込めてするもんだ」というようなセリフを言っていたが、魂なんか込めるから過労でうつになるんだよ。と間髪入れずに思った。しかしそれは劇中で息子も言い返していた。だから期待できるかと思ったら、洗濯機に爆弾放り込んで、捨て身になって、あれ「仕事」の一環ではないけど結局、仕事にプライド見出すんだよね、旧型の洗濯機は昭和の労働者さんの象徴でもあるよね、昭和の労働観を最終的に賛美するような形のラストはどうなんでしょうか?
強いて言えば労働搾取を「される」のはこういう意識の人なんだよという、どの登場人物も搾取されやすい特徴をたくさん備えてましたから反面教師として見ておけば予防ビデオになるかもしれません。
そしてバラエティの再現VTRのようなモブキャラ親子は何なんだ?!
「それでも、今日も、何の罪もない人々が配達を待っている。」という一つの残酷でもある現実を象徴する存在だとは思うのですが(ここでも人間ではなく象徴を描いてるのはやっぱり気に入らないけど!)
でも、モブキャラ度というか脚本家にとっての都合の良い存在度合がメーター振り切ってる。
もう「頑張る」彼らの「笑顔」から「責任感のある台詞」や「家族愛」が
こぼれてくるのを見るだけでも不愉快
これは、建売住宅の宣伝広告か?と思ってしまいます
こういうのは民放テレビ局系のドラマに多いのです
繰り返しになりますが、とにかく人物の描写が表層的で深みを一切感じないのです
最近は民放御用達の有名俳優の顔を見るだけでおぞましい思いがします(俳優さんに罪はないけど)
踊る大捜査線のほうがマシです
俳優・織田裕二からはこういう演技がしたい、という確固たるものを感じられたし、小細工しなくてもスクリーン上での存在感がありましたから。
人が一生懸命作ったものにここまでケチをつけるのもどうかと思ったが
皮肉にも、これは人を企業にとって都合よく洗脳するための映像教材かと思うような作品だった