ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
全239件中、161~180件目を表示
優秀作品賞へ推し! 聴こえない母へ、産んでくれて育ててくれて ありがとう!!
耳の聞こえない両親から育った一人息子コ-ダ(聴者)が今思う、
音のする世界と、静寂の世界。
普通の両親の元へ生まれたかった。・・・この思い。
貧しいし、塾にも行ったけど進学にも失敗、人生の道が開けない、
親が耳の聞こえない聾唖者だから・・・・そう思う 主人公の大。
母さんと一緒に歩くの嫌だ!、学校に来ないで!、皆の前で母と話しもしたくない! ・・・多感な少年期 彼の心に芽生える葛藤が少しずつ心に歪みを生む。
今日は 聾唖の両親を持つ青年の話「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の鑑賞です。
感想からまず述べると、全て実話でしょう。偽りな表現は感じられませんでした。
どうしてもこの様な作品にありがちな 不要な脚色をし見栄え的展開流れを組んでしまってる事が結構有るのですが、そういった点が無く、誰の心へも等身大で奥底へ感情が入ってきます。
貧しさや、介護、祖父の暴力、孤独、進学失敗、上京そして一人暮らし、チャンスと挫折・・・誰にでも起こりえる視点と展開です。
両親が障害者だからと言って特別な人生が待っている訳ではありません。
ですが、生まれてから 生きてきた今までに与えられた運命みたいな物はあったでしょう。それに自分が向き合って いつそれに気付く事が出来るかだと思うのです。
貧乏も、介護も、両親が障害者も、自分以外の人でも有るわけで。
だから 健常者と同じように悩み、それを生きていくのが人生でしょう。
そう思います。
二つの世界の中を渡り歩く彼。でも見ていて、厳密には彼は健常者であって障害者では無いなと思うのですよ。でも 聾唖の方々の悩みや苦労は 人より遙かに理解が出来る。手話で意思が通ずることは 健常者からすればそれは素晴らしいと思いますね。 結局その思い、長けた能力を何に使うかだと感じます。
コ-ダである彼の人生も表現の一つでもあると思いますが、やはり母子の関係性が一番の魅せ場だと感じますね。
結局の所、一般的な母親との関係を描く事で、耳が聞こえない母、父を持った彼から見えた世界が一番のネタなのでしょう。
-----
(その他 思った事)
・吉沢さんの高校生姿って無理有るかなと思ってたが違和感なく見れたと思う。
・手話にも場所によって違い、方言がある事が分かった。
・仕事は常に自分の出来るレベルより少し上のレベルが遣ってくる。
・両親が聾唖者だと、赤ちゃんへの育児は相当大変であったであろうと理解した。
周囲の人達の助けが無いと多分無理だと感じる。
・耳が聞こえない両親でも大きな愛が有って、育てて貰えたから良かったと思う。
健常者の両親であっても我が子への愛が無く、虐待され放置されてしまう子もいる。不幸か、幸福かは つまりの所、愛がある家族であったかどうかだと感じますね。
-------
何とか東京で仕事をやって暮らして行く息子。
父が病で倒れて急いで帰郷。
祖母の介護と、父の看病。
母の事が心配で 家へ帰ろうかと・・・母へ申し出る息子。
”大ちゃんは東京で、頑張って~”
東京へ戻る列車待ち、駅のホームで、 昔 上京する時の事を思い出す彼。
母と列車内で手話で話した 役者になる話・・・
笑う母の顔。やがて列車を降りた母が 一言息子へ言う・・・・
”列車の中で 手話で話してくれて ありがとう~ ”
母がホ-ム端へ歩いて行く 後ろ姿を見て、
その時、今までずっと自分に話しかけてくれていた 母の声が聴こえた!
自分は何も母の事を分かってはいなかったんだと、
心から聴こうと、話そうとしていなかったんだと。
今 それに気がついた・・・
その事に 彼は深く号泣する・・・ そして母への感謝。
この場面、 メッチャ泣けましたわ。
本当に良い場面表現だったと思います。
-----
原作:五十嵐大氏「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
脚本:港岳彦氏
監督:呉美保氏
-----MC
・五十嵐大(主人公コーダ)役:吉沢亮さん
・五十嵐明子(母)役:忍足亜希子さん
・五十嵐陽介(父)役:今井彰人さん
・鈴木康夫(祖父)役:でんでんさん
・鈴木広子(祖母)役:烏丸せつこさん
俳優陣は皆さんとても素晴らしく、本当の家族の様に思えました。
本物の赤ちゃんを使う事でリアリティがあり
特に百日祝い「お食い初め」の習わしが微笑ましかったです。
是非、ご家族揃って
劇場でご覧くださいませ!!
鑑賞動機:呉美保監督9割、あらすじ1割
『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』でハードルが凄まじく上がっていたのと「私の一週間」に感心したことで逆に欠乏感が増していたこともあって、「うーん、期待していたほどでは…ない?」と鑑賞直後は感じていた。
1日寝かせてから改めて考えてみると、CODAだからどうこうではなく、普通の男の子の成長物語で、『6才のボクが、大人になるまで』がチラリと頭をよぎる。
地元から出て初めてある程度客観的に自分(の状況)を見る事ができて、それまで嫌だと思っていた事が、実はそんなに大したことではないのかもしれないと思えること(実際大してことではあるのだけれど)が、必要だったのかな。時系列順に進んでいたのが、終盤に入る回想シーンによって、こちらも気持ちの整理がついたように思う。
お父さん役の今井彰人が吉沢亮とあんまり年が違わないのにびっくり。
うーん、タカノフルーツパーラー? 千疋屋?
コーダの苦悩
わかりあえるためには
吉沢亮君の演技が自然でよかった✨
音のない世界
冒頭と最後に音のないシーンが挟まれます。
永遠の静寂…自分の声も聞こえない。
大切な人の声も聞こえない。
聞こえない人にしかわからない世界…なのかな。
字幕付きの回を見ました。
聾唖の方がたくさんこられていて、
手話でお話しされていました。
横には親子連れの方も。
吉沢亮さん、素敵な役者さんです。
お母さんに反抗する高校生からホームで涙する大人になった息子まで、自然に演じられていました。
ありがとう‼️ ←吉沢亮くんの舞台挨拶での母への言葉‼️
耳の聞こえない両親と、その息子の物語‼️コーダである息子は高校卒業後、逃げるように東京へ・・・‼️映画は息子が赤ん坊の頃から、優しい両親に見守られながら成長していく過程を、喜びも悲しみも苦しみも織り交ぜながら淡々と描いていきます‼️経年効果を出すためにフィルムの質感も微妙に変化が見られます‼️映画の後半は息子の東京での生活が描かれ、ここでも聾唖者の方々と交流する息子‼️たとえ遠く離れていても両親とのつながりが感じられます‼️母親役の忍足亜希子さんの笑顔と優しさ溢れる佇まいも印象的‼️ラスト、駅のホームで泣き崩れる吉沢亮くんの無音シーン、そしてタイトルが出るラストカットに、息子の決意のようなものが感じられ、目頭が熱くなりました‼️
「CODA あいのうた」の日本版? いやいやこれは実話なのでちょっと違います。
舞台が宮城県の小さな港町、主人公の年齢が・・・ファミコンのスーマリを小学校低学年で楽しんでいるシーンが有り、1970年代後半生まれくらいなので、ひょっとしたら辛いシーンが出てくるかな?と身構えていましたが、あの天災が起こったのが2011年なので、この映画のお話はそれ以前で終わっている・・・っていうのはネタバレ?(笑)なので、現在から20年くらい前でお話が終わっているので「近過去」のお話です。
主人公は両親がろう者のいわゆる「コーダ」で、「CODA あいのうた」の日本版という雰囲気もありますが、この作品は自身がコーダの五十嵐大氏のエッセイが原作の実話ベースなので「CODA あいのうた」のような劇的な展開はしません。しかし、その分リアルな作品だと思います。この映画の主人公もまんま五十嵐大という役名でした。
主人公を演じた吉沢亮は中2から20代半ばまで演じていますが、全然違和感がないところが彼のすごいところです。両親を演じた今井彰人と忍足亜希子は実際のろう者で、父親を演じた今井は吉沢と3歳しか違わないそうな・・・全く違和感がありませんでした。忍足亜希子は過去にもいろいろな作品に出ていますが、「黄泉がえり」で伊東美咲の母親役が印象的です。多くのろう者俳優が出演し、字幕のつくシーンもたくさんありますが、ろう者の生活を多少なりとも教えてくれます。
自分と母の物語だった
やっぱり手話にも方言があるよね。
イケメン俳優の吉沢亮が主役という事で、笑って泣ける作品を想像しながら着席。
えっ!?主人公の五十嵐大が産まれてすぐの時から始まった。父も母も障害者なんだ。すぐ大人になるんじゃないかなと思ってたら、小学生に。友達と手話の話しをしたりして、意外に思ってたら、中学生に。確かに聴こえなくて喋れない親と三者面談は嫌かもね。てか、吉沢君が中学生なんて驚き。何より驚くのは、あっという間に時間が経っちゃう所。高校受験に失敗したと思ったら、役者を諦めて東京に移住する事にした。あれ?何年経ったんだろう。東京でのバイト、爺さんの影響があったのかな。地元でやってるシーン無かったもんね。そして、就職の面接へ。あら、ユースケ・サンタマリアだ、コメディスタートかな?と思ったけど、それはなかったな。あら、主人公の五十嵐大と原作者の名前が同じなんだ!ストーリーもそれほどドタバタしないで主人公の日常を描いているだけ。て事はこの話、ドキュメンタリーなのかな。ずっと、ふたつの世界の意味が分からなかったが、最後のシーンで音が無くなって分かった。でも世界は1つだと思ったな。
吉沢君のおかげか、ずっとハラハラできて楽しかったです。
親の気持ちって……
何となく共感できるからこそ─
呉美保監督長編初鑑賞
呉美保監督の作品は私たちの声しか見たことがなく長編は初鑑賞だったのだけれど、どちらの作品でも共通して思うのはこの監督は本当に、なんてことはないでもちょっとドラマなこともある日常をよりドラマチックに描くのが上手いなぁということ。
多分こんな家族は世界のどこかに居て日々を送っているんだろうなと感じさせられてしまう。手ブレっぽさのある画面の揺れや必要以上のBGMがないこと、環境音をはっきり使うところがよりそう思わされてしまう要因なんだろうか。何もかもが計算しつくされているような。ただただ日々を映しているように思える。すごい。
コーダのことはもちろんだけれど私が一番強く感じたのは愛だった。冒頭光の当たる中に寝かされてそれを純度100%の愛情を持ってあやす大人たちを見てこの映画が伝えたいのはこれなんだろうなと思った。家族愛の物語なんだろうなと思った。
原作とタイトルが全く違うけれどふたつの世界を表すための冒頭と最後の演出がものすごく効果的だったと思うし、最後の吉沢亮の演技は圧巻だった。あそこまで表情だけで訴えかけられる人もなかなかいないんじゃないだろうか。普段CMで見かける姿と全く違っててギャップで風邪ひきそうってこういうことなんだろうなと思った。
コーダあいのうた以降当事者が演じることの大切さや必要性が重視されてきてデフ・ヴォイスとかかぞかぞとかそういえばPERFECT DAYSもそうか。きっとそういう意識が生まれなければ見ることができなかった作品が生まれてきたことが素直に嬉しい。私は健常者で、だけど障害がある人も心の根っこの部分はきっと同じなんだろうなと感じることができたこの作品を観れて、ただただ良かったなぁと思う。
フラッシュバックで思い出せる「笑顔がある人生」は素晴らしい
2024.9.23 一部字幕 MOVIX京都
2024年の日本映画(105分、G)
原作は五十嵐大著作のエッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと(幻冬舎)』
コーダとして生きてきた青年の成長記録を綴るヒューマンドラマ
監督は呉美保
脚本は港岳彦
物語の舞台は、宮城県のとある町(ロケ地は宮城県塩竈市)
ろう者同士で結婚した五十嵐陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子)は、25歳の時に待望の第一子を出産した
大(乳幼児期:有馬麦、幼児期:横山るい、4歳時:畠山桃吏、青春期〜成人期:吉沢亮)と名付けられた男の子はスクスクと育ち、耳も普通に聴こえる状態だった
育児は、明子の父・康雄(でんでん)、母・広子(烏丸せつこ)、姉の佐知子(原扶貴子)がサポートにあたり、大は何の問題もなく育っていった
その後、小学校に上がった大は、祐樹(嶋田鉄太)と仲良くなり、自宅に遊びにくるようになった
祐樹は大の母が辿々しく話すのを聞いて、当初は日本語が喋れないのかと思っていた
大にとってはそれが当たり前の日常で、その日以降母親を恥ずかしく思うようになり、授業参観のことも隠すようになっていった
物語は、前半が大の成長物語、後半になってから、東京で一人暮らしをする中で、過去を想起するという構成になっている
志望校に落ちた大は、そのまま不本意な高校生活を送り、卒業後は東京に出て役者をしようなどと考える
だが、その根本は母親の元を離れたいというもので、俳優になりたいという熱を相手に伝えられない
それでも、東京で生きていくことを決めた大は、母親にスーツを買ってもらうことになった
そして、それを片手に「自分探し」を始めるものの、やりたいことが見つからないまま、パチンコ屋でアルバイトをして生計を立てるようになっていた
映画は、このパチンコ屋にて、ろう者の客・智子(河合祐三子)と出会い、そのつながりで手話の会に参加する大が描かれていく
ろう者の彩月(長井恵里)たちとの交流を経て、智子から「私の話を書いてくれない?」と冗談混じりに言われるようになる
彼女たちとの出会いによって、大は出版の道を目指すようになり、ある零細編集プロダクションにたどり着くのだが、そこは劣悪な環境で、社長の河合(ユースケ・サンタマリア)や社員の上条(山本浩司)も逃げてしまう
そこから、フリーライターとなり、医療に関わる現場を取材するようになっていくのである
ほぼ成長日記という感じで、吉沢亮が登場するまでに半分ぐらい過ぎてしまう印象
まさかの中学生役から登場には驚いたが、反抗期時代から、やぐされる社会人時代まで違和感なく見れるのは凄い
ラストは少しだけ時系列が変わる内容になっていて、祖母のために帰省するシーンが描かれる
そこで母親に言われた言葉で「かつての対話」を思い起こすことになり、目を見て話すことの尊さなどを再確認していく
そして、本書の原作にあたる原稿を書き始める、という流れになっていた
このシーンにおける母親との対話のシーンはとても印象的で、そこからエンドロールに向かう流れは神掛かっているように思えた
いずれにせよ、コーダを取り扱った作品で、その半生がどのように動いていくのかがリアルに感じられる内容だった
両親が大について話すシーンにて、「どこの家庭にも色々と問題はあるものだ」という趣旨の言葉が出てくるのだが、この物語で描かれる内容はコーダだけに訪れるものでもないと思う
母親が自分の進路に相談に乗ってくれないとか、両親との対話や生活のために自分が犠牲になっているという感覚などは、いろんな家庭にもあるものだろう
相談すべき存在がいない家庭もいれば、日本語を話しても通じない親もいるし、家族の特異な部分がからかいの対象になることも多々ある
少年時代のように、自分自身が確立していない頃は「家族が自分のステータス」みたいな部分があるので、それをどのように捉えるかで考え方が変わってくるのかな、と思った
大は違う世界に出て初めて、そこまで特別なことではないと考えるようになっていて、自分が捻くれていた時間の貴重さを感じたのだろう
そう言った意味において、親に反抗した時期がある人ならば、刺さる部分が多いのではないだろうか
優しいお父さん、お母さん。
ろうあ者を両親に持つ五十嵐大の成長物語です。
この映画は大と両親の日常を描くドキュメンタリー作品のようです。何か事件が起こる事はありません。ヤクザ者の大の祖父が賭け事に負けて暴れるぐらいです。といっても誰かが傷つくことはありません。
大の母親はとにかく優しいのです。自身の事で大に迷惑を掛けているという引け目もあって、大が何をしても決して大を叱ることはありません。とにかく「大ちゃん、大ちゃん」なのです。この子だけは幸せになってほしいという想いが伝わってきます。
大は幼い頃はお母さんが大好きな想いだけで進んでお母さんを助けようとしますが、成長するに連れ自分の両親が周りの両親と違うことを自覚し、両親を疎ましく感じるようになります。母親を授業参観に呼ばなかったり、自身が上手くいかないことを両親の障がいのせいにしたり…。
20歳になった大は父から東京で生活することを勧められます。父親自身がろうあ者同士の結婚を周囲に反対され東京に駆け落ちした過去を語ります。東京に出て、大にもっと大きな世界を知って欲しかったのだと思います。
東京で暮らすことになった大は自活することの厳しさを知ることになります。そして、大と両親との関係だけでなく、広くろうあ者の実情を知ることになります。
初めて帰省した時、実家に着いた時の大はとてもいい顔をしていました。東京に行く前の表情とはまるで違っていました。そこには成長した大の姿がありました。
ラストの大の回想のシーンで、東京に行く前に母親は大の為に一緒に大のスーツを買ったり、食事をします。最後に母が「今日はありがとう」、「何が?」、「皆の前で手話をしてくれて…。」、大が今まで母親を傷つけていた事に気付き号泣します。このことが無ければそれから東京に行く大が成長することはなかったように思います。
何かが不自由であることがこんなにも繊細な親子関係を育むのなら、世の中の全てが大のような親子関係なら、もっと優しい社会になるのではないか、そう思いました。
母さんありがとう
全239件中、161~180件目を表示