ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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わかりあえるためには
いま旬の吉沢亮主演で呉美保監督。codaというアカデミー賞映画がありました。そもそもcodaという意味がろう者の両親の子供ということだったのを今作で知り、あーいい映画だーと能天気に言ってたのが恥ずかしい。日本版codaとは言わないけれど、ヤングケアラーにならざるを得えない子供が鬱屈として、逃げる様に目的もなく上京。しかしそれでも深い愛情を注ぐ母にぐっときます。ろう俳優を起用してフィクションと現実の距離を縮めていて観た人が、同じ日常でも境涯があるふたつの世界が近づくために理解を深める一助になると思いま
吉沢亮君の演技が自然でよかった✨
それぞれの年代の大君が皆とてもよかった✨子供の頃、思春期、そして社会に出てからの大君が自分の親のことを思う気持ちがとても自然で。
ラストのお母さんとスーツを選んでパスタを食べて何気ない会話を手話で話して…その様子はどこにでもいる普通の親子のようで、周りの視線に捉われることなく、普通の雑談をお母さんとしてて。お母さんの手話で話してくれてありがとう、の言葉の後の帰っていく背中が映った時、泣いてしまった。
音のない世界
冒頭と最後に音のないシーンが挟まれます。
永遠の静寂…自分の声も聞こえない。
大切な人の声も聞こえない。
聞こえない人にしかわからない世界…なのかな。
字幕付きの回を見ました。
聾唖の方がたくさんこられていて、
手話でお話しされていました。
横には親子連れの方も。
吉沢亮さん、素敵な役者さんです。
お母さんに反抗する高校生からホームで涙する大人になった息子まで、自然に演じられていました。
ありがとう‼️ ←吉沢亮くんの舞台挨拶での母への言葉‼️
耳の聞こえない両親と、その息子の物語‼️コーダである息子は高校卒業後、逃げるように東京へ・・・‼️映画は息子が赤ん坊の頃から、優しい両親に見守られながら成長していく過程を、喜びも悲しみも苦しみも織り交ぜながら淡々と描いていきます‼️経年効果を出すためにフィルムの質感も微妙に変化が見られます‼️映画の後半は息子の東京での生活が描かれ、ここでも聾唖者の方々と交流する息子‼️たとえ遠く離れていても両親とのつながりが感じられます‼️母親役の忍足亜希子さんの笑顔と優しさ溢れる佇まいも印象的‼️ラスト、駅のホームで泣き崩れる吉沢亮くんの無音シーン、そしてタイトルが出るラストカットに、息子の決意のようなものが感じられ、目頭が熱くなりました‼️
「CODA あいのうた」の日本版? いやいやこれは実話なのでちょっと違います。
舞台が宮城県の小さな港町、主人公の年齢が・・・ファミコンのスーマリを小学校低学年で楽しんでいるシーンが有り、1970年代後半生まれくらいなので、ひょっとしたら辛いシーンが出てくるかな?と身構えていましたが、あの天災が起こったのが2011年なので、この映画のお話はそれ以前で終わっている・・・っていうのはネタバレ?(笑)なので、現在から20年くらい前でお話が終わっているので「近過去」のお話です。
主人公は両親がろう者のいわゆる「コーダ」で、「CODA あいのうた」の日本版という雰囲気もありますが、この作品は自身がコーダの五十嵐大氏のエッセイが原作の実話ベースなので「CODA あいのうた」のような劇的な展開はしません。しかし、その分リアルな作品だと思います。この映画の主人公もまんま五十嵐大という役名でした。
主人公を演じた吉沢亮は中2から20代半ばまで演じていますが、全然違和感がないところが彼のすごいところです。両親を演じた今井彰人と忍足亜希子は実際のろう者で、父親を演じた今井は吉沢と3歳しか違わないそうな・・・全く違和感がありませんでした。忍足亜希子は過去にもいろいろな作品に出ていますが、「黄泉がえり」で伊東美咲の母親役が印象的です。多くのろう者俳優が出演し、字幕のつくシーンもたくさんありますが、ろう者の生活を多少なりとも教えてくれます。
自分と母の物語だった
「そこのみにて光輝く」の呉美保(おみぽ)監督作。
思えば30年以上も日本映画のマイベストワンだった小津安二郎監督の「麦秋」の座を奪ったのが呉美保さんの「そこのみにて光輝く」 だった。自分たち夫婦の物語だった。
そして今作。
これは自分と母の物語だった。
自分の母がいた。
決定的だった。
もう泣くしかなかった。
耳のきこえない両親をもつコーダを演じたのは吉沢亮さん。そして母親を演じたろう者の女優・忍足亜希子さん。
そう、46年前、東京に出る日に在来線の駅まで送りにきて、そのまま帰れずに名古屋駅の新幹線ホームまで来た母の姿を思い出した。
忍足さんは母だった。
やっぱり手話にも方言があるよね。
イケメン俳優の吉沢亮が主役という事で、笑って泣ける作品を想像しながら着席。
えっ!?主人公の五十嵐大が産まれてすぐの時から始まった。父も母も障害者なんだ。すぐ大人になるんじゃないかなと思ってたら、小学生に。友達と手話の話しをしたりして、意外に思ってたら、中学生に。確かに聴こえなくて喋れない親と三者面談は嫌かもね。てか、吉沢君が中学生なんて驚き。何より驚くのは、あっという間に時間が経っちゃう所。高校受験に失敗したと思ったら、役者を諦めて東京に移住する事にした。あれ?何年経ったんだろう。東京でのバイト、爺さんの影響があったのかな。地元でやってるシーン無かったもんね。そして、就職の面接へ。あら、ユースケ・サンタマリアだ、コメディスタートかな?と思ったけど、それはなかったな。あら、主人公の五十嵐大と原作者の名前が同じなんだ!ストーリーもそれほどドタバタしないで主人公の日常を描いているだけ。て事はこの話、ドキュメンタリーなのかな。ずっと、ふたつの世界の意味が分からなかったが、最後のシーンで音が無くなって分かった。でも世界は1つだと思ったな。
吉沢君のおかげか、ずっとハラハラできて楽しかったです。
親の気持ちって……
大ちゃんの気持ちの成長がよくわかった。
聞こえる聞こえないとか、そういうことだけではなく、色んなことで、葛藤して、親に対してくそっ!と思ったり、なんだよー!っていう感情を親にぶつけたり、でもその時、親が抱いてる思いなんて分からなくて、大人になってやっと分かるようになることってみんなあると思う。
そんな大ちゃんの成長がよく分かる映画だったなぁ……
お母さんが大ちゃんを思う気持ちが一貫してて、だからこそ大ちゃんは母の気持ちがわかるように育っていったんだなって思った。
原作本読んでみよーっと!
何となく共感できるからこそ─
少し違った、とか、普通ではない、といったところをほとんど感じないで、普通に自らの人生とシンクロするところを感じつつ自然に共感できました、自分とは境遇が全く違うにもかかわらず─。
映像の質が非常に素晴らしい。それに、カメラワークや演出も非常に良い感じがして、それゆえのナチュラル感だったのかなと─演者もみんな素晴らしかったです。特に吉沢亮が─というところなんでしょうけど、それも周りの名演あってこそだと─。
人それぞれ、誰しもが何かしらの事柄を等しく─、そんな漠然とした思いを─。なかなかの良作でした。
呉美保監督長編初鑑賞
呉美保監督の作品は私たちの声しか見たことがなく長編は初鑑賞だったのだけれど、どちらの作品でも共通して思うのはこの監督は本当に、なんてことはないでもちょっとドラマなこともある日常をよりドラマチックに描くのが上手いなぁということ。
多分こんな家族は世界のどこかに居て日々を送っているんだろうなと感じさせられてしまう。手ブレっぽさのある画面の揺れや必要以上のBGMがないこと、環境音をはっきり使うところがよりそう思わされてしまう要因なんだろうか。何もかもが計算しつくされているような。ただただ日々を映しているように思える。すごい。
コーダのことはもちろんだけれど私が一番強く感じたのは愛だった。冒頭光の当たる中に寝かされてそれを純度100%の愛情を持ってあやす大人たちを見てこの映画が伝えたいのはこれなんだろうなと思った。家族愛の物語なんだろうなと思った。
原作とタイトルが全く違うけれどふたつの世界を表すための冒頭と最後の演出がものすごく効果的だったと思うし、最後の吉沢亮の演技は圧巻だった。あそこまで表情だけで訴えかけられる人もなかなかいないんじゃないだろうか。普段CMで見かける姿と全く違っててギャップで風邪ひきそうってこういうことなんだろうなと思った。
コーダあいのうた以降当事者が演じることの大切さや必要性が重視されてきてデフ・ヴォイスとかかぞかぞとかそういえばPERFECT DAYSもそうか。きっとそういう意識が生まれなければ見ることができなかった作品が生まれてきたことが素直に嬉しい。私は健常者で、だけど障害がある人も心の根っこの部分はきっと同じなんだろうなと感じることができたこの作品を観れて、ただただ良かったなぁと思う。
フラッシュバックで思い出せる「笑顔がある人生」は素晴らしい
2024.9.23 一部字幕 MOVIX京都
2024年の日本映画(105分、G)
原作は五十嵐大著作のエッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと(幻冬舎)』
コーダとして生きてきた青年の成長記録を綴るヒューマンドラマ
監督は呉美保
脚本は港岳彦
物語の舞台は、宮城県のとある町(ロケ地は宮城県塩竈市)
ろう者同士で結婚した五十嵐陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子)は、25歳の時に待望の第一子を出産した
大(乳幼児期:有馬麦、幼児期:横山るい、4歳時:畠山桃吏、青春期〜成人期:吉沢亮)と名付けられた男の子はスクスクと育ち、耳も普通に聴こえる状態だった
育児は、明子の父・康雄(でんでん)、母・広子(烏丸せつこ)、姉の佐知子(原扶貴子)がサポートにあたり、大は何の問題もなく育っていった
その後、小学校に上がった大は、祐樹(嶋田鉄太)と仲良くなり、自宅に遊びにくるようになった
祐樹は大の母が辿々しく話すのを聞いて、当初は日本語が喋れないのかと思っていた
大にとってはそれが当たり前の日常で、その日以降母親を恥ずかしく思うようになり、授業参観のことも隠すようになっていった
物語は、前半が大の成長物語、後半になってから、東京で一人暮らしをする中で、過去を想起するという構成になっている
志望校に落ちた大は、そのまま不本意な高校生活を送り、卒業後は東京に出て役者をしようなどと考える
だが、その根本は母親の元を離れたいというもので、俳優になりたいという熱を相手に伝えられない
それでも、東京で生きていくことを決めた大は、母親にスーツを買ってもらうことになった
そして、それを片手に「自分探し」を始めるものの、やりたいことが見つからないまま、パチンコ屋でアルバイトをして生計を立てるようになっていた
映画は、このパチンコ屋にて、ろう者の客・智子(河合祐三子)と出会い、そのつながりで手話の会に参加する大が描かれていく
ろう者の彩月(長井恵里)たちとの交流を経て、智子から「私の話を書いてくれない?」と冗談混じりに言われるようになる
彼女たちとの出会いによって、大は出版の道を目指すようになり、ある零細編集プロダクションにたどり着くのだが、そこは劣悪な環境で、社長の河合(ユースケ・サンタマリア)や社員の上条(山本浩司)も逃げてしまう
そこから、フリーライターとなり、医療に関わる現場を取材するようになっていくのである
ほぼ成長日記という感じで、吉沢亮が登場するまでに半分ぐらい過ぎてしまう印象
まさかの中学生役から登場には驚いたが、反抗期時代から、やぐされる社会人時代まで違和感なく見れるのは凄い
ラストは少しだけ時系列が変わる内容になっていて、祖母のために帰省するシーンが描かれる
そこで母親に言われた言葉で「かつての対話」を思い起こすことになり、目を見て話すことの尊さなどを再確認していく
そして、本書の原作にあたる原稿を書き始める、という流れになっていた
このシーンにおける母親との対話のシーンはとても印象的で、そこからエンドロールに向かう流れは神掛かっているように思えた
いずれにせよ、コーダを取り扱った作品で、その半生がどのように動いていくのかがリアルに感じられる内容だった
両親が大について話すシーンにて、「どこの家庭にも色々と問題はあるものだ」という趣旨の言葉が出てくるのだが、この物語で描かれる内容はコーダだけに訪れるものでもないと思う
母親が自分の進路に相談に乗ってくれないとか、両親との対話や生活のために自分が犠牲になっているという感覚などは、いろんな家庭にもあるものだろう
相談すべき存在がいない家庭もいれば、日本語を話しても通じない親もいるし、家族の特異な部分がからかいの対象になることも多々ある
少年時代のように、自分自身が確立していない頃は「家族が自分のステータス」みたいな部分があるので、それをどのように捉えるかで考え方が変わってくるのかな、と思った
大は違う世界に出て初めて、そこまで特別なことではないと考えるようになっていて、自分が捻くれていた時間の貴重さを感じたのだろう
そう言った意味において、親に反抗した時期がある人ならば、刺さる部分が多いのではないだろうか
優しいお父さん、お母さん。
ろうあ者を両親に持つ五十嵐大の成長物語です。
この映画は大と両親の日常を描くドキュメンタリー作品のようです。何か事件が起こる事はありません。ヤクザ者の大の祖父が賭け事に負けて暴れるぐらいです。といっても誰かが傷つくことはありません。
大の母親はとにかく優しいのです。自身の事で大に迷惑を掛けているという引け目もあって、大が何をしても決して大を叱ることはありません。とにかく「大ちゃん、大ちゃん」なのです。この子だけは幸せになってほしいという想いが伝わってきます。
大は幼い頃はお母さんが大好きな想いだけで進んでお母さんを助けようとしますが、成長するに連れ自分の両親が周りの両親と違うことを自覚し、両親を疎ましく感じるようになります。母親を授業参観に呼ばなかったり、自身が上手くいかないことを両親の障がいのせいにしたり…。
20歳になった大は父から東京で生活することを勧められます。父親自身がろうあ者同士の結婚を周囲に反対され東京に駆け落ちした過去を語ります。東京に出て、大にもっと大きな世界を知って欲しかったのだと思います。
東京で暮らすことになった大は自活することの厳しさを知ることになります。そして、大と両親との関係だけでなく、広くろうあ者の実情を知ることになります。
初めて帰省した時、実家に着いた時の大はとてもいい顔をしていました。東京に行く前の表情とはまるで違っていました。そこには成長した大の姿がありました。
ラストの大の回想のシーンで、東京に行く前に母親は大の為に一緒に大のスーツを買ったり、食事をします。最後に母が「今日はありがとう」、「何が?」、「皆の前で手話をしてくれて…。」、大が今まで母親を傷つけていた事に気付き号泣します。このことが無ければそれから東京に行く大が成長することはなかったように思います。
何かが不自由であることがこんなにも繊細な親子関係を育むのなら、世の中の全てが大のような親子関係なら、もっと優しい社会になるのではないか、そう思いました。
母さんありがとう
聴覚障害を持った両親の間に生まれた子の成長過程で
ちょっと周りとは違う家庭環境に反発した思春期。
社会に出て人生経験を積んだ大人になり、母の有り難みを痛感するストーリーが上手に表現されてる。
凄い感動とか心を動かされることはなかったのに
エンドロールで「烏丸せつこ」が出てきて、ナニ!と一番反応する低レベルな私には、もう少しわかりやすい刺激も欲しかったかな
シビアな現実を生きながらも、根底には愛が満たされている
コーダとして生まれた僕の、半生の物語。
出生したときの家族の様子、父母の思い、子どもの思い‥。自分にもあるある、と見につまされるエピソードがたくさん💦
幼少期にパフェを食べたときの笑顔、小学生の時に友達に自慢げに手話を披露するところ、大人になっても自然と聴覚障害者を先回りして助けてしまうところ(それを真っ直ぐに指摘されるところ)、電車の中で周囲を気にせず手話で笑いあうところ、印象的で、胸が熱くなりました。
ラスト、無音の中で思い出される数々の母の姿もよかったですね。吉沢亮の演技もピカイチでした。
素敵な母親&父親の映画でした
大くんのお父さんお母さんお二人が、本当に素敵な人柄でした。子を持つ親として、同じような親子関係になったとき、五十嵐夫妻のようになりたいなと思いました。終始心を揺さぶられ、涙が出そうになり、最後は感動しました。見てよかったです。中高生の娘たちにも是非見てもらいたい映画でした
家族で見るべき良心的な作品
耳のきこえない両親を持つコーダの息子の成長を描いた家族ドラマです。
五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」の映画化。
五十嵐大の産まれた時から社会人になり東京で自活する姿を描いています。ろう者の役はすべてろう者が演じていることもあり全体的にドキュメンタリーのように感じました。
誠実で爽やかな役の多かった吉沢亮のひねくれた社会人役が興味深かったです。
悲劇的な事件を無理矢理描くこともなく淡々とした日常シーンが続きます。母に酷い言葉で罵倒した過去の後悔や過去と現実の回想シーンは自分の母を思い出してしまいました。おススメ度は高いです。地味なドラマですが家族でぜひご覧ください。
それはどの子供も経験する通過儀礼のようなもの
『呉美保』監督のフルモグラフィーを確認すれば、
とりわけ直近の二作は、
「家族」と日本に根深く蔓延る社会の問題を取り上げ、
しかも終幕で僅かな光明は射すものの、
根本的な解決は提示されないという共通点。
改めて
〔そこのみにて光輝く(2014年)〕
〔きみはいい子(2015年)〕
をおさらいし、それだけで気持ちが沈んで行く。
で、本作。
両親が聴覚障害者の家庭に生まれた
『五十嵐大(吉沢亮)』が主人公。
原作者とは同名で、
自身の体験を物語り化したのだろうことは容易に想定が付く。
元やくざで賭け事に目がない粗暴な祖父や
宗教に入れあげる祖母が身近にいたら
それだけでも凄まじい家庭だったろう。
さはさておき、
今では「コーダ(CODA)」は随分と浸透しているが、
舞台となる往時にはようやく海外で概念が提示された頃か。
自分が初めて知ったのは
〔エール!(2014年)〕だった記憶。
「聞こえる世界」と「聞こえない世界」を
自分の意志とは無関係に往還させられる辛さは
余人には測り難いものだろう。
幼い頃から家族と外との橋渡し役として頼りにされて来た。
「偉いね」と褒められれば、悪い気はしない。
他方で無理解な大人たちや、無邪気な同級生からは
心無い言葉を投げられることもある。
長ずるに連れ自我も育ち、
次第に進歩の無い親が疎ましく感じられ、
自分の進学が上手く行かないことも親のせいにしてしまい、
ついには手酷い言葉を(手話で)ぶつけてしまう。
とは言え「コーダ(CODA)」との括弧を外せば、
多くの子供が思春期に経験する反抗期や、
世間に対してのもやもやした感情と同種ではないか。
麻疹のように罹ってしまう。
その後、東京に出た『大』は多くの聾啞者と触れ合うことで、
彼等彼女等が一方的に庇護される存在ではないことも、
また楽しむ術をも心得ていることに気づかされ、
自身の母親と過ごした過去の日々が走馬灯のようによみがえる。
彼が今までとは違った視点で肉親と接することができるようになる
メルクマークなのだ。
当年とって三十歳の『吉沢』が
中学生~を演じるのは驚きも、
なんとなく雰囲気を醸しているのは恐ろしい。
役者の表現力の凄さを思い知るところ。
そこに目を付けた監督の慧眼への称賛と、
常に無く希望が抱けるエンディングを以って
本作は幕を閉じる。
観て良かった。
生まれた時から抗えない現実に、虐げられて来たと感じる少年が大人になってゆく過程のお話。
家と外との違いに戸惑い、恥ずかしがり、その全てを親のせいにしてしまうどこにでもある話。ただその少年の両親は耳が聞こえないだけ。
実際そうでない自分が感じることの出来ない感情が入り交じっていると思うので簡単に共感したり共鳴したりすることは出来ないが、そこに重きを置くのではなく、誰にでもある悩み・挫折・若気の至りに焦点をあて淡々と物語を進めていく内容が深く刺さった。
最後に『なんか、ごめん』って言った瞬間、そっと泣いた。
観て良かったと思える作品でした。
凄く面白かったです。
普通の親子の物語
よく予告も分からず鑑賞しました。
タイトルの意味も分かりませんでしたが、最後に納得。
あの無音のシーンは涙。
劇場内もシーンとしているので、こちらも嗚咽は出来ない不思議な体験でした。
田舎から都会に出て着ている人、母親(父親)とはもう話せない人。感動すると思います。
もちろんろう者やコーダの物語ではありますが、普通の親子の話でもあります。
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