ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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くー、愛は普遍なり。
耳の聞こえない両親から愛情たっぷりに
育てられた大くん。
また、キャスティングが凄いこと。
良くできた映画でした。
絶対的に小さいときの大くん、小学生の大くん
あっっとーてきにナデナデしたくなるくらい
良い。。
植木鉢の件で濡れ衣かけられ、(こういうはた迷惑オバサンいるわ。)わー!
て、なったら、
可愛げない中学生の吉沢亮大くん。
ほんとにスムーズに見ていけたな。
吉沢大くん、ほんとに思春期で多感で
頭くるの。
は!?あんなに、たとえ、障害者だって
がんばっている、お母さんに罵詈雑言。
ばかやろー!
吉沢大くんのちょっとした、転機。の軸になってる
智子さん、良かった。
手話サークルに入って
自分と同じような障害者の親を持ち、
世間とつなぐ「コーダ」の存在が
2万人以上いることを知って、
から、
憎たらしい表情から、だんだんと
可愛かったころの大くんにもどる、?
ちょっと変化が見えてきて。。
最後、お母さんと駅で。
知らん間にナミダがでていた。
お母さんの手紙。
お元気ですか。
あなたの人生が、
うまくいきますように。
そうだね。。
わたしも1人の母親として、
3人の子供たちに対しての思いは同じ。
親としての愛は見返りなんて
求めない。
ただ、ただ、普遍なんですね。不変、普遍?
良かった!
今年、カラオケ行こ!
といい、
ぼくのお日さま
といい、
今作
といい、
子どもたちに
オバサンは泣かされまくりだよ。
ちなみに烏丸せつこさん、相変わらず可愛いでした。おばあちゃん役かあ。。。
母からのたくさんの愛情に気付いたとき…
ろう者の青年の成長物語
五十嵐大の自伝「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を映画化した作品。
宮城県の小さな港町で、耳のきこえない両親のもとでコーダとして育った五十嵐大にとって、母の通訳をすることは普通の事だった。しかし周囲から特別視されることにだんだんといら立ちを感じるようになり、20歳になった大は、罪悪感を持ちながらも親を捨てるように上京し、誰も自分の両親の事を知らない都会に来て、パチンコ屋でアルバイト生活を始め、その後編集者となり・・・という話。
赤ちゃんの時から、4人くらいの子役を経て中学生くらいの時から吉沢亮が大を演じているが、赤ちゃんの2人は演技してたか不明だけど、小学生の低学年くらいと、高学年くらいを演じた2人はなかなか上手かった。
もちろん、吉沢亮も良かったし、母親役の忍足亜希子や父親役の今井彰人など、ろう者の登場人物にはすべてろう者の俳優を起用したとのことで、真実味のある作品になってると思った。
コーダあいのうた、みたいな感動は無かったけど、ろう者に対する接し方について、彼ら彼女らの出来ることまで取って、やりすぎてはいけない、など勉強になった。
もっと殺伐してるかと
予告みたら、もっと酷いのかと思ったけど、全然ぐれてないし、むしろずっといい人。
反抗期になっても、なんだかんだ優しい?愛されて育ったから、愛が伝わってるのだと思う。
出会いに感謝
先行上映に間に合わず、ようやく観るができた。
原作の五十嵐氏と同郷の宮城が舞台、そして主要キャストの吉沢、忍足の両氏に、ただならぬ魅力を感じての鑑賞だった。
この作品には数多くの感銘を受けた。
まずは「情景の豊かさ」
画面に映し出される景色や人物、そして発する言葉…
それらが一体となって迫り来る「美しい描写」
それがなんとも心地よく、深い感情を呼び起こした。
次に「心の豊かさ」
耳が聞こえない母と「コーダ」の息子が手話を用いて、時に穏やかに、時に激しく、互いの感情を曝け出す。
普段我々がオブラートに包み込み、気を遣いながら話す、上辺の言葉を打ち消すほどの豊かな感情、心がとても温かかった。
最後は「無音の響き」
母の視点から眺める時に、時折映し出される「無音の響き」は、単に母に感情移入するという「テクニック」ではなく、「母という人物が醸し出す「響き」と、それを受け取る(観客としての)自分の「響き」が相互に作用することで、この作品が完成するのだ」ということに気付かされた。
この作品は、スクリーンに映し出される「人」・「風景」・「音」全てが美しく、時に穏やかに、時に激しい感情のキャッチボールが、自分の今までの人生、そしてこれからの人生に寄り添ってくれるものであると確信した。
この作品に出会えたこと、正に「一期一会」の出会いに感謝。
活き活きとそして温かみを感じ、沁みる作品
子どもの思いも、親の思いも
障がいのある両親を持つ子どもが大人になっていく過程が描かれているが、誰しもが通り抜けてきたであろう、子ども時代の親との衝突と、大人になってから知る親への悔悟の思いが熱く伝わる
映画を観た私が子どものときの親(特に一緒にいる時間の多かった母親)との衝突、思いきり傷つけたであろう自分が吐いた暴言を、この歳になってすっかり弱っている親を思うと、悔いても悔いきれない思いになる
「どうして私だけがこんな目にあうのか」、親ガチャじゃないけど、親や家族の病気や障がいと向き合っているヤングケアラーたちも、まさにそういった思いと闘っているのであろう
主人公が東京に出て、思うような人生を切り拓けなくても、見守っている母親
せめて声を聞きたい、話がしたい、寄り添いたい、という思いは自分が親になって共感できる気持ちである 呉監督前作の「きみはいい子」も、子どもの目線、母親の目線(先生の目線も)を暖かく描いていたが、人、特に親子の間のあたたかみは、時間距離が離れても損なわれる物ではないことを信じたくなる (9月28日 なんばパークスシネマにて鑑賞)
その世界を知ることで、見え方も違ってくる
聴こえない両親の世界と、自分を含めた周囲の人間の世界。少々身勝手な祖父母は手話を覚えてくれず、聴こえる大が、小さい頃は当たり前の事として両親の為に通訳をしていた。思春期になると、周囲の目が気になり、意思疎通の難しさにも直面して、自分だけが重荷を背負っていると感じ
てしまう。大は優しくて明るい母のポジティブさにも反発して、家を出て上京したいと願う…
聴こえない世界のことは知っているつもりだった。でも自分は母親の気持ちが分かっていなかった。
自分だけが特殊な環境にいると思っていた大が、世界が広がることで、気付きが増えていく話です。
吉沢亮さんの表情の一つ一つが良いです。特に泣き顔が。
他のキャスティングも素晴らしいです。子役が吉沢さんの子供の時の写真にそっくりでした。
それ、タモリな
こんなにも深い親の愛情。でも、リアルタイムでは気づかない
ラストシーンは、この映画を見事に象徴していて、泣ける。場面設定、カット割り、音の効果もうまいし、吉沢亮、忍足亜希子の演技も最高。
映画全体として吉沢亮の手話はネイティブのようで、違和感がなく、感心した。
ふたつの世界とは、「聞こえる世界」と「聞こえない世界」なのだが、「東京」と「石巻」というふたつの世界で成長していく主人公を描いたようにも思える。「思春期、親に反発した世界」と「愛情を感じている世界」のふたつ、と解釈することもできそう。
母親の無私の愛情がとても大きく、強い。主人公に愛情をそそぐ場面がたくさん出てくる。心から主人公のことを思って最善をつくしていた。
だからこそ、予告編にも出てくる「おまえのかあちゃん、しゃべり方、変じゃねえ?」という場面や「こんな家に生まれて来たくなかった!」という場面は、心が締めつけられて、悲しい。
そして後日、愛情をそそがれた場面を思い出して、その時の母親の気持ちを理解した時の、強い感謝の念と後悔の念に共感する。
父親の方も、主人公のことを信頼して「大は大丈夫」と応えたり、石巻に戻って来ないで東京へ行けと勧めたり、愛情が深い。映画「リトル・ダンサー」では、父親が息子の将来のためを思って自己犠牲の行動をとるのだが、その場面を思い出した。
主人公が挫折したり、つらいことが多く描かれる。主人公も観ている人も嬉しくなるような場面は少なく、映画の展開として盛り上がりに欠けるかもしれない。でも、実際には、この主人公は映画の原作になるくらいの本を書いて、成功しているライターである。ライターになる努力と成功をもう少しポジティブに描いても良かったかもしれない。
どの家にもいろんな事情があるよね。
両親ともに耳が不自由な家に生まれ、いつのまにか自然に2つの世界の通訳をしていた。幼い頃は感じていなかった事が、成長するに連れて人と違う、恥ずかしい,なんで自分だけが、と考え始める。
なかなか個性的な祖父母が同居していたこともあり、いつのまにかちょっと冷めた感じの大人になっていた。
そんな彼に父親がかける言葉がいい。
そして話が進んでいくうちに、そう言う特殊な事情もあるけれど、親を思う気持ち、子供が幸せになって欲しいという気持ちはみんな同じだと心に沁みて涙が出た。
彼が心に溜めていたことを言葉にし始めるのだ。
この映画の冒頭,全く音が消える時,まずはハッとする。これがこの人たちの世界なんだ。なんで静かなんだろう。最後の歌も涙した。
余談だが,大好きな吉沢亮くんの赤ん坊時代,子供時代ともによくこれほど似ていて瞳の美しい子を探してきたなぁと感動(笑)でした。
成長記録であってエンタメではない
劇的なBGMが流れなくても美しさに涙することができる
ろうの両親に生まれた青年の物語。
誕生から幼稚園、小学生、中学生、20代、そして今を追いかける物語。
主演の吉沢亮が中学生から今を演じる。30歳の彼が中学生を演じてしまうのがすごい。
また、幼稚園、小学生の時の男の子が吉沢くんにすごく似ていて、かなりびっくりした。
CGじゃないよね、なんて思うほど。
ドラマの中心は彼とお母さんの物語。
お母さん役の忍足亜希子さん、お父さん役の今井彰人さんもろう者の役者さん。
障害者の夫婦に生まれた子供としての葛藤。反抗期。
ドラマティックな展開はほとんどない。
ある意味、違いはあってもどの家庭にもありそうな親子の間のすれ違いと心の触れ合いにも思えた。
「産んでくれ」と頼んだわけじゃない。そんな言葉を吐きかける少年時代は障害者の親の下に生まれなくてもあるような気がする。
ただ、最後のところのシーンのような、楽しそうな親子の買い物やご飯や会話。
そんなごく当たり前な普通な時間を母親がとても喜んでくれている、そんなことに気づいた時、今までの自分に気づいて涙が滲んでくる、そんなことは分断された特別な世界でなくても、起こっていることのように思う。
15の夜、十七歳の地図から卒業していく姿のように思えた。
ラストになって映画の中で一切、BGMが流れていなかったことに気づかされた。
冒頭はろうの方の世界を表現するために音のない世界。
そこから彼が生まれて音がある世界に変わったけれど、現実の世界は劇的なBGMなんて流れやしない。
それでも僕たちは現実の世界の美しさに涙することがある。
よく集めましたね吉沢亮似の子役
まるで、出世魚のブリとかスズキのよう。産まれてから中3役の吉沢につなぐまで4人。
そして、吉沢本人は中3から30代を。最後の方は武田真治風のメイクでした。
宮城県塩竈が実家。
親子三代が暮らす漁港の町。
おじいちゃん(蛇の目のヤス)役はでんでん。
おばあちゃん役が烏丸せつこ。
お食い初めの支度風景。
でんでんがアワビ煮を口元に持っていくと火がついたように泣き出す赤ちゃん。
「なげーなげー、男は声とポコチンのデカさできまんだどー」
CODAの男の子(五十嵐大)はひとりっ子。
聾者の両親が子供を育てるのはとても大変。おじいちゃん、おばあちゃんが元気なうちはサポートできますが・・・
題名はこちらも、Both Sides Now(ジョニミッチェル)的 。
コーダ あいのうたでは描かれない細かい部分も多くて、より家族の物語でした。
補完しあえる映画。
漁港の市場での買い物シーン。オマール海老ではなくてワタリガニ。
バークレー音楽大学をめざしたりしないので、その分話に起伏はあまりありませんが、より身近に感じることができてよかったです。
高校を卒業してから実家と東京を往復しながらパチンコ店のアルバイトから雑誌ライターになった五十嵐大さんの半生の手記を元にした映画でした。原作を読みたくなりました。幻冬社刊。
母親役の忍足亜希子さんと父親(船体整備士)役の今井彰人さん、手話サークルの聾者の役者さんたちもよかった。とくに、忍足亜希子さんは生んだ時から30年以上の母親役を健気にあかるく演じていらっしゃっていて、とても綺麗でステキだった。
車内で手話を交わすシーンとか、息子に悪態つかれて悲しそうにするシーンとか。
聾者の夫婦って辛辣な言葉で喧嘩したりしない気がするし、自分たちだけで手話で冷静に話せて、普通の夫婦より仲がいい気がする。コーダあいのうたのマリー・マトリンも明るかったし、羨ましかった。
夕方に観たらやたら腹が減った。
家族で食事する場面やパフェやカレーのせいもあると思うけど、食欲が出る映画はいい映画なんじゃない?
全くの余談だが、京成線車内で吉沢亮と目があったとウチのオババ姫が妙にコーフンして話しておったのを思い出した。たぶん他人のそら似だよと言うと、京成線沿線に住んでいるし、京成のイメージキャラクターもやっていたから間違いない❗と自信満々に畳み込んできた。なんでそんなに意地張るのかね。
【追記】
でんでんお目当てで鑑賞した。やっぱりさすが😎
母親に甘えて反抗した若い日々。 今のうちに感謝の想いを伝えよう。後悔しないように。
全てをかけて育ててくれた毎日への感謝を伝えられなかったこと。
それどころかうるさがって歯向かっていたことへの後悔。
きっと誰にもあることを、思い出させてくれる。
間に合ううちに、ひとりでも多くの子供たちに、
母への感謝を伝えるきっかけになれば、
この映画はとてつもなく価値がある!
聴覚障がい者の両親を持つ青年の生活のリアルを描く。
両親役の俳優がともに実際の聴覚障がい者であるため、とても自然に観れる。
しかし、そこに描かれるのは特別なことばかりでなく、普通の母と子の想いと変わらない。
何もわからないまでも、子供がやりたいことができるように思ってくれている。
ちゃんと食べているか、常に気にしてくれる。
とてもシンプルな母親の愛と、その感謝を伝えられていない後悔が詰まっていて、泣けた。
日本版コーダ?音が少ないのが絶妙に良い
24時間テレビのドラマみたいなクオリティ
良い関係性を持った家族だなぁ
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