ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
全213件中、101~120件目を表示
成長記録であってエンタメではない
「コーダあいのうた」のような、面白かったり悲しかったりといった気持ちが乱高下するエンタメ映画ではない。ひとりの男の成長記録。そしてろう者の本音を垣間見ることができ、人として視野が広がる映画ですね。ホームでの亮くん(大くん)の表情は秀逸です。
大くんのお父さん!あなたのような夫が欲しかった!常に肯定してくれる安心感、素敵すぎます。
それと、艶っぽいイメージの強い烏丸さんは、全く違う役どころでかなり驚きました。
余談ですが、上演前に近くに座った方たちが「主演の吉沢亮ってだれ?」「大河で家康やった子だよ」と会話してました。いやいや、渋沢栄一ですよーと突っ込みたかった!
劇的なBGMが流れなくても美しさに涙することができる
ろうの両親に生まれた青年の物語。
誕生から幼稚園、小学生、中学生、20代、そして今を追いかける物語。
主演の吉沢亮が中学生から今を演じる。30歳の彼が中学生を演じてしまうのがすごい。
また、幼稚園、小学生の時の男の子が吉沢くんにすごく似ていて、かなりびっくりした。
CGじゃないよね、なんて思うほど。
ドラマの中心は彼とお母さんの物語。
お母さん役の忍足亜希子さん、お父さん役の今井彰人さんもろう者の役者さん。
障害者の夫婦に生まれた子供としての葛藤。反抗期。
ドラマティックな展開はほとんどない。
ある意味、違いはあってもどの家庭にもありそうな親子の間のすれ違いと心の触れ合いにも思えた。
「産んでくれ」と頼んだわけじゃない。そんな言葉を吐きかける少年時代は障害者の親の下に生まれなくてもあるような気がする。
ただ、最後のところのシーンのような、楽しそうな親子の買い物やご飯や会話。
そんなごく当たり前な普通な時間を母親がとても喜んでくれている、そんなことに気づいた時、今までの自分に気づいて涙が滲んでくる、そんなことは分断された特別な世界でなくても、起こっていることのように思う。
15の夜、十七歳の地図から卒業していく姿のように思えた。
ラストになって映画の中で一切、BGMが流れていなかったことに気づかされた。
冒頭はろうの方の世界を表現するために音のない世界。
そこから彼が生まれて音がある世界に変わったけれど、現実の世界は劇的なBGMなんて流れやしない。
それでも僕たちは現実の世界の美しさに涙することがある。
手話で拍手する時は両手を上げて、手のひらを開いて、左右に回すんだ?
タイムボカンのキラキラスターの振り付けみたいで、何か楽しそうだな。
さぁ、連続更新、最終作品となりました!オラオラオラオラァ!!
久しぶりに、忍足亜希子さんが映画に主演するので鑑賞。
両親共に聾唖で、耳が聞こえる一人息子が両親から逃れたくて東京に上京してから、しばらくしてから帰省するまでのお話し。
冒頭からしばらく聾唖者の生活しにくいあるあるが続いて暗い話しが続く。
現実逃避したくて、映画館にいるのに身近な不幸あるあるを見るのはちょっとキツイもんがあります。
同じ不幸なら、とことんどん底の不幸にして、
「 あぁ、良かった。俺、この人よりは不幸じゃない」
と、安心できるのに( おい)
勝手に「エール」 「 コーダあいの唄」 みたいな映画だと思っていたのがそもそもの間違いでした。
このまま、不幸あるあるが続くのかと諦めていたら、主人公が手話教室に通い出してからが明るい話しが多くなる。
自分の爺ちゃんが、ヤクザでギャンブル狂でばあちゃんが信仰している宗教が大嫌いだったのに、死んじゃってから仏壇に向かって毎日その嫌いな宗教のお経を唱えられているという自虐ネタを話したら、それがウケちゃって雑誌編集者になれるとこは良かったなぁ。
映画終盤で、無音状態になって聾唖のお母さんが手話で話しかけるシーンが続くのだけど、何を伝えているのかが全然分からない。あぁ、聾唖者の人の感覚ってこうなんだなと理解できました。
離れて暮らす事でより両親との絆が深まっていく過程は子育てあるあるなのか?耳が聞こえる世界と、耳が聞こえない世界。この二つの世界の間には深くて暗い川がある。ローエンドロー🎵
上映中、手持ちカメラの映像がずっと揺れているのはどんな演出意図があったのか?昔の映画では、よくある手法でしたけどね。
笑えて泣けるコメディなんだろうという先入観があったので、暗い話しが多くて残念でした。字幕版もあるので、聾唖者の方にも楽しめる映画なので良いかなと。
んー、でも配信で見ていたら前半の暗い話しにウンザリして見るのを途中でやめるかなぁ?それくらい、暗い映画でした。ポイントで見るなら損はしない映画です。
よく集めましたね吉沢亮似の子役
まるで、出世魚のブリとかスズキのよう。産まれてから中3役の吉沢につなぐまで4人。
そして、吉沢本人は中3から30代を。最後の方は武田真治風のメイクでした。
宮城県塩竈が実家。
親子三代が暮らす漁港の町。
おじいちゃん(蛇の目のヤス)役はでんでん。
おばあちゃん役が烏丸せつこ。
お食い初めの支度風景。
でんでんがアワビ煮を口元に持っていくと火がついたように泣き出す赤ちゃん。
「なげーなげー、男は声とポコチンのデカさできまんだどー」
CODAの男の子(五十嵐大)はひとりっ子。
聾者の両親が子供を育てるのはとても大変。おじいちゃん、おばあちゃんが元気なうちはサポートできますが・・・
題名はこちらも、Both Sides Now(ジョニミッチェル)的 。
コーダ あいのうたでは描かれない細かい部分も多くて、より家族の物語でした。
補完しあえる映画。
漁港の市場での買い物シーン。オマール海老ではなくてワタリガニ。
バークレー音楽大学をめざしたりしないので、その分話に起伏はあまりありませんが、より身近に感じることができてよかったです。
高校を卒業してから実家と東京を往復しながらパチンコ店のアルバイトから雑誌ライターになった五十嵐大さんの半生の手記を元にした映画でした。原作を読みたくなりました。幻冬社刊。
母親役の忍足亜希子さんと父親(船体整備士)役の今井彰人さん、手話サークルの聾者の役者さんたちもよかった。とくに、忍足亜希子さんは生んだ時から30年以上の母親役を健気にあかるく演じていらっしゃっていて、とても綺麗でステキだった。
車内で手話を交わすシーンとか、息子に悪態つかれて悲しそうにするシーンとか。
聾者の夫婦って辛辣な言葉で喧嘩したりしない気がするし、自分たちだけで手話で冷静に話せて、普通の夫婦より仲がいい気がする。コーダあいのうたのマリー・マトリンも明るかったし、羨ましかった。
夕方に観たらやたら腹が減った。
家族で食事する場面やパフェやカレーのせいもあると思うけど、食欲が出る映画はいい映画なんじゃない?
全くの余談だが、京成線車内で吉沢亮と目があったとウチのオババ姫が妙にコーフンして話しておったのを思い出した。たぶん他人のそら似だよと言うと、京成線沿線に住んでいるし、京成のイメージキャラクターもやっていたから間違いない❗と自信満々に畳み込んできた。なんでそんなに意地張るのかね。
【追記】
でんでんお目当てで鑑賞した。やっぱりさすが😎
母親に甘えて反抗した若い日々。 今のうちに感謝の想いを伝えよう。後悔しないように。
全てをかけて育ててくれた毎日への感謝を伝えられなかったこと。
それどころかうるさがって歯向かっていたことへの後悔。
きっと誰にもあることを、思い出させてくれる。
間に合ううちに、ひとりでも多くの子供たちに、
母への感謝を伝えるきっかけになれば、
この映画はとてつもなく価値がある!
聴覚障がい者の両親を持つ青年の生活のリアルを描く。
両親役の俳優がともに実際の聴覚障がい者であるため、とても自然に観れる。
しかし、そこに描かれるのは特別なことばかりでなく、普通の母と子の想いと変わらない。
何もわからないまでも、子供がやりたいことができるように思ってくれている。
ちゃんと食べているか、常に気にしてくれる。
とてもシンプルな母親の愛と、その感謝を伝えられていない後悔が詰まっていて、泣けた。
日本版コーダ?音が少ないのが絶妙に良い
両親が聾者から生まれた、健常者の一人息子 小さいときから心ない田舎者からの差別的行為を受けながらも、強く生きてきた家族 堪らなく涙がこぼれた… 健常者じゃないと生きることすら儘ならないのか 田舎のあの独特な雰囲気とでも言うか村八分傾向が、この家族を日常から遠ざける… 一概に田舎が悪いとは思えないけど、健常者じゃない立場に立って観るべきことも有るんだよ✨お山の大将ではなく、共存して欲しい
24時間テレビのドラマみたいなクオリティ
映画にしては雑で薄い感じがしました。まず30歳の吉沢亮の中学生シーンは地獄です、本当にキツかった。そして時代感が分かりづらい。吉沢亮のコスプレに加えて、若干時代に合わせてようとした服装やピカピカなゲームボーイ、車も街並みも現代感が拭えなくて気持ち悪かったです。108分なのに3時間くらいに感じるくらい波のないストーリーで、ドラマで1時間に収めれば普通に楽しめるかなと思います。
良い関係性を持った家族だなぁ
「コーダ」という言葉を知ったのは、ここ数年のこと。だけど、「コーダ」と呼ばれる子供は昔から存在していたんだよなぁ、ってこの作品を観て改めて思った。
父と息子、母と息子、そして家族3人が互いのことを理解し、付かず離れずの距離を保ちながら接している。果たして、自分は親に対してどう接して来ただろうか。反省しなきゃ。
母の背中に涙。
耳が聞こえない両親を持つ青年の成長物語。
原作は未読。
描かれていた日常の差別的な事はほんの一部でしょうし、完全に理解はできないかもしれないけど、映画になったことは意義あることでしょう。
ママに抱きついていたかわいい子が、中高生になり母にひどい言葉を浴びせるけど、当事者にしかわからない苦悩があるけど。
思春期にはどこのご家庭も、男の子ならあんな感じですよと、お母さんに声をかけたくなりました。
手話サークルの仲間に「やれることを取り上げないで」と言われてその世界を理解したように、もっと接して理解できたらいい。ふたつの世界はひとつにはならないけど、より近づけたらいいなと思いました。
涙ジワジワでした。
吉沢亮、この役うまかったです。現状に悩む姿だけでなく、髪長めの時やパチンコ屋店員の時の投げやりな感じとか、就活してもこれじゃ面接受からない感じとか。
そして子役の子達が、吉沢君に似た顔立ちで違和感がなくて良かったです。
忍足亜紀子さんは知っていましたが、演技は初めて拝見。…と思ったら、レビュアー様のレビュー見ていて、「黄泉がえり」に出てたの判明。見たけど覚えてないです。もっと色々出演されてる作品見たいです。
烏丸せつこさんも久々に拝見しました。クレジット見るまでわからなかったです。
ぼくが生きてる、ふたつのせかい
音のない世界とは、どんなんだろう?と、以前思ったことがある。しばらくの時間耳栓をしてみた!でも、音を拾ってしまう!
無音の世界と音の世界
それだけではない2つの世界に目覚めた思春期そして若者の心の模索と成長と目覚
母親と息子の関わりを丁寧に描いていて、本当に良かった!
母と息子の関係は、様々だが、
作者の思いが伝わってきた映画だった!
静かな映画
聾者の両親のもとに生まれた主人公を中心に、
聾者とその家族の葛藤、愛情を描く映画
「聞こえない」親のもとに生まれた「聞こえる」こどもを、
『コーダ(Children of Deaf Adults)』と称するんですね。
初めて知りました。
主人公の出生から始まり、幼少期・小学校・中学校と進みます。
いろいろと嫌な思いをしたり、同情されたり…
自分の失敗を親のせいにしてみたりと、様々な葛藤がある。
しかも、同居の祖父は刺青しょった博打うちだし、祖母は宗教に傾倒しているし…
なかなかの家庭環境ですね。
私はエンパスの気があるので、ちょっと観ていて辛かった。
そんな中でも、聾者の両親は穏やかで誠実なタイプで、自己肯定感の強い、明るい人たち。
これが救いでしたね。
主人公も、いろいろと葛藤はありつつも愛情深くて、良い人。
静かな明るさが好印象でした。
映画としては、派手なことは何も起きなくて、
静かに静かにエピソードが紡がれていくもの。
エンタメとしてのおもしろさは無いかも知れないけど、
エピソードの向こうに透けて見えるものに感じ入りました。
母と子の暖かい関係
2022年の米国アカデミー賞作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」に続く”コーダもの”(そんなジャンルがあるのか知らんけど)でした。 コーダ=CODAは、Child of Deaf Adultsの頭文字を取った言葉で、直訳すれば”聾唖者の親を持つ子供”という意味であり、本作でもこの言葉そのものもが出て来てました。「コーダ あいのうた」も本作も、聾啞の親と耳が聞こえる子供の親子関係にスポットを当てた良作でしたが、創作の物語でどちらかと言えばコメディ要素が強かった「コーダ あいのうた」に比べると、本作は原作者にして主人公でもあった五十嵐大(吉沢亮)のエッセイを元に映画化されていることや、舞台が日本であることもあって、非常に身近なお話に感じられました。
そして主役の大が生まれたところから始まり、大人になるまでを描くことで、特に母親である明子(忍足亜希子)に対する大の感情や二人の関係性の変遷が、非常に分かりやすく表現されていて、コーダの偽らざる想いが十二分に伝わってきました。
さらに大が故郷の宮城から東京に出て来て働き始めた以降の展開も面白く、第三者との関係性の中で両親、特に一度は反発した母親に対する想いが再び優しい方向に向いた時、こちらも自分の母親を思い出して涙腺が緩んでしまいました🥲
俳優陣は、主人公・大を演じた吉沢亮が、表情だけでなく後ろ姿を含めて実に繊細な感情表現をしていて素晴らしかったです。また、母親役の忍足亜希子はじめ、「コーダ あいのうた」同様に聾の役は聾の俳優が務めており、本作の見所とも言うべきものでした。
大が勤めることになった雑誌編集長のユースケ・サンタマリアも、怪しげでいながら魅力的な雰囲気で良かったです。
一点予想と違ったのが、東日本大震災の話が出てこなかったこと。原作者の五十嵐大は1983年生まれとのこと。主人公の大の生年は作中明示されていなかったものの、子供時代にファミコンでスーパーマリオに夢中になっていることからも、年代にブレはないのでしょう。従って、宮城県の海辺の街を舞台にした作品だったので、確実に震災の話が盛り込まれるだろうと思っていたのですが、実際はそうではありませんでした。
震災の話を入れるとそちらがメインになってしまいがちなので、それを避けたかったのか、全く当初から念頭にすらなかったのかは分かりませんが、そういう物語になっていたらどうだったのだろうと夢想しながら劇場を後にしました。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
Coda日本版と、言ってはいけない。
邦画を字幕付で観ると、字幕なしで観た時と違う印象を持つ場合がある。
聞き取れなかった言葉や台詞が文字で表された事により視覚と聴覚に二重に訴えるからかも知れない。最近は字幕付上映もあるので、邦画でも可能な限り字幕付で鑑賞している。今回は内容からも、あえて字幕付版の回で鑑賞。五十嵐大の自伝的エッセイの原作は未読。
9月24日(火)
新宿ピカデリーで「ぼくが生きてる、ふたつの世界」日本語字幕版を。
「Coda あいのうた」に触発された作品かと思ったがアプローチが違った。
この映画は大が生まれたところから始まる(背景音は無音)。宮城の港町、誕生祝いに集まる人々。両親は耳が聞こえない。赤ん坊の大が泣いても泣き声が聞こえない。小学生になった大は親と手話で会話するので同級生から奇異な目を向けられる。そんな状況に母親を疎ましく思い始める。授業参観日を母に教えない。奇異な目で見られたくないからだ。
高校受験のための三者面談でも耳の聞こえない母親は上手く相談に乗れない。塾にも通うが第一志望の高校には入れない。
20歳の大はやりたい事を探すため東京へ旅立つ。しかし、パチンコ店で働くなどしている。壁には上京する時に母が買ってくれたスーツが掛かっている。母から送られてくる荷物、食料品と封筒に入った五千円札。大は東京でも手話サークルに入り、聾者と交流する。
スーツを着て出版社の面接を重ねる大。やっと調子の良い編集長(ユースケ・サンタマリア)に採用され、編集の仕事を始める。しかし、その編集長も逃げ出し、大はライターとなる。父が病に倒れて見舞いに宮城に戻る。東京に戻る大を母は駅まで見送りに来る。その後ろ姿に上京する際の母の後ろ姿を重ね、過去の様々な母の姿を思い出し泣き崩れる。
無音世界から東京へ向かう電車は暗闇のトンネルを抜ける。それは別の世界に出て行く大の姿を現しているように見えた。
大は、母を疎ましく思いつつ、東京でも手話サークルに入り聾者との繋がりを続けて行く。サークルの飲み会で注文を耳が聞こえる大が行い、聾者でも出来るから余計な事をするなと諫められる(聾者の気持ちが理解出来ていない事を現している)。
少年時代を演じた子供たちが吉沢亮に似ているのは良かったが、さすがに中3を本人が演じたのはきつかった(似ている中学生はいなかったか)。両親を演じたのも、その他の聾者の役にも聾者の俳優を使ったのも良かった。祖母が烏丸せつこだったのがビックリだった。
本作にはユーモアはあってもエンタメ性はない。劇映画なのでその点が不満。(Codaにはあった)
Codaでは、大学に旅立つ娘を家族全員で見送り、娘は愛していると表現する。
上京する息子は、母親に愛する事を表現出来ない。
今日観た2本は、上京する息子を見送る母親(本作)と上京する娘を見送る父親(ごはん)が描かれていた。子供は親を疎ましく思っても、子を思う親の気持ちは変わらない。
そして、その思いを知った時に、子は親を思い涙を流すのである。
ドラマ『デフ・ヴォイス』と共通したところ
人気俳優が主人公のコーダを演じ、ろう当事者が親や友人として多数出演するとともに、手話表現の監修や演出まで関わって丁寧に制作され、母親役として忍足亜希子氏が抜擢されている点では、NHKドラマ『デフ・ヴォイス』と共通している。実話でもそうなのかもしれないけれど、主人公の生き方がはっきりせず、祖父母の人物設定が冗長で、また母親に比べて父親の出番が少なく感じられた。子役が赤ん坊から細かく区切られ、小学生時代は、『君の手がささやいている』のエピソードも採り入れ、演技場面も多かったから、中学生・高校生時代も、相応の年代の子役の演技をみたかった気がする。ろう当事者との絡みの場面は、ドラマ『サイレント』よりも薄いけれども、自己主張の強いろう者像も随所にみられたことは収穫であった。阿武隈急行にも乗りに行きたい。
ひとつの世界
コーダ。子どもの苦しい状況や、嬉しい状況、生きる意味を見事な視点で描いている。ラストは、涙なくして観られない。成長の様子を、巧みな脚本と構成力で、自然なストーリー展開で終始、演出している。
小さな物語の大きな感動
予告編の吉沢亮君が無性に気になり、鑑賞する事に。
物語としては普遍的な親子の愛情物語なのだが、構成に一切無駄がなく過剰な演出もせず、でも描く所はしっかり描くという呉美保監督の手腕がはっきり見て取れる作品だったように思う。息子の誕生から始まり、前半部分では息子の成長と共にろうあ者の日常生活で生じる不便や困難、危険などが描かれ、さらに息子(吉沢亮)のコーダとしての葛藤や苛立ちもリアルに伝わってくる。この辺のさりげない自然な見せ方が実に上手く、しかも本当に無駄がない。最小限の表現で最大限の効果を発揮している。呉美保作品を観るのは初めてなのだが、前半だけで「この監督すごいかも」と思わずにはいられなかった。ろうあ者の日常生活において起こる様々な出来事はあらゆる困難や不安に満ちており、それらの多くが彼らにとってはあるある話なのだろうが、僕にとっては驚きの連続だった。
三浦友和に似てる似てないのバカ話、カレーの隠し味に味噌を使ってボロクソ言われる、パチンコ屋でどの台が出るか聞いてみたりする。まさにどうでもいいような「会話」を、彼らだって僕らと同じように日常的にしている事にすら僕は気付かずに今まで生きてきた。そんな自分を恥ずかしく思うが、それと同時に僕は基本的に「聞こえる世界」の住民であり、だから「聞こえない世界」というものを実は何ひとつ分かってない、という現実を思い知らされるのだ。最初は「ふたつの世界」って何だろう?と思っていたのだが、上映が始まってすぐに「なるほど、そういう事か」となる。
登場人物はみな素晴らしい。母は息子の全てを受け止め、信じ、寄り添い続ける。補聴器を20万で買い、ろくに会話出来てないにも関わらず「これで大ちゃんの声が聞ける」と嬉しそうに言う。それを聞いて泣かずにいられるかっつーの。父は地元で働くと言う息子に「東京へ行け」と背中を押す。たったひと言だが、父の思いがしっかり込められている。またフルーツパーラーのエピソードだけでも両親がどう生きて来たかをしっかり想像させてくれる。
じいちゃんとばあちゃんも素晴らしい。荒くれ者のじいちゃんなりに孫に何かを伝えているし、ばあちゃんは大にとって家庭内で貴重な「話し相手」だったわけだ。彼らの果たした役割(家庭としても映画的にも)は実に大きいと思う。また大の成長する姿だけでなく、彼らが年老いて行く姿を通じて、家族の「時間の流れ」というものをはっきり感じさせてくれた。2時間に満たない尺でこれだけ深みのある物語を作り上げた呉美保監督には本当に驚かされる。
また上京してから知り合う河合(ユースケ・サンタマリア)も非常に印象深かった。大(吉沢亮)の採用を決めるくだりも面白かったし、大がライターと喧嘩した後に河合が「大はどこでも生きていけそうだな」と笑いかける。それまで「何者」でもなかった大が東京に来てしっかり成長している様(さま)を河合の何気ない言葉が的確に表現しているように感じ、非常に深く刺さる言葉だと思った。そして偉そうな事言ってると思ったらタモリの言葉を丸パクリだったり、しまいには結局飛んでしまうという掴みどころのないこの男は、実は大の成長において(この作品においても)かなり重要な立ち位置だったのではないかと個人的には感じた。
そして最後。
これはもう完全にやられた。駅のホームで母からの「手話で話してくれてありがとう」という言葉に、不意を突かれた大は思わず泣き崩れる。ここでまさかの「無音」という演出かいっ!これは見事としか言いようがない。この静寂の瞬間、僕にはふたつの世界が「ひとつ」になったような、たまらなく愛おしい時間に思えた。もう本当にマジでやられた。母にとってはたわいもないひと言でも、この言葉がその後の彼を支え続けたんじゃないかと思うし、こういう小さな出来事ってきっと誰の人生にもあるはずなのだ。だから大のくしゃくしゃの泣き顔に、誰もがどこかで自分の人生と重ね合わせたのではないだろうか。そして大の心を表現してるかのように、真っ暗闇の奥に見える微かな光が大きくなりながら眩いトンネルの出口へと向かっていくラスト。もうただただ号泣です。最後に流れる歌(手紙の歌詞)も良かった。
やはり予告編で感じた直感は間違っていなかった。吉沢亮君の表情がとにかく素晴らしい。かつて「青くて痛くて脆い」で闇深い青年を演じて非常に良かったのだが、今回はさらに更新してくれた。ちょっと大げさに言えば、これで主演男優賞とか獲れないかなと本気で思ってしまう。この作品はシンプルなのに奥行きがある。基本はろうあ者のお話なのに、最後はそんなの関係ないと思えるほどの親子の物語であり、一人の青年の物語なのだ。
この作品は多くの人に強くお勧めしたい。
※追記
終盤スーツを買いに親子で洋服の青山へ行っていたが、さりげなく三浦友和ネタを回収していた事にあとで気付いた。なぜ三浦友和?と思っていたのだがそういう事かと感心した。
盛り上がる部分が欲しかった
コーダの青年の誕生から社会人としての生活までを丁寧に描いて、まじめないい映画だ。吉沢亮は、手話部分も含めて、自然で違和感ない好演。
しかし、自伝的エッセイが原作ではあるにしても、これは劇映画なので、どこか一か所でも盛り上がる部分が欲しかった。
誰もがいくつかの世界を生きている。
五十嵐大さんによって出版された自叙伝の実写化で耳の聞こえない両親の元に生まれた息子の成長を描く物語。両親を実際に聾者である俳優が演じている。
ごく当然だったことが、成長と共に違和感に変わってゆく。お母さんの通訳を誉められて誇らしかったはずなのに、いつの間にか手話を恥ずかしいと感じてしまう。そんな少年が成長しやがて東京へ旅立つ。そして都会の中にも両親と同じように耳の聞こえない人達がいて、それぞれが地に足をつけて生活していることを知る。
各世代の子役がしっかり吉沢亮に似ていて感心した。欲を言えば中学生までは子役でやってほしかったかな。さすがに吉沢亮の中学生はちょっと無理があった。
両親との確執ばかり描いたりせず、あくまで大の成長の過程の中での両親との関わり方を描いていて、そこがとても良かった。この世界の全ての家族と同じように。出版社のシーンも面白かった。
全213件中、101~120件目を表示