ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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とても印象的で涙するも、詰め込みすぎ感もあった
この作品は大きく分けて3つの構成に分かれている。
1つ目は主人公の男性の幼少期〜思春期の話で、幼少期には全く気にならなかった「両親が唖者」事実が、成長の過程で主人公にとって諸悪の根源のように感じ両親と対立していくいわば「反抗期」の様相を子と親それぞれの視点から描いている。ここで印象的だったのはやはり反抗期の描写で、「自分も反抗期あったよなぁ」と振り返りながらみていた。
2つ目は青年期の話で、ここでは反抗期から落ち着き両親との関係も落ち着いてきた主人公が東京で一人暮らしをする中で、健常者として社会に関わる自分と、手話を話せる身として唖者の社会に関わる自分の2つの世界が、これまた主人公の視点と周りの視点の両面から描かれている。ここで印象的だったのは、唖者の友人たちと飲み会を開き、言葉の話せる主人公が親切心として注文を取り仕切っていた時に、唖者の友人の一人が「自分たちでも紙や指で注文できるから、自分たちで注文する機会を取り上げないで」と主人公に指摘していた箇所だ。もし自分が主人公と同じ立場でも主人公と同じようにしただろうが、それは相手からしたら余計なお節介で憐れまれているようにも感じ、自分でできることは自分でしたいよなと気づきがあった。
最後は、しばらく東京に出ていた主人公が久しぶりに実家の両親のもとに戻り、そこで主人公は初めて、自分が手話や親を避けていた時に親がどう感じていたのかを知るのである。ここで印象的だったのはもちろん、電車の中で主人公がお母さんと手話で楽しく笑いながら会話をした後にお母さんが発する「電車の中で周りに人がいるのに手話で話してくれてありがとう」という言葉である。この言葉で主人公は、今まで自分が手話を使うことや唖者の親と話すことに恥や嫌悪を感じて避けてきたこと、そしてそれによって親が悲しい思いや寂しい思いをしてきたことを回想し、そんな自分が恥ずかしいと同時に親への申し訳無さや感謝でいっぱいになり、駅のホームで親の背中を眺めながら涙するのである。このシーンでは映画館の中で涙を流し鼻をすする声が響いていた。
さてこのようにそれぞれのシーンに印象に残る場面があったものの、いやだからこそ、色んな要素を詰め込んでしまい一つ一つが薄くまってしまったように感じたり、「このシーンなんのためにあるの?」と思ってしまうような演出もいくつかあった。例えば主人公が就活で面接している場面や出版社で働いているときの出来事、社長の逃亡や面倒なクライアントなどのシーンは、この作品が伝えたい大枠に対して必要なシーンだったのだろうか。
改めて、色々気付かされる映画
2年ほど前に観た「Coda」同様、耳の聞こえない両親に育てられた子供の話。本人の自伝?の映画化のようです。時代的には、昭和から平成初期にかけてか?
変に感動させようとせず、たんたんと生きる姿が描かれる。生まれてすぐの状態からエピソードが始まるので、どれだけ大変かがしっかり描かれているので、理解しやすい。
途中、補聴器を付けた母が、声が聞こえるが意味が分からない事が語られ、改めて気付かされた。そうか、初めて聞く言葉は音でしかないんだ。自分の想像力の及ばない事態があるんだと知らされる。
半ばで語られる母親の過去もかなり驚かされる。けど、過去の日本はそれほど無理解だったんだろうな。
色々気付かされる、観るべき映画。
#ぼくが生きてるふたつの世界
コーダで苦悩する息子を包み込む優しい両親の愛情、感動したなぁ
大泣き😭大感動🙏
コーダで苦悩する息子を包み込む優しい両親の愛情❤️素晴らしかった〜❣️
でもって健康健常な日常に改めて感謝感謝です。
今年の邦画NO.1(今のところ)
ひとの心を描かない描けていない描こうともしない映画が多い
今の邦画ってこんな感じなのかと悲しい思いでいましたが、
出会えました。今年一番の日本映画。
こころの揺れを、繊細に丁寧に描く監督の手腕がすばらしい。
音のない世界と音のある世界を、映画館で感じてほしい。
あと、字幕版をたくさん上映した 映画館もすばらしいと思う。
母の愛、大の涙に、ありがとう
終盤、母が、人前で大が手話で会話してくれたことが嬉しくて感謝の言葉を現したことで、母が大に手話で話しかけながら育ててくれたことを思い出し号泣するシーンは、例えが適切ではないかも知れないが、アルフレードがキスシーンを繋ぎ合わせて作ったフィルム映像に涙が溢れ、それを観て感激するトトの表情で号泣してしまう、評価者の映画体験と似た感じを得てしまった。エンドロールの日本語ではない音楽の歌詞が、物語のシーンを想起させる最後まで、嗚咽が止まらない。
一方で、ろう者サークル代表の女性とのパチンコ屋での会話や同級生同士のやりとり、父のカラッとした表現など、清々しい気分にもさせてくれる。
母の無上の愛情に猛烈に感動
なんと豊穣な作品なのだろう、と感嘆しました。
劇場には聾者の方も鑑賞に来られていて、劇場内の雰囲気もすごく良かったです。
主人公大を演じた吉沢亮もさることながら、
大の母明子を演じた忍足亜希子の演技が素晴らしかったです。
コーダを扱った作品といえば、2022年に日本で上映されたアカデミー賞作品賞受賞作品『コーダ あいのうた』が
記憶に新しいですが、
本作が決定的に異なった描き方をしているのは、コーダである主人公大を幼少期の頃から丁寧に描いていることです。
大はコーダに生まれたことで、周囲の人から奇異の目で見られ、時には酷い扱いを受けてしまうことで、
両親へのネガティブな思いが生まれ、ついには家を出て東京に行くわけです。
その東京で聾者の方々と出会う機会があり、その堂々たる生き様から、両親への思いに変化が生じる大。
大人になった大は、母親とのコミュニケーションにおいて、周囲の人を気にせず手話で母親と話すことで、
母親が大に感謝をするんですね。大にとって恥ずかしい存在だった母が普通の母になった瞬間であり、
ここがこの作品の最も伝えたかったことだと思いますし、私もここで涙が止まらなくなりました。
『コーダ あいのうた』よりも格段にリアリティが増していると思いますし、
主人公大の気持ちもさることながら、両親、特に母親の“想い”に焦点を当てて、最後まで描き切っていることで、
作品としての完成度が格段に上がっていると感じました。
本作への出演を決め、見事に手話含め演じ切った吉沢亮にも心から拍手をおくりたいと思います。
こういう邦画が今後もたくさん制作され、多くの人に観ていただけるよう切に願うとともに
私も劇場鑑賞を通して、こういう場を通してその素晴らしさを伝えていきたいと思います。
ありがとうございました。
恥ずかしいという感情
ろう者の映像作品ときいて頭に浮かぶのは、日本では「silent」、海外だと「コーダ あいのうた」。希望に満ち溢れた夢のある作品だと思う(silentは例外)一方で、いずれもフィクションでリアリティは無いなと感じてしまう。いい意味でも悪い意味でも映画的なストーリー。作り物感はどうしても否めない。
ただ、本作は作家・五十嵐大による自伝的エッセイを原作とした作品であるため、等身大でとても現実的な物語。そりゃそうだろと思うかもだけど、経験談だからこそ、ろう者・コーダについて初めて見たことや勘違いしていたこと、そして彼らの世界など、多くのことを知ることが出来、淡々とした作品ながらに、ものすごく響いたし、見る前と見た後では自分自身がいろんな面で変わったのを実感した。
どの家族にもそれぞれ抱えている問題や過去があって、この家族はたまたまその抱えているものが少し大きかっただけ。可哀想だね、苦しいね、大変だよね、という風に描かれていないのは、経験した作者本人の目線だからだろう。何も可哀想なことはない。何も特別ではない。たしかに、ろう者同士の子育ては批判されるだろうし、理解され難い。反対するのは、それもまたその親なりの愛。一瞬でも目を離したら子どもはどこかへ消えてしまうし、音の無い世界では、更に危険で大変だと思う。でも、たしかに愛がある。愛で溢れている。郵便屋さん、花壇、一人暮らし...。どのお母さんも子どものことを一番に思っているし、どのお母さんも一緒なんだな。
当たり前だったこと、普通だと思っていたことが、周りの何気ないひと言によって変だと、恥ずかしいことだと感じるようになってしまう。「インサイド・ヘッド2」でも同じ描写があったけど、やはりこの感情、成長していくに連れて避けては通れないものだと思う。何も恥ずかしいことじゃないのに、そのことに気づくのには長い時間がかかってしまう。
2時間しかないけど、五十嵐大という人物の成長をリアルタイムで追っているような、そんな気持ちになる。そして、お母さんをお母さんとしてではなく、1人の人間として見た時に彼はようやく気付く。この人がお母さんで良かったなって。その瞬間がたまらなくいい。
ぼくが生きてる、ふたつの世界。
すごくシンプルだけど、すごくいいタイトル。大ちゃんにとって、両親と話すためだけの手段だった手話。それがある人の出会いをきっかけに口で話すとは別の、新しいひとつの世界となり、彼の中で何かが変わっていく。
実際、ろう者の方と接する機会は少なく、仕事でたまに対応するくらいなのだけど、その度に感じる。なんで、自分はこの人と会話ができないんだろうって。手話がこなせる健聴者は、傍から見て偽善者のように、自己評価の向上のためにやっているように見えてしまうし、そう思われてもおかしくない。だけど、友人の従兄弟に耳の聞こえない赤ちゃんが生まれた時、初めて実感した。なにも、かけ離れた、遠い世界ではないんだと。だからこそ、この映画をきっかけにろう者の方、そしてそういった方と関わりのある全ての人に対する認識が少しでも変わればいいなと思うし、英語以上に身近であるということを自分も含め、知っていきたいなと思えた。
少しおぼつかない文章になってしまったけど、本作は見る人全ての等身大の何気ない成長を描いているからこそ、素晴らしい作品だった。なかなかこういう映画は見られない。素朴だけど、温かい。2024年を代表する、必見の作品。吉沢亮、やっぱいい役者だ。。。
最後の歌
母ってすごいよな 母には絶対になれないけれど無償の愛って本当にあるのかな?父とは違う感情なんだと思うが謎だ 映画の感想として 吉沢亮さんって美しい人だなぁとキングダムでも思っているのだがこれも昭和の中の美しい人なんですよね でも今の時代のカッコいい人ではないんだよなぁ この映画は吉沢亮さんじゃなきゃ最後まで引っ張っていける程のストーリーではなかったような⁈少し厳しいかもの感想です
「親ガチャ」と言われる今だからこそ
「コーダあいのうた」は、青春音楽映画としても面白かったが、ラストで主人公が巣立った後、あの家族はどうなったのだろう、と気になってしまっていた。本作は、耳の聴こえない両親のもとで生まれた息子が、成長とともに葛藤を抱え、親元を離れて暮らした後、あらためて親を見つめ直すところまで描いている。テーマ性は「コーダ」より深い。
実際の体験を基にしているため、エピソードの一つ一つが、まさしくリアルに感じられる。人物にとことん寄り添う呉美保監督の演出力はさすがだが、原作のエッセンスを取り出して再構築した脚本の力も大きいだろう。
一見、特殊な親子の物語のように見えるが、扱っているテーマは普遍的。いやな言葉だが「親ガチャ」と言われる今だからこそ、自分と親との関係を見つめ直すことを描いた本作は、意義深いと思う。
主役の二人だけでなく、出番の少ない脇役もみないい味を出していた。子役たちが、吉沢亮の小さい頃のようで驚く。忍足亜希子と烏丸せつ子も、本当の親子のように似ていた。
平日の昼間のせいもあり、観客はシニア層でまばらだったが、もっと多くの人に知ってもらいたい作品。エンドロールの歌にも泣ける。
予告編が文科省推薦、みたいでよくなかった。自伝のリアリティがあり、...
予告編が文科省推薦、みたいでよくなかった。自伝のリアリティがあり、コーダの側から家族を描いていた。洋画のコーダを確かに超えていた。でんでんのおじいちゃんも宗教にハマる烏丸せつこも良かった。そしてユースケサンタマリア。どこまでも明るい父母、東京に行けと行ってくれた父も素敵だった。大は大丈夫という父の信頼が素晴らしかった。東京と故郷の行き来のシーンは経験のある人なら胸に刺さる。ラストシーン、母の後ろ姿から想起が溢れ出し、感極まって泣く吉沢の演技は素晴らしかった。蜜月の子ども時代が幸福に溢れているだけに学校に行ってからの負の社会化が辛い。ラストのタイトルも見事。タイトルはまま映画の世界だった。吉沢君は大河ドラマ以降、こういう骨太の役が似合うようになった。
そりゃ母ちゃん美人だから
無償の母の愛、ラストに持ってくる所。
それまでのエピソードが前フリという(笑)
手話にも方言っぽいものがあるとは興味深い。
細かい所に抜けがあるところがちとマイナスか。
(植木鉢の犯人、編集長の失踪後の会社とか)
彼女とかできると面白かったかも。
で主人公はどうなる?までやってほしかった。
父ちゃんもいい味出ていた、出番少なめだけど(笑)
産んでくれて有難う
聾者の両親がいいですね。どんな家族にも不安は有るし、どんな子どもにも不満が有りますよね。
コーダあいのうたも良かったけど、こちらも秀作でした。
吉沢亮の子ども時代、みんな雰囲気有ってビックリしました。
む、難しい・・・
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両親がろう者の亮。父の勧めで、一人東京に出る。
東京に出てから、やりたいことを探すつもりだった。
パチンコ店員・役者・編集者とそれなりに頑張るが、
特に向いてるわけでもなく、なかなか定まらない。
手話ができたので、手話サークルに参加したりしてた。
久々に宮城に帰省したら、祖母が弱ってた。
自宅に戻ろうかと母に提案するが、別にいいと言われる。
で東京に戻る時に急に色々思い出す。
子供時代は、両親がろう者と知られるのが嫌だった。
他人に両親を見られる機会が極力ないようにしてた。
でも今はいつの間にかそういう感覚はなくなってて、
人の多い電車内で母と手話で会話して爆笑したりしてた。
それを母が喜んでくれたのが心に響いて涙が出た。
で、突然終了。
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亮が経験したことだけ描写され、特にオチもなく急に終わる。
こういうパターンの映画は時々あって、難しいと感じる。
一体何を伝えたかったのだろう?、分からなくなる。
繊細で感受性が人一倍強いつもりで生きてるけど、
実はなんにも分かってないのかも?そう思わせられる瞬間。
おれが感じたのは、両親がろう者だったからといって、
(子供時代はそれが劣等感だったかもしれないが)
そのことが亮の人生に負の要素を与えたとは思えない。
これと言って夢もやる気もない青春時代を過ごし、
学校を出た後もそのまま行き当たりばったりな生活が続く。
こんなのよくあるパターンで、特に共感できるわけでもない。
まあおれ自身も20代は迷える子羊やったので、
似たような歯がゆい思いをすることは多々あった。
頑張れるタイプなのに、何に頑張ればいいかが分からない。
そんな状況と、両親がろう者なことに相関はないと思うし、
よくある平凡な青年の話にしか感じんかった。
その先に夢を見つけられれば人生が変わる、ただそれだけ。
だからむしろ、その先のことの方が興味あったな。
あとお母さん役の忍足亜希子さんって、本当のろう者らしい。
笑顔のかわいい人で、御年54歳。嘘でしょ?って思ったな。
30代くらいの頃も演じてたが、そういう年齢にしか見えない。
逆に亮自身が演じる中学時代は、さすがに無理があったw
改めて調べたら、亮ももう30歳なんやな、時が経つのは早い。
話せるのに、小言ばかりな自分に反省
音が無いラストシーン
吉沢亮さんの泣き声が脳裏に届く感じがした
映画館か静まる中、必死に嗚咽をハンカチで押さえまくった
父親、凄いカッコ良い
パチンコからの帰り道の息子とのやりとり良かった
母親、優しくて大好き
人前で息子が仲良くしてくれるのって、本当に嬉しい
反抗期の頃って、親の顔なんか見たくもないわけで、でも顔見て手話しないと伝わらないから、逃げることが出来ない 余計にイライラが増してしまうんだろうな
手話での雑談とかたくさんあって、楽しかった
見て良かった(^_^)
楽しみながら、人生を振り返ったり、日々の生活を見直したりできる映画が少なくなった中、これはそれらが出来る1本だった。
映画見ながら、『パーフェクト・デイズ』の、役所広司が日の光を浴びながらジワッときてる姿を思い起こした。
どう見ても高校生にしか見えない中学生の吉沢亮には無理があったが、思春期の様子そのものがよく出ていたので問題なし。
感心したのは、吉沢亮が小さい頃はああいう子だったろうなあと思わせる位、あの子役が似てたこと。
『コーダあいのうた』は主人公が高校生からだけど、これは五十嵐君の生まれる時からが描かれているので秀逸。
それに、周囲が反対しても、母親が生む決心をしたという親戚(?)のおばさんの言葉が終盤にあり、あらたな思いで母親(と)のことを回想する終わり方が素晴らしかった。
(自分にとっての)今年1番の映画になるだろう。
親の気持ちと子の気持ち
無音の世界。全く想像もつかない世界の中、両親特にお母さんの気持ちが、自分にも置き換えられる様でギュっとなる。
子どもの時の親への反抗心も分かるからまたギュっとなる。周りの目も気になるってのもほんとあぁ何か分かる。いずれ大きくなったら、親の気持ちも分かる様になるかなぁ…なんて思いながら観てたら…それが映画の醍醐味で最後は涙が止まらない止まらない。
映画館だからこその、"無音"の世界の擬似体験。とにかく静かで怖かったからこそ、映画館で観てもらいたい映画。
余談。赤ちゃんからの子ども時代の子たちがみんなちゃんと吉沢亮(激似)で余計に大人時代も感情移入できた。
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