ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
全235件中、61~80件目を表示
日本の商業映画でコーダを取扱うことに感激。 手話と声、ふたつの言語...
日本の商業映画でコーダを取扱うことに感激。
手話と声、ふたつの言語、ふたつの世界を行き来する。
耳が聞こえなくても手話で通じ合う幼少期は何とも微笑ましい。しかし、次第に周りの目線や違いに目が向いてしまう…
子役たちがみんな吉沢亮に似ていたので今後に期待できる。
そして本格的な反抗期。
自分が大だったら同じようにグレるだろうなと思うエピソードが描かれる。
そんな大を愛情を持って暖かく支え続ける両親の姿が良い。その上、他の家族も大変な思いを抱えているよと笑い合える心の深さにも感動した。
そして東京編。
大可哀想だなと思っていたが、大個人のせいでもあるよなぁと思わせててくれる始めの無気力さが良い。
東京でのある出会いが自分自身と家族のことを考えるきっかけになっていて、やりたいこと見つかったし、東京行ってよかったなぁと勝手に親の気持ち笑。
終盤、久々に再開した母親に向かって言ったありふれた言葉に、凄い涙腺を刺激された。その時、理解した。今作は普遍的な家族との愛の形を描いているんだなと。
両親がずっと大のことを第一に考え愛情を持って接していたことに気づけて出た言葉なんだろうな。
だからあの言葉に自分も共鳴し言葉以上の感動を感じたのだろう。
多様性の時代に
はい。よく私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
本当に久しぶりでございます。少し前に3日かけてレビューを書いたのですが… 消されました。
みんな、おいらが悪いのさ… と往年のロカビリー歌手の心境でございます。
話しは飛ぶんですが、地下鉄に乗っていた時の事です。広告に中学入試の問題が載ってるんですね。つまり解くのは小学六年生です。
それが結構難しいんですよ。必ずチャレンジしちゃう。ガキに負けてたまるか❗️
大人気ねえぞ‼️
で、長文のあとに、多様性について個人の経験に基づいて200字以内に述べなさい… だと!
なんじゃ、それ‼️松田優作ばりに叫びました‼️
以下私の作文。
姪っ子ちゃん(5歳)と塗り絵をしていた時の事です。顔の部分になりました。
ここは肌色だね。が、しかし、姪っ子曰く
まさみちゃん、今は肌色はないんだよ。ペールオレンジって、言うんだよ。
オーマイゴッド‼️最もでございます。負うた子に教えられて瀬を渡り。調べたらその通りでございました。今は肌色と言う概念は絶滅しました。ペールオレンジまたはうすだいだいと言います。
多様性は日進月歩です。毎日アップデートしなければなりません。国籍もジェンダーも障害者も性的マイノリティも
私もです。日本人は骨格や筋肉が違うのでメジャーリーグで、ホームラン王やMVPは絶対無理。
明らかに違ってますね。大谷さんです。毎日歴史を刻んでます。私も算数をサボって歴史を見に行きたい!
さてと… 雑談が多くてごめんなさいね。
まず私は呉美保監督が大好きなんですよ。大林信彦監督に直談判して助手にして貰う行動力。凄いです。
最近は長編映画を撮っていないんです。私はミポリン(大林監督がそう呼んでいたんで…)のインスタをフォローしているんですね。
まあ映画の話題もあるんですが、子育てとくに食べ物の話しがめっちゃ多い。つまり家族をとても大事にしてるんです。
ミポリンのメインテーマです。家族、食事、アイデンティティ、ミニマムであり普遍的。
イタリアの母ちゃんは野外でご飯を食べる時、必ずペールオレンジジュースを絞ってる… みたいなね。
ペールいらんがな‼️
本作もそんな映画。ある意味母ちゃんが主役じゃねえの。コーダで反抗期の息子も受け入れて電車でわちゃわちゃ話すのを喜んでね。
まあ聾の方の子供の話しなんで劇的な展開はないし、静かな映画なんだけど、それが沁みるのよ。まじで。
コーダやケイコ目を澄ませて、みたいなね。
いい映像も沢山あるよ。鉄橋を渡ってトンネルに入って、新しい景色が広がる。メタファーだね。東京パートではビルまたビル。そしてビル。対比が鮮やか。
ミポリンは三重の伊賀出身。多分最初に東京に来た時の印象なんだね。
そうなのよ、船堀タワーから見たらねビルばっかなんだよ。これがまた。東京タワーが埋もれてんの。ビルの隙間にね。
薄くて長くてごめんなさい。お付き合い頂きありがとうございました。グラッツェ‼️
あれ?まだ読んでるの?是非観て下さい。
PS ミポリンまた映画を撮ってね。WAKU WAKUさせてね。
そっちじゃねえわ‼️
やっぱ、齢を
静寂
みんな生きてる、色んな世界
何故泣くのか理解不能
お母さんの気持ちが聞こえてなかったのは,息子の方なんだよね
今、思い出しても、(食べてるラーメンに)涙がこぼれ落ちるくらい切なくて温かかった.
補聴器を買って嬉々として「だって,大ちゃんの声が聞こえるから」とコーフン気味のお母さん.
最初の30分.
淡々と映し出される子育ての実際,日常のひとコマひとコマが,暖かく,幸せがこぼれてくる.春のぬくもりのよう.
毛布をかけてくれるのが母親だし,郵便ごっこもしてくれる.ストロベリーパフェを食べさせてくれるのもお母さん.
お母さんにとって一緒にパフェを食べたことは,息をするように日常.当たり前のこと.
だから忘れているけれど,子供にとっては人工呼吸のように母親からやさしさを吹き込んでもらった温かい出来事だから,ずっと記憶に残っているんだと思う.
この物語は,耳の聞こえない母親とCODAの息子の話だけど,それだけにとどまらず,母と子の普遍を描いていると思う.
授業の朗読が“ごんぎつね”. センスいい.
参観日のお知らせの紙の破り方...そうだよね.あんな感じ.
三者面談.先生,お母さんがわかるように,説明は紙に書いておいてあげて下さいね!
「なんも相談のってくれなかったくせに.友達はみんな相談してるよ!」← してないよ.
「俺,こんな家に生まれてきたくなかったよ」← そんな目で見るんでないよ.お母さんのことを.画面の中に入って行って,ひっぱたいてやりたかった.
聞く耳を持とうとしなかったのは息子の方なんだよね(自分もそうだったから...,余計に涙がこぼれ落ちます).
ラストの電車のシーンがずっと続けばいいのに.
コーダの役を吉沢君が演じるのか見たかった
母親ゃ父親役の俳優さんは定評の有る役者さんで、おじいちゃんがヤクザと言う設定は面白いと思いました。小さい時はいじめられ親の存在を疎ましく思っても駆落ちしてまで結ばれて生まれた事を知り色々な世界に逃げだした主人公は成長して行く事を吉沢君はオーラを消して好青年を演じてたと思います。
「受け入れる」こと
聴覚障がいを持つ両親のもとに生まれた息子と、その家族の成長物語。
100席会場の9割が埋まっていて、関心の高さが見てとれた。
何気ない日常シーンが続くが、逆に現実的。
・「お前の母ちゃん、喋り方おかしくね?」
・訪問販売員が何を言ってるか分からない
・帰宅時には照明を付け消しして帰宅を教える
ろう者の方々が「言葉にはしないけどツラい一面」や、工夫して生活している描写がリアル。
母は明るく息子に接するが、しだいに息子は反抗期とあいまって「なんで俺がいちいち通訳しなきゃなんねぇんだよ」と溝ができ始める。青年の気持ちも分かる。
それでも母は挫けず前向きに社会に役立とうと、補聴器を手にしたり、パートに応募したりと奮闘する姿勢はすがすがしい。
青年はやがて手話サークルに入り、ろう関係仲間が増えて生きる自信を取り戻す。
――そう、恥ずべきことではないよ。
「生まれてきたくなかったは、さすがに辛いね……。」息子から投げられた言葉を母が旦那にこぼすシーン。
駅構内にて息子が母の背を見送り涙するシーンからのエンディング。
母はいつもあなたの味方だよと言われた気がして涙が頬を伝った。
主人公母役の忍足さんは表情豊かでほっこりさせられる。思い返せばかつて教育TV(現Eテレ)手話コーナーで講師をされていて、その頃から笑顔が素敵な方だと思っていた。
余談だが、私の母は耳が聞こえるが手話を学習して通訳をしていた。「表情と口の開き方が大事」と繰り返し言っていた。なるほどそのとおりだと映像から感じられた。
このエッセイはノンフィクションなので泣く!
ろう者の父母から生まれた健常者はこんな思いをしながら生きているんだろうというのが分かるこのエッセイを元にした映画ですね。
手話が出来ることは回りの子供たちからは最初はびっくりするけど、直ぐに他の話題に切り替わるから主人公の大くんは主役にはなれない。家に友達が来ると母親がなんて喋っているかわからないと言われ、原因は耳が聞こえないからどう発声したら正解か分からないで唸っているように喋るからと理解して、友達を作るのもはばかる。小さい時はそんなことでろう者を親を嫌になったりするのが当たり前だったと分かる。
健常者の世界とろう者の世界をまたがって生きていく大くんはよく出来た子供で、大きくなったら吉沢亮くんが大くん役をやっていたけど、画面を通してよく出来た大人になったのが伝わるいい演技と感じた。
両親やろう者役の人はろう者の役者さんが全てやっていたということで手話や動作などは観ていて変なところがないのはそういうことかとわかった。頑張って役者揃えたですね、感服です。
面白く感動ある作品でした!
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
今作は題材的にもう少し淡々とした映画だと予想していたのですが、意外に面白く感動ある作品でした。
私が好きだった場面の1つに、映画の中盤以降で、主人公・五十嵐大(吉沢亮さん)が上京後のパチンコ店で働いている時に、客のろうあの女性(役名・役者名不明です、スミマセン‥)が私達と変わらない欲ある人物として描かれていた所があります。
例えば、ろうあの女性の仲間が五十嵐大と共にレストランに集まっている時も、五十嵐大が良かれと思って店員との注文の仲介をすると、私達の役割を奪わないでという趣旨の否定的な発言を五十嵐大は女性の中の1人から受けます。
この場面も、ろうあの人達も私達と変わらない振る舞いをしている、もっと言えばそれぞれ尊厳ある存在なのだと、示されているように思われました。
そしてこの、ろうあの人達は(可哀そうな存在なのではなく)他の人達と変わらず尊厳ある存在なのだという基調は、映画の初めから終わりまで貫かれていたように感じました。
主人公・五十嵐大の母・五十嵐明子(忍足亜希子さん)は、夫の五十嵐陽介(今井彰人さん)と共にろうあ者ですが、外から見ると大変な日常に見えても、決して本人たちはろうあのハンディに逃げ込むことなく、私達以上に自らをそして特に息子の五十嵐大を、尊厳ある存在として示し続けていたと思われました。
映画を通して静かな感銘を受けるのは、その私達にも通じる普遍的な人間の尊厳が示され続けているところにあると思われました。
個人的に特に感動的だった場面は、映画の終盤で主人公・五十嵐大が自宅に帰って来た時に、ちらりと家の玄関の郵便ポストが映る場面です。
映画の初めの方で、幼少の頃の主人公・五十嵐大が、折り紙の裏に書いた拙い手書きの手紙を家のポストに出しに行き、郵便屋さんが来たと母・五十嵐明子に伝えます。
母・明子はそれで息子・大の手紙をポストに取りに行き、それに呼応して、自分も折り紙の裏に手紙を書いて家のポストに出しに行き、郵便屋さんが来たと息子・大に伝えます。
この幼少期の頃の母と息子とのポストを介した手紙のやり取りには、何気ない日常の中に、子供の未来が本当に希望に満ち溢れて広がっている事を、信じてやまない母の姿があったと思われます。
しかしながら現実のそこからの息子の大の未来は、高校の受験に失敗し、役者の道も諦め、バイトの日々の中でようやく行き着いた小さな出版事務所も代表者や先輩社員が夜逃げする世界で、フリーのライターで辛うじて食つなぐ厳しさある場所でした。
それでもそうなった現在でも、息子の誕生で息子の未来に希望を溢れさせた時と変わらず母は確実に今もそこに存在していました。
もちろん、生まれながらにして存在を否定されている人達がいる事は知っています。
しかしながらそれ以外の多くの人々にとって、この映画が描き出す誕生からあふれ出す未来への希望と、そこから萎んだ日常の現実になったとしても、この映画で描かれた変わらぬ母と子の関係性は、ろうあ者、健常者に関わらず普遍的な一つの姿を現わしているように思われました。
映画の終盤の駅のホームで、母・明子の背中を見ながら、過去の自らの母への悪態などとその時の母の表情を思い出し、主人公・五十嵐大は慟哭します。
この場面で描かれていたのは、母が示し続けた自らの人間の尊厳が、ようやく息子である自身にも伝わった瞬間だと思われました。
そして映画を通して描かれた人としての尊厳は、ろうあ者に関係なく、私達観客の心の普遍的な深い所を突き刺し感動させていたと思われます。
今作は、例えばなぜ五十嵐大が役者を志したのか、なぜ出版社に行こうとしたのか、など、前後が結びつく形では描かれず、事実を塊で提示し続けて行く作風で、しかしそれぞれの事実の塊は同様の作風の他作品と比べた時にそこまでの驚きはないとは感じたので、今回の点数に僭越ながらなりました。
しかしながらそれを差し引いても、感動の深さから言うと、特に母と息子を通した普遍的な尊厳ある人間表現によって、今作が他の人の評価も高いのは当たり前だよなと、一方で強く思わされました。
耳が聴こえない両親を持った少年の誕生時点から、成長に伴って感じ始める悩みや苦しみを時に生々しく描いた人間ドラマです。次第に両親への理解と感謝の心を持つに至る姿に胸が熱くなります。
日本版コーダのお話と予告を観て知りました。
フランス版「コーダ」では、新しい世界に飛び込む
少女の姿が描かれましたが、こちらはどんな作品なのか。
気になった作品は鑑賞です。
「エール!」や「コーダ あいのうた」で外国のコーダのお話は
観てきましたが、日本のコーダのお話はどう描かれるのか。
さあ鑑賞。
冒頭、港で船体の塗装をする男の場面からスタート。
休憩時間のチャイムがなっても作業を続けている。
その男に近づき、別の男が背中をたたいて合図。
気付いて振り向いた男、いそいそと帰っていく。
帰宅した男の家には、何名かの大人たち。
部屋の中には、ふとんに寝かされた赤ちゃん。
周りにいるのは、この赤子の両親や親戚たちらしい。
祖父。祖母。
父と母。この二人は耳が聴こえない。
叔父と叔母。
この赤ちゃんが、どうやら主人公。
ろう者を両親に持つ子供の話なのは知っていたが
生まれた直後からコーダを描いた作品とは予想外 ・_・;
幼稚園
家に来た友達から「お前の母さん変わってる」と言われて
何となく「そうなのかも」と気付きだす。
⇒遊びに来たトモダチに悪気は無いと思うのだが…。
この年頃の子供の無邪気な発言は、刺さります。
小学校
近所の家の育てている鉢植えの花を壊した犯人にされかけて
母が通りがかっても事情が上手く説明できずに逃げ出してし
まったことも。
⇒近所のおばちゃんの決めつけはヒドイと思う…。
言いくるめて犯人をでっちあげようとしていたのだろうか。
中学校
三者面談にお祖母さんに来てほしかったのに「どうしても」と
母親がきてしまい、結果ほとんど会話に参加できていなかった。
⇒先生との会話の中から、自分の現状について色々と察する事を
期待していたのかもしれない と推測。
◇
帰宅した際にランプを点滅させ「帰った事」を知らせる場面が
印象的。(エールやコーダにもあったような気も)
小さな頃は数回チカチカと点灯させていたのが、中学生の頃には
おざなりに1回だけ押してすぐ部屋に引っ込んでしまうのも印象的。
次第にそういった「耳の聴こえない親」への配慮が面倒くさく
なっていく様子が伺える場面。
そして主人公は成人し、親元を離れる。
最初の頃は役者を目指していたようだが、次第に挫折。というか
家を出たかったのだろうかと推測。
結局は東京に出て、パチンコ店の店員。
耳の聴こえない客の欲しい景品を手話で通訳したのをきっかけに
聾者の集まりに顔を出し始めたり、物書きの仕事に興味が涌いたり。
訪問した幾つめかの出版社で、自分を飾るのに嫌気がさして自分を
さらけ出して面接を受けたら結果採用されたり。
※この出版社のユースケ・サンタマリア演じる編集者のうさん臭い事。♡
◇
8年ほどが経過。父が倒れて帰郷。(実家は宮城県石巻市)
父は命を取りとめ、何度の涙を流す母。
祖父は既に亡くなっていて仏壇の中。
祖母も体の調子が芳しくない。
「こっちに戻ろうか」
そう切り出す主人公だが、大丈夫とやんわり返す母。
外出からの帰り、電車を降り先を歩く母の姿を見て、
自然と涙が溢れてくるのを堪えきれない主人公。
この涙の姿はとても印象的。
ある程度大人にならないと、親の気持ちはわからない。そういう
ものかもしれませんが、 ” あぁ分かる ” と納得できる場面でした。
日本のひとつのコーダの物語。
観て良かったです。
◇あれこれ
■日本のコーダ
人口が2万数千人とか言ってました。…ふむ
多いのか少ないのか、何とも言えない数字です。
” やれることを取り上げないで ”
コーダ仲間の(というか、ろう者の)集まりに参加した際に
料理の注文などを引き受けようとした大に、親しくなった一人
がかけた言葉が印象的でした。
■手話にも方言?
「ウソ」を手話で表現したら、宮城生まれ?と言われた大。
宮城と東京では、手話の表現が違っていると分かる場面。
見ていて思わず「うそーん」と突っ込みました。
日本統一では無かったとは知りませんでした。@-@
■母さんゴメン
” こんな家に生まれたく無かった ”
” 母さんは何も協力してくれなかった ”
作中でさんざん母をののしった大。うーん。
気持ちは分からないではないけれど…
※何故かグレープの「無縁坂」の歌詞が頭に浮かびました。
■父さんゴメン
父ちゃんは死んだのだろうと思っていました…。
予告編を何回か観たのですが、その中に居なかった気がして
小さいころに亡くなって母子家庭なのかと。
最後まで健在でした。誤解してすいません。
■爺ちゃんはしょーがないかも
生前、あれほど嫌っていた祖母のお経。
自分が死んだ後、延々と仏壇の中で聞かされる事になるとは。
まあ、酒飲みの博打打ちのようでしたから自業自得か。
とはいえ少しだけ気の毒な爺さんでした。@_@
◇最後に
「ふたつの世界」のタイトルの意味するところを、少しだけ
考察してみました。
シンプルに 耳の聞こえる者 と 聴こえない者
身内に ろう者がいる者 と いない者
ろう者に 関わる者 と 無関心な者
手話を知らない自分ですが、無関心にはなりたくないなと
思います。身振り手振りであれ、困っている人がいたら何か
の助けになれれば良いのですが。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
コーダの家族の物語
母が子を思う気持ち、それに子がいつ気が付くか
この映画は絶対に観たいと思ってて、レビューも評価が高い中で行きました。
親と子の双方の思いを緻密に描かれてて、生まれた時から順に成長する過程で、コーダに限らず健常者の一般家庭でも誰もが通る時期、事柄が共感しまくりです。
親の心子知らずとは昔から言い古されてきた言葉ですが、どんな時代でも変わらないのですね。子供は未熟だから当然なんだけど。
この映画はテレビドラマでは成り立ちません。あえてサイレントにするシーンなど秀逸です、スクリーンの光だけだからこそ音に集中出来てまた聾唖の人達の感覚を知る上でも良い手法が感性に訴えかけてきます。
人間くささというか登場人物達も普通の人達で映画の中だけの話とは感じさせません。
どの人物も演技に魅了されますが、母親の忍足亜希子さんの表情が怪演と言うべきで、今年の最優秀女優賞差し上げたいです。
ラストは涙が溢れて止まりませんでした。
私の中で今年一番です。
「ありがとう」はいつもこっちの方なのに
わたしの中で色々な感情が出てきて難しい映画だと感じた。
知らない世界すぎてわたしの中に持ち合わせている言葉ではこの映画で感じたことが表現できなくてもどかしい。
見てよかったと思える映画だった。
前半はろう者の子育てや生活って大変だな、思春期の子どもはそりゃ反抗するよな、嫌だよな、なんてことを悶々と感じていたが後半は母の愛を感じた。
手話も地域によって違うことを初めて知った。
母が補聴器を買って大の声が聴こえるって非常に喜んでいたことが印象的だった。
言葉が理解できるからじゃなく「声(大の音)」が聴こえるだけで嬉しいんだな。
大が持つ悩みは自分がなにをしたいかとかいまだにわたしも悩んでるしそれを親に相談することもないしコーダということ以外は他の人と何ら変わりのないものだと感じた。
でもコーダだからこそ手話もある程度できるし人の表情とか空気の感じ方とか、より繊細に感じられてそれが自分の強みになるんじゃないかなと思った。
手話を職にしたらいいじゃない、と思ったけどそれは彼のやりたいことではないんだろうなぁ。
母とスーツを買いに行くところは微笑ましくてワクワクした。
最後母が大に「ありがとう」と伝えたところで涙が出た。
ありがとうなんて言うのはいつもこっちの方。
いつもいつも心配してくれてちゃんと叱ってくれる。きつい言葉を言ってもいつも通り優しく笑ってくれる。
そして、バトンは渡されたを見た時も思ったけど母ってどうしてあんなに強いんだろう。強いって言葉はきっと適さないんだろうけど。偉大だなぁ。
エンディングの曲も歌詞を見ているとまたどんどん泣けてきてどうしようかと思った。
日頃の自分の行動、言葉選び、色々正さなきゃな。
あとこれからも母(家族)との時間は大事に大事にしていきたい。
ろう者の方も多くいらっしゃったけど、どのような感想を持たれたのか気になる。
吉沢亮さんは顔だけじゃなく良い役者さんだな。
とても印象的で涙するも、詰め込みすぎ感もあった
この作品は大きく分けて3つの構成に分かれている。
1つ目は主人公の男性の幼少期〜思春期の話で、幼少期には全く気にならなかった「両親が唖者」事実が、成長の過程で主人公にとって諸悪の根源のように感じ両親と対立していくいわば「反抗期」の様相を子と親それぞれの視点から描いている。ここで印象的だったのはやはり反抗期の描写で、「自分も反抗期あったよなぁ」と振り返りながらみていた。
2つ目は青年期の話で、ここでは反抗期から落ち着き両親との関係も落ち着いてきた主人公が東京で一人暮らしをする中で、健常者として社会に関わる自分と、手話を話せる身として唖者の社会に関わる自分の2つの世界が、これまた主人公の視点と周りの視点の両面から描かれている。ここで印象的だったのは、唖者の友人たちと飲み会を開き、言葉の話せる主人公が親切心として注文を取り仕切っていた時に、唖者の友人の一人が「自分たちでも紙や指で注文できるから、自分たちで注文する機会を取り上げないで」と主人公に指摘していた箇所だ。もし自分が主人公と同じ立場でも主人公と同じようにしただろうが、それは相手からしたら余計なお節介で憐れまれているようにも感じ、自分でできることは自分でしたいよなと気づきがあった。
最後は、しばらく東京に出ていた主人公が久しぶりに実家の両親のもとに戻り、そこで主人公は初めて、自分が手話や親を避けていた時に親がどう感じていたのかを知るのである。ここで印象的だったのはもちろん、電車の中で主人公がお母さんと手話で楽しく笑いながら会話をした後にお母さんが発する「電車の中で周りに人がいるのに手話で話してくれてありがとう」という言葉である。この言葉で主人公は、今まで自分が手話を使うことや唖者の親と話すことに恥や嫌悪を感じて避けてきたこと、そしてそれによって親が悲しい思いや寂しい思いをしてきたことを回想し、そんな自分が恥ずかしいと同時に親への申し訳無さや感謝でいっぱいになり、駅のホームで親の背中を眺めながら涙するのである。このシーンでは映画館の中で涙を流し鼻をすする声が響いていた。
さてこのようにそれぞれのシーンに印象に残る場面があったものの、いやだからこそ、色んな要素を詰め込んでしまい一つ一つが薄くまってしまったように感じたり、「このシーンなんのためにあるの?」と思ってしまうような演出もいくつかあった。例えば主人公が就活で面接している場面や出版社で働いているときの出来事、社長の逃亡や面倒なクライアントなどのシーンは、この作品が伝えたい大枠に対して必要なシーンだったのだろうか。
改めて、色々気付かされる映画
2年ほど前に観た「Coda」同様、耳の聞こえない両親に育てられた子供の話。本人の自伝?の映画化のようです。時代的には、昭和から平成初期にかけてか?
変に感動させようとせず、たんたんと生きる姿が描かれる。生まれてすぐの状態からエピソードが始まるので、どれだけ大変かがしっかり描かれているので、理解しやすい。
途中、補聴器を付けた母が、声が聞こえるが意味が分からない事が語られ、改めて気付かされた。そうか、初めて聞く言葉は音でしかないんだ。自分の想像力の及ばない事態があるんだと知らされる。
半ばで語られる母親の過去もかなり驚かされる。けど、過去の日本はそれほど無理解だったんだろうな。
色々気付かされる、観るべき映画。
#ぼくが生きてるふたつの世界
全235件中、61~80件目を表示