ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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「社会的弱者であること」と「可哀そうであること」はまったく別物
呉美保監督といえば、田舎の漁村で最貧困の生活を送り、人間関係のしがらみから逃れられない人々の苦しみを直視した『そこのみにて光輝く』(2014年)や、まったく綺麗事を排除した教育現場や児童虐待の厳しい現実を直視した(教育関係者なら目を逸らさずに必見の)『きみはいい子』(2015年)など、弱き者たちから決して目を逸らすことなく、上っ面な憐れみはかけずに、どうしようもなく胸が締め付けられるけれど、温かな眼差しを忘れることがないため、しっかりと心に刻み込まれる作品を撮ってきた監督。でも、本作は、しっかりと心に刻み込まれる作品であることは間違いないが、「温かな眼差し」の方に重点が置かれたように感じた。
10年前の作品では上映後に胸が苦しくて立ち上がることも出来ないくらいだったのが、今回は本当に温かな気持ちになって観終えることができた。とは言え、偏見や差別、貧困といった要素はしっかり描き込まれているし、また社会的弱者であることと可哀そうであることはまったく別物なのだといった批判的視点も決して忘れられていない。
この10年歳を重ねた結果、こちらの涙腺もずいぶん緩んだようで、大きな出来事はほとんど起きず、淡々とした日常が描かれているだけなのに、ハンカチを握りしめながらの鑑賞となってしまった。
東京🗼でも生きる
いわゆるcodaとして生まれた、大、の成長譚。
中盤以降に明かされる両親の馴れ初め、
そして駆け落ち、東京🗼パフェ、
家庭にもよるかと思うが、
codaの立場は知らない者からしたら大変そうと思いがち
大の家では聴覚障害者の両親と母明子の両親と暮らす。
一人っ子でジジババからも大事に育てられた。
ただ、10歳前後から同級生の目を気にするようになり、
怒涛の思春期に突入。
何にでも神経質に尖って見て感じて言うお年頃。
お母さん、お母さんと言ってたのに、
母をバカにする。
相談したかったら、お前から相談しろ❗️
三者面談なのに、担任事前に用意できないのか❓
懇談内容を簡潔にまとめ文書にして見せること。
母親の来た意味無いやろ。
お父さん、ナイス👍
大がしたい事本人がわからない。
役者? パチンコ屋でバイト、 編集者?
最初のお上品なとこは駄目みたいだったが、
むさくるしそうなところには引っかかった。
パチンコ屋のバイトの時、
たまたま手話を使い客と会話。
その人の繋がりで手話サークルに参加。
バーちゃんの携帯からかかって来た電話、
無視せずかけ直すあたり、
心配しているんだね。
手話サークルに行くなんて自分の生活の一部として
思っているからかな。
手話会話もしたいし、
また手話会話することでより上達したい想いもあるのかな。
そして、
そこからまた派生する人脈を自ら進んで構築していく。
東京🗼に行け。
というお父さんの言葉にしたがって良かった。
実家にいる時は、母と噛み合わずイライラしていたけど、
一人の人間として生活する中、
出会った人たちと付き合ううちに
これまでの自分の人生で常に身近な手話を臆面なく
使い会話して楽しむ生活の一部となっている。
両親共に聴覚障害者だから?
皆と同じく元気に生きているんだよ。
美人のお母さんの一言が心に沁みる❤️
私たちが生きていくふたつの世界は、きっと素敵だ
耳の聞こえない両親の元に生まれた子供。“コーダ”。
アカデミー作品賞を受賞したあのハートフル感動作が有名だが、本作はその日本版と言うべきか。
日本リメイクではない。原作者の自伝的エッセイの映画化。題材は同じだが、アプローチも違う。
『コーダ あいのうた』は聾唖の両親の元に生まれた娘の人生の岐路と家族の絆。
本作は子供の誕生から成長、家族との関係や葛藤、主に息子と母親の心の機微、双方を通してより繊細に“ふたつの世界”を描いていく。
共に耳が聞こえない陽介と明子。二人の間に、待望の子供が誕生。
大と名付けられ、無事耳も聞こえる。喜びや幸せに包まれるが、ここからが大変。
明子の両親も一緒に暮らしているが、耳が聞こえない二人に子育ては苦労の連続。
赤ん坊が泣いていても気付かない。ちょっと内職に専念し側で何かを倒しても気付かない。大事には至らなかったが、もしも…だったら?
愛情は人一倍。それを一身に受け、大は成長。まだ幼い頃から手話を身に付け、それで両親と会話したり、時には周囲との通訳になったり。
それが当たり前で、仲も睦まじかった。
小学校に上がった頃から。家に遊びに来た友達から耳が聞こえない母親や上手く喋れない事を“ヘン”と言われる。手話も物珍しい。
次第に周囲の“普通”の家族とのギャップを感じ始め、授業参観なども知らせず。
高校生ともなると手話で会話する事すら煩わしくなった。母親にも素っ気ない態度。
20歳になるとそんな両親や退屈な地元から逃げるように、東京へ。
本を読む事や物を書く事が割りと好きだった事から、出版社へ面接。一流どころは何処も落ちる。
下世話記事などを扱う小さな会社へ面接。複雑な家庭環境話が気に入られ、いきなり採用。
いい加減な感じの編集長から金言。実力より高い仕事が来たらチャンス。逃げるな。…と思ったら、タモリの受け売りかよ。
仕事は忙殺ながら、徐々にその世界の色に染まっていく。
時に耳を塞ぎたくなる事も。これが“聞こえる世界”としたら…
まだパチンコ店でバイトしてた時、たまたま耳の聞こえない客と知り合う。
それがきっかけで聾唖者の集いに参加。交流を持つ。
聾唖の両親や手話が嫌で東京に出てきたのに、数奇な縁。
交流を通して改めて…いや、初めて知らされる事も。
地元では通訳を介さなければ生活もコミュニケーションも難しかった。しかしここでは、聾唖者であっても自由に自分の人生を生き、社会の中で暮らしている。不便な事もあるだろうが、それを苦や恥とはしていない。
会食時、気を遣って注文役をしたが、私たち自身で出来る事を奪わないで、と。
勝手に聾唖者を不器用、何も出来ないと思い込んでいた。
そのポジティブな姿に教えられる。寧ろ自分の方こそネガティブだった。
こちらが“聞こえない世界”。不思議と心地よさや居心地の良さを感じる。
“聞こえる世界”と“聞こえない世界”。
確かに双方に、偏見や生きづらさはある。
が、違いは無いのだ。
幸せ、喜び、悩み、葛藤…。各々持ちながら、周りと触れ合いながら、一人一人が自分の人生を生きている。
ふたつの世界を生きる事は、多くの他の人には無い、特別な事かもしれない。
いい事も嫌な事も含めて。
そして感じるのだ。
改めて知らされる。無償の温もりを。
父が倒れ、8年ぶりに帰郷する。
命に別状はナシ。祖母によると、母は今まで上げた事のない声を上げて狼狽したという。
母は今は落ち着いて、あの頃と変わらず迎えてくれる。
一時ぎくしゃくしたけど、母と自然なやり取りを。
変わった?…と聞かれる。
変わったんじゃない。気付いたんだ。
帰れる場所がある事。迎え入れてくれる人がいる事を。
聾唖のキャストを起用したり、聾唖や手話に通じたスタッフを配したり、リアルに拘ったという“聞こえない世界”。
劇伴を廃し、周囲の雑踏や自然音に溢れた“聞こえる世界”。
丁寧に紡ぎ上げていく。
もっとドラマチックな作りにも出来たかもしれない。大が聾唖グループの人と恋に落ちたりとか。
気になる余白の部分もある。知り合った聾唖女性から私の話を書いてと言われ、大は書いたのか。
『コーダ あいのうた』のようにもっと泣ける大衆向けにも出来た。
しかし、そういった安易な作りにはせず。静かでドラマチックな大きな展開は無いが、引き込まれる。尺は100分ちょっと。もっと長くこの作品に浸っていたかった。氾濫する無駄に長い作品なんかより、こういう作品こそ120分やそれ以上あっていい。
長編映画は9年ぶりになるという呉美保監督だが、その確かな演出は変わらず。シリアスな作品も多いが、最も温かく、優しい。
『コーダ あいのうた』がアカデミーで好かれたのなら、本作だってそのレベルにある。勿論、日本のではなくアメリカの。一切無視した日本バカデミーに価値は無い。
吉沢亮の好演。幼少期や少年期を演じ、見事な手話も披露した子役たちも。
出番は多くないが圧倒的存在感のでんでん。タモリの金言受け売りのユースケ・サンタマリアなども印象的。
やはり聾唖のキャストの好演光る。
パチンコ店で知り合った中年女性、聾唖グループで知り合った若い女性。その温かい輪。
『コーダ あいのうた』のトロイ・コッツァーほどではないが、人柄溢れ出す父親役の今井彰人。東京に行きたいと言った時、全面的に応援。三浦友和よりカッコいい。
大金星は、忍足亜希子。彼女から滲み出るは、聾唖者の悲喜こもごもより、母親の優しさや温もり。
誰もが愛情溢れる母親の姿に魅せられ、自身の母親と重ね、思い出すだろう。
私の母が亡くなってもう10年経つ。ちと世間知らずで不器用な母だったが、一緒に映画を観に行ったり、外食したり、思い出すのは良き思い出ばかり。
演じた母親像や姿に、在りし日の母を思い出させてくれた忍足亜希子の名演。
キネ旬助演女優賞受賞。妥当で当然の受賞。時々異論もあるキネ旬だが、こういう所をきちんと評価するのは信頼に値する。一切無視した日本バカデミーには本当に呆れ果てる。今後も存続していく必要性、あるのか…?
大は東京へ戻る。
駅のホームで思い出すは、東京に出る直前の事。
母に伝えたら、驚かれたが、一緒に必要なものを買いに。
喫茶で軽食。父親から聞いた駆け落ちエピソードに赤面し、その時食べたパフェ。
電車の中でも自然と手話での会話続く。
何故あの時は、あんなに自然体でいられたのだろう。
それに気付くまで、ちょっと遠回りした。
昔からそこに居てくれた。
あの温和な笑顔、優しさ、美しさ…。
変わらず、ずっと。
それに涙する。
それらを胸に、ぼくはまた生きていく。
私たちも生きていく。
聞こえる世界と聞こえない世界。
ふたつの世界で。
それはきっと、素敵だ。
親子が紡ぐ世界観が良い
五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」が原作。
母親(五十嵐明子)役の忍足亜希子の演技が良かった。
忍足亜希子自身がろう者だからということだけではなく、明子がどこにもいるような母親だったからで、子を思う母の愛が伝わってきて心に響いた。
特に終盤、スーツを買う場面や帰りの車内での会話は目頭が熱くなった。
もちろん、吉沢亮(五十嵐大)の演技も良かったのは言うまでもない。
思春期(ちょっと中学生には見えなかったけど)から青年期までの、鬱屈した心境や怠惰な日常を見事に表現。
心に葛藤を抱える青年期あるあるに共感できた。
それにしても出てくる子役がみんな吉沢亮そっくりなのには笑ってしまった。
父親(五十嵐陽介)が、明子と東京へ駆け落ちしてフルーツパーラーでパフェを食べたことを大に話しながら、東京へ行くことを勧める。
この場面は、父が息子にかける愛情がひしひしと伝わった。
父親役の今井彰人もろう者であるが、自然な父親を演じていて笑顔になれた。
祖父(でんでん)、祖母(烏丸せつこ)が一生懸命に明子を育てたことが短い場面ながらも理解できた。
コーダとしての大が、東京でろう者と交流を持つ中で様々な学びがあり、それが親への愛情に変わっていくところが、観ているこちら側の学びにつながっていった。
列車がトンネルを抜けると同時に大が操作したパソコンで映画のタイトルが出てきた演出に感動。
また、テーマソング「letters」が最後に流れ、母が子に贈る手紙の歌詞に心を揺さぶられた。
亡き母もこんな気持ちで家を出た私に対して思っていたのだろうと。
追記
「ゴールドボーイ」と同じ脚本家(港岳彦)だとはとても思えないのは私だけなのか。
2517
彼と共に追体験するろう者の世界
CODAのストーリー
ろう者の話では無くて、CODA(障害の親の元で生まれ育った子ども)の話。
映画の雰囲気はとても良い。
邦画らしい良い映画だと思う。
ただ、物語はお涙頂戴でも無い、主人公に特別大きな葛藤が表現されてる訳でもない。
観てて、「まあ、そんな事もあるよね」ぐらいな展開。
CODAとか関係なく、普通の人と変わり無い心情だと思う。(もしかしたら、これがメッセージなのかもしれない)
正直な、感想としてドラマを求める人には物足りない映画かな。
やはり最高の作品でした。
耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、ごく普通の家庭として過...
耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、ごく普通の家庭として過ごしていたが
小学生頃から、何気ない友達の一言や、周囲の目線で、ふつうではないんじゃないかと思うようになる。それから、母には反抗的になってしまう、一度にたくさんのひとと関わるようになって比較対象がたくさんできてしまう時期なので仕方ないことはあるなと思った。
ずっと、長い間、話すことを避けてきた母親に
「みんなが周りにいる中、手話で話してくれてうれしかった。」といわれて
いままで、ひどい扱いをしてきてしまった、母親の気持ちが強く伝わってきたのかもしれない。むせび泣く吉沢亮の芝居が胸に迫るものがあった
耳が聞こえなくても特別ではない
私自身ろう者の人と出会ったことはないけど、特別扱いするのはやめようと思った。
エンドロールは、母親の手紙が英語で歌われていて、そんなかんじで、言語が違うだけで何ら変わらないと伝えたいのかなと思った。英語をしゃべる人と会話したいときは英語を学ぶのと同じ
中学生になって、突然吉沢亮になって自転車を漕いでくるのが映った瞬間ちょっとおもしろかった、でも意外と中学でいけてたね。
出演者みんな演技が自然でよかった。
家に遊びに来た男の子が、大の母を不思議そうに見る表情がじわじわきたし、
花壇の犯人だと決めつけてきた女性は、絶妙にむかついた(笑)
この映画は全くのフィクションですね。
・「あしたば」ぐらい分かる!
・第2成長期は仕方なくとも、こんな息子いないだろ!
・両親よりもTATTOOな爺さんや新興宗教の婆さんの方が問題だろうが。
・TATTOO爺さんがいる家族の孫を近所の人が差別する訳がない。
・塾まで通って、高校落第して、親にアタルなんて、問題外のウマシカ息子。
・東京で働く意味の無い仕事をしている。
・障害を持った者はもっと狡猾に生活をする術を持っている。勿論、その息子となれば。
・編集は経験が無いと出来ないんじゃない。
・ろうあ者と言って同情はされたくないだろうが、差別されたくないって事でしよ。
・散文的なわけわからん話だね。この主人公のやっている編集社ってなんなんだろう。意味不明な雑誌。
・両親がろうあ者だから「おろせ」はなかろう!子供が欲しくて妊娠したんだから、そんな事言うジジイ、ババアに問題がある。
・爺さんがTATTOOあるだけで編集者になれる。実に羨ましい。
障害者の話だから、まったく評価しない訳には行かない。同情ではない。
ろうあ者がわかるように日本映画なのに字幕を入れるのは良いが、視覚障害者にはまったくわからない映画だった。
まぁ、最後は分かった。でも、そうなの?実話なんでしょ?但し、原作者のご両親はお元気なので、ご安心を。
追記
2011年にブログって流行っていたかなぁ。また、仕事探す時にネット検索したかなぁ。
失礼しました。2005年にブログって流行語になっているだね。知らなかった。
所で、ブログって「何」?
コーダの人生を丁寧にリアルに描く
「そこのみにて光輝く」の呉美保監督作品。
とても丁寧で、リアルに描かれている。
コーダ(両親がろうで子供は健常者)の息子と母(ろう)の関係を生まれてから、20代後半までを描く。
とても面白かったので、色々と調べたりインタビュー動画を見た。
監督は、リアルさの追求を大前提で撮ったとか。だから幼少期から子役や小学生の子役たちは主演の吉沢亮によく似ていることを前提で選んだとか。全く違和感がない。そんなところも気を遣ったとのこと。
今回は、両親役は本当のろうの役者を使っていて、他に登場するろうの人は皆さん本当のろうの人を使っている。
手話の脚本もあり、手話の演出の人も常時立ち会って撮影した。
主人公の現在までの半生をその時代時代で点描していくのがとても滑らかで見入ってしまう。
でラスト。それまで、劇的効果を排していたけど(音楽なし)、ここで映画的な演出をする。静かながら、ドンとくる演出。
じんわりと泣けてくる。
音楽が全くない(エンドクレジットにはテーマ音楽が流れるがそれまではない)のは、ろうの人が見ても健常者と同じように楽しめるようにという考えからとか。
ドキュメンタリー的では全くなく、しっかり劇映画だけど現実を切り取ったようなリアルな世界がしっかり息づいている。
役者もみんないい。祖母役の烏丸せつこがリアル。いい役者になりました。
あと、母親役の忍足亜希子。彼女が声を出すのですが、それだけで泣けてくる。ろうの人は言葉にならないような声を出して手話をするのがリアルらしいのです。
呉美保は、凄い監督だ。
無償の愛
CODA、他の映画でメジャーになったから、少しは一般の人にも浸透してはいるんだろうけど。あのとき少し手話やろうかなと思ったが、時間を捻出して学ぶってなかなかどうしてできない。そして、私自身は聾者との接点を得ることのないまま、時は流れる。
お母さん役の忍足さん、もうアラフィフなのか。実生活では聴者の俳優さんと家庭を築いている。出会いはゲスト出演した舞台で、旦那さんはそこから手話を学び始めたとか。興味を持つ、もっとコミュニケーションをとりたい、っていうモチベーションの源泉は大事だよなぁ。その夫の兄が横浜ベイスターズの三浦大輔とか、一生懸命に努力ができるって、血筋や環境によるところが大いにあるな、と思った。
CODAもまた環境によって規定されるところが大きい。本作のように、20世紀の田舎(宮城県の沿岸地域)ではまだ周囲の理解も乏しく、経済的にも決して恵まれているとはいえない状況下で思春期を迎え。聾者の母を疎ましく思ったり、当たってしまうことがあるのも、未成熟な若者としては当然なのかな、と思う。お母さんの気持ちを思うと、凄く心が苦しくなるけれど、聾者・聴者に関わらず、多くの親が子の反発を儀礼として通過していくんだよな。振り返れば自分自身も親とぶつかっていたなと思い当たり、懺悔の念にかられる。
何も見出せないまま成人し、上京して。たまたま縁のあった居場所を見つけ働いて。何とか人生を軌道に乗せていく。人はそれぞれにあった居場所さえ見つけられれば、生きていくことができるし、何がしたいか分からなくても、大抵は何とかなるのかなと思う。そして、反発していた家族との間で培った手話が、東京での新たな絆を育んでいく。経験してきたことが、どこでどうプラスに働くかって分からないもんだよな。
時を経て、再び母と向き合い。母は変わらず愛情を注いでくれている。こんな母(両親)ばかりではないのは承知しているが、自身の親から受けた愛情について改めて思いを致した。
母子の情愛のベタつきを巧く回避。
心に響く作品。
心に響くいい映画だった。
「ぼくが生きてる、ふたつの世界」という言葉は、この作品にぴったりくるタイトルだなと、観終わってしみじみ思う。
でもそれを、「ろう者と聴者」とか、「手話と音声言語」とか、観ながら頭に浮かんだ「偏見や思い込み」とか、「悪意の有無」とか、「ディスコミュニケーション」だとか、そうした言葉で言語化しても、表面的で陳腐なレビューしか書けない予感しかない。
なので、今回は個人的な体験と重ねて、2つのことについてだけ、記録に残そうと思う。
<ここから少し内容に触れます>
①大が、手話サークルで知り合った友人プラスその友達たちと飲む場面。
大が、代表して飲み物やつまみを頼んだことに対し、しばらくして友人は「さっきは、ありがとう。でも、私たちのできることを取らないで」とトイレのそばで話しかけてくる。
このセリフがとても共感できた。
私自身、まだ、なって一年も過ぎないが、呼吸器障害を抱え、たまに車椅子ユーザーでもある。
なので、自分に向けられた「思いやりや善意による行動」は、素直にありがとうという気持ちだ。
でも、積極的に周囲の人々に思いやりや善意の行使を求めたり、すがったりしたいわけではないこともわかってほしい。
私が「できることをできる方法でやってる」ことを認めて、見守ってもらえたらと思う。
②迷惑をかけたり冷淡な振る舞いをしてきたりしたことへの謝罪や、はるか昔の大学生の頃、友人と早く遊びたいが故に「忙しいから泊まらずに帰る」と言った私に「帰ってご飯を作るのは大変だろうから」と弁当を持たせてくれたことなどへの感謝。7年前に母が急逝してしまった今となっては、もう伝えることは叶わない。そのことを一番後悔したのは、今日この映画を観終わった時だったかもしれない。
吉沢亮と忍足亜希子、2人のやり取りに泣けて仕方がなかった。
コーダの話し
これはもっとたくさんの人にみてほしい作品。
⚠️私自身、配慮が足りず偏見のある書き方をしている場合があります。申し訳ございません。
冒頭のシーン。音が聞こえない。この始まりがまず素晴らしいと思いました。
私は普段ポップコーンを食べながら映画を観ますが、あの静けさはほぼ初。でもまんまとこのシーンで映画の世界に引き込まれた気がします。
冒頭でぐっと引き込まれてから、吉沢亮くんの芝居に最後までやられました。
親は悪くないけど、結局は産んでしまったから子供が不幸になってしまう。私の想像以上の苦しさを感じる作品でした。でも、それでも親は悪くないんです。
そこがわかるまでずっと親を恨み続けてしまうというか、親のせいにしてしまう大にも共感できてしまいました。
どの世界でも人のせいにしていたら成長は一生できないんです。それを知るまで成功なんてしないんです。失敗だらけなんです。でも失敗も成功もあるから成長するんです。
私の今までの人生を少し重ねてしまう部分もありました。
そして。最後も刺さってまたもや涙。
ぜひ皆さんに観ていただきたいし、2024年のTOP5に入る作品でした!
Diversity Inclusion、Unconscious Bias
吉沢亮君が世間を賑わす前の暮れに都内最後の上映となる映画館で鑑賞。
呉美保監督の9年ぶりの作品。淡々と場面が流れていく。
吉沢亮は東京リベンジャーズ、キングダム、最近観たのは大河ドラマの青天を衝けだが、それらの作品では悪くはないのだけれど、等身大以上の役を演じてる感があり、ちょっと白々しい印象を受けていた。それが、今回はすっと入ってきた。ああ、吉沢亮はこれが素なんじゃないか。そう思わせるぐらいの自然さだった。
印象的だったのは、健常者の吉沢亮がろうの人に親切心から手助けをした時に言われた、「ありがとう、でも私達から取り上げないで」と言う言葉。ハッとした。できる事が限られている人達は、できる事を大切にしたいのだ。余計に気遣ってほしくないのだ。普通に接してほしいのだ。多くの人達はできる事が多い側の人間だ。だから、たくさんあるものから優先度をつけて捨てていく。我々の世界は引き算だ。でも彼らの世界は足し算なのだ。できる事が限られている人達からできる事を取り上げてしまったら、引いてしまったら、ゼロに近づき、その人は自分の存在価値を希薄に感じてしまうのかも知れない。親切という名の傲慢。本当の優しさとはいつも難しい。
そして電車の中で吉沢亮がお母さんと手話で普通に話した後、電車を降りた時のお母さんの、「ありがとう、人前なのに話してくれて。普通に接してくれて」という言葉にも固唾を飲んだ。人は無意識に人の目を気にする。無自覚に偏りを持って人を見る。Diversity InclusionとUnconscious Bias。もっと色々な人達に触れ、想像しないと身に付かない。基本的に世の中は不平等だらけだが、平等であろうと心掛ける事はできる。どうか明日の自分は普通に平等な自分でありますように。
「ベビ大ちゃん・プチ大ちゃん・ミニ大ちゃん・チビ大ちゃん・ラスボス大ちゃん」【12月24日追記】
【12月24日レビュー追記】
私の2024年ベスト1映画です。
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「2024年ベスト3」
まだ何者にもなれない今の自分を受け入れ、周囲との暖かい関係に支えられ、少し上を見て前を向き生きていく、というラストの映画3本を選びました。
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「ベストレビュー」
12月初めに、私にとってのこの映画のベストレビューと出会いました。そのレビューに私の想いの全てがあると思い、素直に「読者でいたい」とコメントしてしまいました。
人の縁とは不思議なもので、そのレビュアーさんに自分でレビューを書くことをススメられたことがきっかけで、こうしてポンコツレビューにも追記しています。
大好きな作品だけに思い入れが強くレビューが書き終わらず、映画の中と外にあるものを書き散らかした下書きのまま、未完成のレビューを追記しておくことにしました。
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「非公式アンバサダー」
初日に映画館で観た後、毎日会う人に2種類のフライヤーを渡して、勝手にボランティアアンバサダー活動をしていました。
オススメした相手全員が、その当日から週末に映画館に行ってくれたこと、そして全員が良かったと感想を教えてくれたこと、そんな小さな奇跡が起きた映画でした。
(男の人たちは映画で泣いたと言うのが恥ずかしい様子で、その話を聞き出すのが楽しかったです、ごめんなさい)
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「ロングラン」
9月13日の宮城県先行公開、9月20日の全国公開から、細く長くロングランが続いています。『侍タイムスリッパー』も9月13日の全国拡大公開からロングラン中なので、どちらもファイナルランまで頑張ってほしいです。
11月17日の「ロングラン上映御礼舞台挨拶」に呉美保監督と吉沢亮さんが登壇して、公式Xで募集した質問に答えるというステキな企画がありました。
海外5カ国の映画祭で上映された報告を読むと、日本と同じように、コーダとしてだけではなく普遍的な親子や家族の物語として受け止められている印象でした。
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「バリアフリー字幕」
『ぼくが生きてる〜』で、初めてバリアフリー字幕を体験しました。映画館で2回観ましたが、初日に字幕で鑑賞したことは「ふたつの世界」の理解を深めてくれました。
邦画の字幕版のニーズは多様な理由で増えているので、座席で簡単に表示の選択ができるようになればいいなと思っています。
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「パンフレット」
劇場パンフレットを久しぶりに購入しました。初日に全国的に売り切れてしまったことをSNSで知り、再々入荷でやっと手に入れました。
「宮城県の漁港で東日本大震災は?」「ラストの演出の意図は?」「エンディングの手紙の歌詞はどうして英語なの?」、完成台本も掲載された素朴なパンフレットは、私の疑問に答えを教えてくれました。
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「監督復帰作」
呉美保監督は、次男が産まれた頃に映画の企画の話があり、小さな男の子2人の育児をしながら9年振りに監督復帰したそうです。この映画からやさしい母親の愛情が伝わってくるのは、復帰当時の監督の目線もあるのだろうと思います。
子役4人が本当に吉沢亮さんに成長していくように見える連携リレーは、五十嵐大さんのノンフィクションを映像化するのに欠かせない演出でした。
母親役の忍足亜希子さんが54歳、父親役の今井彰人さんが33歳、21歳差でも赤ちゃんを抱いている夫婦に見えること、30歳の吉沢亮さんと父親が3歳しか違わないのに親子に見えること、これも監督のマジックでした。
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「主演男優賞」
吉沢亮さんは、今年デビュー15年で、この映画で初めて主演男優賞を受賞。2018年に俳優として初めての映画賞の新人賞も、同じTAMA映画賞で最優秀の受賞でした。
11月30日の映画祭授賞式のスピーチで「緊張しています。ご縁を感じています。受賞したのがこの作品で良かったです」
監督とのトークで「30歳になる男が中学生を演じました。監督が絶妙なダサさにこだわった昭和の髪型のかつらは不安でした。手話は顔の表情によって意味が変わってくることを知りました」
監督から「役にも周りにも媚びないストイックな職人のよう」、脚本家から「役作りの努力や演技の苦労をおくびにも出さない」と、公式Xでもコメントがありました。
「俳優30歳の壁」をこの作品で乗り越えてくれたこと、吉沢亮さんとこの映画の一ファンとして、とてもうれしいです。
(12月23日、吉沢亮さん主演の吉田修一原作『国宝』の公開が、2025年6月6日に決定しました。予告映像に息を呑みました)
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「ティザー広告」
今年7月に少し退屈なハリウッド映画を観た日、この映画の予告編を観ました。ちょうどその日、この映画のフライヤーのティザーと本広告の入替えでした。
ティザーは、予告編でも印象的なブルーのシャツの吉沢亮さんのアップ、パンフレット表紙や原作文庫Wカバーにも使われたビジュアル(フォトギャラリー画像21)。
本広告は、五十嵐大(吉沢亮)とお母さん(忍足亜希子)が駅に並んでいる、映画.comのポスター画像です。
製作費も宣伝費も少ないこの映画で、このティザー広告のメインビジュアルと予告編は、「映画の嘘のない宣伝」と「この映画を観に行きたい」と感じた観客の予感の、本質を捉えていたのではないかと思います。
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「エンディングソング」
映画のエンディングに流れる「letters」のMVが、映画の大ヒット記念で、今年の10月10日から1年期間限定でYouTubeで公開されています。
呉美保監督の公式Xの表現が面白かったので、このレビューのタイトルにお借りしました。
「映画の編集中に、ベビ大ちゃん(3ヶ月)、プチ大ちゃん(6ヶ月)、ミニ大ちゃん(4才)、チビ大ちゃん(9才)、ラスボス大ちゃん(15才〜28才)、5人の大ちゃんがあまりにも似てるから、短めに繋いで主題歌をのせてみたら、なんかええやん!とMVが完成したのです」
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P.S.
まだレビューを書き始める前の、12月7日の自分のコメントを引用しておきます。
「ラストの駅のシーンを『ニュー・シネマ・パラダイス』に例えられていて、あー先を越されちゃった(泣)…を思い出しました(笑)
鑑賞後に完成台本が載っているパンフレットと原作を読み、公式SNSもフォローしました。
監督があの駅のシーンをラストと決めたところから、この映画作りが始まったことを知り、私の思いをレビューにしたかったのですが…」
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P.S.2
5/14「第34回⽇本映画プロフェッショナル⼤賞」監督賞受賞・2024年ベスト10第4位
4/24「第34回日本映画批評家大賞」作品賞・主演男優賞・助演女優賞・編集賞最多4冠受賞
2/5「第98回キネマ旬報ベスト・テン」助演女優賞受賞・日本映画ベスト・テン第6位・読者選出日本映画ベスト・テン第10位
1/8「第38回高崎映画祭」最優秀助演俳優賞受賞
2025/1/3「第67回ブルーリボン賞」1部門ノミネート
12/19「第79回毎日映画コンクール」3賞ノミネート
12/1「第46回ヨコハマ映画祭」2024年日本映画ベストテン7位
11/13「第37回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞」1部門ノミネート
11/12「第49回報知映画賞」2部門ノミネート
2024/10/3「第16回TAMA映画賞」特別賞(監督・スタッフ・キャスト一同)・最優秀主演男優賞2部門受賞
✎____________
今年は邦画の当たり年で豊作だった、という声をよく聞きます。
初日に鑑賞して、映画館でリピートした作品が何作もありました。
私の2024年ベスト3候補は、この映画です。
今まで映画.comはほぼ見る専門でしたが、★★★★★の作品には評価とレビューの投稿を最近始めました。
他の方のレビューを読むと自分の語彙力と文才の無さで、好きな映画ほど言葉が見つからなくなります。
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2024年9月20日・10月17日映画館で鑑賞
10月28日★★★★★評価
12月2日レビュー投稿
12月24日レビュー追記
2025年5月14日レビューP.S.2映画賞追記
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