ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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親の無償の愛情がひしひしと…
作品紹介に…
ろうの両親の元に生まれた「ぼく」。
小さな港町で家族に愛され健やかに育つが
やがて自分が世間からは「障害者の子」と見られていることに気づく。
聴こえる世界と聴こえない世界。
どちらからも離れて、誰も知らない場所で
ふつうに生きたい。
実話を元にした作品紹介という事で…
そんな言葉に思わず引き込まれ観終わった。
ふたつの世界を生きてきた大ちゃん
大ちゃん(吉沢亮くん)の幼少期が
吉沢亮くんにそっくりで、演技も素晴らしくて
両親の無償の愛情の中をもがいている
大ちゃんの葛藤する気持ちも
とてもわかる気がする…
ラストの駅のホームでの回想シーンや
無音で、そこからトンネルを抜けるシーンは
とても胸を打ちました。
吉沢亮くんの演技も素晴らしいです👏👏
聴こえてても、同じ
思春期に親と衝突したり関係がぎこちなくなるのは、聴こえない親と聴こえる子供との間だから起こることじゃなくて、聴こえてる親とでも起こること。
成長して親元を離れて社会を知り、親の愛情の深さや強さを改めて実感し、今度は自分が親に寄りそいたいと考えるのもまた、聴こえてる私と同じ。
エンディングソングの歌詞、ものすごく愛に溢れていた。
私はまだ子供いないけど、今まで自分の親から言ってもらった事やしてもらった事を思い出したら分かる。
聴こえてても聴こえてなくても、子供を思う親の気持ちは同じ。
だからこそ、違う境遇なのに共感して涙が流れたんだと思う。
吉沢亮さんと忍足さんの親子関係の空気感とやり取りが良かった。思春期の頃に反抗的だった自分と、当時は口煩い存在だった母親との関係を思い出させるようなリアルさがあった。
子役さんも全員、この子達以外は考えられないと思わせるキャスティングでみんな吉沢亮さんに似てる!
成長する過程で突然変異しなきゃこの顔にはならないだろっていうツッコミを入れがちな子役さんのキャスティングが常だけど、子役の子たち全員に吉沢亮さんの要素を感じられて、そこもまたリアリティあった。
東リべのマイキー役の時は他作との兼ね合いもあってビジュアル的に高校生役はなかなかに苦しいものがあったけど、今回は中学生時代もこなしていて、やっぱり吉沢亮は凄いと思った。しっかり声や表情で年齢を表現できていた。
キャスティングと演者の努力によって、赤ちゃんから成人するまでを五十嵐大さんとして生きる吉沢亮の成長過程を見届けたような気持ちになった。
吉沢亮さんの作品を観たことがない人や興味ない人もこの作品は観てほしいな…私は公開を控えてる「国宝」が心の底から楽しみです!
コーダ
両親の耳が聞こえない子供はコーダって呼ばれてるんだ。
それってあの映画?観たよ。あの映画良かったよね。
この映画はコーダの日常を淡々と映していて、
それは辛いよね、やるせないよね、家族っていいよねという映画でオチもなければフィナーレもない。
そんな映画だった。
障害を持つ人の映画見るたびに思うんだけど、健常者の我々はどう接していいのかわからないんだよね。
でも人それぞれ思いは違うじゃない?
ある人は助けて欲しい。ある人は見守るだけにして欲しい。
だからどうして欲しいのかいつも悩んでしまう。
良く分からなかった!!
特に石巻の人たちの口調がキツく、心がガサガサになります。主人公が東京に出てきても大きく成長したとな思えず、浮ついた印象でした。何か途中で終わっている様に感じました。
いつかいなくなる、ただひとりのあなた
だいだい いつもそうなんですが、ふたりの同居している家族に今夜(ホームシアターで)何を観ようか相談というか聞いてみたんです。
Yは「考えさせられる映画がいいな」と言い、Aが「泣ける映画がみたい」とのことなので、ふたりのニーズに答えられそうな映画をNetflixでみつけました。
東北弁はネイティブなので聞き取れるのですが、字幕付きで鑑賞しました。
結果的に良い選択でした。
原作も有料パンフレットも未読です。
キャメラウォークの ブレというか グラつくのが氣になりました。
淡々と時系列で主人公(大ちゃん:吉沢亮)の成長過程を観るといったスタンスで、ホームビデオっぽく演出してリアル感があります。
木製の箱に入ったチャンネルを回すタイプのブラウン管テレビから始まって、リモコン型のブラウン管テレビになり、ファミコンとスーパーマリオブラザーズのカセットを買ってもらって、後の大ちゃんの部屋にはゲームボーイが置いてあって、おそらくお小遣いで購入したであろう漫画本を読んで過ごします。
それからラジカセがあって、いかにも団塊ジュニア世代の子ども時代の描写に「ああ、こうだったなぁ」と懐かしく思ったりするシーンが多くありました。
舞台は宮城県の海が比較的近い場所。2011年3月を予感させます。
劇中で、アメリカ、フランス、カナダの共同製作の『Coda コーダ あいのうた』(2022年日本公開)のことを言及したということは、今作はリメイクではなさそうですし、邦画らしい視点で東日本大震災を描く映画なのかと思いました。
母親の回想シーンは、きっとそういうことだろうし、『あまちゃん』(主演:能年玲奈、現のん)のようにトンネルを抜けると悲惨な光景が!のようなことになるかと思っていた矢先、「letters」(下川恭平)のアコースティックギターと声のハーモニーが美しいエンデェングになり、原作者が今作の主人公だったと最後に知りました。
震災前の家族、特に母とのことが描かれていて、メンタルの強い祖父母がいたから母がいて、父と出会って恋をして、赤ちゃんを産んで、それが自分(大ちゃん)で...と、命の歴史と自分と世界の関係を20代くらいの頃に理解したのだと思います。
一緒に観たYは泣いていました。
Aは泣かず無言で何かを考えていました。
人は自分に足りないものを求めてしまうものなのかもしれません。
タイトルについて考えてみます。
“ぼくが生きている”というのは当たり前のことですから、わざわざ言う必要がないのですが、敢えて言うというところに意味を感じます。
“ふたつの世界”は、交流としての「聞こえない人たちと聞こえている人たち」、単純に場所としての「田舎と都会」、「外の世界を知らずに電車の中しか見えなかった頃と外が見えてからの世界」、「生と死」、異なる二つのことを言っていることは確かだと思います。
何事も表裏一体であるという観点からみて、タイトルの対義語を考えてみるのも楽しいです。
ああだこうだと考えることができますし、考えているうちに泣けてくる作品です。
赤裸々に描く家族の姿
ひとつの家族、その20数年に渡る物語を赤裸々にそして情緒豊かに描き登場人物像たちの生きてく時間・世界をとても切なく美しく感じられた。
地に足をつけて生きる人々を描く監督の才が出ていて、内面を浮き彫りにした姿が親近感を呼び、その家族にのめり込んだ様に心を揺さぶられた。
〝ただの〟一つの或る家族の物語。
本作の原作になってる五十嵐大さんのエッセイは読んだことがあるんだけど、印象的なエピソードも多くとても記憶に残っている。
吉沢亮さん主演で映画化されたということでサブスクで鑑賞。
まず、説明的なモノローグやセリフは入れず、主人公家族のドキュメンタリーみたいになっていたのがとても良かった。
冒頭、無音の中で働く男性(大の父親。聴覚障害者)のシーンから始まり、私たちは「あれ?音が鳴らないけど故障か?」と違和感を感じ聴覚障害を擬似体験する。
ここからまず引き込まれる。
聴覚障害者の母である明子さんの子育てのシーン、聴こえないことをカバーするための工夫、それでもどうしても気付けないことがある部分、
健聴者の両親(配慮の概念が今ほどない昭和世代)の明子さんへの接し方、
口話と手話が入り乱れている五十嵐家の食卓の様子、
次第に成長して聴こえない母が周囲と違うことに気づいていく主人公・大くんの戸惑いと苛立ち(言葉ではなく彼の表情で表される)。
淡々とこれらが出来事として描写されて大の成長と共に積み重なっていくのが、本当に一つの家族のヒストリーを見ているようで、リアルな感触がすごいのよね。
だから観終わってみて思うのは、これは「聴覚障害者の両親がいる(ある種特別な)家族の物語」ではなく「〝ただの〟一つのどこにでも或る家族の物語」だったのだな、ということ。
これは受け手がそう感じるように製作側が意図して注意深く製作していたんだろうなと思う。
そしてそんな「家族の物語」として、本作はとても良い作品だった。
母親の愛のありがたさを素直に受け取れずに、煩わしくてそっけない態度を取ってしまう若者の息子。
それは別に聴覚障害とかの有無に関係のない、ある種普遍的な行動でもあるわけで。
ラスト、大が今まで母・明子さんとの思い出を走馬灯のように思い出して(注:明子さんは亡くなりません。念のため)駅で一人で涙するシーン、一人の母親としての明子さんの大への愛情がすべてのカットから感じられて、私も思わずぼろぼろと泣いてしまった。
そう、大の明子さん役の忍足亜希子さん、とても良かったな。父親役の今井彰人さんも素敵だった。
静かに沁みる良作
「社会的弱者であること」と「可哀そうであること」はまったく別物
呉美保監督といえば、田舎の漁村で最貧困の生活を送り、人間関係のしがらみから逃れられない人々の苦しみを直視した『そこのみにて光輝く』(2014年)や、まったく綺麗事を排除した教育現場や児童虐待の厳しい現実を直視した(教育関係者なら目を逸らさずに必見の)『きみはいい子』(2015年)など、弱き者たちから決して目を逸らすことなく、上っ面な憐れみはかけずに、どうしようもなく胸が締め付けられるけれど、温かな眼差しを忘れることがないため、しっかりと心に刻み込まれる作品を撮ってきた監督。でも、本作は、しっかりと心に刻み込まれる作品であることは間違いないが、「温かな眼差し」の方に重点が置かれたように感じた。
10年前の作品では上映後に胸が苦しくて立ち上がることも出来ないくらいだったのが、今回は本当に温かな気持ちになって観終えることができた。とは言え、偏見や差別、貧困といった要素はしっかり描き込まれているし、また社会的弱者であることと可哀そうであることはまったく別物なのだといった批判的視点も決して忘れられていない。
この10年歳を重ねた結果、こちらの涙腺もずいぶん緩んだようで、大きな出来事はほとんど起きず、淡々とした日常が描かれているだけなのに、ハンカチを握りしめながらの鑑賞となってしまった。
東京🗼でも生きる
いわゆるcodaとして生まれた、大、の成長譚。
中盤以降に明かされる両親の馴れ初め、
そして駆け落ち、東京🗼パフェ、
家庭にもよるかと思うが、
codaの立場は知らない者からしたら大変そうと思いがち
大の家では聴覚障害者の両親と母明子の両親と暮らす。
一人っ子でジジババからも大事に育てられた。
ただ、10歳前後から同級生の目を気にするようになり、
怒涛の思春期に突入。
何にでも神経質に尖って見て感じて言うお年頃。
お母さん、お母さんと言ってたのに、
母をバカにする。
相談したかったら、お前から相談しろ❗️
三者面談なのに、担任事前に用意できないのか❓
懇談内容を簡潔にまとめ文書にして見せること。
母親の来た意味無いやろ。
お父さん、ナイス👍
大がしたい事本人がわからない。
役者? パチンコ屋でバイト、 編集者?
最初のお上品なとこは駄目みたいだったが、
むさくるしそうなところには引っかかった。
パチンコ屋のバイトの時、
たまたま手話を使い客と会話。
その人の繋がりで手話サークルに参加。
バーちゃんの携帯からかかって来た電話、
無視せずかけ直すあたり、
心配しているんだね。
手話サークルに行くなんて自分の生活の一部として
思っているからかな。
手話会話もしたいし、
また手話会話することでより上達したい想いもあるのかな。
そして、
そこからまた派生する人脈を自ら進んで構築していく。
東京🗼に行け。
というお父さんの言葉にしたがって良かった。
実家にいる時は、母と噛み合わずイライラしていたけど、
一人の人間として生活する中、
出会った人たちと付き合ううちに
これまでの自分の人生で常に身近な手話を臆面なく
使い会話して楽しむ生活の一部となっている。
両親共に聴覚障害者だから?
皆と同じく元気に生きているんだよ。
美人のお母さんの一言が心に沁みる❤️
私たちが生きていくふたつの世界は、きっと素敵だ
耳の聞こえない両親の元に生まれた子供。“コーダ”。
アカデミー作品賞を受賞したあのハートフル感動作が有名だが、本作はその日本版と言うべきか。
日本リメイクではない。原作者の自伝的エッセイの映画化。題材は同じだが、アプローチも違う。
『コーダ あいのうた』は聾唖の両親の元に生まれた娘の人生の岐路と家族の絆。
本作は子供の誕生から成長、家族との関係や葛藤、主に息子と母親の心の機微、双方を通してより繊細に“ふたつの世界”を描いていく。
共に耳が聞こえない陽介と明子。二人の間に、待望の子供が誕生。
大と名付けられ、無事耳も聞こえる。喜びや幸せに包まれるが、ここからが大変。
明子の両親も一緒に暮らしているが、耳が聞こえない二人に子育ては苦労の連続。
赤ん坊が泣いていても気付かない。ちょっと内職に専念し側で何かを倒しても気付かない。大事には至らなかったが、もしも…だったら?
愛情は人一倍。それを一身に受け、大は成長。まだ幼い頃から手話を身に付け、それで両親と会話したり、時には周囲との通訳になったり。
それが当たり前で、仲も睦まじかった。
小学校に上がった頃から。家に遊びに来た友達から耳が聞こえない母親や上手く喋れない事を“ヘン”と言われる。手話も物珍しい。
次第に周囲の“普通”の家族とのギャップを感じ始め、授業参観なども知らせず。
高校生ともなると手話で会話する事すら煩わしくなった。母親にも素っ気ない態度。
20歳になるとそんな両親や退屈な地元から逃げるように、東京へ。
本を読む事や物を書く事が割りと好きだった事から、出版社へ面接。一流どころは何処も落ちる。
下世話記事などを扱う小さな会社へ面接。複雑な家庭環境話が気に入られ、いきなり採用。
いい加減な感じの編集長から金言。実力より高い仕事が来たらチャンス。逃げるな。…と思ったら、タモリの受け売りかよ。
仕事は忙殺ながら、徐々にその世界の色に染まっていく。
時に耳を塞ぎたくなる事も。これが“聞こえる世界”としたら…
まだパチンコ店でバイトしてた時、たまたま耳の聞こえない客と知り合う。
それがきっかけで聾唖者の集いに参加。交流を持つ。
聾唖の両親や手話が嫌で東京に出てきたのに、数奇な縁。
交流を通して改めて…いや、初めて知らされる事も。
地元では通訳を介さなければ生活もコミュニケーションも難しかった。しかしここでは、聾唖者であっても自由に自分の人生を生き、社会の中で暮らしている。不便な事もあるだろうが、それを苦や恥とはしていない。
会食時、気を遣って注文役をしたが、私たち自身で出来る事を奪わないで、と。
勝手に聾唖者を不器用、何も出来ないと思い込んでいた。
そのポジティブな姿に教えられる。寧ろ自分の方こそネガティブだった。
こちらが“聞こえない世界”。不思議と心地よさや居心地の良さを感じる。
“聞こえる世界”と“聞こえない世界”。
確かに双方に、偏見や生きづらさはある。
が、違いは無いのだ。
幸せ、喜び、悩み、葛藤…。各々持ちながら、周りと触れ合いながら、一人一人が自分の人生を生きている。
ふたつの世界を生きる事は、多くの他の人には無い、特別な事かもしれない。
いい事も嫌な事も含めて。
そして感じるのだ。
改めて知らされる。無償の温もりを。
父が倒れ、8年ぶりに帰郷する。
命に別状はナシ。祖母によると、母は今まで上げた事のない声を上げて狼狽したという。
母は今は落ち着いて、あの頃と変わらず迎えてくれる。
一時ぎくしゃくしたけど、母と自然なやり取りを。
変わった?…と聞かれる。
変わったんじゃない。気付いたんだ。
帰れる場所がある事。迎え入れてくれる人がいる事を。
聾唖のキャストを起用したり、聾唖や手話に通じたスタッフを配したり、リアルに拘ったという“聞こえない世界”。
劇伴を廃し、周囲の雑踏や自然音に溢れた“聞こえる世界”。
丁寧に紡ぎ上げていく。
もっとドラマチックな作りにも出来たかもしれない。大が聾唖グループの人と恋に落ちたりとか。
気になる余白の部分もある。知り合った聾唖女性から私の話を書いてと言われ、大は書いたのか。
『コーダ あいのうた』のようにもっと泣ける大衆向けにも出来た。
しかし、そういった安易な作りにはせず。静かでドラマチックな大きな展開は無いが、引き込まれる。尺は100分ちょっと。もっと長くこの作品に浸っていたかった。氾濫する無駄に長い作品なんかより、こういう作品こそ120分やそれ以上あっていい。
長編映画は9年ぶりになるという呉美保監督だが、その確かな演出は変わらず。シリアスな作品も多いが、最も温かく、優しい。
『コーダ あいのうた』がアカデミーで好かれたのなら、本作だってそのレベルにある。勿論、日本のではなくアメリカの。一切無視した日本バカデミーに価値は無い。
吉沢亮の好演。幼少期や少年期を演じ、見事な手話も披露した子役たちも。
出番は多くないが圧倒的存在感のでんでん。タモリの金言受け売りのユースケ・サンタマリアなども印象的。
やはり聾唖のキャストの好演光る。
パチンコ店で知り合った中年女性、聾唖グループで知り合った若い女性。その温かい輪。
『コーダ あいのうた』のトロイ・コッツァーほどではないが、人柄溢れ出す父親役の今井彰人。東京に行きたいと言った時、全面的に応援。三浦友和よりカッコいい。
大金星は、忍足亜希子。彼女から滲み出るは、聾唖者の悲喜こもごもより、母親の優しさや温もり。
誰もが愛情溢れる母親の姿に魅せられ、自身の母親と重ね、思い出すだろう。
私の母が亡くなってもう10年経つ。ちと世間知らずで不器用な母だったが、一緒に映画を観に行ったり、外食したり、思い出すのは良き思い出ばかり。
演じた母親像や姿に、在りし日の母を思い出させてくれた忍足亜希子の名演。
キネ旬助演女優賞受賞。妥当で当然の受賞。時々異論もあるキネ旬だが、こういう所をきちんと評価するのは信頼に値する。一切無視した日本バカデミーには本当に呆れ果てる。今後も存続していく必要性、あるのか…?
大は東京へ戻る。
駅のホームで思い出すは、東京に出る直前の事。
母に伝えたら、驚かれたが、一緒に必要なものを買いに。
喫茶で軽食。父親から聞いた駆け落ちエピソードに赤面し、その時食べたパフェ。
電車の中でも自然と手話での会話続く。
何故あの時は、あんなに自然体でいられたのだろう。
それに気付くまで、ちょっと遠回りした。
昔からそこに居てくれた。
あの温和な笑顔、優しさ、美しさ…。
変わらず、ずっと。
それに涙する。
それらを胸に、ぼくはまた生きていく。
私たちも生きていく。
聞こえる世界と聞こえない世界。
ふたつの世界で。
それはきっと、素敵だ。
親子が紡ぐ世界観が良い
五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」が原作。
母親(五十嵐明子)役の忍足亜希子の演技が良かった。
忍足亜希子自身がろう者だからということだけではなく、明子がどこにもいるような母親だったからで、子を思う母の愛が伝わってきて心に響いた。
特に終盤、スーツを買う場面や帰りの車内での会話は目頭が熱くなった。
もちろん、吉沢亮(五十嵐大)の演技も良かったのは言うまでもない。
思春期(ちょっと中学生には見えなかったけど)から青年期までの、鬱屈した心境や怠惰な日常を見事に表現。
心に葛藤を抱える青年期あるあるに共感できた。
それにしても出てくる子役がみんな吉沢亮そっくりなのには笑ってしまった。
父親(五十嵐陽介)が、明子と東京へ駆け落ちしてフルーツパーラーでパフェを食べたことを大に話しながら、東京へ行くことを勧める。
この場面は、父が息子にかける愛情がひしひしと伝わった。
父親役の今井彰人もろう者であるが、自然な父親を演じていて笑顔になれた。
祖父(でんでん)、祖母(烏丸せつこ)が一生懸命に明子を育てたことが短い場面ながらも理解できた。
コーダとしての大が、東京でろう者と交流を持つ中で様々な学びがあり、それが親への愛情に変わっていくところが、観ているこちら側の学びにつながっていった。
列車がトンネルを抜けると同時に大が操作したパソコンで映画のタイトルが出てきた演出に感動。
また、テーマソング「letters」が最後に流れ、母が子に贈る手紙の歌詞に心を揺さぶられた。
亡き母もこんな気持ちで家を出た私に対して思っていたのだろうと。
追記
「ゴールドボーイ」と同じ脚本家(港岳彦)だとはとても思えないのは私だけなのか。
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彼と共に追体験するろう者の世界
CODAのストーリー
ろう者の話では無くて、CODA(障害の親の元で生まれ育った子ども)の話。
映画の雰囲気はとても良い。
邦画らしい良い映画だと思う。
ただ、物語はお涙頂戴でも無い、主人公に特別大きな葛藤が表現されてる訳でもない。
観てて、「まあ、そんな事もあるよね」ぐらいな展開。
CODAとか関係なく、普通の人と変わり無い心情だと思う。(もしかしたら、これがメッセージなのかもしれない)
正直な、感想としてドラマを求める人には物足りない映画かな。
全260件中、21~40件目を表示