ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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不運ではあるけど不幸ではない
母親明子の生涯を思ったら胸が締め付けられます。
ヤサグレ者の父親、宗教かぶれの母親、自身は聾唖者でありながら中1まで普通学級に通わされており、結婚や出産には親類中に猛反対され、思春期とはいえ生まれた我が子に「生まれてこなければよかった」といわれ。。。
映画館の帰りのラーメン屋さんで、思い出したら思わず落涙していました。
親の気持ちは親になってみて初めてわかる、手垢にまみれた言葉ですが、自分も親になって初めてその言葉を実感するにいたりました。
お父さんの生い立ちはこの映画では描かれていませんが、それなりにご苦労はあったのだと思います。
おそらく、わたし自身の両親もこの映画の両親並みの苦労はあったんだろう。
健常者の家庭だろうとCODAだろうと、経験が財産になるような人生を歩んでいきたいものです。
(祖父母のヤバさを話したら採用されてますしね)
「恩返し」を含んでの「恩送り」
そう思ったらたのしい人生を送れそうです。
親が、子を思うのはいつも同じ
両親が、ろう者で子供が聞こえる。コーダだね。
なかなか大変だ。おじいちゃんは、元やーさん、おばあちゃんもいて、子供の頃は大変。いつか治ると思い、聾学校には、入れてなかったんだ。大ちゃんはそんなお母さんが、恥ずかしい。まあ思春期だからね。パチンコ屋さんでの出会いや東京での苦労 ユースケサンタマリアの雑誌屋さんに雇われて少しづつ好転するんかな。
烏丸セッコさんが、びっくりしました。
吉沢亮は、ハンサムだね。
親がたっぷりと愛を注いでいたからこそ。
ろう者の育児とその子どもの“感動する話”で終わってはいけない
両親、とりわけ母と息子の無償の愛の物語は古今東西、多くの人の心を揺さぶり感動させる。今作は同じ親子の物語でも少し違う。
耳の聞こえない両親と耳の聞こえる息子(コーダ)が、その家族や自身の半生を描きながら、母の深い愛情を再確認していく物語。
元ヤクザという破天荒な祖父、宗教にはまる祖母、耳の聞こえない両親という個性的な家族と大の成長の物語でもある。
2022年・第94回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞(トロイ・コッツァー)、脚色賞の3部門にノミネートされた「コーダあいのうた」も同じコーダを描いた作品だけど、作者が生まれた1983年から現代までの時代背景も感じられる本作は日本人にとってより身近な作品である。
主人公で原作者である五十嵐大さんの誕生から幼少期、少年、青年期と成長していく描き方もよかった。愛情いっぱいに育ててもらった幼少期、外の世界を知るようになり、自分の両親が他とは違う、そして自身はその二つの世界の狭間にいることを知る少年時代。鬱々とした思春期ではその境遇に苛立ち、時には母に当たってしまうことも……。
一筋縄ではいかない障がいを持った人たちの子育ての苦悩や難しさ、差別なども随所に描かれている。
補聴器を20万で買い「何か喋って」っと嬉々として話す母に当時流行っていた「だっちゅーの」で返す部分はおかしかった。
「東京に行け」という父の言葉に背中を押されて、突然上京することを告げる大に最初は相戸惑いながらも、一緒にスーツを買いに行ってやる母の愛の深さにも涙……。
上京前の買い物帰りの電車の中、大勢の乗客がいる中で手話で話す息子にお礼を言う母のシーンでは嗚咽しそうだったし、ここが本作のハイライトだと思う。
ずっと無音の世界にいる母を遠ざけていた大が自分を責める姿に、胸が痛かった。
「母の愛は海よりも深い」その言葉を改めて思い出す作品だった。
ただ、この作品は「感動する」「泣ける」だけで終わらせてはいけない。“マイノリティー”の人たちがどのように感じ、どのように生きるか……そこに本質があると思う。
五十嵐さんのご両親が本作を観てどんな感想を持っているのか聞いてみたいな。
それにしても今年の邦画は良作が多い。
伝えられない思い
…久しぶりの吉沢亮の作品
期待大・・
吉沢の役は五十嵐 大
耳が聴こえない両親から生まれ
耳がちゃんと聞こえる(いわゆるゴーダ)
生まれた時から両親に愛され
屈託なく育つ。何時しか…
自分のことを(気持ち)を
…伝えても
分かってもらえないことが
苛立ちに変わり
母のことをうっとしく感じて
反抗してしまう
家を出て色々な職に着くが
いま一つ続かない
耳の聴こえない両親から生まれたことの
苦しさや遣りきれない思いが
なかなか拭いきれない
そんなとき聾唖者のサークルで
手話で自分の気持ちを話すことは
自然な行為として特別視しないこと
と知る
危ないときとかは助けが必要だけど
手話で伝われば
それでコミュニケーションはとれる
吉沢亮の大の知るふたつの世界
音のない世界と
音のある世界が
少しだけ体現できる
吉沢亮の演技もよかったし
子役たちも吉沢に似た子供たち
だったので特に吉沢になる前の子役
の子が吉沢の演技にそっくりでした。
母親役の忍足亜紀子さんが
息子を包み込む優しさが
とてもよかった
電車の中で母が
大が人目を気にせず
話してくれたことが嬉しいと
言った言葉に感動が込み上げました。
余談…私も
父親が三浦友和さんに
少しだけ似てると思いました
生まれた時から
両親が耳が聞こえなくても、それが普通だとしたら、特に思春期には大きなショックが来るでしょうね。でも、社会人になっても、聾唖の人との関わりは切らずに続けて行っているのはやはり彼の根底にそれがあると言う事ですね。いずれ宮城に戻るのでしょうね。
コーダである彼とそれ以外の彼
産まれた瞬間からどんだけ愛されてきたかを切り取っている。
耳が聞こえない両親を持つという事の苦労は計り知れない。
思春期の反抗も理解できる。但し、思春期の反抗の仕方はコーダじゃなくても、あんな感じ。そこが良い。
きれいごとばかりじゃない、親が反対するのも分かる。
彼が自立していく過程を少しずつ切り取っている映画。
彼はコーダだけど、私と同じで聞こえるから、聞こえない両親の事を理解するのは難しい。だからこその行き違いが生まれて、それが少しずつ埋まっていく。
手話を通じて新しい出会いが生まれていくのも、良かった。
私にも息子がいる。早く自立してほしいと思っている。いつか自立する時、あのお母さんのようになれたらいいな。そして、一緒に買い物行けたらいいな。
吉沢亮は白いTシャツにブルーのシャツがよく似合う。
日常が日常でない
前半は良かったが...
知らなかった世界。多くに人に知ってもらいたい世界
ろうの両親から生まれた子供と言うのはなるほど成長を重ねるにつれ様々な感情の揺らぎの中で孤独感や苦悩と葛藤しながら日々を生きるというのが良く分かります。
反対もそうなのでしょうね。聞こえる両親から生まれた聞こえない子と言うのも同じなのだろうと思います。
誰が悪いと言う訳でも無いけど、でも辛いし悲しい。苛立ちを覚えつい辛く当たってしまうのも仕方のないことなのかも知れません。
この作品の中でも母親にきつい言葉を投げるシーンがありますが、あれは悲しいですね。
きっと言った子供も辛いだろうし言われた母親は本当に悲しいだろうな。
明るく前向きに考えていても子供のその言葉でくじけそう。僕にはコーダの子供の苦悩より母親の気持ちの方が悲しく突き刺さりました。
でも嘆くばかりでは無い希望もきっとある。
だからこそ電車の中で人目もはばからず手話で会話する子供の姿に母が喜びの気持ちを伝えるシーンには救われました。何気ない母子の会話でもこの世界ではとても大切な事なんだと知らされます。
この作品の中でお父さんの存在も大きかったなと感じます。息子との会話でも自身を包み隠さず話し、そして妻であるお母さんの悲しみや苦しみも受け止め、自身の苦悩もあるだろうと思える中で頼もしいお父さんだと思います。この両親を演じた忍足亜希子さんと今井彰人さんは実際にろう者だそうで、経験から来る日常を演じて素敵な両親役でした。吉沢亮くんも難しい役だったと思いますが自然体で演じていたようでやはり実力者ですね。
まだまだ知らないことが多いこの世界ですが、ろう者だって強く生きていこうとしているし、聞こえる側も同情するだけではなく、共に助け合う社会になればいいなと考えます。
あまり身近な問題として捉えることもありませんでしたが、誰もが普通にいれるのが一番ですよね。
いい映画を見ました
忍足さんの演技で、主人公の気持ちに重なっていく
母の生い立ちに比べれば
反社祖父母に育てられた五十嵐大の母明子の生い立ちはどんなに凄まじいものであっただろうか?
孫息子大の奇異な生活と思春期の葛藤よりも博打うち祖父、念仏祖母、ろう娘の壮絶な家庭に関心が持てるモチーフを想像してしまった。
静かな両親達は、ろう学校の同級生で恋仲となり東京に駆け落ちをして、各種の反対を振り切り母の実家で生活を始めた。
子供を授かりここでも出産に対する軋轢があったが何とか五十嵐大を出産をした。
そんな息子大も大きくなり、今までの家庭環境でない生活を求め両親も行った東京で一人生活を始めた。
人は自活して初めて社会、家庭、両親祖父母、知人、生活がはっきり見えてくる。
そんな生活の一つとしてコーダとしての世界を知り始める。
悲しいことに大の思いは9.5対0.5の母のこと。親父は何処に行ったのか?
母役の忍足亜希子さん、素晴らしかった。自然で何処までも優しくて、可愛かった。
(o^^o)
ぼくが生きてる、ふたつの世界
作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を映画化。
「キングダム」シリーズの吉沢亮が主演を務め、きこえない母ときこえる息子が織りなす物語を繊細なタッチで描く。
宮城県の小さな港町。
耳のきこえない両親のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることもふつうの日常だった。
しかし成長するとともに、周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、母の明るさすら疎ましくなっていく。
複雑な心情を持て余したまま20歳になった大は逃げるように上京し、誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始めるが……。
母役の忍足亜希子や父役の今井彰人をはじめ、ろう者の登場人物にはすべてろう者の俳優を起用。
「正欲」の港岳彦が脚本を手がけた。
ぼくが生きてる、ふたつの世界
劇場公開日:2024年9月20日 105分
久しぶりに
胸の奥をぎゅっと締め付けられる、そんな映画でした。
特別しょうがいのある身内などのいないので
当事者感のないまま見ていて、時折はっと
苦が付かせられるシーンがあったり(良かれと思って
やっていることがそうでは無かったり)と漫然と見ていましたが
クライマックスで一気に持って行かれました。
特に子育て経験のある親御さんにとっては身に染みるのでは
ないでしょうか?(私自身は子育てに苦労した父おやです)
しょうがいという部分を除いてもいい映画でした。
大事件発生😭
イケメンのはずの吉沢亮のヤサグレ感が半端なく素晴らしい😊
全編が芝居とは思えない本当に日常にあり得そうな事ばかりなのもいい☺️
それぞれの葛藤も変に大袈裟でなく、本当に自然な感じなのがいい😄
そして、まさかの編集長の大事件😅
でも、私めの大事件は編集長ではなく、ポップコーンとソフトクリームと生ビールを、一口も口にすることなく、派手にぶちまけてしまった事です🤣
人生初でぬかりました(^^ゞ
映画館のスタッフさんが改めて用意してくれると言ってくれましたが、完全に自分の落ち度なので、さすがに申し訳なくてそこは断りました😅
スタッフさんには、本当に余計な手間ひまかけて申し訳ない気持ちでいっぱいでした(_ _;)
イスに座った時にパンツが変にお股に食い込んじゃって、それがメチャクチャ居心地が悪くて、エイヤーで食い込んだパンツを引っ張ったら、エイヤーでぶちまけたと言う、誰にも共感してもらえない出来事でしたが、そんなモヤモヤもこの作品が吹き飛ばしてくれました😂
聴覚障がい者夫婦の子として生まれ、普通の世界と音の無い世界をつなぐ...
ふたつの世界に違いなんてない!
予告だけで泣けてきて、公開を楽しみにしていた本作。公開2日目の朝イチでさっそく鑑賞してきました。そして泣いてきました。
ストーリーは、耳の聞こえない両親のもとに産まれた五十嵐大が、愛情いっぱいに育てられ、自然と覚えた手話で日常の中で母を支えてきたが、成長とともに周囲の視線が気になり始め、ついつい母に苛立ちをぶつけるようになり、高校卒業後に両親と距離を置くために始めた東京での独り暮らしの中で、さまざまな人との交流を通してその心境がしだいに変化していくというもの。
全編通して特に大きな出来事や事件があるわけでもなく、前半は大の誕生から大人へと成長していく日々が淡々と描かれます。ありふれた日常ではありますが、我が子の泣き声や危険を察知できない、火にかけた鍋の吹きこぼれに気づかない、背後から迫る車のクラクションも聞こえない、健常者とのコミュニケーションが取りづらい等、聾者にとっては気苦労の連続であることが描かれます。少し考えればわかることなのですが、自分の生活を振り返ると、普段はまったく聾者の存在を意識していないことに気づかされます。
そんな中、赤ちゃんから子役を経て吉沢亮さんへ繋ぐリレーで、大の心情の変化を丁寧に描いているところがとてもいいです。家族からの愛情をいっぱい注がれて屈託なく成長していきながらも、しだいに聾者である母を恥ずかしく思い始め、さらには疎ましく感じて反発し、距離を置く大。一見すると、彼の心情の変化は普通のことのようにも思えますが、彼にそう感じさせてしまったものは何でしょうか。周囲からの同情、余計な心配、心ない言動、無自覚な悪意など、両親が健常者なら受けることのなかったさまざまな差別だったのではないでしょうか。と同時に、父とのやりとりからはごく自然な親子関係も感じ、一連の大の反発は、思春期特有の普通のものであったようにも感じます。
上京した大は、聾者の交流会に参加します。(時系列がいじられているのでこの行動が腑に落ちなかったのですが、ラストシーンで理解できます。)ここで聾者の思いに触れ、自身の言動を振り返ったことでしょう。中でも、そこで出会った彩月たちとの飲み会で、大がみんなの分まで代わって注文した時、彩月から発せられた「取り上げないでほしい」という言葉が印象的です。よかれと思ってした大の行為は、これまでに聾者の息子として大が受けてきた周囲の反応と同じではなかったのでしょうか。
父の入院を機に実家に帰った大は、母・明子が祖父母の反対を押し切って大を出産したことを聞かされます。相当な苦労を乗り越えて自分を育て上げた、母の深い愛情を噛みしめたことでしょう。それとともに、障害者だから何かを制限され、我慢を強いられる必要などないことを強く感じたのではないでしょうか。聞こえる世界と聞こえない世界の違いは音の有無だけで、それぞれの世界に生きる人々の思いに何の違いもないのですから。それを知った大は、その思いをこれから自分の言葉にして広く伝えていくのではないでしょうか。祖父の言った“人に威張れるもの”、編集長の言う“しがみつけるもの”、それを手にしたのではないかと思います。
主演は吉沢亮さんで、多感な10代からの大の変容を見事に演じています。脇を固めるのは、忍足亜希子さん、今井彰人さん、烏丸せつこさん、でんでんさん、ユースケ・サンタマリアさんら。中でも、忍足さんの純度100%の愛情演技が心を揺さぶります。他に本当の聾者の方々が多数起用され、作品の説得力が増しています。
自己肯定感の高い両親の生き方が自然体でGood
聴覚障害者の両親を持った健常者の子供(コーダ)の人間ドラマ&成長物語。敢えて山場は作らず、親子の日常をドキュメンタリータッチで淡々と綴っていく。2022年アメリカ・アカデミー賞作品賞受賞作コーダあいのうたと同様に、本作に登場する聴覚障害者はすべて実際に聴覚障害のある俳優が演じている。
本作の舞台は宮城県の小さな港町。主人公は五十嵐大(吉沢亮)。彼は聴覚障害者の両親の元で生まれ、小さい頃は母親の耳となり母親と周囲の健常者たちの通訳を熟していた。しかし、思春期に入り、周囲の目、両親が聴覚障害者であることに苛立ちを感じはじめ、明るく優しい母親と衝突するようになる。そして、彼は上京して彼の家庭事情を知らない東京でアルバイト暮らしを始める・・・。
主人公役は中学2年生までは子役が引き継いで演じるのだが、子役の面差しが徐々に吉沢亮に似てくる。主人公の成長に不自然さを持たせず、中学3年生から激変する主人公を際立たせている。作り手の丁寧な演出である。
主人公が思春期になって荒れても両親は自然体である。どんな家族にも色々あるからという父親、荒れる主人公に責められて父親に凹むと穏やかに吐露する母親、が象徴的である。両親は、聴覚障害を負い目ではなく個性だと考えている。だからこそ、両親は結婚し子供を産み育てることができたのである。両親は、確固とした自己肯定感を持っている。
主人公が東京で知合った聴覚障害者たちも同様である。彼らは、出来ることは自分でやろうとする。レストランなどの公の場でも聴覚障害者であることを隠そうとはしない。主人公が何でも助けてくれるのを良しとしない。
ラスト。もっと切れ味の良い、後味の良い幕切れにはできただろう。敢えて、そうしなかったのは、まだ、主人公が発展途上だからである。健常者と聴覚障害者の世界で生きていること、生きていくことを強く自覚して終わる。ストーリーよりも主人公の今に寄り添った素直な幕切れだったと解釈できる。
コーダの辿る道
コーダでは映画向け?尺不足?で聾の子供の悩みがあまり深く描かれて無かったような気がしたけど、こちらでは乳児の頃からなので聾の育児の大変さ、子供が学校(特に小学校 子供は残酷だ)で浮いた感じになる様子等とてもリアルだと思った。ら、やっぱり実話だった そして子役が雰囲気似ていて吉沢亮の制服姿も死んだ目も違和感無かった 手話も覚えたのかな?
手話にも方言が有るのですね
母の産むという決断、不器用ながらも愛情深くしかし押し付けがましくなく、とても良かったです 新宿の○○フルーツパーラー親子で行って欲しかったけど...
祖母は烏丸せつこ!びっくりです
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