ふれる。のレビュー・感想・評価
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人と関わるには本心で。ぶつかり合うのも大切。
ふれる。人の心を伝える謎生物、、、。
上手く会話できない少し暴力的な主人公が、ふれるを通じて友達と仲良くなっていく、、。社会人になってからも。
友情関係、恋愛模様、そして言葉を伝えることの大切さ。いろいろと詰まっているけど程よく調度良い。ただ、良作だとは思うけど無難な感じもする。ふれるの能力が実は違いました!とか恋愛はこいつらでした!とかストーカーは、、、とか予想を裏切る?展開が少し弱い。
ただ、綺麗に纏まっている気はするし終わり方も比較的良いのでいい映画ではあったと思う!
なんて言うか、やっぱり言葉にして伝えるって言うのは大切だなぁって改めて思いました。って感じ。
演技も良かったんじゃないかな?そんなに気にならないし。面白い題材だから期待しすぎた説があるかも。
普通に良いと思います。
ふれるがいじらしい!
この監督の作品を初めて見させていただきました。いつもファンタジーなのかな?
島の言い伝えの謎の生物ふれる。
昔、貧しかった島村で諍いが起きないように「ふれる」という存在が必要だった。
必要がなくなると出てこれないように祠に封印されて…。人間のエゴ?
便利に使って放置されてきた「ふれる」を必要としてくれたコミュ障の秋くん。
ふれるも必要とされて嬉しかったのかな。
一生懸命、秋くんがみんなと仲良くできるように頑張ってた。だから、いなくても大丈夫って秋くんの言葉にショック受けちゃって。
だけど秋くんの本音を聞いてやっぱりずっと一緒にいたいって。
ふれる、すごく健気でいじらしいじゃないか!
妖怪とか、正体不明とか、何かの説明がなかった!とか、そんなのわかんなくても、映画だからいいんです!
…って感じで、でてきた人間じゃなくてふれるに感情移入しちゃいました。
ちなみにふれるに感情移入した身としては、秋=永瀬廉さんの心からの叫びに、勝手に救われた気持ちになりました。
なんか気持ち悪い
なんだろう
キャラに感情移入が全然できない
ふれるというテーマの下、気持ちのすれ違いからキャラの悪い部分が出てくることは話の都合上わかるんだけど、
それを上回る魅力だったり、人間関係が見えてこなくて
終始キャラに愛着が湧かない
あの花が、名作とたりうるのは、お互いが自分の感情を曝け出した後に、それを超えるキャラ同士の掛け合いやストーリー展開があったからこそ名作となった。
今回の映画は、どうしてもその盛り上がりどころがキャラに感情移入できなくて薄く感じてしまった。
いきなり五人で暮らす展開から嫌な予感はしたが
中途半端なストーカー話や五人の恋愛模様も
あんまり入ってこなかった。
逆に一番良かったシーンは、ふれるが背中で
風呂掃除していたところ。ほっこりした。
下手に恋愛要素や友情を入れるくらいなら
ふれるに焦点を絞って、話を作った方が
もっと楽しめたかもしれない。
今までの作品と比べて、温かさや爽やかさが
なく、もやもやが残ってしまった本作。
ただ、四作目となると作品を作るのにも一苦労だし
難しくなってくるのもわかる
次の作品に期待したいです。
綺麗だったがもひとつ。読心術ハリネズミ・スパイダ-マンってとこかな。
やっと秋本番?良い感じの季節になってきたよネ。(*´ω`*)
でも予想じゃ11月入るとメッチャ寒くなるらしい。
短秋らしいよ。いやや~ でもどうせ劇場しか行かんし
寒くても暑くても年中変わらないけども。
そんな中、今日は「ふれる。」観に行った。
なんか前から 大作扱い? ”ふれる。”って声揃って
張り上げてたから 楽しいのかと思ってたのだが。
ピ-ク時間帯なのに 場内、お客様は少なかった。
それで大体予期してしまうのだけど、大体その通りの展開で。
この作品は見る人を選びますね。多分。
コミュ障の方にはハマるのかも。自分は全くそのタイプでは無いし
むしろ知らない人の方が遥かに話しやすい方なので
主人公への感情移入はあまり出来なかったですかね。
人との人との繋がり、以心伝心を指からでる白線で表していて
まぁ 表現としてそのまんま。手を触れて意識会話もそのまんま。
これアニメでしょ。もうちょっと考えないとと思った次第。
ふれるだし、触れて振れて降れてもっと想像を膨らませ欲しかったかな。
絵は綺麗だったけど、序盤から中盤までが作品的に安全圏だけど
刺激が弱い感じな展開。終盤は再思考したのでしょうね、表現の好き嫌い出そうだけどコレはコレで良いのではと感じました。
監督:長井龍雪氏
脚本:岡田麿里氏
----cv
小野田 秋(バーでアルバイト):永瀬廉さん
祖父江 諒(不動産会社に勤務):坂東龍汰さん
井ノ原 優太(服飾専門学校生):前田拳太郎さん
鴨沢 樹里(奈南の旧友) :白石晴香さん
浅川 奈南(元服飾専門学生) :石見舞菜香さん
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(ココ良かった~点)
・何と言っても 秋のバーで”優太&奈南”名前のケーキでサプライズした所。
あの場面、5人が初めて本音を口にして 一斉に関係が険悪に。
空気読めない男達。彼等を利用してきてツケが回った彼女達。
本音で語る所が無かったら、この作品は多分死んでいたと思います。
だから それを克服するお互いを理解する思い(心)が生まれるのでしょう。
見せかけでは無くてね。
映画「聲の形」でも同じ様な場面が出てきます。
最初はバラバラ、そして見せかけ的に一緒に仲良くなっている様で、
実は仮面をつけてた。本音で相手にぶつかって言う事は 心を傷つける事でもあるが嘘偽りなく言う事と、何故言ったのか、言われたのか、なぜそう思ったのか、それをどう克服し、どう思いやるか(理解)だと思うのです。
・誰が誰を好きに成って行くか。そもそも訳け有ってシェアハウスで暮らす5人の話だけど、結局バラバラに。結ばれそうで ”無理~”な展開。
総じて シェアハウスで相手を見つけるのは止めた方が良いって所は露呈したかな。心の内は誰にも見えない・・・そう思う。
(感じた事)
・コミュ障でバーのバイト? 普通は無理と思うけどな。(理想出しすぎ)
・口より直ぐ手? はぁ?暴力人間には思えないが幼稚な気質設定が疑問。
・諒が一番人として成長出来てると思ったわ。良いぞ!頑張れと思う。
・家の中まで来るスト-カ、マジキモイと思う。
・指先から糸が、掌から糸出たら蜘蛛男。全然違うけどw、ハリネズミの表現もペット犬みたいだし。実態は必須かな? 霊的な者でも良いんじゃ?と思う。
・『心が叫びたがってるんだ。』手掛けた方たちなのね、テイストがそうだと思ったわ。
ご興味ある方は
劇場へどうぞ!
今、意思疎通の難しさ。「ふれる」の本当の機能がテーマ!
子供の頃、島の伝説、触れた者同士の意志をテレパシーで伝える不思議な生き物「ふれる。」を介して親友になった三人。
常にずっと一緒にいた彼らは、成人して上京してからも同居する仲は変わらない。
永遠に思えた三人の友情にも、ある日、かすかな波風を起こす事件が起きる。
主人公が大人になっても「思ったことが口で説明できないと手が出る」なんて、幼児か!
危ないし近寄りたくないのが本音。
ただ、そういう人も排除しないで受け入れないといけない。
意思疎通の難しさ。
こういう話をテーマに映画ができることが面白い。
さらに「ふれる」が「考えたことを伝える」だけではないところがミソ。
人同士を争わせないようにするために、ネガティブな感情は伝えないという。
一見良さそうだが、ちゃんと言い伝えでもそれを続けると大変なことになる、と言ってる。
その話の教訓は、ただ仲よくしようではなくて、良くないの感情も口に出して伝えて、大変であっても話し合うことが大事だということ。
幼少時から、それを訓練せずに育つと、その部分が欠落した大人になる。
そんなことを考えさせる点が面白い。
今ならさしづめ、SNSだけでの意思疎通ではだめだということか。
あと、三人の「通常エピソード」が回想シーンのカットで創造させるだけで、実際に描かれない。
さらっと2,3の蜜月エピソードを語らないで、いきなり「崩壊」を描かれても伝わってこない。
派手な見せ場の「ふれる最終形態」(長い)より、そっちにもう少し時間を割いた方がいい。
最近、そういう工夫や練り込みの努力を怠って、セリフやあったことにして、言いたいこと、核心だけを伝えるダイジェスト映画が多すぎる。(それには相当の技術か執念が必要だから。あと配信世代相手だとそうなるか。)
他にも、女性二人との共同生活が強引すぎるとか、いろいろあるけれど…
(俺も「どこまで流されやすいんだよっ!」と思う!)、
唯一、ほっとできる先生の存在は大きい。さすがの猿時!
あ、ベテラン声優の老夫婦も。
さらに、エンディングテーマもいい。
それにしても同時期に、実写映画「ふれる」も公開で、紛らわしい…。
もちろんそっちには黄色いハリネズミもどきは出てこない。
自分の気持ちは言葉に出して相手にちゃんと伝えましょう
同じ島で育った幼なじみの小野田秋、祖父江諒、井ノ原優太の3人は、20歳になっても親友同士で、島を出て東京に一軒家を借り共同生活を送っていた。秋はバーでアルバイト、諒は不動産会社の営業、優太は服飾デザインの専門学校へ進学、と進路は別々だったが、島から連れてきたハリネズミのような、ふれる、が3人を結びつけていた。お互いの身体に触れるだけで相手の心の声が聴こえてくるため3人の心はつながっていて、そんな関係がずっと続くと思っていた。しかし、ストーカー被害に遭っていた奈南と友達の樹里と一緒に5人での共同生活が始まり、また、ふれるには実は相手に不都合な思いは伝えない、という能力を持っている事がわかり・・・さてどうなる、という話。
本作で言いたいことは、ふれる、のような存在が居ても居なくても、自分の思っていることは言葉に出してちゃんと伝えましょう、という事なのだろう。
自分の思いは言葉に出さなくても伝わっていると思い込み、言葉に出さない生活をしてると、だんだんと相手の気持ちがわからなくなる、という事はよく有る事で、それは良くないよ、と言われてる感じがした。
絵は綺麗だし、ストーリーもまぁまぁだし良かったと思う。
そして、口下手な秋役の永瀬廉をはじめとして、坂東龍汰、前田拳太郎、白石晴香、石見舞菜香も良かったし、その他にも有名な声優(津田健次郎、豊崎愛生、水瀬いのりなど)が多く参加されてて、て豪華だなぁ、って思った。
主題歌、YOASOBIのモノトーンも良かった
子どもに見せたい映画
気になっていたので1人で鑑賞。冒頭、セリフが少なめで上京する所までが一気に流れる。キャラクターに対しても声が心地よく違和感なく観れたのは良かった。共同生活するようになるきっかけには共感があまり出来なかったのと、後半のふれるによるいくつかの世界も、後でこちらが理解していくような、置いてきぼり感があった。
それでも3人の心模様は全体を通して伝わり、結末には涙が滲んだし、ふれるは最後まで可愛かったのが良かった。(おぞましい悪キャラに変貌するのではないかと思っていた)愛されるキャラクターになるのではないかと思う。
ちょっと遅めの青春友情物語
「ふれる」のおかげでお互いの考えを言わずとも感じとれる3人の物語。
お互いの考えが分かるので大きなトラブルもなく親友のまま大人になった3人。
でもその関係性は本当は学生時代に済ませておかなければならないいくつかのことを経験できなかった歪な関係ともいえる3人。
少し遅めの青春友情物語に岡田麿里さんの脚本らしいドロドロの恋愛模様が相まって見終わってエネルギーを使うと同時に昔を懐かしむノスタルジックな気分になれる作品でした。
面白かったが....
作画はとても良かった。
声優陣にも個人的には違和感なし。
そして映画のテーマもとても良かったと思う。
(解釈の違いはあるかもしれないが)昔ながらのコミュニケーションや
現代のネット社会(主にSNS)にも言える問題提起だろう。
全体としては面白かった。
ただ、描き方というか表現というか...演出方法が好きになれなかった。。。
----以下ネタバレ注意----
タイトルおよびCMの中でも見て取れるが
「ふれる」という人の心を繋げてくれる妖怪?神様?の力を借りて
友情が育まれるところから物語はスタートする。
徐々に「ふれる」の力によるコミュニケーションのデメリットが
浮き彫りになるというストーリー展開なのだが
問題の起点が男女間のモツレってのが...
リアルではあるかもしれないが、ありきたりな上に
「ふれる」なんていう尋常ならざる力の問題点が
その程度のことから始まってしまうのかと、少々ガッカリした。
「ふれる」という力や存在の大きさに対し
起こっている問題が小さく感じてしまうため
これって「ふれる」がいなくても、いつかはぶつかる悩みだよねと考えてしまい
「ふれる」の存在意義そのものが低くなってしまっている気がする。
そもそも、ヒロインが登場したあたりからずっと
「この話の流れはどうなの」という感じが続きっぱなしになる。
ヒロインは登場時、ストーカー被害に合っているのだが...その暫定解決策が
『名前も知らない男共(=主人公たち)の家に上がり込む』って時点で理解ができない。
曰く「男所帯に混ざれば無茶なことはされないだろう」的な...
「そうはならんやろ」が過ぎる。
しかもそのヒロイン、多少なり気がある男性がいながら
他の男に対する同情やその場の空気でキスまでしてしまうのだ。
そりゃストーカーに「尻軽そう」って言われても仕方ない。
ストーカー行為はただの犯罪なので、間違っても賛同するつもりは無いが
この作品のヒロインにおいては、被害者側にも原因アリと思えてならない。
というか、作品内では何故ストーカー被害にまで発展したのか語られないため
勝手な妄想が膨らんでしまうのだが、ヒロインが(自覚・無自覚はともかく)
何かしたんやろなって思ってしまう描かれ方に感じる。 これは意図的なんだろうか?
言っては悪いがこのヒロインの存在自体が問題だったのでは?という
キャラクターへの嫌悪感に繋がっていて、気持ちよく見れなかった。
全体を通して
「ふれる」という存在を使って伝えたいこと(本作のテーマ)は大変良いものなんだが
それを伝えるまでの経緯が尖りすぎており
結論(エンディング)を見る前に、気持ちがゲンナリするストーリー展開に感じるため
鑑賞後に(というか鑑賞途中から)モヤモヤした気持ちが晴れない状態になってしまうのが残念。
ふれるが、かわいい。
ふれると痛みを感じるからふれあうことが出来ない生きもの、ふれる。内面が子どものまま未熟な大人になってしまった秋。秋が捕まえたふれるで繋がった男の子3人。…躓き葛藤しながら生きる彼らが一歩踏み出す物語だった。
現実と虚構が混在する物語のなかでファンタジーを担う存在であるのに、彼らの色恋や生活のリアルよりも、物言わぬふれるの寂しい運命にいちばん共感してしまって…泣いてしまった自分に驚いた。
YOASOBIの作詞があって、「彼」が抱えた葛藤や孤独について補完されるところもよかった。
ふれると秋のみつけた小さな希望に、幸あれと願ってる。
気になる部分があってムズムズするので、もう一度観たい。
恋愛要素は中途半端
「ふれる」という不思議な生き物によって
思考がお互いにわかるようになった男子3人組のアニメ映画
『アリスとテレス』と違って主役が少年少女じゃないし
友情が恋愛関係がきっかけでややこしくなるので、大衆向けとは思えない
ジャニオタ狙いにしてもハードルは高めだと思う
「ふれる」はマスコットキャラっぽく動きはかわいい
ただし、最後のほうにならないとストーリーにあまり関わらない
そして、「ふれる」の力で心を通わせれるが「ふれる」自体は何を考えているかわからないのが対照的
男子3人組だが
それぞれ仕事をしたり、学校にいったりしているが
基本的にバーでアルバイトをしている秋が主役に見える
それぞれ事情があるように思うが、ほかの二人は掘り下げがあまりない
バーにきた老夫婦はエライ人らしいが、ちょっと強引に思えた
少年のときの場面は短く基本的に東京で上京したあと場面が多い
そこで女の子のためにひったくりを捕まえたことがきっかけで
女の子はストーカーに狙われているらしく
女の子二人とも共同生活をするようになるが
そこで恋愛感情もでてきて3人がギクシャクしてしまう
そして「ふれる」の能力はネガティブの感情だけを伝えないようにしていたことがわかると友情が壊れかける
「ふれる」が暴走をしてからの精神世界(?)では怒涛の展開
3人がまたまた友情を確かめて最後に「ふれる」を解放して終わるが
結局、精神世界はなんだったのかよくわからないまま終わってしまう
恋愛にも中途半端な感じがする結局カップルは一組だけなのかな?
登場人物では女の子のほうがクセが強い性格をしていると思った
イマドキの女の子はあんななのかは知らん
ストーカーの正体は優太の教師で
ふれるが暴走したあたりで警察に捕まっていた
警察に心の声が駄々洩れだったのだろうか?
ふれるは可愛いけど
ふれるが可愛い!これに尽きます
全体としてターゲット層がよくわからない映画でした
男子3人の友情で女子オタクを狙いたいにしては女子2人がノイズ、かと言って男女の恋愛にも振り切らず、女子2人に可愛げがなく(男子3人のファンタジックな関係に比べて妙に生々しさのある性格)、ふれるの可愛さを全面に押し出してファミリー層を狙うでもなく、宣伝は主演3人(特に旧ジャニーズの彼)に任せきりな印象で見た人の多くが「自分はこの映画のメインターゲットではない」と感じるのではないでしょうか
主演3人はオーディションということですが、固定ファンのいるアイドルや俳優を起用すること以外にこの映画の勝算のようなものが見えなかったです
ただ、ふれるの可愛さは抜群なのでそこはすごく良かったです
イラストも可愛いけど動きがつくと更に可愛い
口がなくてわ表情がわからないのも喋らないのも良かったです
ネタバレになりますが、ふれるとお別れエンドじゃなかったのも良かったです
トリプル主演や3人の友情メインの予告ではなく小野田秋1人を主人公としてふれるとの関係に焦点を当てたCMだったら良かったかも
内容変更せずとも主演1人と言い切ってもいいくらい2人の掘り下げが足りていないと思います
長々書きましたがふれるが本当に可愛いし嫌な気持ちになる映画ではないので、何となく映画を見たいけど何を見るか迷った時なんかは調度良いと思います
テーマのわりに説教くささもないので
しつこいですがふれるほんとに可愛いです
ふれるよかったね
母からチケットをもらって鑑賞しました。主人公が同じ年代なのでより感情移入してしまいました。
どちらかと言うと私はふれるの気持ちをずっと考えて観ていました。ふれるは可愛くて健気。人の気持ちはつなげるけど自分の気持ちは伝えられない。棘のせいで人に抱っこもなでなでもしてもらえない。なのに人のために負の感情を全て自分の身体に棘として吸収して幸せになってもらおうと頑張るんですよね。でも結局はふれるの力は人をダメにしてしまう。…ふれる切ないね😭
でも主人公達を優しい気持ちにさせたのはふれるの力ではなくふれる自身の存在だったんですよね!
それに気づいた秋の心の叫びはめちゃくちゃジーンとしました。ふれる嬉しかったよねよかったね😭
棘となっていた負の感情達がブワッと放たれて本来の?ふれるに戻った赤ちゃんみたいなふれる!めちゃくちゃ愛おしくて可愛かった!
「分かり合う」ことと「仲良くなる」ことは別のこと
相手に触れると考えていることが分かるという「ふれる」の能力だが、それが通じるのは3人の仲間の内だけ(他の人に触れても考えは分からない)だし、同居を始めた女性たちも、当然、「ふれる」と触れ合っているはずなのに、能力が身に付かないのはどうしてだろうと、「ふれる」に関するルールが分からなくてモヤモヤしてしまう。(能力は、「ふれる」が選んだ人間にしか付与されないのだろう。)
よくあるラブコメのような男女5人での共同生活にしても、見事な「五角関係」になって瓦解するのだが、だったら、何のための「ふれる」だったのかとも思えてしまう。
それで、主人公は、静岡のレストランで働くことを断り、今のバーテンダーのバイトも辞めてしまうのだが、仮に、自分のコミュニケーション能力の低さに嫌気が差したのだとしても、これから何がやりたいのかが不明で、まったく訳が分からない。
物語の鍵となると思われたストーカー事案も不完全燃焼で、男性陣がストーカーの正体に気付くくだりも、それまで、女性陣と「ストーカーって誰なの?」みたいな話をしていなかったことには違和感しか覚えない。
そもそも、「相手の心が読めると、互いに仲良くなれる」という設定には疑問を感じざるを得ず、「相手の本心を知ると、むしろ喧嘩になるのではないか」と思っていたのだが、これについては、「不和の元になるような考えにはフィルターがかけられる」というルールが明らかになって、ようやく納得することができた。
ただ、そんな都合の良い能力で仲良くなっても、それは「偽りの友情」に違いないし、実際に、色恋沙汰のせいで3人の関係がギクシャクしてしまったのは、当然の帰結と言えるだろう。
結局、3人は、「ふれる」がいなくても、自分たちは親友になっていただろうと確認し合うのだが、それだったら、わざわざ「ふれる」という謎の生物を登場させて、ファンタジーにする必要はあったのだろうかという根本的な疑問も残る。
さらに、3人が「ふれる」は必要なかったと気付いた後に、へそを曲げた?「ふれる」が暴走するシークエンスは、単に、アニメとしての見せ場を作りたかっただけのように見えてしまい、それこそ「必要なかった」と思えてならない。
いずれにしても、「人と人とが分かり合おうとする時に、不思議な力は必要ない」ということと、「すべてを分かり合わない方が、人と仲良くなれる時がある」ということが、この映画から受け取った最大のメッセージと言えるだろうか?
ふれる。…
不思議な生き物『ふれる。』をメインに幼馴染3人によるドタバタ劇!ふれる。が、かわいすぎて自分が飼っているワンコとだぶるぐらいでした。3人に感情移入でき、恋愛に、就職などのドタバタ劇とふれる。が…絡み合い有意義な映画です。最後は、それぞれの道に…。
「ふれる」の存在意義とは?
俳優陣の良さ、及びYOASOBIの素晴らしく集約された歌詞とメロディに期待をし、胸を弾ませ鑑賞しました。
鑑賞した日は内容に納得ができないことばかりでしたが、翌日になり全体の流れを自分なりに考えてみたらある程度は落ち着きました。
自分なりに考えた全体の流れですが。
秋は極度な口下手で幼少期は友達が出来なかったが「ふれる」のおかげで2人の友人が出来た。秋も話せるようになってきたが、大人になりそれぞれの黒い感情も大きくなり、友人同士で衝突するようになってしまった。
「ふれる」はアンチブロック機能も追いつかなくなり時折様子がおかしくなったり一晩家を開けたりするようになる。心を伝える力が作用しないことも多くなり秋達は勘違いしてすれ違い。(島の師匠は、「ふれる」に頼りすぎると大変なことが起きる、という内容をしっかり伝えず寝てしまう)。
秋達は互いに考えが伝わって居なかったことに自分達で気づき、自分達の言葉で伝えることの大切さを自覚。
〈「ふれる」の力は要らない?〉という気持ちが「ふれる」に伝わり、「ふれる」は暴走。口下手だった秋が「ふれる」に心をしっかり伝える。手袋をしないといけないほど痛かった「ふれる」のトゲ(終盤では糸で、人に気持ちを伝える力)は抜け落ち小さくなった。もうこの力は必要ない。共同生活の家は引き払い、「ふれる」は秋に付いていった。
かな、と思っています。
「自分の言葉で伝える大切さ」というキャッチコピーは納得したのですが、考えがぐるぐると回ってしまい、複雑な気持ちになります。
キャッチコピーからも、【力も含めた「ふれる」の存在意義を否定している映画】でもありますよね…。ふれるの力は要らなかった。3人の意思疎通を邪魔していた。
もっと、【「ふれる」そのものの存在意義があるポジティブな方向に持っていって欲しかった】。それかいっそ、「ふれる」を誕生させないで「不思議な力があって...」という程度の話にしてほしかった。
と思いますが、力がなくなったと思われる「ふれる」はイチ生き物として秋に付いていったので、今後は普通の生き物として必要とされ、可愛がられるのでしょう。
この終わり方を見れば一応、存在を否定しているわけではないと言いたいのでしょうが。
そもそも、「ふれる」の存在が薄いように思いました。
「ふれる」と築いた関係性は冒頭に描かれますが、台詞もなく音楽だけでただ流されるだけですし、その後も「ふれる」との愛情を感じさせる触れ合い場面はあまりないため、最後に「ふれる」が泣く程の深い関係性はあまり感じられませんでした。
事が大きくなる決定的発端となった秋と諒の屋上の場面でも、わざわざ「ふれる」の力を使う意味もよくわかりませんでした。優太も居なくて2人だけ、そのまま内緒話ができるのに、しかもお互い言いたい事は一言だけなのに。
日頃から夕飯のメニューを決めるだけの簡単なことに「ふれる」の力を使うことにもそもそも疑問でしたが、決定的発端に至る理由が弱すぎると思いました。
「ふれる」の暴走場面も支離滅裂に感じました。せめてそこで「ふれる」と3人で過ごした思い出の島の風景とかが映し出されれば「ふれる」の悲しみも「ふれる」の涙ももっと理解できて感情移入出来たのに。
思うところはまだいくつもありますが、最後に。魅力的なキャラが1人も居なくてむしろ引く部分が多かったのは致命的で残念でした。
決してBL映画じゃぁありませんよ。
島で生まれたアキ君は口下手で口より先に手が出るタイプ。子供の時に独りぼっちだったけど奇妙な島のハリネズミの様な妖怪(?)「ふれる」を見つけ、その力によって仲良くなりたかったリョウ君とユウタ君と友達になり、その友情は大きくなっても続いていた。
「ふれる」の力はしゃべらなくても当人同士の手を触れるだけでお互いの考えていることが理解できるという力。
東京に出てきた3人は一軒家を借りて同棲し、アキ君はバーテンダーのバイト、リョウ君は不動産屋に就職、ユウタ君は服飾の学校とそれぞれの生活を営んできたけれど、ひょんなことから知り合った2人の女の子ジュリちゃん、ナナちゃんも共同生活に加わって...
案の定、野郎3人に女の子2人が加わると野郎どもが勝手に墓穴を掘り、長年築き上げてきた友情にも女の子たちとの生活にも亀裂が入りはじめ、
また、今まで便利だと思っていた「ふれる」の力には大きな秘密が隠されていた...
「とらドラ」以降、監督:長井龍雪さん、脚本:岡田麿里さん、キャラデザ:田中将賀さんの、3人トリオの作品はずっと追いかけていたけれど、今回は野郎3人がメインということでどうかなぁ?なんて思ってましたが、すごく良かった。
特に、女子2人がかわいくて、特にジュリちゃんは見た目はキツそうなギャルだけど性格はすごく良くて、ありゃあアキちゃんでなくても惚れちゃうよね。
公開2日目の朝一で観てきたんだけど、正直、観客の入りはすごく悪かったように思える。
制作がCloverWorksで作画や動画は完璧なんだけど、男三人を前面に出し過ぎていて、(BL腐女子さんいらっしゃいってな感じが前面に出てて)女の子2人を加えた5人の友情(あの花的な)ってな感じで売り出した方が良かったかもしれないですね。知らんけど。
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