ふれる。のレビュー・感想・評価
全270件中、41~60件目を表示
良いんだけど、ちょっとキャラがみんな浅はかすぎるかな
それなりに楽しんだし、ウルっとくる部分もあったんだけど、キャラの行動がいちいち迂闊すぎるのがマイナスポイントかな。
雰囲気でキスしちゃったら、いきなりふたつ飛ばしで恋人になったと思い込んで名前入りプレート付きのケーキを用意して本人も呼んでパーティーしちゃう童貞しぐさが見ててキツかった。
女の子も女の子で、ストーカーから嫌がらせ受けてる状態で男が3人も住んでる家に同居しちゃうし、キスもきちんと拒絶しないので話がこじれたわけで。まぁ、彼女に関しては、秋が好きだった理由も「顔と身長」だったので、元からそういうノリで人を好きになってしまう迂闊さがあったようだけど…。
全体的にキャラの考えが浅はかなのですが、本作の本題は今まで「ふれる」の力でつながっていた友情を、力なしでつなぎなおすことにあるので、浅はかな若者から少し成長して離れていても友情を維持できる自立した大人になったという点では、しかるべきなのかな、という気がします。
とはいえ、「ふれる」の能力なしでもこの話は成立した気がするので、どうせならもう少し「お互いの心が読める」からこその展開があれば良かったなー、と思いました。
ふれないで
どうやら興行収入的に伸び悩んでいるらしく、「きみの色」に引き続き、オリジナル脚本のアニメ映画は厳しい状況下にあることを知らしめるような結果に。評判も平均以下だったから、覚悟はしていたけど...うん。これはふれられないのも納得の作品。
あまりにインパクトが無く、記憶に残らないストーリー。悪くは無いんだけど、あまりに平凡すぎるかな、優しすぎるかな。互いの心を紡ぐ役割を果たす〈ふれる〉の扱い方も微妙。下半期になって日本のアニメ映画があまりに不調。ここで一発決めてくれると、少しばかり期待してたんだけどな...。好みはあるかもだけど、作り込みが甘いよ、岡田麿里さん。
〈ふれる〉を通して繋がった男3人の共同生活。身体のどこかが触れたら相手の心の中がわかるという設定のため、ボディタッチ多めで距離も近い。ほんの少しBLぽい。全然その方向性で良かったと思うし、むしろ岡田麿里ぽくて面白かった。
だけど、ちっとも好きになれない女性キャラの乱入によりBL要素は薄まり、色々とぐっちゃぐちゃに。関係性を壊すのが結局女て、あまりにも普通すぎるしつまらない。せっかくのこの作品ならではが消えてる。序盤から無理のある展開で、かなり居心地が悪い。そうはならんやろって言うか、そうはしないだろって言うか...。しかもそんなんで解決するってヤバすぎるし...。取ってつけてるって言われても仕方ないよこれは。
あと説明が説明口調過ぎて気持ち悪い。こんなわざとらしいことある?なんでもっとさりげなく話せないの?急にベラベラ喋りだして違和感でしかない。そもそも、セリフが全般的にわざとらしく、いまセリフ話してますよ感があって結構きつい。俳優声優は悪くなかったものの、セリフそのものが自然じゃないため、頭に言葉が入ってこなかった。
主要キャラは誰も好きになれなかったけど、マスターと島の先生はいいキャラしてた。やっぱり、むりに恋愛要素入れなくても良かったんじゃない?十分ポテンシャルあったと思うけど。
アニメーションのフィクションとリアリティのバランスは今回も良かった。岡田麿里の世界観がしっかり表現されている。畳の色と同化しているのはもったいないけど、ふれるのビジュアルもなかなか良かった。ふれる、なのにふれられない。トゲトゲなハリネズミってのはナイスアイデア🦔
何も決して悪い作品じゃない。普遍的だけど無難なところに落ち着くし、言っちゃえば斬新さがないからあーはいはいこの展開ねって感じなんだけど、この作品を通して伝えたかったことはちゃんと見えて、個人的には「アリスとテレスのまぼろし工場」より楽しめた。
ただ、せっかくいいアイデア思いついたんだから、そこはもっとガッツリ作品に反映させて欲しかったし、あるあるな感じで終わるよりも、もっと強いメッセージを感じるような終わり方であって欲しかった。叩けば光るような要素が沢山あったからこそ、フワッとしたものになったのは勿体ないし、ガッカリ感は否めなかった。
興行的には苦戦を強いられるだろうけど、今後ともオリジナル脚本のアニメ映画は見ていきたいし、楽しみにしている。岡田麿里ならまだまだ行ける!ここは一先ず、次回作に期待ということで👍 だけど、もう4DX上映はしなくてよろしい!まさかの貸切だったぞ!
すごく評価高くてびっくり
監督・長井龍雪、脚本家・岡田麿里、キャラクターデザイン・田中将賀
アニメファンには安定のスタッフですね。
過去作は個人的にはどれも悪くはないけど
まあそれなりにアニメとしての質はいいね、くらいの印象です。
なので本作はスルーかなと思っていたのですが
ここでの評価が過去一なので、今回はやってくれるかと思い鑑賞。
結果はまったくはまらなかった。
少ない登場人物なのに
それぞれのキャラクターが魅力的に描けていない。
登場人物はそれぞれ個性があってこそ
物語に深みが出てくると思います。
もちろん嫌な奴も、いい奴もいていいのですが
一人も好感が持てて、感情移入できる人物がいない。
劇中起きるエピソードも規模が小さく、唐突な感じがする。
それで起きる演出が派手でバランスが合っていない。
みんなで大切にしている謎の生物?「ふれる」も魅力がない
こういう生物って、観てて癒やされるはずなのですが
キャラクターでなくほぼ小道具。
たびたび顔のアップで瞳の演技がありますが何も伝わってこない。
あと、最近の劇場アニメにしては作画レベルが低い。
個人的には配信用のアニメくらいの価値です。
見終わったあと、大切な人や友達に会いたくなる
信じていた友情に、ある日亀裂が入り、歯車が狂い始める……
大切な人だからこそ、思いを言葉で伝えることが大事、ということを感じさせられて、
普段言いたいことを飲み込んでしまう私にはとても刺さる内容でした。
主演声優陣は俳優さんでしたが、それを感じさせないくらい演技が上手くて没入できました。
yoasobiの主題歌も効いていてウルっと来ました。
ただ、女の子2人の絡みどころと関係性はちょっと疑問が残り、3.5にしました。
時間も限られているので仕方がないと思いますが、同性ながら2人の態度にモヤっとしました。ネタバレになるので詳細は控えますが、中途半端な絡み方だったので、出すならもっと上手い使い方があるような?
「ふれる」という神サマ?の力を借りて親友になった若者たちの生きる姿を描いた作品です。本当に大切な事は自分の口で伝えるのが良いのかもしれません。
長井龍雪監督、岡田麿里脚本の作品です。ふむ。
長井龍雪作品は「空の青さを知る人よ」以来
岡田麿里作品は「アリスとテレスの-」以来です。
それ以前の作品も(秩父三部作など)観てはいるので
この作品も観ておこうかなというわけで鑑賞です。
鑑賞開始。
舞台はとある島。八丈島…とかなのか?
島に昔から住む小学生男子が二人。祖父江諒と井ノ原優太。
外からやってきた転校生男子が一人。小野田秋。
口下手で直ぐに手が出てしまう性格のため馴染めずにいる秋の
面倒をみてくれと、先生に頼まれる島の子二人。
だが、なかなか上手くいかない…。
ぞんな折、秋が海岸にある祠(?)を見つける。
石の壁を崩して中に入ってしまう秋。
そこで出会ったのが「ふれる」だった。
「ふれる」は島の伝説にも登場する神?物の怪? らしい。
「ふれる」には言い伝え通り不思議な力があった。
ふれるに触ると「ふれる」を通して繋がりができ、相手の考えが
分かるようになるのだ。
相手の考えがすぐに分かるようになった三人、急速に親密さが
上がっていく。中学校に上がっても、高校に進んでも。
二十歳の現在、三人は島を出て東京で暮らしている。
古い一軒家を共同で借りている。シェアハウスだ。
そこには島から連れ出してきた「ふれる」も居た。(いいのか?)
小野田秋はバーでアルバイト。
祖父江諒は不動産屋に就職し営業。
井ノ原優太は服飾専門学校の生徒。
三人の進路は違ったが、ふれるのおかげで生活は順調だった。
そんな折、秋の働くバーの近くで事件が起きる。
若い女性からバッグを引ったくり逃げ去ろうとする男。
たまたま店の外にいた秋、犯人を追いかける。
走る。速…くは無いが頑張る・-・;
追いつき、もみ合った末に取り戻すことに成功。
バッグの持ち主とその友人、二人の女性と知り合う。
奈南。バッグの持ち主。ストーカー被害にあっている。
樹里。友人。ストーカーに悩む奈南のことが心配…
この女性二人との出会いが、男性三名の良好な関係に変化を
もたらすことになる。
それぞれが思っていることが相手にちゃんと伝わっている限り
深刻な問題など起きない と思っていたのだが…。
さあどうなる?五人の未来は?
そして「ふれる」の隠れた力とは?
と、話は続きます。
◇
えー。
心に思ったこと。頭に浮かんだこと。
その中から選んだモノを言葉にすること。
人がフツウにやっているコトだとは思います。
ただ、簡単な事に見えて、実はそう簡単でもないという。
言葉が足らない人。
無口な人。静かな人。
しゃべりすぎな人。
すぐに手が出る人(…これは嫌)
誤解を招いたり
不信を抱かせたり
何を言ってるのか分からないヤツと思われたり…
そういった、人との意思疎通で困った事が起きないようにと
「ふれる」は仲立ちしてくれているのだそうです。
そんな「ふれる」のいる生活を描いたお話なのに。なのにです。
うーん。
この作品の登場人物の会話がかみ合わない。
そんな印象が、最後まで拭えませんでした。・_・;
” なぜ 今のセリフに対してそのセリフ? ”
そんな風に感じた場面が、あちらこちらにありました。
男女五人の間の、
” 誰が誰に好意を寄せているか ”
というベクトル(矢印)も、ストーリー上予想できた方向とは
別の相手に向いていて「えっ そうなの?」となることが しばしば。
そのため、登場人物への共感という点では、ほとんどの登場人物
に共感できないという、なんだかとても悲しい結果に終わって
しまった感じがしています。T_T …しくしく
その後、もやもやした感じのまま鑑賞終了。
うーん。
※途中居眠りした記憶もないので、大事な場面を見落したとかも
無いと思うのですが…。
◇あれこれ
■白いモコモコ
針ネズミが最後にケサランパサランに変身。
黒くなったらまっくろクロスケになりますね。ススワタリ?
■ふれる様
生き物なのか神様なのか。はて。
そもそも、島から連れ出されて問題なかったのでしょうか?
余りにもあっさりと本土(東京)に来ていたような…
■「ふれる」 とは「さとる」みたいなもの?
” さとるのおオバケ ” というのが世の中にいるそうです。(何処?)
「さとる」には、こちらの考えたコトが分かってしまうのです。
そして、こちらが口にする前に先に言われてしまう。
# お前、今 こう思っただろう?
# なんか気味が悪いヤツ と思ったな?
「ふれる」は触ったみんなを ” さとる ” にするのでしょうか。
考えが周りに丸分かりになるのって、そんなに良いモノかなぁ…
思っても隠しておきたいコトってある気がするのですが… ・_・;
◇最後に(鑑賞後思ったコト)
鑑賞後にしばらく考えて辿り着いた事なのですが、この作品は
「ふれる」の糸に触れながら鑑賞しないと、登場人物の心理や
行動の理由が理解できない仕様なのかもしれません。・_・;;;;;
私の鑑賞したシアターには「ふれる」は居ませんでした。なので
色々なコトを頑張って理解しようとしたのですが、伝わってくる
ものが「なぜそうなる?」と思ってしまう場面等がとても多く、
帆殆どの登場人物に感情移入が出来ないまま終わってしまった…
そんな感じがしています。…うーむ。
◇最後に(だそく)
さらに考えました。
脚本が岡田麿里さんですから。そんな簡単に皆が理解できるお話を
書くだろうか? いや 書かないハズ。…・∨・
あ。そうか
「ふれる」がいないフツウの人達からすれば、あの男3人と女2人
の行動や言動が何を考えてのモノかなんて、分からなくて当然。
彼らの世界には、言葉足らずを補ってくれる「ふれる」がいるから
くどくどとセリフにする必要なんかないということか。@_@
悔しかったら「ふれる」を見つけて糸に触ってご覧あそばせ。
そういうことか。なるほど。納得です。 (←きっと違う・^・)
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
ふれた
ダイジェスト的に展開早いなとは思ったけど
いつしか没頭してました。
色々察しはつくところもあり、
驚きは少なかったかもですが、
なんか心動かされました。
良かったです。
やっぱり直接伝えることは大切。
アニメだからこそ
アニメだからこそのファンタジーな設定。だからできる表現だと思う。色々な思いと、それを伝えちゃいけない、伝えないといけない。何でも言わなければいいと言うことでもなく、抱えすぎてもいけない。だからといって言わなければ伝わらない。言って壊れるような関係ならそんな関係いるのだろうか…など。アニメだと思って見たけど、心がちくちくした。
ふれるが何を感じ、どうゆう時にトゲトゲになったり、色が変わったり、震えたりするのかがちょっと分かりにくかったけど、ふれるグッズが身近なものであったら、大切なことを忘れないでいられるのかなとか思った。いい歳して…。
縦の糸はあなた‼️❓横の糸は私‼️❓逢うべき糸にふれる人は‼️❓
余談ですが、筒井康隆の小説に人の心が読めるヒロインがいて、狂いそうになります。
人の心をみたいとは思いません、自分の心すら右往左往してる。
この映画は、ふれる、を介在して友達でいるのですね、共感できるものでは無いけれど、とても引き込まれる、でも、エンドロールの歌ですら、YOASOBIですら、響かない。
こんなに引き込まれて、最初から最後まで、それぞれのキャラに、どんな想いなんだろう、これからどうするんだろう、とても心配しました、ガラスのような性格のような気がして。
言葉にしないと伝わらない、教訓になりました。
なんだかモヤモヤして感動より不安が残りましたが、とても引き込まれる映画でした🎞️🎟️ありがとうございました😊😭
ふれるちゃん
ふれるちゃんの機能は、人間持ってると思う。こんなこと言ったら相手は傷つくだろうから、違う言い回し考えたり、いっそ飲み込むとか。
良いことばかり言ってれば、こんなに人間関係上手くいくんだねって思った。
でも、言いづらいことも思い切って言えるのも人間なので・・・男の子三人が相手を一点の曇りもない人格者だと思ってたのは、言語のコミニュケーションは怠ってたってことよね。
相手を傷つけたくはないけれど、自分が傷つかないためにも言葉を選んでコミニュケーション図らなきゃいけないと、ななちゃん見てると思う。
そして肝心のふれるちゃんは、言葉での意思疎通は出来ないんだけど、ふれるちゃんの気持ちを思いやれば答えてくれる。思いやることがコミニュケーションの基本姿勢と考えさせられた。
女子二人は自己中だったよー・・・
なぜ3人にしか伝わらないの?
2024年10月13日
映画 #ふれる。 (2024年)鑑賞
島で育った3人の青年は、不思議な生き物“ふれる”の力のおかげで、互いの体に触れるだけで相手の心の声を聴くことができた。彼らだけの秘密が3人の絆を強いものにしていたが
#長井龍雪 監督と脚本の #岡田麿里 さんだけで見に行く人が多いんだろうな
「つながること」の意味と大切さを寓話的なギミックで描く、男三人イチャコラアニメ。
このあいだ、「とん太」で並んでとんかつを食ったばかりだったので、大人パートが始まった瞬間に「あ、ここ高田馬場だ!」とわかりました(笑)。
あと、面影橋とか。ビッグボックスとか。
新婚当時に新大久保に住んでいたので、なんか懐かしい。
あと、服飾学校がまんま初台ー新宿間にある文化服装学院だし。
土地勘があると、観ていてちょっと親密さが増すような。
― ― ― ―
「つながってる」ことを重視するSNS世代には、若者にせよ、老人にせよ、けっこう響く話なのかもしれない。
本作のテーマはまさに「つながること」。
そして、「つながりかた」の優劣や善悪ってあるのか、という話だ。
男の子三人のインティメットな友情と、シェアハウス。
女の子二人を含めた新たな共同生活と、三角関係の連鎖。
シンプルな人間関係が複雑になってくると生まれる齟齬。
きれいだけど「ずるい」つながりかたで形成された、ピュアな友情。
「言葉」をちゃんと用いた、拙いながらもリアルなつながりかた。
終盤で暴走した「ふれる」が生み出す、すべてがつながったSF的世界。
一見、話の本筋からずれているように見える「ストーカー」の存在も、ワンウェイで成立する、一方的でよろしくない「つながりかた」の典型的な一例である。
終盤に出て来る「高圧的な会社の先輩」との「体育会系」的なつながりかたも、秋くんが見た表面的なマイナス面と、諒くんが語る内実のギャップが面白い。一部のヤフコメ民が絶対に是認しようとしない「パワハラっぽいけどいい人なんですよ」ってやつですね(笑)。
人は人といろいろな形でつながってゆく。
どうつながるのが、いいつながりかたなのか。悪いつながりかたなのか。
むしろ、いい悪いではなくて、つながること自体が大切なのではないのか。
つながった「結果」として生まれる「絆」こそが真に重要なのではないのか。
そういったちょっと「青臭い」ことを、正面からまっすぐに衒いなく扱った、とても素直でけれんのない、基本的にいいアニメだったと思う。
― ― ― ―
良く出来ているな、と思ったのは、
霊獣「ふれる」の能力の「本当の機能」の設定。
そりゃそうだ。なんでも考えてることが駄々洩れなら、逆に仲良しなんかに「なれるわけがない」。
相手に対する想いというのは、うまく「調整」「加工」して伝えるから、相手にも好感情を生み出すことが出来る。
生のままの感情をお互い剥き出しに垂れ流し続けていたら、友情など育めるはずもない。
そこのところに、ちゃんと理由づけしたうえで、さらにはその「便利な感情のやりとり」で育まれた友情について「楽をした」「ずるをした」と言い切るセンスは素晴らしい。
結局、ここで語られていることは、現代のSNSでのやり取りでも同じことが言えるんだろうと思う。
Xやヤフコメでの、相手の尊厳を削り合うような壮絶なたたき合い。
逆にインスタやフェイスブックでの、歯の浮くようなおべんちゃらの飛ばし合い。
ラインでの、ひたすらつながり合い監視し合う、息のつまるような社会空間。
エコーチェンバー。タコツボ化。分断とカルト化。
やりとりの短文化。条件反射のレス。スピード化。つながらない権利の消失。
どちらにせよ、いずれも「健全」なコミュニケーションとはとても言い難い感じがするけれど、それでも人はつながらずにはいられない動物だ。
ならば、多少やってることは気持ち悪くても、相手を貶めない形で社交的に「褒め合う」インスタでのやり取りのカルチャーなんかは、あれはあれでまだしも悪くないのでは、と思ったりもする。あるいは、匿名でのぶっ叩き合いで日常の憂さが本当に晴らせるのなら、それはそれでいい面だってあるのかも。
とはいえ、一定の自己顕示欲と承認欲求を満たす意義は認めるにしても、それには相応の羞恥心と含羞くらいは伴ってほしいというのが個人的な希望だし、「つながる」ことが目的化して、「いいね」の数やビューのカウンターの奴隷になっちゃったら、なんとなくもうおしまいな気もする。
この『ふれる。』で描かれているのは、まさにそんなコミュニケーションの「作法」や「目的」についての考察であって、観ているとどうしても、「さて自分は他者とどうかかわっているのか」と、ついつい我が身のありかたについても振り返って考えてしまう。
そういうところは、とても良い映画だと思う。
― ― ― ―
気になるところもある。
中盤の「男女でシェアハウス編」の作りが、
なんか全体的に雑なんだよなあ。
てか、そもそも、男三人で島から上京してシェアハウスしてる連中が、見知らぬ女の子がストーカーに追われてるからって、いきなり自分たちの部屋に同居させるもんか??
まずは、駅前直結で、セキュリティのしっかりしたオートロックのマンション薦めろよ。とくに諒くんは不動産屋なんだから(笑)。
女の側からしても、いきなり男三人と同居とか、ちょっとあり得ないんじゃないの。
優太と奈南ちゃんのふたりがキスしたからって、いきなりサプライズパーティってのも、唐突な展開すぎて女の子二人以上に、こっちがドン引きですよ。いや、そんなことやらないだろ、ふつう。それに百歩譲って、やるならやるで、優太と奈南が主役のサプライズパーティでしょ?? なんで、片方の優太が「招く側」で席に座って待ってるんだよ(笑)。頭おかしいだろ。
あの展開で、諒と秋がいきなり奈南を「ビッチ」とか「尻軽」とか吐き捨てるみたいに悪口いうのも、普段のキャラクターからして「あり得ない」感じで、怒って飛び出した女の子二人以上に、客のほうが途方にくれるばかりだ。作り手の都合なんだろうけど、とくに秋くんはもともと「場面緘黙」みたいなやつなんだから、あのシチュエイションであんなひどいこと、絶対さらっと吐き捨てたりしないでしょ。
あと、ベランダで諒と秋が手を握り合ったときに、お互いに「樹里が好きだ」という感情を伝えたのに伝わっていないって話も、なんかさすがにご都合主義がすぎるような……。
だって、ふたりともあそこで相手に樹里への恋愛感情を「伝えた」と確信している以上、その気持ちはその後は相手に隠す必要がないわけで、折に触れて絶対に行動に出ちゃうものだと思う。とくに諒はああいうタイプだから、「俺あいつと付き合ってるんだ」と秋に伝えた以上、ふつうに秋の前では「カップル」として行動するはずで、病院での樹里の抱きつき以前にも、いくらでも「二人が付き合っている」ことを示す動きは見せていたに違いなく、そのシグナルをすべて秋が見落としていたというのは、秋をバカに仕立て上げすぎていて、ちょっと可哀想だ。
あれだけ「ストーカーが危険だから」って理由で、わざわざ男三人と無理やりシェアハウスしたっていうのに、襲われた日にあんな暗い夜道を女ひとりで帰させてるのも、ちょっと信じがたい感じがある。ぜんぜん誰も対策とかしないで生活してたってことかな?
終盤の、男三人が友情を再確認する、熱くて爽快でちょっとナイーブな展開も、大前提として「奈南がストーカーに襲われて大けがをして入院している」って重大な状況下にあるのを完全に忘れているかのような振る舞いが続いていて、けっこう猛烈な違和感があった。
優太はもともと奈南が好きだったうえに、自分がストーカーを引き込んだとかいってえらく後悔してたのに、その後その話に一言もふれないよね? なんで??
他にも、行きつけの店で赤の他人をスカウトするときに「いきなり静岡に行かせるような失礼な案件」で急にスカウトしないだろうとか、個人的な感覚でいえば、結構つくりはゆるい話なのかなあと思うけど、気にならない人は気にならないのかな? というか、男女でシェアハウスって設定自体に、初老のオタクの青臭い道徳心と羨望心がアラームを発しているだけなのかもしれないが(笑)。
その他、ふと思ったことなど、箇条書きで。
●高田馬場の街が美麗な背景によって美化されている。ちょっと『PERFECT DAYS』みたいな(笑)。
●単純に、美形男子の三形態(ガテン系、無口系、ショタ系)がわきゃわきゃ友達ごっこしている様を「愛でる」アニメって一面も大きいかもしれないが。そのわりに腐女子が食いついている気配があまりない(興行成績が振るわないとのうわさ)のは、シェアハウスに女二人をぶっこんで、あげく恋愛までさせてしまったからだろうか。
まさに、『Free』みたいなキャラの取り合わせなんだけどなあ(笑)。難しいもんだ。
●最近の若い俳優さんたちは、みんな本当に器用に声優をこなす。秋役のジャニーズの子は若干クセがあったが、諒と優太の役の子は、プロの声優顔負けの精度で素晴らしかった。
●女の子二人のキャラ、どっかで観たことあるタイプだなあと思ったら、『WUG』っぽかったのでした(爆笑)。
●服飾学校の副担任、映画じゃなくてTVの深夜アニメだと、きっと津田健次郎じゃなくて、子安武人にこの役回ってたんだろうな。
●「ふれる」のハリネズミ形態って、「糸で出来ている」というのもあるんだろうけど、コミュニケーションって基本「とげとげして、ふれると痛い」ものだということなんだろう。
●オーラスの光あがってくの、めっちゃ『CLANNAD』とか『Kanon』っぽいし、最後のYOASOBIのアレンジもなんとなく鍵っぽいよね。
●ラストで「ふれる」の糸が下につづいていく演出が、『ぼくのお日さま』とかぶっていてニヤリ。
●なんでタイトルに「。」が入っているのかと思ったら、青春三部作に全部「。」がついてるからなのね。
― ― ―
ちなみにわたくしごとながら、僕自身は、ちっとも「つながらない」人間である。
キャラクターとしてはよくしゃべるし、誰とでも仲良く出来る社交的なタイプだと自負しているが、プレイべートで誰かとつながっている必然性をまったく感じない。
20年間喧嘩もせずに妻と仲良くやっているが、それ以外、小中高の友人とは全くの没交渉で、大学時代の友人であっても「向こうから連絡してくる」人間とかろうじてつながっている程度。
結婚して10年くらいして、妻に「あなたから人に連絡とってるのをホント見たことないわね」といわれて、自分のほうが驚愕したくらい。あれ、そうだったっけ?みたいな。
人見知りの妻と違って、自分は会社では陽キャの人なつっこいタイプで通してるし、上司からも可愛がられることが多いので、「自分がプライベートで何十年も友達や地域の住民とほぼ交流していない」ことに、我ながら全く気付いていなかったのだ(笑)。
そもそも、スマホを持ったのが5年前くらいで(それ以前はガラホ)、こことヤフコメ以外、何もSNSをやったことがない(Xもインスタもほぼ見ない)。
要するに、自分はどうやら「人と分かち合ったり」「人に悩みを相談したり」「さみしいときに頼りにしたり」「誰かに思ったことを伝えたかったり」といった感情がまるっと欠落しているらしい。
考えてみると、趣味もぜんぶ一人でやるものばかりだ。クラシックの演奏会も、観劇も、鳥見も、古仏巡礼も、美術館めぐりも、天然記念物めぐりも、夏山登山も。
単純に隣に知り合いがいると集中力がそがれるし、何かを観たあと相手に気を使いながら感想戦をするのがひたすら億劫なので、だいたい何かを見て考えるときは常に一人である。
代わりに、誰かを前にしたら全力で応対する。全力で楽しませる。仕事のクライアントにはレンタル奴隷として全身全霊で尽くす。そうやって生きて来た。
だから正直なことをいえば、『ふれる。』のなかで模索されているテーマやモチベーションに個人的にそこまで関心があるかというと、あまりない(笑)。
なんで、社会人になってまでシェアハウスで生活する必要があるのかまるで理解できないし、対人関係でそこまで悩んだことがないので、「孤独」や「つながり」や「絆」というものについて、切実なテーマとしてあまり感じたことがない。
というわけで、他の人ほどにはハマれなかったかもしれないと言い添えておきます。
あのはなを令和でやりたいのは分かるが、、、
令和版の「あのはな」をやりたかったんですね。
あのはな、では「めんま」が担っていた「皆んなをつなぐ」役割を、神様みたいな「ふれる」が担う。めんまを除いた男女比も男3、女2。秋がじんたんで、諒がゆきあつ、優太はポッポですかね。清楚なビッチのなながあなる、今回のつるこはゆきあつと結ばれそうで何よりです。
あのはな、でも終盤で発覚したように「実は言えなかった」ことを言い合うことで、仲間たちの結束が復活して、より強固になる。
「真の友情」「旅立ちと別れ」「ほろ苦い憧れ/失恋」という普遍的なテーマを取り上げた、王道の青春物語。なので令和の若者には、これでいいんじゃないかな〜。
ただ、平成育ちのオッチャンから言わせてもらうと、別に超平和バスターズでやる必要ってある?って感じが否めません。
まず、中心線が弱い。あのはな、は「めんま」という大きな存在の「喪失→復活→浄化」という強い「代償」により、仲間の友情と心の成長、という「成果」を得る。ここのカタルシスが大きな感動を生む。
で、誰が「ふれる」を失う喪失感を受け、復活を望みます?ボッチ解消のお供だったんだから、秋ぐらいですよね。でも、もう要らないから、真っ白シロ介、になったのを持ち運ぶだけ。あれで何か「呪い」を受ける、って設定なら納得しますがね〜
延々と心情の説明や言い合いが続く。あのはな、で言ったら最終回の1話前、定林寺での告白合戦が2時間続いた感じで、お腹いっぱいです。
エピソードや絵で解らせようとせず、セリフの応酬でストーリーを作る最近の作風ですね。ユーザーの読解力が落ちたのか、クリエイターに自信がなくなったのか、、、、
設定を学生から社会人に移しながら、その効果は?と思わずにはいられません。あのはな、の時の高校生っていう内輪設定ですら、めんまの家族、って外側を描き、仲間内の内輪との対立と、苦労しながらの解消を描いています。
社会人設定にして、何か外の世界との関係性は変わったのでしょうか?
専門学校の同級生とのわだかまりは?出来の悪い不動産屋は?一旦断った料理人の話は、都合よく「あれはまだ断ったいない」で解決し、ストーカーは首尾よく警察が捕まえる。
何もかも、優しい世の中ですね、ってことが言いたいのですかね。
と、ここまで言うと、一周回って「令和の時代では、そんな作品しか作れない超平和バスターズをみてくれ。これでいいのか?」というメッセージだとすれば、納得しますがね〜。
主人公が高校生なら人気でたかも
映画のCM的に心情描写がテーマなのだろうと思い、その手の物語が好物なので期待して見に行きました。
絵はむっちゃ綺麗でした。最近のアニメはやっぱり凄いです。男性陣もかっこいいね。絵が目的の人とイケメン目的の人にはおすすめ。
でも、話の内容重視の人にはおすすめしません。まじで。理由は、誰向けなのか意味不明、三人が大人として未熟、関係構築部分の描写が雑という点です。
まじでこれ誰向け?
俳優を起用→女性
監督を全面に出す→オタク
かわいいキャラクター→子ども
主人公が社会人→社会人
ってことなんですかね。ターゲット広げすぎて滑ってますね。やっぱ的は絞ったほうがいいね。監督はマーケティング部門にゴリ押しされてこうなったんでしょうか。だとしたら気の毒ですね。
まじで関係構築パートが雑すぎます。音楽流して三人が仲良くなる過程を流すだけってそれは流石にないんじゃないでしょうか。三人がどうやって仲良くなったとか、ふれると主人公の仲とかそのへんの描写が雑すぎます。別に説明的であることは求めませんけど。だって三人の関係性の変化がこの映画のメインでしょ?なのにそのスタート部分端折ってどうするんですか。建物の基礎部分を適当に施工するようなもんですよ。
もしかしたら映画以外の漫画版や小説版では描写があるのかもしれないけど、それを映画ではまるっきり端折るってそれはないでしょ?二期作でもないのに予習してから観に来いってか?二郎系ラーメンじゃないんだからさ。
これ、主人公が高校生だったら名作とまではいかずとも、今年のアニメ映画ベスト3に入ってたと思います。ただ、大人でこれは正直キモいです。確かに、コミュニケーションをサボってたから精神や関係構築能力が高校生並みってのはわかりますよ。それをさり気なく描写したいってのもわかる。でも、随所で描写される三人の未熟性がちょっと見てられない。特に「キスしたから恋人認定」の部分は、単純にキモいです。あと三人の喧嘩もおさなすぎて見てられない。もっとましな描写方法はなかったんですかね。「高校時代、周囲に馴染めず三人でいつも一緒にいた」みたいな描写でも、同じように三人の未熟性を描写できると思うのですが…。
あと、餅は餅屋、声は声優だろ定期。
会話とスキンシップの大切さ
不思議な生き物「ふれる」の力で仲良くなった3人の青年の友情を描いた物語。人の心が読める能力を手に入れることは本当に幸せなのかを考えさせられます。会話の大切と人の心が読めないからこそ努力するスキンシップの重要さも感じました。
2024-169
評価はあえて少なめに
評価、高いですね。
悪くはないのですが、あえて少なめに採点しました。
人間同士の付き合いって、そんなに単純ではないと思うのです。
心をのぞいても、言葉の端々に相入れない事が思うのです。
そのあたりのつが甘きなと思いました。
生かしきれない島の伝承
島の伝承…海に面した洞窟の奥に造られた鳥居と怪しく光る糸がこの後の展開を期待させ、コミュ障の主人公が偽りの友情を深めて行く…
テーマ自体は面白く映像が綺麗で飽きずに見ることができたけど、ストーリー展開や演出の至るところが幼く…
バーテンダーを生業にする主人公の設定は少しだけ楽しめた。
私の琴線にふれました…!
見ていてうわ〜分かる〜〜!ってどんぴしゃで共感するシーンがいくつもありました。
人間関係で生まれる心の機微が美しいアニメーションと共に分かりやすく丁寧に描かれていてとても心に響く映画でした。
主人公の声の演技は不慣れさが感じられたのが逆に自然で結果的に良かったと思います。終映後に演者のお名前を見て意外だったのでびっくりしました。
人間関係ってコミュニケーションの上に成り立つもので、コミュニケーションて言葉によるものが大きいですよね。
でも言葉に出して相手に伝えるって単純なことじゃなくて…伝えなきゃいけないこと、伝えなきゃだけど伝え方に配慮が必要なこと、伝えない方が良いこともある。
ふれるは争いの火種になりそうなことをフィルタリングして排除していたわけだけど、人間関係ってのはそれで永劫上手くいくほど単純じゃなかった。
でも人間関係ってふれるがいてもいなくても結局なるようになるんですよ。
何があっても最後どうありたいか決めるのは当人たちだし。
今まで色んな経緯で最後は"要らない"って言われてきたのかな…とか想像するとやるせない気持ちになります。
"要らない"なんて言われたら存在意義をなくすし…悲しかったろうな…。
誰かに必要だよって思って欲しくて暴走したのかなって考えたらもう涙が堪えきれなくて…!
僕こんな事出来るよ!僕がいたら言葉に出さなくてもお互いの思ってることが分かるようになるよ!便利でしょ??誰か僕のこと必要だって言って…、、、
ふれるの思ってることは分からないけど、そんな切なる思いが伝わってくるようでした。
だからふれるは、これからもずっとふれる自身を求めてくれた秋くんたちの友達でいたらそれで良いです…!不思議な力がなくても、ふれるを大切に思ってくれる秋くんとずっと戯れていたら良い…!
もう〜〜〜ふれるのうるうる涙目を見た瞬間大号泣でした…!!小動物に弱すぎる泣
今までずっとふれるを見付けてくれた人と人が仲良く繋がってられるように頑張ってたんだよね…!可愛い可愛いね…!!
人間関係拗れそうになってもそれを乗り越えてふれる自身を求めてくれるイケメンが見付かって本当に良かった…!!!
やっと本当の居場所が出来たね…!!
正直映画の内容関係なくふれるの可愛さにいちいちキュンとしていた部分があります。動き可愛すぎんか!?私もそんな風にふれると風呂掃除したいよ…!!
秋くんの次は私がふれるを飼いますので、もう二度と涙目になんてさせません…!!!泣
ふれるにふれてみて
成人の男性ではあり得ないだろうと思われるキャラクター設定かも知らないけど、ふれるの存在が彼らをある意味成長させる事ができなかったと思います。男の子あるあるとクスッとすることも。私たちにはふれるという存在は無くても、SNSばかりに頼って、人とのコミュニケーションをとる機会が少なくなり、他人の気持ちがわからなくなっています。それは若い人だけではないと思います。'わからないけどわかろうとする気持ち'を忘れないように、考えさせてくれる映画でした。3人の成長も微笑ましくてよかったです。アニメーションの良さが堪能できます。
全270件中、41~60件目を表示