「あのはなを令和でやりたいのは分かるが、、、」ふれる。 おでんさんの映画レビュー(感想・評価)
あのはなを令和でやりたいのは分かるが、、、
令和版の「あのはな」をやりたかったんですね。
あのはな、では「めんま」が担っていた「皆んなをつなぐ」役割を、神様みたいな「ふれる」が担う。めんまを除いた男女比も男3、女2。秋がじんたんで、諒がゆきあつ、優太はポッポですかね。清楚なビッチのなながあなる、今回のつるこはゆきあつと結ばれそうで何よりです。
あのはな、でも終盤で発覚したように「実は言えなかった」ことを言い合うことで、仲間たちの結束が復活して、より強固になる。
「真の友情」「旅立ちと別れ」「ほろ苦い憧れ/失恋」という普遍的なテーマを取り上げた、王道の青春物語。なので令和の若者には、これでいいんじゃないかな〜。
ただ、平成育ちのオッチャンから言わせてもらうと、別に超平和バスターズでやる必要ってある?って感じが否めません。
まず、中心線が弱い。あのはな、は「めんま」という大きな存在の「喪失→復活→浄化」という強い「代償」により、仲間の友情と心の成長、という「成果」を得る。ここのカタルシスが大きな感動を生む。
で、誰が「ふれる」を失う喪失感を受け、復活を望みます?ボッチ解消のお供だったんだから、秋ぐらいですよね。でも、もう要らないから、真っ白シロ介、になったのを持ち運ぶだけ。あれで何か「呪い」を受ける、って設定なら納得しますがね〜
延々と心情の説明や言い合いが続く。あのはな、で言ったら最終回の1話前、定林寺での告白合戦が2時間続いた感じで、お腹いっぱいです。
エピソードや絵で解らせようとせず、セリフの応酬でストーリーを作る最近の作風ですね。ユーザーの読解力が落ちたのか、クリエイターに自信がなくなったのか、、、、
設定を学生から社会人に移しながら、その効果は?と思わずにはいられません。あのはな、の時の高校生っていう内輪設定ですら、めんまの家族、って外側を描き、仲間内の内輪との対立と、苦労しながらの解消を描いています。
社会人設定にして、何か外の世界との関係性は変わったのでしょうか?
専門学校の同級生とのわだかまりは?出来の悪い不動産屋は?一旦断った料理人の話は、都合よく「あれはまだ断ったいない」で解決し、ストーカーは首尾よく警察が捕まえる。
何もかも、優しい世の中ですね、ってことが言いたいのですかね。
と、ここまで言うと、一周回って「令和の時代では、そんな作品しか作れない超平和バスターズをみてくれ。これでいいのか?」というメッセージだとすれば、納得しますがね〜。