インサイド・ヘッド2のレビュー・感想・評価
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喜びも悲しみも幾歳月
アイスホッケーのキャンプという現実世界では些細なエピソードを、感情の葛藤をファンタジー化して90分にふくらませて描く。
個々の感情を擬人化して独立して描くので、ライリーが自主的に判断して行動しているのではなく、別人格によって他動的に操られているようにしか見えない。さながら「イブの九つの顔」とでも言うように。何ならヨロコビも心配しているし、カナシミも喜んだりしているので、キャラクターの位置づけが不明確だ。さらに脳内世界の設定や現実世界への反映のシステムがすんなりとは呑み込めないので、いろんなことが次々に起こるが、途中で置いてけぼりにされた感が強かった。
アイスホッケーの試合の場面も中途半端で、「スラップ・ショット」の方が、よっぽどわかりやすかったな。
よくできたストーリー。子育てをした親なら、さらに深く楽しめる。
純粋無垢な子供だった主人公ライリーが成長する体験を、わかりやすく解説しながら、見事なエンタテーメントに仕立てていて、さすが。クライマックスのヨロコビが操作パネルに“呼ばれて”行くシーンは、本当に良かったなあと感じた。ラストのダリィが「ここは俺が」と操作して締めるオチは、思春期あるあるで、笑えた。
失敗などの、思い出したくないことをなかったことにして、「私はいい子」というライリーのこころができていくという設定は、『小さい子供の時はそれで良いけど・・』という話の展開になり、なるほどと思った。なかったことにせず、それを含めて本当のライリーのこころを作るというのは、何だか人生訓のようだけど、その通りと思う。
頭の中の感情たちの中で、ヨロコビがリーダー格で、率先して行動を起こす。確かにいろいろなモチベーションの中心にはヨロコビ(Joy)を求める気持ちがあるので、「そうだよなあ」と思った。ライリーが寝ようとベッドに入った時に、ヨロコビがネガティブな考えが浮かんでくるのを止めさせて、ポジティブな夢をライリーに送る場面は、「そうだ。ヨロコビがんばれ!」と思った。
カナシミとハズカシも、この映画ではけっこう活躍していて、感情もバランスが大事だねと感心した。
新しい感情のシンパイは、子供にはない「こざかしい大人の計算」という印象。英語ではAnxietyと表現されていて「心配」という意味もあるけど、「気遣い」とか、「~したいという気持ち」という意味もあり、日本語の心配よりもう少し広い範囲の感情らしい。
ライリーが友達に冷たくしたのに、その友達やさしさに救われる場面は胸が熱くなった。そういう友達をつくったライリー自身の積み重ねがあったのだろうと思う。
ライリーが小さいころに好きだったモノがピンチで活躍する。この場面も誰もが思い当たるモノがあるので、心に響く。
映画館には、小学生の子供と親というグループも多かった。でも、小学生の子供には新しい感情たちを理解するのは難しいので、面白くなかったということになりそう。
そうなったとしても、親としては「今の無垢な子供との時間を大切にしよう」と考えると良いのではないか。そして、その子が大きくなった時にもう一度見て、今回の鑑賞をナツカシむのが良いと思う。
アツイノキチィ
9年前の1作目では、感情を擬人化して心理学や脳科学の知見をエンタメのアニメにするという圧倒的な構想に震えた。そこから主人公が成長して新たに芽生えた感情の新キャラが…という今回の展開は、ま、そうなるよねという感ありで前作のような驚きはなく…。そもそも日々さまざまな感情に揺さぶられる思春期のライリーに対して、おっさんのこっちは歳を重ねるごとに感受性を失ってってるわけで、鑑賞対象として無理があるのかも(爆)。
とはいえ、13歳の子どもの気持ちを親目線から想像するとつい落涙してしまったし、なによりピクサーのアニメ技術のすさまじさに相変わらず感動。アニメ内アニメやゲームのキャラの異なる描画の混在ぶりは今となっては既視感があれど、キュキュッと動く瞳や微っ妙な表情の表現力がすごすぎる。
米本国では大ヒットということなので、この先さらに続編も創られそうだが、パート10あたりでばあさんになったライリーの感情を表現した作品が観たいもの(先すぎ)。
ヨロコビもカナシミも、すべての感情と経験が自分を造る
基本的にはドタバタコメディーで、大人も子供も楽しめますが、子供には少々この映画の意図するテーマや深い意味などを理解することは難しいのではないでしょうか。
しかし、深い意味など特に考える必要もなく、十分楽しいし面白いし、かなり低年齢でも飽きないような工夫もあり、全年齢で楽しめる映画です。それでいて、深い意味や理由など裏を探ることが好きな私のようなひねくれたおぢさんも、勝手に解釈をしたりして楽しむことができました。
・「私はいい子」
赤ちゃんは、自分の感情のままに振る舞います。自分の快・不快をそのまま表すことによって、自分が親の愛情表現という報酬を得ることが可能だからです。しかし、徐々に成長するに従って反応的な感情のみでは、不十分だということを学習します。
獲得した知識・経験によって、その時々「どう振る舞うか・振る舞わなければならないか」によって報酬が変わることに徐々に気がつくのです。「私はいい子」でいる。そのように振る舞うことで、親や社会から肯定され受け入れられることが、自分にとって最も報酬が得られることを学びます。
・「他者の評価」頼みの危険
主人公の頭の中の司令所の中心に、自我の象徴である結晶があります。
司令所の面々は15年に渡り結晶を大事に育ててきました。そして特にヨロコビは、その結晶を大事にしていますし、執着しています。
主人公にとっての自我は「私はいい子」ということ。しかし、「いい子」とは何が「いい」のでしょうか。それは、周りの人達にとって「都合のいい」振る舞いです。それは、あくまで「他者から都合がいい」ということです。
ですから、自分の自己評価は他者の意向に依存していることになります。
「自分はこうしたい」ではなく、「他者からどう見られるか」が重要になってしまいます。
ヨロコビは、主人公の不名誉な記憶を記憶の隅に葬り去ってきました。「自分はいい子」という自我を保持し続けるためには、不名誉な記憶を破棄することでしか自分の高い自己評価を保つことはできなくなるからです。
確かに、必ずしも他者がどうして欲しいのかという意向を汲んでその期待に応えることは、必ずしも悪いことではありません。他者や社会の期待に応えるということは、道徳や社会の規範を学び身につけることに他ならないからです。
しかし、他者や親の意向をすべてその通りに実行することは不可能です。成長するに従って、自分の意思と他者の意向が合致しないことも増えてきます。他者はいつも自分を肯定してくれるわけではなくなっていきます。
・孤独の肖像
シンパイは、一体何をしようとしていたのでしょうか?
シンパイは、他者の評価に基づく「私はいい子」という自我を変更し、挫折や苦しみに主人公が耐えられる自我を造ろうとしました。
もはや他人の自分に対する高評価だけを期待することができなくなったのですから、他人から高い評価を受けることを目標にするのではなく、「自分自身の評価を自分で下げること」によって危機を乗り越えようとしました。最初から他人の高評価を期待しない様にしたのです。
自己評価の高い自我よりも自己評価の低い自我の方が、危機に対応できるように思われるかもしれません。しかし、実はそこから得るものは何もありません。他人が評価してくれず、自分で自分を高く評価することもできないとしたら、そこには絶望しかありません。
・シンパイの杞憂
司令室に復帰したヨロコビは、以前の自我の結晶とシンパイの自我の結晶を交換しましたが、うまく行きません。もはや自分にとって都合の良い記憶だけで形作られた以前の自我では、新しい事態には対処できなくなっていたのです。
実は、嫌な記憶も良い記憶も「ありのままの自分」であって、そこに「良い・悪い」「必要・不必要」はないのです。「受け入れるか・受け入れないか」ただそれがあるのみです。
葛藤の後、主人公はありのままの自分を受け入れることができました。
「自分はいいところもダメなとこもあるけど、それが今の自分」。
主人公は、新しい自分(自我)を織りなすことができました。
人生は、自分にとって都合の良いことばかりおきるわけではありません。「自分はいい人」という他人からの評価が絶対でもないし、「自分はダメ」と自分を卑下して萎縮してもいけない。
「自分はいい人でもあって、ダメなところもある」それを上手く一つにバランスよくまとめていく作業が、長い人生を生き抜く上での大事な過程であるということではないでしょうか。
・生きるヨロコビ
主人公の世界では、特に大変な事件が起こるわけでもなく主にホッケーの3日の合宿がメインです。ところが主人公の頭の中では、感情の大嵐、大冒険が巻き起こっています。
主に活躍するのは、ヨロコビです。
人生の中でも牽引役をする感情は「喜び」なのではないでしょうか。
それは、ただ単に「楽しい」というひと時の気分ではなくて、心の深くから湧き起こるような深い感情です。それはどこから来るのかというと「他者からの受け身の都合の良い評判」を超えた先にある「他人を尊重しあう大人の関係性」から来るのではないでしょうか。
自分の心の中に閉じこもっている時、自分だけが世界に一人ぼっちのように思えて、底知れぬ孤独を感じるものです。苦しみや悲しみに打ちのめされ、さらなる闇へ逃げたくなります。
しかし、私たちは社会や他者との関係性の中に生きています。しかし、そんな「私」を陰日向に支えてくれる友達や親や名もない人がいる。その関係性から得られる喜びこそが、真に自分を自分たらしめて自己肯定感をもたらしてくれるのです。
もし今、他者との関係性や低い自己肯定感から、悩み・傷つき・苦しんでいるとしても、私たちの頭の中ではヨロコビやカナシミが日々自分を応援し奮闘していると想像すると、自分は一人ではないと思えて生きていく勇気がもらえるような気がします。
本当に感動しました
シンパイがずいぶんアクティブ?
基本的感情(ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカ)に、
思春期が発動されて、シンパイ、ハズカシ、イイナー、ダリィが増員。
この4人、両親にも増員されているはずだが・・・あんまり出てこない。
最初からいないとおかしいだろ(特にシンパイとか)と思わなくもない。
あ、ナツカシが抜けていた。大人なら、ナツカシが、はびこっていそう・・・
(特に男は・・・ナツカシ系の雑誌はほとんど男向け?)
(他の新キャラは、それなりに分かるが)シンパイのキャラデザや行動がどうにも「心配」を想起させず、しっくりこなかった。
カナシミは相変わらず、ヨロコビのパシリのような扱いだが、カナシミの感情、あまり前面に出てくるものでもないので、結局こうなるか?
思春期と言えば、異性関係もと思うが、ほぼ省かれていて、それは次のネタなのかも?
結局、最後はどうなったのか、よく分からなかった・・・
感情の新キャラは、なるほどとは、思えたが、試合における作戦行動など、本来感情の入る余地はなく(競争心はあるだろうが)、別建てで知性をつかさどるキャラなり(それこそ、スタートレックのスポックやデータのような感情の乏しいキャラ)、統合的に指令する(性格を形成するような)概念が必要だった気もする。感情のキャラたちが制御しているのに違和感があった(本作ではヨロコビまたはシンパイがその任に当たっていたようだが)。そもそも、感情のキャラたちも成長しないとヘン?
あるいは、シンパイが知性そのものなのか?
とりあえずエンドロールの最期のほうまで見るのをお勧めする。
面白いんだけど‥!
AI登場で
人は仕事が奪われる。や、人間が機械にとって変わられる
など不要なシンパイを議論している。
しかしそんな議論に勤しんでいるうちに最も大切な
人間らしさを見失ってはないか?
と本作を観て再び考えた。
宗教や信仰は人間特有の最大の戯れだ。
がこれらが無くならないのは
人間があらぬシンパイや嫉妬に悩まされるイキモノだから
なのだが、
それらはすべて感じ考える🧐と言う行為が引き起こして
いる感情である。
故、AI登場以降、人間はこういった感情や思いを手放す術
を手に入れたのであるが、
気がつかないうちにそれらを全て
忘れてはしまわなだろうか?
むしろ、それらの感情が引き起こしてきた失敗を
どこか遠くにやってしまわないだろうか?
もしもこの感情の発露を全てAIに委ねてしまって
AIが暴走した時、止める術を持ち合わせているのだろうか?
それがシンパイだ🫤
と言わんばかりのストーリー展開にほくそ笑みもした◎
人間はさまざまな感情を持ちときに暴走して
ぶつかりながら進化してきたイキモノである!
それが再提示された作品
グウウウウウウウウウウッドジョブ(^^)
魅力的キャラクターいっぱい!の 壮大なイマジネーションの世界で
ライリーの感情がめまぐるしく変わる。
まわりに求められる自分は私が求める私?
いや、私はそんなんじゃない。
じゃ自分がなりたい自分は?
いや、そもそも私ってなに?
頭の中がぐるぐるぐるぐるしちゃって、心がもつれていくあの感じ。
なのにわざとあっさりしたふりをしてみたりはたまた全然できなかったり。
本人目線や親目線で乱されながら見るむせかえりそうな思春期の日々は、ライリーには怒られそうだけど大人たちにはちょっと懐かしく微笑ましく映る。
そして、過ぎてみればそのやっかいな時間が結構大切なこと。
感情の子達はみーんな今も(歳をとっても)自分のなかに居続けていること。
人によってちがうその子達の登場のタイミングやバランスがあることがわかればゆっくりモヤが晴れるようになる時がくること。
おそらく考えることをやめない限り増えていくあの子達は〝自分と人生を彩る実はたのしい絵の具のような存在〟であること。
でも、その真っ最中にいる本人はそれどころじゃない💢ってことも、もちろん痛いほどわかる。
このライリーって、ビュンと戻って「今のあなたらしくで大丈夫」っていって抱きしめてあげたいあの時の自分なのかも知れないね。
そう思ったらライリーも彼女の感情キャラのみんなもそれぞれ一生懸命で愛おしくて仕方なくなった。
忘れたいくらいの過去もある自分の記憶の水面に光の筋がきらりとさして肩の力が抜けたような感じもした。
ライリーにまた会う日にはさらに今までにない子達があらわれて右往左往しているかも知れないけど、何があっても、どんな自分もよーくみつめて。
そして、自分だけは自分を見放さないでいてあげてと伝えたいな。
こんな世界観を圧倒的な技とストーリーでみせてくれるクリエーターさんがいる時代に生まれたことが嬉しい。
たくさんの感嘆に敬意を込めたい楽しい作品だ。
修正済み
観る人の年齢を問いません
思春期ライリーと不変のヨロコビ
思春期のライリーの頭の中。
思春期ならではのホルモンが突然溢れ出し制御不能。
元々いたヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカに加わる、
シンパイ、ハズカシ、イイナー、ダリィと、
時々早まって出てくるナツカシおばあちゃん。
両親はその時期を経験済みの年のため、頭の中では全ての感情が折り合いよく動いている。
ライリーはこれまでヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリのコントロールによって、文武両道で優しい優等生に成長していたが、そんな良い子にも思春期が訪れる。しかも高校入学がかかったホッケー合宿直前に。
仲間であり友達の2人は違う高校へ行く事を決めていて、ライリーは憧れの先輩がいる高校にホッケー入学するためには、欠かせない合宿。
思春期に入ったからこそ、他人から見た自分の視線が強烈に気になり、先輩達に気に入られなければ、結果を出さなくてはと躍起になりオーバーヒートするライリーの頭の中は、シンパイが占拠中。
元々の感情のバランスが取れた「良い子」のライリーらしさは、友達をさておき自分だけ先輩達に取り入り、コーチの評価ノートを盗み見るような、「私はダメな子」モードに流されそうになるが、蚊帳の外にされたヨロコビが記憶の中を走り回り、これまでとは異なる認知に書き換わってしまったライリーの想い出記憶の中からライリーらしさを取り戻す。
でも、ヨロコビは気が付く。
新しいライリーらしさは、元々の「良い子」や乗り越えた「ダメな子」、思春期の周りとの関わりや経験を通して、ライリー自身が作り上げるもので、それこそが個性でありこれからのライリーの人格になっていくのだと。
合宿最終日、高校からお声がかかるかプレッシャーの重圧の中で、友達2人とは別チームでプレーするライリーは序盤、自分ばかりシュートを決め、仲間にパスを回さず、友達にパックが当たって怪我をさせても響かないほど空回りしていた。
が、反則を食らい、ボックスで過呼吸になりながら、ヨロコビがシンパイを止めてくれてはたと気がつく。
友達を大切にするライリー、人の気持ちがわかるライリーを思い出して、謝りに行こうとすると、友達もライリーを心配してボックスに来てくれた。
謝罪して、試合後半からはギリギリ、自分らしさを取り戻したライリー。
実際の思春期は数年続くもので、合宿の数日間でおさまるものではないのだが、思春期までに培った人格やライリーの人間関係が、思春期のライリーを信じて支えてくれる。
それには、これまでのヨロコビ達感情の活躍がとても大きいと感じた。
ただ、私はヨロコビの仕切り屋さんで、周りの意見を聞かず、カナシミを顎で使うところが前作同様苦手である。同級生だったらまず仲良くならないだろう。
そして、ライリーは、ひとりっこで両親の期待を背負い、周りが自分に厳しすぎるというように、良い子だがかなり心配だ。
これは社会人だったら、責任感が強く鬱になりやすく突然出勤不可になったり自死してしまったりに陥りやすいタイプに見えた。
そうならないためには、「自分を信じて自然体で自信をもつこと」「周りに頼ること」が必要であり、ライリーは思春期のうちにそこに気が付いて習得することができた。
ひと安心。
自分のことを自分でする、
みんなでひとつのことをする、
みんなのためにできることをする、と来て、
思春期には、
自分がしたいことを見つける、
そのために自分を磨く、
周りと違う自分や不完全な自分を認める、
補って貰えるよう周りを信頼して頼る、
自分らしく周りに貢献する
と人間的成長の月齢であり機会も豊富。
兄弟もいないし、何ひとつ友達に相談しないライリーが心配だったが、これからは変わっていくのだろう。
ライリーが成長して大人になっていく過程の脳内をとてもわかりやすく凝縮して描いていると思うが、ヨロコビとシンパイ以外のキャラ達の出番が少なく、ライリーの脳内はほぼヨロコビとシンパイで回っているんだなとよくわかる。2人ともライリーのために頑張っているとはいえ、押し付けがましいんだなー。。
日本人の脳内だと、イッショとかもいそう。
謎キャラ、ポーチ。
映像がきれいで分かりやすかった
中学生の娘と鑑賞
まずよかったのは心や頭の動きとてもきれいな映像で分かりやすく描かれていた点
思い出の泉から光の線(思考だろうか)が上っている様は特に綺麗で、納得できる表現だった
また、吹替版を鑑賞したのだが、新キャラ含め声がぴったり
特に花澤香菜さんのイイナーが可愛かった
ところどころクスリと笑えるシーンもあり、思春期の女の子の思考が分かりやすく描かれていたと思う
(ライリーの行動やそのまわりの言動には少々イライラしたが)
インサイド・ヘッドを鑑賞した時は、私もまだ幼かった娘も号泣だったが、今回はそんなに泣くことはなかった
おとなにならないと分からない「こどもの話」。
インサイドヘッドの続編は、主人公のライリーが思春期を迎え心の葛藤に悩みながらも成長していく物語だ。相変わらずライリーの素直な性格には共感しかない。前向きで行動力のあるキャラクターが好きなディズニーらしい少女と言えよう。今回も頭の中の個性豊かな感情たちの大活躍に引き込まれた。喜びや悲しみなどの感情をキャラクター化するアイデアは今までにいくらでもあっただろうが、これほどリアルに描いたものはないだろう。色々な感情が頭の中で働いているのを想像するのは難しくないが、感情だけでなく、様々な住民(?)が働いて人格みたいなものを作っていいる仕組みが面白い。それをディズニーらしく美しく壮大なファンタジーの世界にしてしまった。人の心ををアニメ化というか、こんなにも面白く完成度の高い世界を作れるのは、「トイストーリー」や「モンスターズインク」のピクサーしかないと感心する。
本作は、ライリーの成長過程で起こった心の葛藤をドラマティックにコミカルに描いてくれた。現実世界で起こっているのは、ライリーがちょっと反抗的になったり、友達との仲が少し悪くなったりという単純な話だが、頭の中では大変な騒動が起こっている。現実のできごとと頭の中のできごとを同時に見られるのはとても楽しい体験である。
この映画を見て、思春期の少年少女の心理が分かるとか、人の心の仕組みが理解できるという事はないと思う。とにかく見て楽しい作品である。多くの人にとって満足度の高いエンターテインメントであると思う。ただし、こどもにはあまりおすすめできない。感情そのものをエンターテインメントにするなんて、おとなにならないと理解できない話だろう。
全世代に観て自分の感情に慕って欲しい
成長するということは……
喜びが少なくなるということ……
ヨロコビにそう呟かせるシーンにグッときました。
ライリーは13歳になり、高校に進学します。
いよいよ思春期に突入。
シンパイ、イイナー、ダリィ、ハズカシ、ナツカシという新たな感情が生まれます。
新たな感情たちは初っ端から暴走気味で、既存の感情であるヨロコビたちは司令部から追い出されてしまいます。
何とか戻ろうと足掻くあいだにライリーの思考はぐちゃぐちゃになって……
主人公こそ子供ではありますが、この映画は子供向きではありません。
子供時代を何年も前に通り過ぎた大人たちのための映画です。
ヨロコビ一行が司令部に戻る道中で、イカリが言います。
「ヨロコビ。君は間違う。とても沢山間違うことがある。だけどな。お前が居なきゃ、ライリーは前に進めないんだ」
喜びが、希望がなければ、人は前に進めない。
だからいつだって、喜ぼうとする気持ちを見失ってはならないんです。
ここで私は目頭が熱くなりました。
ああ、そうだよなあ、って。
そしてクライマックス。
心配しすぎたシンパイは、暴走したあまりに硬直してしまいます。
なにもかもが不安でたまらない。
どうにかして不安をなくしたい。
でも、どうやって?
そこへヨロコビが語りかけます。
「シンパイ。大丈夫だよ」
ヨロコビだってどうすればいいかわかりません。
大丈夫という根拠もない。
けれど、人間どこかで腹を括らなきゃいけないんです。
心配しすぎたからって、何事も丸く収まるわけじゃない。
どこかのタイミングで、進まなきゃ。
非常に面白い映画でした。
夏の家族映画にはオススメ出来ない名作
インサイドヘッドの1作目を観た時、こんなに間口は広いのに、子供向けにはしないのヤバいなぁ‥と思ったが、
本作はそれに拍車を掛けている。
具体的に言えば、ライリー以下の年齢の子供はターゲットにはならない。
何故ならこの作品は、誰しもに起こるライリーのような心の葛藤に共感し、
自分や、精神的困難にぶつかっている方への理解のための作品だからだ。
間違っても12歳以下の子供と見るような作品ではないのが恐ろしい。夏休みに家族で見ても、難しくて子供には若干退屈で地味な作品として見えてしまうだろう。
まぁ、そう云う子には、大きくなってから見直してもらうしかないだろう。
数年がかりのアハ体験になるかも知れない。
昨今お約束とも言える、ディズニーの多人種表現として、学校の友人やキャンプのメンバーに様々な人種的特徴が見られることがあるが、ギリギリノイズには到っていない。
多人種国家であれば、ギリありえるかもとも思える範囲ではある。
吹替版での視聴でしたが、主演の小清水さんは、見事にヨロコビを引き継いでくれました。素晴らしい采配と演技に感謝。
参加声優・俳優の方々も実力派の方ばかりで、こちらも満足です。
キーキャラクターであるシンパイを演じた多部未華子さんもキャラボイスがすごい‥‥。
ゲスト声優の入れる塩梅も見事。平成フラミンゴとかチョイ役すぎて気づかない。
まずは良かった点を大きく3つ
①物語の結末
ラストのヨロコビがシンパイを助けるシーンで、ヨロコビも自らの過ちに気づくシーンがあった。あれがものすごく良い。あれがなければ、ヨロコビはJoyからPride=傲慢になってしまっただろう。
この感情全てをひっくるめて自分を作る大切なものと言う着地点がブレないため、作品として「仲間もの」「家族もの」のような、一体感のある結末を迎えられた。
もちろんヨロコビの端々にprideを感じさせるニュアンスがあるのも面白いけど。
②映像表現
ピクサーのCG技術は回を重ねるごとに見事と言えるものを見せてくれる。
今回は何と言ってもブルーフィーやランスのくだりだろう。
スパイダーバースの1作目を見ているような、同じCGの中でここまで見事に共存させられた画面作りは、映像的快楽を感じられた。
また、光や粒の描写は、今作とても緻密に描いていることも素晴らしい。リンク上での氷を反射するような光や、捨てた思い出の雪崩のシーンも、やはり気持ちが良い映像だった。
③作品構造
思春期を迎え、感情が増えると聞いた時、最初は大丈夫だろうか?と思った。
しかも出てくる感情が、不安と羞恥心と嫉妬と気怠さ。
一番心配だったのは、やはり嫉妬である。
だが今回の嫉妬=イイナーは小さいのだ。
これは小さい=他を羨ましがる に焦点を当てたキャラデザの表れだろう。しかし、そのキャラに相まって、幼児性も獲得している。
嫉妬ではなく憧れに重きを置いて、スターウォーズで散々見させられるような暗い方面の感情は出してこない。上手いバランスである。
気怠さもライリーの成長の足を引っ張るような事はせず、どちらかと言えばある種の「諦め」のような感情を担う。自己防衛のような役割だ。
このように感情の役割を上手く調整する事で、物語のバランスを非常に丁寧に保っている。心理描写として、見事としか言いようがない。
今作は、本国でも非常に評価が高いようですが、納得の出来だったと思う。
ヨロコビの気持ちを語るシーンには胸に来るものがあるし、イカリが語る「君(joy)がないと前に進めない」の言葉も堪らない。
個人的な感想としては満足だが、
ライリーのドラマパートのみの描写だけを抜き出して見てみると、結構歪なシーンも多いとは思う。
他の学校へ行く事を黙っていた友人はキャンプに誘われた時に態度で示すべきだし、コーチのスマホ没収は練習時間だけ(未成年の両親への連絡など)にすべきだし、未来を見据えての進学決断のライリーだが憧れのバルのチームメイトに魅力がない。
現実側が舞台装置になっているため、多少の筋書きの歪みは感じるが、ある種サイドストーリーでもあるので、許容は出来る程にはなっている。
ただ、そこまで綺麗に補完出来ていたら、もっと良い作品になっていたと思う(自分の読み込みが足りないだけかも知れませんが‥‥)
色々と書いた本作ですが、
joyとprideについても書いたように、この作品は、まだ進む事も出来る。
と言うか、人気が出たので、次作の話も出ている事だろう。
‥‥ただ、ここから先を描くと、大罪と呼ばれる欲が増えるし、いつかは色欲を描く必要も出るかも知れない。
色欲は今一番描きづらいテーマなので、描くのかどうか‥‥。
もし続編があるなら、見事な着地点に期待したい。
自分の頭の感情も擬人化するきっかけになる。
全てが新鮮で鮮烈で強烈で感動的でワクワク感満載だった第1作目から数年。感情を擬人化して頭の中のワールドを探索するという、驚異的な斬新さを喰らわしてくれたインサイドヘッド。また、このワールドを探索出来るのかとワクワクしながら鑑賞に行きました。あのカラフルで独創的な世界で、思春期を迎えたライリーの頭の中は新たな4つの感情や信念という概念も増えて、ますます賑やかに、美しくも複雑に絡み合って、大混乱の中、次のステージに向かっていく様は、今でも共感できる部分が多々あり、自分の感情が揺れている時などは、今、自分の頭の中のシンパイちゃんが暴走してるなーとか、ヨロコビちゃんが操作してるなーっとか、自分の感情を客観視しやすくなった気がする。私は主にシンパイとムカムカとビビリが支配してる様な。
映画の伝えようとした事そのままに、自分の持て余してる厄介な感情にも少しだけ寄り添える様な気がしました。流石のピクサーさん。またもや、大切な一本になりそうです。
思春期爆発2 〜難しいお年頃〜
ためにためてお盆期間に鑑賞〜✌️期待通りの素晴らしい作品でした。
前作を見返しての鑑賞でしたが、前作を観てなくても忘れてても大丈夫な作りになっていました。
主人公のライリーが前作では5つだった感情が思春期に入り感情が増え難しいお年頃に突入❗️😵、新しい感情のシンパイを中心に色々と進んでいく。
進行していく中でシンパイが物語上の演出でしかたないのかもしれないが、たまに悪役のような立ち回りに(自分勝手にライリーの感情をほぼ独占してるからかな…💦)みえる時があり、思春期をとうの昔に終えた大人だから思う事なのかな〜😅。
シンパイのやり方も間違ってはいないが10代の頃は失敗もなにも経験ないから友達を怒らせてしまうような行動ばかりを優先、一言声かけるなどこうすれば良いのにな〜😵っとライリーにいらぬ心配をしながらハラハラして観てました(笑)。
最後はまとまってたし、ヨロコビはライリーにはみんな必要な感情だという事は前作で気づいているからね😄。
物語も前作の5つの感情と新しい感情達と場面が変わるので前作はヨロコビとカナシミでの行動だったが今作はイカリ・ビビリ・ムカムカも一緒だから良かった感が(笑)。
新キャラはシンパイのぐいぐい感すごいがハズカシが何気に活躍してるのほっこりした☺️。
後はなんといってもカナシミがやたらキュートに可愛く見えて今作の全キャラ中で1番好きになりました😊。
ビンボンは出てきてほしかったな〜(せめて保管庫とかに(笑))。
終盤の皆んなで木をかこって抱き合うシーンは涙腺を揺さぶられました(なぜか耐えてしまったが(笑))、それほど感情達のライリーへの愛(かな❓)に感動させられました。
今のライリー同世代やその年代を持つ親、過去に思春期を経験した大人(皆だよね💧)なら凄く楽しめる作品だから大ヒットに繋がってるのかな❓(笑)。
「私ときどきレッサーパンダ」も似たような思春期時代だが、メインストーリーは親子なので「インサイドヘッド2」のが万人受けするの納得‼️。
唯一残念なのが竹内結子さんが続投できない事😢。
新しい声が合ってない訳では決してありません🙇♂️、同じ声で聞きたかったっと言うただのワガママです。
ご存命であればきっと声をあててくれていたでしょう。
竹内結子さんのご冥福をお祈りいたします。
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