インサイド・ヘッド2のレビュー・感想・評価
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人間が抱く「感情」たちの世界を舞台に描き、2016年・第88回ア...
人間が抱く「感情」たちの世界を舞台に描き、2016年・第88回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞したディズニー&ピクサーのアニメーション映画「インサイド・ヘッド」の続編。
頭の中の感情が「人格」として存在していたら。奇想天外なアイデアですが、第1作(2015年)を半信半疑で見て、豊かな表現とストーリーの奥深さのとりこになりました。続編の今作も、愛すべき一本になりました。子どもたちが見れば、そのスペクタクルに夢中になるでしょうし、大人が見れば、自らの子ども時代の心の中を振り返ることでしょう。まさに親子で楽しめる作品です。
●ストーリー
前作から2年後、少女ライリー・アンダーセン(声の出演:横溝菜帆)はティーンエージャーに成長し、高校入学を控えていました。ライリーを子どもの頃から見守ってきたヨロコビ(小清水亜美)、カナシミ(大竹しのぶ)、イカリ(浦山迅)、ムカムカ(小松由佳)、ビビリ(落合弘治)の感情たちは、転校先の学校に慣れ新しい友人もできたライリーが幸せに暮らせるよう奮闘する日々を過ごしていたのです。
友だち思いの元気な良い子に育った彼女は、親友のブリーとグレイスとアイスホッケーのキャンプに招待されることになります。
そんなある日、高校入学を控え人生の転機に直面したライリーの頭の中で、ライリーの心に新しい環境への期待や不安、友達とのすれ違いなどさまざまな感情が渦巻き始める中、「思春期アラーム」が鳴り響きます。成長する心に訪れる嵐の季節、思春期の始まりです。
戸惑うヨロコビたちの前に現れたのは、最悪の未来を想像してしまう「シンパイ」(多部未華子)、誰かを羨んでばかりいる「イイナー」(花澤香菜)、常に退屈&無気力な「ダリィ」(坂本真綾)、いつもモジモジして恥ずかしがっている「ハズカシ」(マヂカルラブリー村上)という、大人になるための新しい感情たちでした。
「ライリーの将来のために、あなたたちはもう必要ない」―シンパイたちの暴走により、追放されるヨロコビたち。巻き起こる“感情の嵐”の中で自分らしさを失っていくライリーを救うカギは、広大な世界の奥底に眠る“ある記憶”に隠されていたのです。
●解説
ピクサー映画の続編は面白い!
1作目に新しい要素を加味するより、むしろその設定を根底から覆し、再創造に挑みながら、世界を押し広げるからだ。 前作同様、主人公はライリーという少女のなかにいる「感情」たち。心の司令室で、ヨロコビを筆頭に五つの感情たちがライリーの言動を制御しています。最終ゴールはライリーの幸せ。そのために、ときにはカナシミさえも不可欠であることを教えてくれたのが前作でした。
しかし人間の幸せ(というより人生)は流動的です。中学生になり思春期を迎えたライリーの心では、「反乱」が勃発します。
キャンプで憧れの高校選手ヴァレンティナと出会ったライリー。ヴァレンティナに好かれて、高校のチームに入りたい。でも、失敗したらどうしよう。もう「ヨロコビ」のような子どもの感情にはライリーを任せられないと、「シンパイ」を筆頭とするひと癖ある感情たちが心の司令室に現れ、ヨロコビを含めた純朴な(子供っぽい)感情たちを「抑圧」してしまうのです(「抑圧」の保管庫の場面は作中屈指の面白さですね!)。
他人にどう見られるかが気になって仕方がない年頃の、はち切れんばかりの自意識を象徴するかのような、ちょっと複雑な感情たち。「多感」とは、こういうことなのでしょう。
ピクサーが磨き上げてきたCGアニメ表現のきめ細かさは、言わずもがな。カラフルで個性的な感情たちは、それぞれ愛らしく、憎めない。そして、その感情に従ってくるくる変わるライリーの表情は、よくぞここまでと思うほど豊かで、目が離せない。
どの感情も皆、ライリーを幸せにするために働いているのが重要な前提だ。己を愛せれば、道を踏み外しそうになっても戻ってこられると言っているかのよう。このシリーズに心動かされるのは「善く生きる」とは何かという、人間道徳への深い洞察があるからだろう。更に成長したライリーにまた会いたくなる。
ピクサーが磨き上げてきたCGアニメ表現のきめ細かさは、言わずもがな。カラフルで個性的な感情たちは、それぞれ愛らしく、憎めない。そして、その感情に従ってくるくる変わるライリーの表情は、よくぞここまでと思うほど豊かで、目が離せない。
どの感情も皆、ライリーを幸せにするために働いているのが重要な前提だ。己を愛せれば、道を踏み外しそうになっても戻ってこられると言っているかのよう。このシリーズに心動かされるのは「善く生きる」とは何かという、人間道徳への深い洞察があるからだろう。更に成長したライリーにまた会いたくなる。
新しいものと古いものの対立から和解、そして共存へ……。「トイ・ストーリー」以来、CGアニメーションを牽引してきたピクサー映画の、プレることのない優しいメッセージだ。
●感想
頭の中で感情たちによる手に汗握るドラマが展開し、ライリーは思わぬ行動に。急に怒ったり、友だちを無視したり、周りによく見られようと空回りしたり。描写の一つ一つがリアリティーをもって迫ってきます。いつの間にか「自分の時も、こんな気持ちだったな」と、ライリーを通じて自分自身の10代の頃とも対話しているような気分にさせられました。
心の新たなる統率者シンパイは、英語名ではAnxiety。「不安」だけでなく「切望」も意味する。憧れの先輩プレーヤーを前にして背伸びするライリー。彼女は何者でもない自分に怯え、何者かになろうと躍起になる。周囲からの孤立を何よりも怖れるライリーの気持ちは、日頃たえず空気を読んでいる日本の観客にとって身につまされることでしょう。 彼女は、目の前の不幸に対処しているわけではない。遠い先に起こるかもしれない不幸を避けようとする。けれどもそうしたあせりが皮肉にも彼女自身を追いつめ、自己嫌悪に陥らせるのです。
ヨロコビたちの「幸福の追求」と、シンパイたちの「不幸の回避」とは似て非なるものです。その二つをすり替えてはいけない。が、だからといって、それらを対立させたり、どちらかを切り捨てたりしてもいけないのです。
人生には、時にどん底のような境遇を味わう時期もあります。けれども大きな成功を掴むためには、様々な失敗した経験が糧になるのです。「ジブンラシサ」の花を咲かせるために、失敗を含めてたくさん経験すべしです。なので不幸と幸福とはあざなう縄のように実は一体なのです。そして本作のように、様々な感情を抱く自分というぞんざいがたまらなく愛おしいという思いが、自信となり、人生を切り開く推進力となっていくのです。
皆さんも、他人を見て落ち込んだり無理して背伸びしたり、全部空回りして大恥をかいた(と思い込んだ)り、自我が芽生えたあの頃の、痛くて酸っぱい気分を思い出されることでしょうす。そしてその脳内を分析するような、感情たちの“暗躍”にいちいち納得されること請けあいです。
●最後にひと言
エンドロール中に「ヨロコビ」に引きづらて画面に登場するとある隠れた感情キャラ。もうドラマは終わるのに、すぐ正体を隠してしまいます。その人見知りするキャラには笑えました。人にはこんな感情も隠れているのですね。なのでエンドロールは最後までご覧になってください。
自分らしさを見つめ直す作品
過去の名作の領域まではあと一歩
大人になってから観たピクサー映画の感想は作り手に対する「感心」「敬意」
圧倒的なキャラ造形、
(マーベルとは違い)事前の知識不要で老若男女、誰にでも通じるコメディ
トイ・ストーリーやモンスターズインクという、とてつもなく完成度が高い作品を送り出したピクサー
この作品もその系譜に入るのではと前評判から期待してたけど
そこまでの爆発力は無いのかな
秀作なのは間違いないのだけど
各々のキャラを活かしたストーリー展開や小ネタをもう少し欲しかった
思春期?ライリー
「感情たち」は「親心」のメタファーなんだな
ピクサーの1作目、「トイ・ストーリー」は今見ても名作・傑作なのだが、あのストーリーは、生まれた弟・妹に親を「取られた」兄・妹の話である。
本作(前作もだが)「感情たち」は「親心」のメタファーである。
(かなりデフォルメというか「極端」に描かれているが)
「楽しめるように」とか「危険がないように」とか「ツラい思いをしないように」とか考えちゃうんだよね。
なので、感情たちの誰しもに感情移入できちゃうし、「あるある〜」「こーゆー恥ずかしいこと経験ある」とか思いながら見てしまう。
(そういう意味では、昔の恥ずかしさを追体験させられるキツイ映画でもある)
10代の立場で見るのと、親になって見るのと、違った作品になると思う。
10代に戻って見ることができれば〜と思ってしまう。
なんぼでもできる
エグザイティー
感情の波が押し寄せる
ようやく見れた。
つい最近見て大ハマりした「インサイド・ヘッド」の続編。世界中で特大ヒットし、日本でも高評価の嵐。あまりにハードルが高かったけど、こんだけ大成功を収めているだけのことはあった。
誰しもが体験し、頭の中で想像していたことを完璧に映像化。これをアニメーションに起こすって、ピクサー本当にすごい。考えついても出来ないよ。感情の波が押し寄せるとか、アイデアの嵐が起きるとか、多彩なアニメーション技術と表現力に感嘆してしまう。続編だなんて、わざわざ作らなくても...とか心のどこかで思ってたけど、これは素晴らしい。数多くある“2”の中でもトップクラスでいいんじゃない?「長ぐつをはいた猫と9つの命」に並ぶね。
前作は引越しがきっかけで起きる心の変化を描いていたが、本作はアイスホッケーのキャンプで起きる思春期特有の変化を描いており、スケールが小さくなったというか、前作よりも細かいところにスポットを当てていた印象。
正直なところ、1と2、どっちが好きかと言われたら1の方が好きなんだけど、描写が細かいことで5から9と感情の数が増えたにもかかわらず、ひとつひとつにしっかりと活躍する場面があり、見応えという点においては大幅にパワーアップしている。ただ、ライリーの目に映る光景はほぼ動きがなく、基本はずっとアイスホッケーで絵変わりがしないため、映像的な面では物足りなくも感じる。
しかし、今回のライリーの年頃は、自分自身記憶に深く刻まれている時期であるためか、思春期特有の言葉や行動が胸にグッサグサ刺さりまくり。それと同時に、あなたはこうして成長したんだと、あの頃があるから今があるのだと、一緒に寄り添って前向きにさせてくれるラストだったのもすごく良かった。
子どもはアドベンチャーものとしてワクワクウキウキして、大人はこれまでを思い返して物思いに浸る。ピクサーらしく、非の打ち所のない物語展開。音楽の趣味を周りと合わせるとか、すっげぇわかる...。
今年1番あっという間だった。メッセージやテーマとしてはかなり鋭く、じっくりと深く考えさせられながらも、見たあとは幸福感で心がいっぱいになる。前作はカナシミを演じた大竹しのぶに、今回はシンパイを演じた多部未華子に驚かされた。言われないと分からんて。カナシミもシンパイも、負の感情だけど生きていく上でとても大切なこと。でも、ヨロコビを忘れないで。続編も楽しみです☺️
あと一言だけ。
ピクサー映画で最後まで見らずに席を立っちゃう人、なに?ピクサーランプのライトがパチッと消えるところまでが最高じゃん。劇場ならではの良さ。みんな、最後まで見ようね。
ピクサーはやっぱり
自分をつくるのは自分
1もすごく面白かったが、2もそれと同等かそれ以上に面白かった。
脳の機能を擬人化したものがここまでドラマチックに感動的にできるなんて、発明だと思う。
ありふれた一般人だからこそ共感性が高いという、何という逆転のアイデアか。
なぜ「思春期」になるとめんどくさい性格になるのか、無邪気なままではいられなくて、生き辛くなっていくのか、理由がよく分かる。
「シンパイ」は「未来に対する備えをさせる」動機になる感情で、大人になるために必要だけど、過剰になると暴走してライリーの行動をのっとってしまう。「シンパイ」の感情だけが取捨選択した記憶で形成された「セルフイメージ」は、「私はダメな人」というもので、特に日本人にはこういう人が多いと思う。
幼少期の発達過程においては、「私は良い人」というセルフイメージをもつことが何より大事で、これがなければ自分自身に対する尊厳を持つことができない。それは自分を大事にする源の感情でもあるし、自分自身への誇りにもなる。また、それがあるからこそ、他人ももっているであろう尊厳を大事にできる。
「ヨロコビ」たちは、この健全なセルフイメージを成長させるために存在する、と言っても良い。そのため、無数の体験の中から、そのセルフイメージの成長に必要な記憶を取捨選択している。
しかし成長して社会生活を送る中で、さまざまな人生の困難にぶつかり、無力感を味わい、客観的・相対的に自分自分を見つめられるようになってくると、単純に「私は良い人」と信じられなくなってくる。そしてセルフイメージを再構築せざるを得なくなってくる。この、一度自分を壊して再構築するという不安定な時期が思春期にあたる。
幼少期においては、「自分」というものは、「感情」たちによって受動的に作られていくものだったが、思春期以降においては、「自分」はどんな人間なのかは、「自分」がつくっていく。それは、単純に「良い人」「悪い人」では割り切れない複雑な自分像。でもそういう「いろいろな自分」はぜんぶ本当の自分で、その全部をまるごと自分自身だと肯定できること、それが本当の意味での人間の成長なのだと深く実感できるストーリーだった。
この映画はちゃんと脳科学や心理学に基づいて作られていると思うが、そういうことを全く知らなくても楽しく観れるのが良い。とくに印象に残っているシーンは、「シンパイ」が未来に起こる最悪な想像をたくさん書かせているところ。それが無数に頭に浮かんでしまい、ライリーは眠れなくなってしまう。
不安で仕方なくて眠れない夜には、自分の頭の中の「シンパイ」が暴走してるんだな、なんて思うと、少しは楽になるかも。
この世界観はほんとうによくできていて、いくらでも続編が作れそう。ライリーが恋愛とかしても面白そうだし、ライリーとはべつの人のインサイドヘッドでも面白そう。
「はたらく細胞」の漫画やアニメもヒットしてるし、これからのSFは擬人化系がくるかも…。
喜びも悲しみも幾歳月
アイスホッケーのキャンプという現実世界では些細なエピソードを、感情の葛藤をファンタジー化して90分にふくらませて描く。
個々の感情を擬人化して独立して描くので、ライリーが自主的に判断して行動しているのではなく、別人格によって他動的に操られているようにしか見えない。さながら「イブの九つの顔」とでも言うように。何ならヨロコビも心配しているし、カナシミも喜んだりしているので、キャラクターの位置づけが不明確だ。さらに脳内世界の設定や現実世界への反映のシステムがすんなりとは呑み込めないので、いろんなことが次々に起こるが、途中で置いてけぼりにされた感が強かった。
アイスホッケーの試合の場面も中途半端で、「スラップ・ショット」の方が、よっぽどわかりやすかったな。
よくできたストーリー。子育てをした親なら、さらに深く楽しめる。
純粋無垢な子供だった主人公ライリーが成長する体験を、わかりやすく解説しながら、見事なエンタテーメントに仕立てていて、さすが。クライマックスのヨロコビが操作パネルに“呼ばれて”行くシーンは、本当に良かったなあと感じた。ラストのダリィが「ここは俺が」と操作して締めるオチは、思春期あるあるで、笑えた。
失敗などの、思い出したくないことをなかったことにして、「私はいい子」というライリーのこころができていくという設定は、『小さい子供の時はそれで良いけど・・』という話の展開になり、なるほどと思った。なかったことにせず、それを含めて本当のライリーのこころを作るというのは、何だか人生訓のようだけど、その通りと思う。
頭の中の感情たちの中で、ヨロコビがリーダー格で、率先して行動を起こす。確かにいろいろなモチベーションの中心にはヨロコビ(Joy)を求める気持ちがあるので、「そうだよなあ」と思った。ライリーが寝ようとベッドに入った時に、ヨロコビがネガティブな考えが浮かんでくるのを止めさせて、ポジティブな夢をライリーに送る場面は、「そうだ。ヨロコビがんばれ!」と思った。
カナシミとハズカシも、この映画ではけっこう活躍していて、感情もバランスが大事だねと感心した。
新しい感情のシンパイは、子供にはない「こざかしい大人の計算」という印象。英語ではAnxietyと表現されていて「心配」という意味もあるけど、「気遣い」とか、「~したいという気持ち」という意味もあり、日本語の心配よりもう少し広い範囲の感情らしい。
ライリーが友達に冷たくしたのに、その友達やさしさに救われる場面は胸が熱くなった。そういう友達をつくったライリー自身の積み重ねがあったのだろうと思う。
ライリーが小さいころに好きだったモノがピンチで活躍する。この場面も誰もが思い当たるモノがあるので、心に響く。
映画館には、小学生の子供と親というグループも多かった。でも、小学生の子供には新しい感情たちを理解するのは難しいので、面白くなかったということになりそう。
そうなったとしても、親としては「今の無垢な子供との時間を大切にしよう」と考えると良いのではないか。そして、その子が大きくなった時にもう一度見て、今回の鑑賞をナツカシむのが良いと思う。
アツイノキチィ
9年前の1作目では、感情を擬人化して心理学や脳科学の知見をエンタメのアニメにするという圧倒的な構想に震えた。そこから主人公が成長して新たに芽生えた感情の新キャラが…という今回の展開は、ま、そうなるよねという感ありで前作のような驚きはなく…。そもそも日々さまざまな感情に揺さぶられる思春期のライリーに対して、おっさんのこっちは歳を重ねるごとに感受性を失ってってるわけで、鑑賞対象として無理があるのかも(爆)。
とはいえ、13歳の子どもの気持ちを親目線から想像するとつい落涙してしまったし、なによりピクサーのアニメ技術のすさまじさに相変わらず感動。アニメ内アニメやゲームのキャラの異なる描画の混在ぶりは今となっては既視感があれど、キュキュッと動く瞳や微っ妙な表情の表現力がすごすぎる。
米本国では大ヒットということなので、この先さらに続編も創られそうだが、パート10あたりでばあさんになったライリーの感情を表現した作品が観たいもの(先すぎ)。
ヨロコビもカナシミも、すべての感情と経験が自分を造る
基本的にはドタバタコメディーで、大人も子供も楽しめますが、子供には少々この映画の意図するテーマや深い意味などを理解することは難しいのではないでしょうか。
しかし、深い意味など特に考える必要もなく、十分楽しいし面白いし、かなり低年齢でも飽きないような工夫もあり、全年齢で楽しめる映画です。それでいて、深い意味や理由など裏を探ることが好きな私のようなひねくれたおぢさんも、勝手に解釈をしたりして楽しむことができました。
・「私はいい子」
赤ちゃんは、自分の感情のままに振る舞います。自分の快・不快をそのまま表すことによって、自分が親の愛情表現という報酬を得ることが可能だからです。しかし、徐々に成長するに従って反応的な感情のみでは、不十分だということを学習します。
獲得した知識・経験によって、その時々「どう振る舞うか・振る舞わなければならないか」によって報酬が変わることに徐々に気がつくのです。「私はいい子」でいる。そのように振る舞うことで、親や社会から肯定され受け入れられることが、自分にとって最も報酬が得られることを学びます。
・「他者の評価」頼みの危険
主人公の頭の中の司令所の中心に、自我の象徴である結晶があります。
司令所の面々は15年に渡り結晶を大事に育ててきました。そして特にヨロコビは、その結晶を大事にしていますし、執着しています。
主人公にとっての自我は「私はいい子」ということ。しかし、「いい子」とは何が「いい」のでしょうか。それは、周りの人達にとって「都合のいい」振る舞いです。それは、あくまで「他者から都合がいい」ということです。
ですから、自分の自己評価は他者の意向に依存していることになります。
「自分はこうしたい」ではなく、「他者からどう見られるか」が重要になってしまいます。
ヨロコビは、主人公の不名誉な記憶を記憶の隅に葬り去ってきました。「自分はいい子」という自我を保持し続けるためには、不名誉な記憶を破棄することでしか自分の高い自己評価を保つことはできなくなるからです。
確かに、必ずしも他者がどうして欲しいのかという意向を汲んでその期待に応えることは、必ずしも悪いことではありません。他者や社会の期待に応えるということは、道徳や社会の規範を学び身につけることに他ならないからです。
しかし、他者や親の意向をすべてその通りに実行することは不可能です。成長するに従って、自分の意思と他者の意向が合致しないことも増えてきます。他者はいつも自分を肯定してくれるわけではなくなっていきます。
・孤独の肖像
シンパイは、一体何をしようとしていたのでしょうか?
シンパイは、他者の評価に基づく「私はいい子」という自我を変更し、挫折や苦しみに主人公が耐えられる自我を造ろうとしました。
もはや他人の自分に対する高評価だけを期待することができなくなったのですから、他人から高い評価を受けることを目標にするのではなく、「自分自身の評価を自分で下げること」によって危機を乗り越えようとしました。最初から他人の高評価を期待しない様にしたのです。
自己評価の高い自我よりも自己評価の低い自我の方が、危機に対応できるように思われるかもしれません。しかし、実はそこから得るものは何もありません。他人が評価してくれず、自分で自分を高く評価することもできないとしたら、そこには絶望しかありません。
・シンパイの杞憂
司令室に復帰したヨロコビは、以前の自我の結晶とシンパイの自我の結晶を交換しましたが、うまく行きません。もはや自分にとって都合の良い記憶だけで形作られた以前の自我では、新しい事態には対処できなくなっていたのです。
実は、嫌な記憶も良い記憶も「ありのままの自分」であって、そこに「良い・悪い」「必要・不必要」はないのです。「受け入れるか・受け入れないか」ただそれがあるのみです。
葛藤の後、主人公はありのままの自分を受け入れることができました。
「自分はいいところもダメなとこもあるけど、それが今の自分」。
主人公は、新しい自分(自我)を織りなすことができました。
人生は、自分にとって都合の良いことばかりおきるわけではありません。「自分はいい人」という他人からの評価が絶対でもないし、「自分はダメ」と自分を卑下して萎縮してもいけない。
「自分はいい人でもあって、ダメなところもある」それを上手く一つにバランスよくまとめていく作業が、長い人生を生き抜く上での大事な過程であるということではないでしょうか。
・生きるヨロコビ
主人公の世界では、特に大変な事件が起こるわけでもなく主にホッケーの3日の合宿がメインです。ところが主人公の頭の中では、感情の大嵐、大冒険が巻き起こっています。
主に活躍するのは、ヨロコビです。
人生の中でも牽引役をする感情は「喜び」なのではないでしょうか。
それは、ただ単に「楽しい」というひと時の気分ではなくて、心の深くから湧き起こるような深い感情です。それはどこから来るのかというと「他者からの受け身の都合の良い評判」を超えた先にある「他人を尊重しあう大人の関係性」から来るのではないでしょうか。
自分の心の中に閉じこもっている時、自分だけが世界に一人ぼっちのように思えて、底知れぬ孤独を感じるものです。苦しみや悲しみに打ちのめされ、さらなる闇へ逃げたくなります。
しかし、私たちは社会や他者との関係性の中に生きています。しかし、そんな「私」を陰日向に支えてくれる友達や親や名もない人がいる。その関係性から得られる喜びこそが、真に自分を自分たらしめて自己肯定感をもたらしてくれるのです。
もし今、他者との関係性や低い自己肯定感から、悩み・傷つき・苦しんでいるとしても、私たちの頭の中ではヨロコビやカナシミが日々自分を応援し奮闘していると想像すると、自分は一人ではないと思えて生きていく勇気がもらえるような気がします。
本当に感動しました
シンパイがずいぶんアクティブ?
基本的感情(ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカ)に、
思春期が発動されて、シンパイ、ハズカシ、イイナー、ダリィが増員。
この4人、両親にも増員されているはずだが・・・あんまり出てこない。
最初からいないとおかしいだろ(特にシンパイとか)と思わなくもない。
あ、ナツカシが抜けていた。大人なら、ナツカシが、はびこっていそう・・・
(特に男は・・・ナツカシ系の雑誌はほとんど男向け?)
(他の新キャラは、それなりに分かるが)シンパイのキャラデザや行動がどうにも「心配」を想起させず、しっくりこなかった。
カナシミは相変わらず、ヨロコビのパシリのような扱いだが、カナシミの感情、あまり前面に出てくるものでもないので、結局こうなるか?
思春期と言えば、異性関係もと思うが、ほぼ省かれていて、それは次のネタなのかも?
結局、最後はどうなったのか、よく分からなかった・・・
感情の新キャラは、なるほどとは、思えたが、試合における作戦行動など、本来感情の入る余地はなく(競争心はあるだろうが)、別建てで知性をつかさどるキャラなり(それこそ、スタートレックのスポックやデータのような感情の乏しいキャラ)、統合的に指令する(性格を形成するような)概念が必要だった気もする。感情のキャラたちが制御しているのに違和感があった(本作ではヨロコビまたはシンパイがその任に当たっていたようだが)。そもそも、感情のキャラたちも成長しないとヘン?
あるいは、シンパイが知性そのものなのか?
とりあえずエンドロールの最期のほうまで見るのをお勧めする。
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