「ヨロコビもカナシミも、すべての感情と経験が自分を造る」インサイド・ヘッド2 Immanuelさんの映画レビュー(感想・評価)
ヨロコビもカナシミも、すべての感情と経験が自分を造る
基本的にはドタバタコメディーで、大人も子供も楽しめますが、子供には少々この映画の意図するテーマや深い意味などを理解することは難しいのではないでしょうか。
しかし、深い意味など特に考える必要もなく、十分楽しいし面白いし、かなり低年齢でも飽きないような工夫もあり、全年齢で楽しめる映画です。それでいて、深い意味や理由など裏を探ることが好きな私のようなひねくれたおぢさんも、勝手に解釈をしたりして楽しむことができました。
・「私はいい子」
赤ちゃんは、自分の感情のままに振る舞います。自分の快・不快をそのまま表すことによって、自分が親の愛情表現という報酬を得ることが可能だからです。しかし、徐々に成長するに従って反応的な感情のみでは、不十分だということを学習します。
獲得した知識・経験によって、その時々「どう振る舞うか・振る舞わなければならないか」によって報酬が変わることに徐々に気がつくのです。「私はいい子」でいる。そのように振る舞うことで、親や社会から肯定され受け入れられることが、自分にとって最も報酬が得られることを学びます。
・「他者の評価」頼みの危険
主人公の頭の中の司令所の中心に、自我の象徴である結晶があります。
司令所の面々は15年に渡り結晶を大事に育ててきました。そして特にヨロコビは、その結晶を大事にしていますし、執着しています。
主人公にとっての自我は「私はいい子」ということ。しかし、「いい子」とは何が「いい」のでしょうか。それは、周りの人達にとって「都合のいい」振る舞いです。それは、あくまで「他者から都合がいい」ということです。
ですから、自分の自己評価は他者の意向に依存していることになります。
「自分はこうしたい」ではなく、「他者からどう見られるか」が重要になってしまいます。
ヨロコビは、主人公の不名誉な記憶を記憶の隅に葬り去ってきました。「自分はいい子」という自我を保持し続けるためには、不名誉な記憶を破棄することでしか自分の高い自己評価を保つことはできなくなるからです。
確かに、必ずしも他者がどうして欲しいのかという意向を汲んでその期待に応えることは、必ずしも悪いことではありません。他者や社会の期待に応えるということは、道徳や社会の規範を学び身につけることに他ならないからです。
しかし、他者や親の意向をすべてその通りに実行することは不可能です。成長するに従って、自分の意思と他者の意向が合致しないことも増えてきます。他者はいつも自分を肯定してくれるわけではなくなっていきます。
・孤独の肖像
シンパイは、一体何をしようとしていたのでしょうか?
シンパイは、他者の評価に基づく「私はいい子」という自我を変更し、挫折や苦しみに主人公が耐えられる自我を造ろうとしました。
もはや他人の自分に対する高評価だけを期待することができなくなったのですから、他人から高い評価を受けることを目標にするのではなく、「自分自身の評価を自分で下げること」によって危機を乗り越えようとしました。最初から他人の高評価を期待しない様にしたのです。
自己評価の高い自我よりも自己評価の低い自我の方が、危機に対応できるように思われるかもしれません。しかし、実はそこから得るものは何もありません。他人が評価してくれず、自分で自分を高く評価することもできないとしたら、そこには絶望しかありません。
・シンパイの杞憂
司令室に復帰したヨロコビは、以前の自我の結晶とシンパイの自我の結晶を交換しましたが、うまく行きません。もはや自分にとって都合の良い記憶だけで形作られた以前の自我では、新しい事態には対処できなくなっていたのです。
実は、嫌な記憶も良い記憶も「ありのままの自分」であって、そこに「良い・悪い」「必要・不必要」はないのです。「受け入れるか・受け入れないか」ただそれがあるのみです。
葛藤の後、主人公はありのままの自分を受け入れることができました。
「自分はいいところもダメなとこもあるけど、それが今の自分」。
主人公は、新しい自分(自我)を織りなすことができました。
人生は、自分にとって都合の良いことばかりおきるわけではありません。「自分はいい人」という他人からの評価が絶対でもないし、「自分はダメ」と自分を卑下して萎縮してもいけない。
「自分はいい人でもあって、ダメなところもある」それを上手く一つにバランスよくまとめていく作業が、長い人生を生き抜く上での大事な過程であるということではないでしょうか。
・生きるヨロコビ
主人公の世界では、特に大変な事件が起こるわけでもなく主にホッケーの3日の合宿がメインです。ところが主人公の頭の中では、感情の大嵐、大冒険が巻き起こっています。
主に活躍するのは、ヨロコビです。
人生の中でも牽引役をする感情は「喜び」なのではないでしょうか。
それは、ただ単に「楽しい」というひと時の気分ではなくて、心の深くから湧き起こるような深い感情です。それはどこから来るのかというと「他者からの受け身の都合の良い評判」を超えた先にある「他人を尊重しあう大人の関係性」から来るのではないでしょうか。
自分の心の中に閉じこもっている時、自分だけが世界に一人ぼっちのように思えて、底知れぬ孤独を感じるものです。苦しみや悲しみに打ちのめされ、さらなる闇へ逃げたくなります。
しかし、私たちは社会や他者との関係性の中に生きています。しかし、そんな「私」を陰日向に支えてくれる友達や親や名もない人がいる。その関係性から得られる喜びこそが、真に自分を自分たらしめて自己肯定感をもたらしてくれるのです。
もし今、他者との関係性や低い自己肯定感から、悩み・傷つき・苦しんでいるとしても、私たちの頭の中ではヨロコビやカナシミが日々自分を応援し奮闘していると想像すると、自分は一人ではないと思えて生きていく勇気がもらえるような気がします。