「思春期といえば「初恋」ではないのか?」インサイド・ヘッド2 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
思春期といえば「初恋」ではないのか?
ライリーが思春期になって、心配だとか、羨ましいとか、恥ずかしいとかといった新しい感情が生まれる序盤の展開は面白いし、納得することもできる。
だが、そうした新たな感情たちが、喜びとか、悲しみとか、怒りとかといった根源的な感情に成り代わるというその後の展開には、正直、違和感を覚えざるを得なかった。
確かに、大人になると、子供の頃に比べて、喜怒哀楽を素直に表現することが少なくなるものだが、だからといって、それらの感情が完全になくなってしまう訳では無いので、やはり、ヨロコビ達を瓶詰めにして保管庫に閉じ込めるというシンパイ達の仕打ちは、度が過ぎているのではないだろうか?
保管庫で出会う手描きアニメやビデオゲームのキャラクターは、「そのまんま」の表現で面白いし、保管庫を脱出してからコントロール・ルームを奪還するまでの冒険も楽しめるのだが、そもそも、そうなる必然性が納得できないので、今一つ物語に入り込むことができなかった。
さらに、ライリーが思春期を迎えることになったきっかけが、名門ホッケー部に入部できるかどうかが決まる合宿であるというところにも、疑問を抱かざるを得ない。
思春期といえば、「自我の芽生え」とか「親への反抗」とか「自意識過剰」とか「コンプレックス」とかといったことが思い浮かぶし、最大のイベントは、やはり「初恋」ということになるのではないだろうか?名門ホッケー部への入部というのは、どちらかといえば「承認欲求」とか「自己実現」の話で、それらは、思春期よりも、もっと後に訪れる心の動きのように思えてならない。
実際、思春期特有の感情として登場したイイナーやハズカシに、ほとんど存在感がなかったのは、物足りないとしか言いようがない。
ここは、やはり、誰もが経験する「初恋」のようなイベントを題材として、彼らに十分な活躍の場を与えるべきだったと思うし、そうすれば、もっと身近で共感しやすい物語になったのではないかと思えるのである。
ありがとうございます。
どうして、あんなに「優等生」の話にしたのか、本当に不思議ですね。
キャラクターにしても、ストーリーにしても、自分に置き換えることが難しく、それこそ「感情」移入ができませんでした。
全く同意です。
最大公約数的な感情移入を引き起こすために
「思春期の初恋」というカードを使わなかったのは
非常にもったいなかったというか、必然性を感じる
展開には思えなかったですね。
ライリーが小学校でトップの成績だったとか、
自発的に朝練する姿勢とか、細かいところでも
「だらしない」主人公とは真逆で嫌味っぽさが拭えなかったです。