劇場公開日 2025年4月11日

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「アイデアと俳優は最高の食材!しかし、調理人には恵まれず」サイレントナイト(2022) 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 アイデアと俳優は最高の食材!しかし、調理人には恵まれず

2025年4月13日
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鑑賞方法:映画館

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【イントロダクション】
ギャングの抗争によって一人息子を亡くし、自身も喉を撃たれて声を失った父親が、クリスマスイブに復讐を果たすリベンジ・アクション。主演は、『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021)のジョエル・キナマン。監督は、『フェイス/オフ』(1997)、『レッドクリフ』シリーズを手掛け、20年ぶりとなるハリウッド・アクション映画の監督となった「バイオレンスの詩人」ジョン・ウー。脚本は、ロバート・アーチャー・リン。

【ストーリー】
12月24日。舞台はアメリカの架空の都市。ブライアン・ゴッドロック(ジョエル・キナマン)は、妻のサヤ(カタリーナ・サンディノ・モレノ)と一人息子のテイラーと共に、郊外の住宅地で平穏な暮らしを送っていた。しかし、クリスマスイブにテイラーをギャング同士の抗争で亡くし、自身もギャング団のボス・プラヤ(ハロルド・トーレス)に喉を撃たれ、瀕死の重傷を負う。

1月。辛うじて一命を取り留めたブライアンは、病室で意識を取り戻す。しかし、喉を負傷した事で一切の発声が出来なくなってしまい、絶望感を抱く。
息子を喪い、声を失った悲しみから、ブライアンは酒浸りとなり、サヤとの夫婦関係も悪くしてしまう。

4月のある日、ブライアンは庭の椅子に腰掛け、息子を喪った日の事を回想していた。そして、ブライアンは息子の仇を討つ事を決意し、ギャング団への復讐計画を決意する。
自宅の作業部屋に掛けられたカレンダーの12月24日の日付欄を、復讐計画の決行日とする。

《12月24日。全員、ぶっ殺す》

ブライアンは、自身を案じるサヤと別居する事になる。そして、筋トレやナイフによる近接格闘術、射撃からドライビングテクまで、ありとあらゆる肉体改造と技術を習得し、その傍らでギャング団についての情報収集をする。闇市で赤いスポーツカーを買って防弾加工を施し、襲撃に使う銃や防弾チョッキも用意する。

クリスマスイブ前日の23日。ブライアンはギャング団の構成員の1人で、金の管理を任されている団員の家に忍び込み、自宅へと拉致して質問用紙に記入させて情報を吐かせる。

そして、遂に12月24日を迎える。命懸けの復讐の火蓋が切って落とされた。

【感想】
全編台詞なしというのは、昨今では『ロボット・ドリームズ』(2023)や『Flow』(2024)といったアニメーション作品で目にするが、アクション映画でこうした試みをするというのは斬新で、素直に面白いと感じた。

ジョエル・キナマンの表情の演技が凄い。喉を潰され、発声が出来ないという設定なので、あらゆるシーンを表情や目の演技で表現しなければならないのだが、彼の演技はその都度主人公の抱えている感情を的確に表現していた。彼は、ニコラス・ケイジと共演した『シンパシー・フォー・ザ・デビル』(2023)でも印象的な役柄を演じていたが、本作の演技は彼のキャリアにとって一つの集大成と言えるだろう。
復讐計画を企て、肉体改造や情報収集に明け暮れる描写も、こちらの期待感をジワジワと煽ってくれた。

しかし、そうしたアイデア自体の面白さ、主演俳優の演技力とは裏腹に、演出面における“古臭さ”が致命的な程足を引っ張ってしまっている。
それは偏に、ジョン・ウー監督の「時代遅れな作家性」に他ならない。かつては「バイオレンスの詩人」とまで言われた彼の作風も、既に過去の話。スローモーションや二丁拳銃によるアクション、鳥を用いた印象的なシーンの演出は彼の醍醐味だが、そうした演出のどれもこれもが、今となってはもう過去のものなのだ。
本作でも、控えめとはいえ、ブライアンの病室の窓の外に降り立つ鳥、クライマックスで駆け付けたデニス刑事(キッド・カディ)による即席二丁拳銃アクションは顕在。

また、ブライアンの息子を思う描写の数々が、あまりにも“クサい”、そして“ダサい”のが致命的。息子との思い出のアイテムとして「オルゴール」を用いるのは良い。しかし、内部機関のみの剥き出しのオルゴールを、幼い男の子が気に入るとは到底思えないのだが。そこは、ベタでもゼンマイ仕掛けのロボットとかだろう。また、そのメロディーがあまりにも単調で、にも拘らずシリアスなシーンで度々ブライアンはそのメロディーを聴くので、その都度緊張感を削いでいた。
プラヤとの最終決戦で、彼の部屋に飾られたガラス水晶に息子の面影を見るというのは、「いつの時代のアニメだよ?」と失笑してしまうレベル。ラストで、息子の誕生から叶わなかった大学卒業という“成長”した姿までを走馬灯(のように)として見るというのは、もう白旗レベルで勘弁してほしかった。

細かいが、ブライアンが初めての殺人後、遺体と滴る血を見て嘔吐してしまうシーン。実際には、人が死体を見て吐くというのは、遺体から漂う腐乱臭によるもので、ああした場面で嘔吐するというのは現実味が無い。極度の緊張感によるストレスによるものと捉えれば理解出来なくもないが、こうした演出もリアリティの無さに繋がっている。

ただし、所々に「良い」と感じさせる部分はある。
呑んだくれる夫を心配して、サヤが既に鍵の在処を確認した上で、「カギがどこか知らない?」とスマホでメッセージを送るという、妻側からの夫との夫婦関係修復に向けたさり気ない気遣い。
ギャング団の構成員を拉致して尋問する際、これまで散々鍛えてきたにも拘らず、思わぬ反撃を受けて格闘に流れ込むというシーンは、「本当に成功するのか?」という緊張感を生んでいた。
これは、演出以前に脚本による力ではあるのだが、それでも評価出来る部分は間違いなくあった。

舞台設定も、現実離れした何処ぞの世紀末ばりの治安の悪さには失笑させられるが、だからこそブライアンが復讐でキル数を稼いでいく展開の盛り上がりに繋がるので目を瞑る。恐らく、彼1人で30人近くは殺したと思われる。
それにしても、ラスボスであるプラヤの魅力の無さはどうしたものだろうか。自分の身が危ないと知りつつ、呑気に部下を集めるだけ集めて、シャブ漬けにした愛人とダンスを踊ってるというのは理解に苦しむ。しかも、バッグミュージックは絶対社交ダンスのリズムじゃない(笑)
そんなんだから、ラストで“不運(ハードラック)と踊(ダンス)”っちまうんだぞ。

ところで、一昔前なら、この手の主人公の奥さんは赤髪やブロンドの白人と相場は決まっていたのだが、ラテン系というのはポリコレに配慮する時代性故だろうか?しかし、その他のあらゆる要素が前時代的な古さ・クサさに溢れているので、そういった配慮なのではないかと、逆に悪目立ちしてしまっていた。

【総評】
台詞を拝したアクション映画、シンプル且つ共感出来るストーリー、ジョエル・キナマンの熱演と、材料は良かったのは間違いない。
しかし、監督の時代遅れの作家性が完全に足を引っ張り、駄作寄りの凡作にまで作品の質を落としてしまったのが悔やまれる。

「もし、監督するのが『ジョン・ウィック』シリーズのチャド・スタエルスキ監督だったら、傑作になっていたかもしれないのに!」と思わずにはいられない。

余談だが、入場者特典の「Merry Christmas」の文字が入ったポスタービジュアルのポストカードはお気に入り。
また、「12月24日。全編、ぶっ殺す!」は、非リア充としては一生に一度は言ってみたい名言(名文句)。

緋里阿 純