「高木さん独特の恋愛観」映画 からかい上手の高木さん talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
高木さん独特の恋愛観
<映画のことば>
それに、からかいたいし。これからも。
「好き」ってことかな。
「もっと好き」っていうよりも。
高木か西片をからかうのは、彼女は西片に異性としての関心を持っていることの表れであることに、疑いはありません。
問題は、その気持ちをストレートに表現するのか、いわゆる「鎌をかける」ことで西片の方から彼女に告白するように仕向けるのか。
もちろん、大関の町野に対するやり方が前者だったのに対して、高木さんのやり方は後者で。
つまり、ストレートな告白でお互いが傷つく可能性を回避しつつ、「へなちょこパンチ」を繰り出しながら相手(西片)がダウンする(西片の方から彼女に告白する)のを、ひたすら待つという作戦だったようです。
まんまと西片を告白に追い込んだという点では、高木さんの西片へのアプローチが、西片の高木に対するアプローチよりも一枚「上手(うわて)」だったという意味では、やっぱり高木さんはからかいが「上手(じょうず)」だったということなのでしょう。
「上手(うわて)」と「上手(じょうず)」。
題名に上記のようなダブルミーニングの仕掛けがもし隠されていたのだとすれば、漢字表記では同じになってしまうその二色の意味が、本作の題名中の平仮名表記の「上」と「手」との二文字にに込められているようで、なかなか含蓄の深い題名の作品だったとも、評論子は思います。
その点で、本作は充分な佳作だったとも、思います。
(追記)
ときに、プロポーズをOKしてもらったら、その時の受け答えは「(プロポーズを請けてくれて)ありがとう」が普通かなぁとは思うのですけれども。
しかし、本作での西方の返事は「はいっ!」でした。
この西片の反応こそが、高木と西片をとの関係性を象徴して余りがあったと思ったのは、おそらく評論子だけではないことでしょう。
高木さんの西片に対する「調教」は、充分に成功していたと言えると思います。
(追記)
<映画のことば>
初恋とか、そういうものって、まず叶わないものなんだよ。
でも、「誰かを好き」っていう気持ちだけで、心がいっぱいになる。
だから、誰かを好きになるっていうのは、それだけで素晴らしいことだと思うぞ。
恋愛って、そんなものじゃあないでしょうか、やっぱり。
それまでは全くの「赤の他人」として生きてきたはずの二人が、ある日・ある時を境にして、ふとしたきっかけから絶対…唯一・無二の存在になる。
朝起きて、まず最初に考えるのは、その人のこと。
夜眠りに落ちる最後の瞬間まで、アタマを離れないのは、その人のこと。
まさに、寝ては夢、覚めては現(うつつ)。
まったく「狂気の沙汰」というほか、ないとも思います。
りかさん、コメントありがとうございます。
はい、「調教」です。
「あらぁ、お買物に付き合ってくれるの。ありがたいわ。」
「あらぁ、お掃除してくれたの。嬉しいわ。」などなど。
いわゆる「ほめ殺し」の手法を駆使して、世の奥様方も、日々ダンナを「調教」していると承知してございます。