映画 からかい上手の高木さんのレビュー・感想・評価
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なぜ高木さんにからかわれる西片を芹澤興人がやらないんだ???
私は本作の登場人物である高木さんや西片と同年齢の25歳なのだが、正直、彼らのからかいはきついです。掃除道具入れから飛び出したり、手を繋ぐふりをしてホウキを手に取ったり、片耳イヤホンにドキドキするとか、いつまでやってるんだ???だし、大人になれよと思ってしまう。中学生なら可愛いからかいですよ。しかし彼らが変わらず、そんなことをやっていたら「ピュア」ではなく、愚かです。島の長閑さとか関係ない。だって彼らの友人は、結婚をしたりと中学生からは前に進んでいるのだから。
西片をあの芹澤さんがやっているならまだ分かりますよ。中学生の好青年が、無情髭をはやしたいけ好かない男ー肯定的に捉えていますーになることだってあるだろうし、一番の恋の思い出が高木さんなことは十分にある。だから恋愛経験に乏しい彼が、久しぶりに再会した彼女にときめくことはあるだろうし、あのリアクションをするのも分かる。
しかし西片は好青年と言わざるを得ない高橋文哉が演じている。彼の演技は全く悪くない。むしろ15歳のままの高木さんを好演している。しかしきつい。それは人物造形と演出の失敗だと思われる。演出の観点で言えば、彼らの同窓会シーンも、今泉監督作品に特有の親密な時間は流れていないし、食べ物は「乾いている」し、誰一人として食べたり飲んだりしていない。
なんか「終わった」と思った。残りの時間は、西片を芹澤さんに脳内変換させてやり過ごそうとした。
だが、不登校の町田と彼に好意を寄せる大関が登場して私の見方は早計だったと気づかされた。「人物造形と演出の失敗」は撤回である。あの西片と高木さんの「ピュアさ」は、町田と大関と対等に話すためだったのだ。そしてそれは人と人とが誠実に向き合うことを可能にしてくれる。
以下、ネタバレを含みます。
誰の目からみても明らかなことだが、町田や大関は、西片や高木さんに比べて「大人」である。落ち着いているし、ちゃんと考えて、悩んでいる。大関はすぐに自分の想いを町田に告げる。西片と高木さんが自分の想いをちゃんと伝えるために10年以上しどろもどろしているのとは、対照的だ。町田にいたってもそうだ。彼は不登校状態ではあるけれど、風景画のスケッチは続けている。自分のやりたいことが明確だ。このような人物造形から明らかなのは、子どもは大人が思う以上に考えたり行動していて大人であり、逆に大人は、案外子どもっぽいということだ。
このような未熟な大人/大人しい子ども像で可能なのは、彼らが対等に話すことだ。
西片は学校の先生だから、大関に悩みを打ち明けられる。町田が不登校になってしまったのは、私が想いを告げたからだと。時を同じくして、高木さんと町田もスケッチを通して親しくなって、大関との出来事を話す。
西片ー大関の対話シーンと町田ー高木さんの対話シーンが同時進行で展開される。それは群像劇をやってきた今泉監督の作品らしい。そしてこの対話シーンをみて思うのは、話し合う二人が真剣に問題に向き合って、考えを伝え合っていることだ。西片は大関の悩みを「子どもだから」とバカにしない。「大人として」上から意見を言うこともない。それは上述の人物造形によって、不可能になっているのだが、だからこそ対等に向き合える。誠実に問題を解決しようとする。人と人との素晴らしい関係が映画として現前していると思うのは私だけか。
さらに同時進行の二つの対話は一致する。4人の視線が合う。西片らの対話は教室で、町田らの対話は山頂で行われるから場所が全く違う。互いがどんな状況か知る由もない。ましてや同じ問題を話しているなんて。でも西片と高木さんの視線が、大関と町田の視線が合う。フィクション≒映画だから合ってしまう。それは西片と高木さんが大関と町田の問題を通じて、再び自身の問題に向き合うきっかけになったことの証左であるだろうし、大関と町田が関係改善の兆しを受け取ったからでもあろう。他人の関係ない問題に向き合うことが自身の問題に変化を与えることは往々にしてある。
そして視線の合致は彼ら4人だけではない。彼らと私たち≒観客の視線もまた合う。この時、言いようのない幸福感に包まれる。私たちはそれでも対等に向き合え分かり合えるのだと知って。
彼らの対話は、ひとつの展開を迎える。町田は学校に登校し始め、町田と大関は実際に対話する。あの対話の時間こそ「ピュア」だろう。誤解は解かれ、さらなる誤解が生まれた気がするが、それでも彼らの関係は改善する。
彼らと対等な会話をした西片と高木さんも、再び自身の問題に向き合い始める。彼らは教育実習が終わった放課後に、教室で対話する。1シーン1カットではないが、重要なカットは長回しである。これはいかにもすぎる今泉監督作品のショットなのだが、その中で西片と高木さんは対話する。自分の気持ちをちゃんと話す。誠実に相手の話を聞く。
西片の気持ちは、正直、めっちゃ分かる。高木さんのことは大切だけど、世間一般の好きではなくて、だから好きかどうかは分からない。けれど嫉妬することはあるし、よくよく考えるとそれは「好き」かもしれない。世間一般の好きではない「好き」。この誠実さこそまさしく「ピュア」だ。西片も高木さんもピュアな気持ちを伝え合えた。誠実に自分自身と相手に向き合えた。それならば西片と高木さんは、ホウキではなく手を繋げる。付き合うことを飛び越えて、結婚ができる。それは多分に笑える展開だけど、誠実な帰結とも言える。
高木さんは自身の結婚式で誓いの言葉を告げる。その時、彼女の目線はカメラであり、私たち≒観客と高木さんの視線が合ってしまう。ならば、本作に誠実に向き合った者がやるべきことは言うまでもない。
ある意味、非常に困難な映画化だったのでは
とかく近年、人気原作の映像化に批判的ですが、この作品にはあまり厳しい目を向けたくないです。何故なら、一話短編で二人きりのシーンで綴られる漫画を2時間程度の実写劇場版にするなど、非常に構成が困難であったと思うから。どのシーンも二人きり、せめて必ずどちらか一人は画面にいないと成立しないお話なので、通常の実写ドラマで構成するとなると、物足りない内容になってしまわないだろうか。そうと判っているだけに集客も大変でしょう。
そうであるだけに、これぞ「高木さん」の真骨頂、クライマックスは二人トークの超ロングカット。台詞を覚えるだけでも大変。むしろスタントマン無しのアクションシーンのほうが楽なくらいだったんじゃないでしょうか。
内容的には原作と被らない年齢層の時代背景で原作と比較するストレス無し。それでも一応は原作再現のシーンもあって、クスッと笑える。大人になった二人が中学生達との触れ合いと通して、自分達の頃を振り返るようなお話と、そして期待の結論、二人の決着。最後は一粒種までも特別出演。特別、無理なく予想を超えることのない内容で、美しい島の風景を舞台に、肩の力を抜ける心地よい映画だったと思います。劇場版だからと言ってドッカンドッカンした超絶バトルと奇想天外な大どんでん返しは他の映画にやって貰いましょう。
それにしても、小さな島の中学校だからって、今時もあんなふうに純朴なのでしょうか。合唱コンクールの練習とか「ちょっと男子!」と揉める風景。私には懐かしいんですが、今もやってるのかな?
まだるっこしい告白シーン素晴らしい
実写で生身の成人男性をこれだけ可愛く描けるのはすごいと思った。原作及びアニメ版の魅力は、色々あるが、一番は西片がかわいいことだった。彼の可愛いリアクションがこの作品の題材である「からかい」を成立させていた。実写映画版は、このからかいをさらにちゃんと掘り下げてみようという意欲をもって制作されている。からかいがからかいとして成立するには、言い換えるといじめや嫌味にならずに成立するのはどんな関係性においてか、ということを正面から描こうと試みた。
そして、恋愛映画にもかかわらず、告白の持つ暴力性にも言及するというのは意欲的だ。気持ちに押し付けは時に相手を苦しめることがあると本作は描いている。こう書くと割と深刻なテイストの作品かと思われそうだが、西片が可愛く描かれていてそうならないバランス感覚がすごい。
クライマックスの長回し告白シーンは、映画史上屈指のまどろっこしい告白なのだが、それがいい。できるだけ暴力性を薄くして気持ちを伝えるには、あれだけ回りくどくなるってことなんだろう。あのまどろっこさを魅力的に描けるのは今泉監督ならでは。いい人に実写化してもらったなと思う。
パリから 帰ってきた高木さん
ドラマをNetflixでみていたので、アマプラで偶然見かけて「あ!...
ドラマをNetflixでみていたので、アマプラで偶然見かけて「あ!、続編だ」と喜んで見ようと思いましたが、主演が永野芽郁だと知って見るのやめました。
からかい相手の男子に対する恋愛感情をさり気なく示す少女に好感を持つのに、あの複数の男性への思わせぶりをする女優ということもあり、全然感情移入できそうにありませんでした。
からかうのは気のある証拠・・
高木さんと西方君、小豆島で暮らす中学生の初恋の二人、中3の時、高木さんは親の仕事の都合でパリに行ってしまう。10年後、母校の体育教師を務める西方のもとに高木さんが教育実習生として戻ってきました。相変わらず煮え切らない二人だが生徒の初恋、告白に悩む姿に触発されハッピーエンドへ・・。
おそらく、初恋に悩む少年、少女が観たら、きっと告白の勇気をもらえる映画でしょう。
どおってことない青春ラブコメディですが、島から眺める海の美しいことや、ラストの生徒たちの合唱シーン、「変わらないもの」が素晴らしかったです。めでたし、めでたし。
西片…やっぱ別れようか?……
世界観が好き
ほんわかムード
面白かった。よく出来てます。
Amazon Prime Videoでやってるのを偶然見つけたので見てみました。
からかい上手の高木さんを漫画版から読んでる私の目からしても大変良く出来た設定だと思いました。
高木さんが美術科の先生を目指すという発想はなかったので驚きです。
最後の方で、教室で西片が高木さんに告白するシーンがありますが、これに15分以上の時間を使っているのです。
何度も告白を口にするタイミングが来たにもかかわらずうまく言葉がまとまらず何度も仕切り直しをするのです。
これが高木さんと西片の関係をよく表してたと思います。
中井と真野が順調にゴールインしたのに、そのとき高木さんと西片はまだ正式に交際さえ始めていないのです。
同じ同級生カップルでありながらスピード感が全く違う対比が非常に面白いです。
永野芽郁さんの高木さんが予想以上に良かったです。
最近、はたらく細胞、かくかくしかじかと永野芽郁さんの作品をよく見かけます。
良い女優さんだと思うのですが、この先どうなっちゃうんでしょう?惜しいな。
おもしろすぎる西片くん
…本当の気持ちを伝えることの
大切さ
…西片は
好きという感情がちょっとわからない
でも高木さんと居ると楽しいし
嬉しい気持ちなる
相手を分かり過ぎない
ちょっと単純なところが良いのかも
相手に寄り添い相手を傷つけないところ
そんな西片を十年以上
想い続けた高木さん
何度も"好き"と言って
からかい続けたのに……
へなちょこパンチは届かなかった
自分でも思いもよらないくらい
この二人の
相手を思いやる優しさに
…じんわり感動しました
テレビドラマから、本作品に入りしたが、キャスト変更に違和感なく、ド...
点数ではない温かみ
やはり漫画が原作でしたか。
その実写版がこの作品
そのニュアンスの違いはわからないので、実写版だけに感じたことを妄想する。
ラブコメディというジャンルのようだが、人の気持ちという簡単に「変わってしまうもの」を「決して変わらない何か」はあるはずだという前提で、それに照準を絞り込んだ作品のように感じた。
教頭が言った「初恋というのは、だいたい終わってしまう」というセリフに込められた「一般的」な概念や常識
西片と高木にあった「変わらない何か」とはいったい何だったのだろう?
それを、最後の教室のシーンで二人が語り合っていた中に差し込まれていたのだろうが、それそのものを言葉にするのは難しい。
冒頭に登場する架空のコミック「100%片想い」
この少女漫画っぽいものはいったい何を表現していたのだろう?
そのアニメを夢中で見ているのが西片
あの漫画は西片の憧れでもあるというのがわかる。
未だ色あせない憧れ
西片の心の中を彩っているものの正体
そして突然かかってきた「高木さん」から出の電話
アドレスに「高木さん」と書いているのは、西片自身が彼女を憧れとしていた理由。
同級生の女子に、今も「さん」付けするのは、「100%片想い」という漫画の憧れの世界を、無意識かもしれないが、実在する「高木さん」に当てはめていたのだろう。
そしておそらく、この漫画を好きなのは高木も同じで、密かにまた読んでいることを当てられてしまう。
高木にとっては、西片が何を考えているのか、概ねお見通しなのだろう。
ただ、
高木自身が明確に西片のことを好きだと思っているにもかからわず、何度も打っているへなちょこパンチは一向に西片に当たらない。
さて、
大した伏線があるわけではなく、大どんでん返しもないこの作品。
漫画のほっこり感がヒットして、アニメが作られ実写化されたのだろうか。
お互い好きなのにはっきりしないという構図は、「君の名は。」と同じだろうか。
「秒速5センチメートル」の逆バージョンかもしれない。
この作品は、純粋で真実だと疑わなかった恋愛が、距離と時間によって無惨にも蝕まれていくことを描いていた。
そして本作では、ある種の恋愛というものは、「変わらない何か」によって決して壊れないことを描いていた。
「変わらない何か」とはいったい何だろう?
本当に戻りたかった場所 それが西片の隣だったこと。
10年前と何も変わっていなかった西片を感じた高木の安堵と喜び。
中学生の恋愛相談によって自分の気持ちを重ね合わせるという展開
高木は町田に自分の心を見透かされた。
それは彼女にとって恥ずかしいことではなかった。
歳の差とか経験値とか、多少はあるかもしれないが、町田も高木も同じように純粋なのだろう。
その純粋さ、純朴さをそのままに残している場所があの島なのだろう。
その大自然というロケーションが生み出した人間性は、くじかれることなく育まれて、「変わらない何か」を作り上げたのかもしれない。
純粋な少女漫画に抱いた憧れ
その世界を100%信じ切ることができた西片と高木
このほっこり感こそ、この物語の中枢なのだろう。
実写化に感じるまどろっこしさは、現代人のせわしい感覚を映し出している。
一般的に見れば、ありえない世界。
その「変わらない何か」を共有したことで、付き合うとか通り越してポロポーズになる。
まさにソウルメイト的恋愛物語
「変わらない何か」とは、相手を思いやる気持ち 一緒に過ごした時間の記憶 心の奥にある“憧れ”や“理想” 自分が自分でいられる場所なのかもしれない。
こうしたものが、時間や距離、成長や変化を超えて、二人の間に静かに残り続けていたのだろう。
相変わらず予備知識ゼロで見たが、
高木は病気で、余命宣告されていて、もう一度だけあの頃に戻りたかったという物語かなと妄想していたが、見事外れてしまった。
よもやよもやの物語だった。
ただ、
あの二人の持った、恋愛に対する純粋さが羨ましいと思った。
いい作品だと思う。
点数では語れない温かみを感じた。
「からかい上手の高木さん」は、評価されるために作られた作品ではなく、心に残るために作られた作品なのかもしれない。
アニメはだめでしたが、実写は見て満足できました
内容が薄いように思える
まず最初に。
ドラマを観てないと話にならないと思う。
そして映画の高木さんは、
からかい上手ではなくなってます。
まぁ続きものだから、、
ドラマの続きで最終回が、これなら良いけど。
ドラマは、とても面白い。
映画は、ただのその後の確認。
だからドラマ観てない人には
からかい上手の高木さん?
ってなるんじゃないかな。
ハッピーエンドだから、まぁ良かったけど。
永野さんと、高橋くんがドラマの2人の
印象を壊さないようにして演技してたと
思いますが、
同級生の高木さんじゃ、、ね。
初めて観る人に気を使ったのかな、、
原作読んでないから分からないけど。
きゅんきゅんMaxで長回しにやられた
永野芽郁さんも高橋文哉さんもとても透明感があり、小豆島の景色と合わさり、二人のやりとりにきゅんきゅんさせられた(当方、おっさんですが・・・)
映画を通して徐々にきゅんきゅんが高まっていき、そして教室の席に並んで座っての告白シーンの長回しがとても効いた。ストーリーに没入していたので、カット割も音楽も無く、二人のやりとりが、自然と心に沁み入ってきた。
恋愛映画のジャンルは苦手ですが、この作品は観てよかった。
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