ディア・ファミリーのレビュー・感想・評価
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面白かった
人工心臓諦めるまではテンポ良かったけど、後半は少し冗長に感じました(人によるとは思います
光石研さん演じる教授の手のひら返しがあまりに極端で、ちょっとそこは飲み込めない感じでした
大泉洋さんが良かったのですが、何気に川栄李奈さんも良かったです。
可もなく不可もなく
自分的にはなんとなく盛り上がりに欠けるような作品に感じました。実話をもとに作っているのでそこは仕方がないかとは思います。役者陣の方々は安定の素晴らしさでした。内容はベッタベタな感動ものかと思いきやそうでもなかったです。特に良かったわけでもなくすごく悪かったわけでもないのであまり書くことが思いつきません。
人間の可能性という言葉では表せない。未知的な何かがあることを引き出せた本作を多いに評価したいと思います。
何事も淡々と、諦めがいいのが当世流。低成長、停滞期が長く続いたし、夢や希望は持つだけ無駄。しかし執念やド根性が、不可能を可能にすることもある。しかし医療のずぶの素人が、いきなり人工心臓の開発に取り組むという話になると、いささか無謀に感じます。
それでも本作の主人公のモデルは、心臓疾患の娘を救うため、私財を投じて人工心臓の開発に挑んだのです。不可能と思われた挑戦は、やがて画期的な医療器具の誕生へと実を結びます。娘を救うことはできなかったものの、この発明は後に、世界中でこれまでに約17万人の命を救くうこととなったのです
主人公のモデルとなったのは愛知県春日井市の医療機器メーカー「東海メディカルプロダクツ」会長、筒井宣政さん(82)。今でもご存命で取材陣が訪ねると、年齢を感じさせない力強さで、映画化の経緯や今の思いを語ってくれるといいます。
その筒井さんの体験をノンフィクション作家・清武英利さんが『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』として刊行。本作はこれを原作としており、余命10年と宣告された娘の命を救うために、IABPバルーンカテーテルの開発に人生を捧げた男とその家族の姿を描かれます。
●ストーリー
娘の父・坪井宜政(大泉洋)はあきらめが悪い!
次女の佳美(福本莉子)には、生まれつき重度の先天性心疾患がありました。佳美が9歳を迎えた1977年に、主治医から手術は不可能であり、余命は約10年と宣告されてしまいます。
それでも諦めきれない宜政は、父は一軒一軒訪ねては、治療を懇願するが答えは同じでした。1970年代当時の医療水準では治せる術式がなかったのです。それでも諦めきれない宜政は、渡米し訪ね歩くも、アメリカの病院からも「手術はできません」という返信ばかり届くのでした。
それでも諦めきれない宜政は、「じゃあ、人工心臓を作ってやる」と、娘と無謀とも思える約束をするのです。
いくらビニール製品樹脂工場の経営者だから、合成樹脂に詳しいといっても、宜政に、医学的な知識があるわけではありません。医師から見ればズブの素人です。知識も経験もない状態からの医療器具開発は限りなく不可能に近かったのです。けれども、宣政は娘を救いたい一心で、パートナーとなってくれる医療機関を探し、有識者に頭を下げ、自らも膨大な研究資料を読み、試作を繰り返すのでした。費用も用立てないといけなればいけません。10億円単位の資金繰りが必要でした。
徒手空拳で始めた研究がやっと実り、実用のための臨床試験を始めようとした矢先に、先行するアメリカで人工心臓を装着した患者の死亡事故が発生し、宜政と協力関係にあった医療機関は、リスクに萎縮。人工心臓の開発から撤退してしまいます。しかし佳美の命のリミットは刻一刻と近づいていました。
「オレが諦めたら終わり」と不屈の闘志で進み続けようとする宣政に、佳美はに「私の命はもう大丈夫だから、苦しんでいる人たちをパパが助けてあげて」という言葉を投げかけます。
その言葉に奮起した宜政は、同じ人工心臓開発チームのメンバーだった東京都市医科大学・日本心臓研究所の研究医である富岡進(松村北斗)から、バルーンカテーテルを日本人の体格にあった国産で開発する必要性を聞き、これならこれまでの人工心臓開発のノウハウが活かせるものと、自ら開発に手を挙げるのでした。
あきらめの悪い父の駆動力になったのは、妻の陽子(菅野美穂)と3人の娘、奈美(川榮李奈)、佳美、寿美(新井美羽)への限りない思いだ。手が施せない心臓疾患の子供を抱えた不幸な家族という枠を自分たちであっさり取り壊し、あすへと向かおうと奮闘できたのも家族の力があったからなのです。
●解説
なんといっても宣政の猪突猛進ぶりがすさまじい!きっと『プロジェクトX』の開発者たちですら軽々と凌駕してしまう勢いでしょう。
まず日本中の病院を回って診断を仰ぐことだって、インターネットを検索すれば、情報が簡単に分かる時代ではありません。ノートには調べ上げた手書きで。日本中の名医と病院名が書かれ、それを元に一軒一軒訪ねては、治療を懇願して廻ったのでした。
実話だけにモデルとなった人物のその熱意に打たれます。
治療不能と告げられると、こんどは自力で人工心臓開発を決意するのです。医療知識も経験も皆無ですが、大学に潜り込んで講義を聴き、研究室に飛び込んで相手が「ウン」と言うまで協力を懇願します。「10年で人工心臓は絶対無理」という医学生に、「人類が月に行くと思っていたか」と反論する押しの強さ。私財を投じ機械を特注し、全くくじけません。
そんな宣政の「娘を救う」という一念が馬力となっていました。扉があればこじ開ける。壁は乗り越えるか、穴だってうがつ。決して諦めない姿というものは、映画になっても感動を呼ぶものです。けれども事実は残酷でした。
10年の苦労は実らず、人工心臓でも佳美の命を救えないと宣告されても、蓄積した技術と知識を使って新しい医療機器の開発に取り組んたのです。
人工心臓開発の挫折から、再起していくまでの展開が、本作をより感動の強いものとして押し上げています。
監督は「君の膵臓(すいぞう)をたべたい」「君は月夜に光り輝く」など、“難病もの”をヒットさせた月川翔。今作では佳美の死そのものよりも、彼女が残したものを手厚く描いています。70年代から80年代にかけての時代考証や開発経緯など細部を丹念に作り込む一方で、宣政の行動原理は枝葉を落とし「佳美への愛」に特化させました。ぶれることなく向かった愛情は、一つの命から人類全てへと広がっていくのです。映画としては出来すぎのように見えてしまいますが、そこの根幹は事実。一直線の情感が胸を打つとでしょう。タイパ、コスパなんてみみっちいことに思えてしまう不退転ぶりでした。
●感想
月川監督はバルーンカテーテル開発までの困難な道のりや、1970年代の空気感を丁寧に描き出しています。常識で考えればとんでもないプロジェクトにまい進する男の記録を縦糸、家族の物語を横糸にして爽やかな余韻を残す感動作を織り成しているのです。娘への愛ゆえという言葉では語りきれない、絶対に諦めることを知らない父親役を豪快かつ繊細に演じた大泉が、この人物像に説得力を与えてくれました。普段のひょうきんさと比べれば、大違い。何かに取り憑かれたかのように研究に邁進する姿と、ラストの旭日双光章受章記念式典に向かう、すべてを達観したかのような枯れた演技に感動しました。
「夜明けのすべて」とは全く違う顔を見せる光石研、松村北斗ら脇の俳優陣の献身も光り、映画をより立体的にしています。
ただし実話の強み、説得力は十分ですが、月川監督だけ「泣ける話」に集約されているところが気になりました。人工心臓からバルーンカテーテルへの開発過程でひっかかり、高名な医師の対応もドラマを高揚させるための紋切り型に見えたのです。
終盤に突然明かされるリポーターの事情も「ここで感動してください」と言われている感覚。家族愛の尊さと佳美の「私は大丈夫」という言葉を物語の中心にしたのはいいが、肝心の佳美のキャラクター、生きざまがやや見えづらかったのが残念です。取材メモを基にした脚本でしたが、感動や涙腺刺激にとらわれすぎたのでしょうか。これまでの月川監督作品でも同様に感じてきたことです。
それでも人間の可能性という言葉では表せない。未知的な何かがあることを引き出せた本作を多いに評価したいと思います。何しろ 町工場の経営者であった主人公が、自身の熟練の技術が人工心臓の開発に結びつくことを深く考えていたとは思えません。そんなこと全然考えず、娘の病を治したいといういちずな気持ちが、自身も予期しない途方もない力を引き出したのです。
今挫折のただ中で打ちひしがれている人でも、本作を見れば、自分も頑張ってみようと希望をたぎられることでしょう。
ただ泣ける
そんなには泣けない
実話に基づく?
ということに驚愕する。
予告編時点で泣いてしまっていた。
だから、公開したらすぐ足を運ぶつもりだったが、色々あって周回遅れ。
泣くのはわかっていたのでできれば1人でいきたかったが、
これも色々あって妻と一緒。
だから、感情はかなり抑えたけれど、危うく嗚咽しそうになる程涙した。
父母役の2人は本当に見事で親の心情が心に沁みた。
特に大泉洋は幸せのパンと並ぶ快演と感じた。
子供達も年齢にやや違和感は残るものの、心を鷲掴みにされた。
いや〜映画ってホントにいいね。
適度な困難を撒き散らして、最後は不完全ながらハッピーエンド。
まさに王道、妙な捻りはいらない。
俳優の名演を楽しむだけで十分だ。
思いやり精神の連鎖が世界を救う
バルーンカテーテルの誕生にまつわる実話を映画化したヒューマンドラマ。余命宣告された少女とその家族を描いている定番のストーリー。
前半は案の定ありきたりの展開ですが、娘の一言「私はいいから、みんなを助けて」の言葉で一変。後半は娘の夢のために奮闘する家族の姿に胸が熱くなりました。
思いやり精神の連鎖が世界を救う良い実例の作品。
2024-102
実話の制約を脱する事出来ず、映画としては凡庸で残念です
非のつけようがない感動作、ましてコメディ色の強い大泉洋がシリアスに挑めば悲しみもひとしおで。なによりこれすべて実話であり、とんでもなく執念深い主人公のスタンスが全編を支配する。役者も揃って盤石で、70年代の様相を見事に再現も圧巻のレベル。名古屋駅、今はJRタカシマヤの巨大ビルがそびえてますが、それ以前の光景を動画で再現し身震いするほどです。古い新幹線のブルーとグレーのシートでタバコをくゆらすなんて、時代を強烈に呼び起こされました。
そもそも医学畑でない方が医療の現場に絶大な貢献をされた事実をまるで知りませんでした。いわば偉人伝の映画化と言っても過言ではないでしょう。どうやら原作があるようで、アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録に基づく。本作はこれをベースにこの一家の十数年を描き、家族一体となった献身の尊さを謳いあげる。
こと左様に内容的には全く平伏すのみですが、ここは敢えて映画としてのジャッジをさせて頂きます。感動された皆様を陥れるつもりはさらさらなく、ただ映画としてもっとすべき事があって、もっと感動出来たと思うのです。ですから辛辣戯言とスルーして頂いても結構です。
なにより本作は平板で、感動すべきシーンを織り交ぜ琴線に触れるセリフも用意されていますが、結果的には退屈が支配してしまっています。なによりこれ程の偉業をなされた坪井宣政氏の際立った執念をもっと拡張すべきであった。冒頭からアフリカ帰りの禍々しい登場をされるほどに非凡な方、愛する娘のために尋常ならざる執念の源をもっともっと描くべきではないでしょうか?
8億円もの出費を厭わず、もちろんそれが可能な程の資産がおありだったでしょうが(住まいの様相にそれがよく表れてます)、それでも社員が次々の執念の鬼と化した経営者に愛想をつかし辞表に至る一方で、古参の社員はこの執念を応援する者もあらわれる。さらにいとも簡単に米国に乗り込むバイタリティ、そして人口心臓にはまだ30年かかると聞いて即座に「なら3倍努力すればいいじゃない」と答える規格外のポジティブ。もっともっと彼の事が知りたくなるのです。
逆に言えばタイトルに引きずられ、家族の結束に、もっと正確に言えば家族の美談に寄り添い過ぎたと思うのです。主人公が変人な程に面白くなるのは世の通説で、坪井宣政氏のそれこそ菅野美穂扮する妻との出会いのトンでもエピソードから描き、基調は大泉洋らしくコメディ調で描き、家族の献身は控えめに徹底して変人ぶりに焦点をあてて欲しかった。それでも他人様を数多助けたにも関わらず娘の命を救えなかった悲劇性が強烈に残るはず。
医療の世界の白い巨塔ぶりにも触れてますが深追いもせず、光石研扮する教授の役所臭さをもっと貶してもいいじゃないでしょうか? 有村架純扮するレポーター役をサンドイッチ構造にしたところで、却ってわざとらしさしか感じません。そもそもお久しぶりの有村が全然キレイに映ってないのは大問題です。一方菅野美穂扮する妻は終始美しく、やたらバストが強調され違和感ありあり。折角の川栄李奈が姉役ならば、難病とは言え妹に嫉妬するくらいのドラマを用意すべきであった。
実話ゆえの制約が全ての原因でしょう。折角の映画化に日本的忖度が作品をダメにしてしまった典型でしょう。
ハンカチ必需品
映画が始まる前にトイレに行き用をたして手を洗う時にハンカチを忘れたことに気付きました。でも、男なんでまぁええか!いつもの事や、と気軽に考えて劇場の席につきました。この後ハンカチがない事をこれ以上なく後悔するとも知らずに、、、
映画は実話を元に諦めずに娘の為人工心臓の開発に人生をかける男の話 大泉洋が熱演、他のキャストも見事に演じきりました。映像も昭和の町並みや今はない電車や旧型新幹線、を再現しとても懐かしく50代60代といった世代にはたまらないものがあったかと思います。50代以上の方なら是非みて欲しいですね。
冒頭に戻りますがとにかく泣かされます。悲しいシーンで泣かされ、熱く語るシーンで泣かされ、ラストの辺はぐちゃぐちゃの顔を手でビチャビチャになりながら鼻をすすっていました。あちこちの席ですすり泣きの声が聞こえてきました。
これから見る人、ハンカチは必需品です。
家族愛
で、次はどうする?と
何があっても諦めず、前を向き続ける家族と絆。
困難な大きな壁に当たってもへこたれない精神力には家族という支えがあった。
行き詰まった時、誰かの言葉で報われたり前に進める時もある。努力を積み重ねても必ずしも良い結果が返って来ない時もあるが、誰かを想う気持ちがあれば一生懸命やれる。
他の人の為にその技術を活かしてと次女に言われ
バルーンカテーテルを本当に作ったのは
胸が打たれた。
家族愛を感じた映画でした。
driving forth
夏至の日にこの映画を見た。母の死から5週間が経とうとしている。母も父も私の中で生き続けてはいるけど、人は何の為に生きるのか、という馬鹿げた問に付き纏われている。「今だけを見よ」と言われ日々実践しているが、根源的な問いに対する答えにはならない。
人は死に向かって日々を生きている。「死ぬ為に生きる」という所に根本的な矛盾がある。どうあがいてもやがては死ぬ、だからこそ、日々を精一杯生きるのだろう。
私の親しい人が病の床についている。その人の事を思いながら、それと母の事を思いながらこの映画を見た。医学の進歩はやはり凄まじい。それを支えているのは「情熱」だ。何が何でもやる、絶対にやる。私がやる。という情熱だ。「driving forth」という語感がピッタリだ。それは今の私が最も手に入れたいものだ。
生まれつき心疾患がある娘の為に全てを投げ打ち人工心臓の開発に素人が取り組む。その開発はできなかったが、その過程で得た知見が国産のバルーンカテーテルの開発に繋がった。17万人の生命を救ったとクレジットタイトルで流れた。
私が最も印象に残ったシーンは校門への坂道を一歩一歩、登って行く靴音だ。その一歩は医学の進歩であり、困難への挑戦であり、歩み続ける鼓動だ。
不可能を可能にするには「脳のリミッターを外す」しかない。脳は楽な道、楽な方を選択するようにできているから、運動でも勉強でも、人工心臓製作でも、「それはムリだ」「無謀だからやめておけ」と脳は指令を出す。それに抗う力がdriving forthだ。
個人のリミッターが外れても、次には組織のリミターがかかる。国産よりもアメリカ産というバイアスも手伝う。
物理的に物が動くには最初のエネルギーが最も大きい。その源は自分の為ならば湧いては出てこない。他者の為の時、最も大きなエネルギーとなる。
動き出しはしたけどそれが軌道に乗るとは限らない。何度でも、何度でもチャレンジし諦めない、折れない心、それにはやはり、周りの人の理解と協力が不可欠だ。だから映画のタイトルが「ディア・ファミリー」なんだ。ファミリーには工場の従業員もデータを提供し開発に協力してくれた医師も含まれる。
・医学の進歩を信じろ。
・家族の力を信じろ。
・不可能を可能にする意志の強さを信じろ。
人や社会を変えるのは人の思いや願い
落涙のプロジェクトX
全体的にテンポが良く、あっという間の上映時間でした。俳優さんの演技...
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