「家族の物語であると同時にニッポンのモノ作りの映画でもあった。」ディア・ファミリー talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
家族の物語であると同時にニッポンのモノ作りの映画でもあった。
医療機器としてのバルーンカテーテルの開発史などについては、開発会社のウェブページをカンニングしたところでは、略々(ほぼほぼ)事実の通りで、その点については、映画作品としての脚色も、なかったようです。
そのことを踏まえると「親の一念」というものは、物凄いものだということを以外に、なかなか適切なレビューが思い当たらない評論子です。
否むしろ、ニッポンのモノ作りの精神には、こちらも物凄いものがあったという方が、偽らない感慨に近かったように思います。
モノづくり系の中小企業は、しばしば「多様な技術・技能の担い手」と形容されますけれども。
その「多様な技術・技能の担い手」が、日本経済の基盤を根底から支えてきただけでなく、モノづくりを通じて、こうやって人の命を救うことにも貢献してきたことにも、思いが至りました。評論子は。 そういうことも含めて「ニッポンのモノづくり」であり、日本はモノづくり大国なのでしょう。
本作の場合は、佳美の家の家業が素材(ビニール系樹脂?)加工を本業とする町工場だったことが、本作のストーリーに、大きく寄与しているようです。
(不幸中の幸いだったとも、いうべきでしょうか。)
思い起こせば、日本で初めて開発された胃カメラは、今のようなケーブルの先に仕込まれたレンズ(撮影部)で動画を観察するものではなく、ネガフィルムに映像を撮影固定し、体外に出したカメラから取り出したフィルムを現像処理して、初めて読影ができるというような代物だったと聞き及びますけれども。
(つまり、食道を通して胃の中に入れられるミニチュア版の「写ルンです」みたいなものだった。)
開発に当たって、一番に困難を極めたのは、フラッシュに使う電球だったということでした。
真っ暗な胃の内部を5枚は撮影できるーつまり、小さな小さなカメラ本体に収納できる小さな小さな、もっと小さな電池から供給できる僅かな僅かな、ほんの僅かな電力で、少なくとも5回は発光可能な電球を、果たして作ることができるのか。
胃カメラの開発の最大の難関は、その一点にあったようです。
その仕事を引き受けたのは、空港の滑走路に埋め込む特殊な電球を作っていた中小企業の町工場のだったようですけれども。
その社長さん兼職人が「ウチに話を持ってきてもらって、断ったというケースを作りたくない」という職人気質(かたぎ)から仕事を引き受け、胃カメラ本体の開発・製造をを請け負っていたオリンバス光学工業に、試作品5個を納入したのが、世に胃カメラが出回る嚆矢となったと承知しています。
本作でも、そういうニッポンの(町工場の)モノづくりの能力の高さを実感する一本にもなりました。
親の子を想う心根の熱量の大きさと共に、上記のような事情も垣間見ることのできる本作は、充分に佳作と評することができると思います。
評論子は。
(追記)
泣きました。素直に。
重度の先天性涙腺脆弱症を患っている評論子は、ひとたまりもありません。
(追記)
むろん、ダンナも頑張っていましたけれども。
そのダンナの頑張りも、この奥さんあってのことでしょう。
どちらも似通ったものという意味では、正しく「割れ鍋に綴じ蓋」(あくまでも良い意味で)のご夫婦だったのだと思います。
その点も、本作の魅力であったことは、間違いがないことと思います。
〈映画のことば〉
何もしない10年と、やってみる10年。あなたは、どっちを選ぶの。
〈映画のことば〉
「なければ、作ればいいんだ。人工心臓を」。
「なんで、そんなこと気がつかなかったのかしら。」
(追記)
ニッポンのモノづくりという視点から観てしまったせいなのか、本作の「つくり」としては、宣政・陽子のご夫妻を始め、家族の佳美を想う関係性の方に力点が置かれ、モノづくりとしての本作のバルーンカテーテルの「開発秘話」のようなことには、あまりスポットが当たっていなかった印象です。
(製品としての製造上の企業秘密をネタバレさせないような配慮もあったのかも知れませんけれども。)
ただし、この点は、本作を、いわゆる「お仕事映画」という視点で観た場合のことであり、それを本作に当てはめるのは、ある意味「評論子の勝手な視点」ともいうべきでしょうから、上掲の佳作としての評価には、この点を反映(減点)していないことを、念のため申し添えておきたいと思います。
Mr.C.B.2さん、コメントありがとうございました。
オリンパス光学工業(当時)の胃カメラは、ケーブルの先端に写ルンです超ミニミニがついているようなもので、シャッターは、体外側のケーブルの先端のボタンで操作したようです。
日本初(世界初?)の胃潰瘍の写真に、研究医の間からはどよめきが起きたそうですが、彼らは、その写真の根本的な欠陥に、すぐに気づいたそうです。
「胃の、どの部分を撮影したものか?」
それで、実際に胃カメラを使う時は、患者の上半身を裸にし、部屋を暗くして、何回目のフラッシュがお腹のどのあたりで光ったかを記録しておいて、何枚目の写真は胃のどこいらへんを写したものと推測したそうです。
今から考えると、ずいぶんと「危なっかしい」方法ですが、「切ってみて(開腹してみて)初めて病変を確認できる」というそれまでの手術を考えれば、かなりの進歩ではあったようです。
また、よろしくお願いします。
トミーさん、いつもコメントありがとうございます。
現場の医者としては、使用器具の不具合も自分の医療過誤になりますから、まだ実績のないものを使うには、勇気がいったかも知れません。
反面、また胃カメラの話で恐縮ですが、最初の人体実験(もちろん当時の厚生省にはモグリ)は、教室の指導教授と聞きました。
研究医たちは、もし教授の体内でレンズが割れたら、カメラが回収不能になったら…と緊張して臨んだせいか、フィルムを入れ忘れてしまったたそうです。
研究医たちに謝られた指導教授は、ただひとこと「バカタレ」とだけ言って、もういちど寝台に横になってくれたそうです。
そういう献身的な医学者もいらっしゃるようです。
(現像された写真には、指導教授の胃潰瘍がはっきりと写っていたとのことでした。)
前半は、我が子の為に奮闘する主人公の奮闘を描いた家族愛物語だと思っていました。しかし、我が子の命が救えないと知った時、我が子の、
私の様な病気で苦しんでいる人達を救ってという叫びっから、我が子の願いを叶える為ではありますが、人の為、他者の為に主人公が奮闘するところが立派でした。我が子も立派でした。
主人公の妻の次はどうするとう呟きが効いていました。
人生において結果は大切ですが、
常に高い目標を立て挑んでいくプロセスこそが人生の醍醐味だと感じた作品でした。
では、また共感作で。
ー以上ー
共感ありがとうございます。
バルーンカテーテル開発の下りで、事故が多発してるのにも関わらずアメリカ製を盲信している。突き詰めて良いモノをつくろうとする思想の否定に感じられ、更に教授ヘの怒りが募りました。