「命も夢も諦めない」ディア・ファミリー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
命も夢も諦めない
実話、難病、苦難、家族愛…。
予告編ではキャストの泣きの演技を見せ、人気アーティストの主題歌でさらに感動を謳う。
日本映画定番とも言えるこのジャンル。お涙頂戴映画。
こういうのって見れば良作なんだけど、ちょっと鼻に付くんだよね。実話だから感動して当たり前、泣け泣けの押し売り。
題材は違うが、本作と同じく菅野美穂が支える奥さん役で出た『奇跡のリンゴ』を何故か思い出した。あれも“さあ、泣いて下さい”の売り込みで見た人の涙をたくさん溢させたが、勿論苦難の実話には頭が下がるが、私ゃ冷めて見てた。
なので、最初は本作にも辟易。
だけど、この実話には惹かれるものも感じた。
人の命。それを救う。
もう6年も前。私も命が危うい事あったので、少なからずシンパシーを感じる。
観ようか観まいか直前まで悩んでいたのだが…、結果観た感想。
観て良かった。素直に感動しちゃいましたよ。所々、私の荒んだ目に溢れるものも…。
大泉洋演じる主人公は坪井宜政とされているが、そのモデルは、愛知県にある医療機器メーカー“東海メディカルプロダクツ”の創業者、筒井宜政氏。
元はプラスチック加工会社であったが、医療機器を扱う事になった訳…。
宜政と妻・陽子の次女・佳美。
先天的に心臓に病を煩い、医師から余命10年を宣告される。二十歳まで生きられない…。
宜政は国内のみならずアメリカの心臓病に長けた病院にまで赴くが、当時(1970年代)の医学では治療は無理。
そんな時、人工心臓の話を聞くが…、開発段階で、実用どころか完成にも至ってない。後何年…いや、何十年掛かる事か。
何十年って…。そんなに待てない。10年しかないんだ。
まだ出来てもいない。ならば…。
お父さんが作ってやる!
開発と実用化に成功した今だからこそ、氏の熱意と努力に本当に頭が下がる。
でも、当時だったら誰もが思う筈。そんな事…。夢物語で理想事。
ましてや氏は町工場の技術者であって、医学の知識は全くのゼロ。
医療従事者たちからすれば、ただ一心に命を救いたいという気持ちは分かるが、医学の事など何も知りもしない外部の素人が、何言ってやがると面白くもなかっただろう。
が、信じている者もいた。
宜政本人。諦めが悪いのだ。
家族。普通だったら奥さんは反対し、子供たちも呆れるが、佳美の日記にも書かれてある。
ウチの家族は変わっているのだ。
医学の知識はゼロ。分からない事は調べる。学ぶ。聞く。
病院の医師・石黒や研究医たちに根掘り葉掘り。
最初は鬱陶しがられるも、熱意に負け、協力を得られる。
病院側は医学の知識は豊富だが、技術に関しては専門家ではない。そこは、技術者である宜政の腕がモノを言う。
開発に当たってのこれまでの問題を、技術者ならではの視点で打開。
その分野に携わっていると何でもかんでも無理と決め付けるが、こういう時外部の人間の視点や発想が切り拓く。歴史上の発明や開発にそういう事は多い。
医学×技術。まずは先行きの良いスタートを切ったが…、本当の苦難はここから。
アメリカで治験中の人工心臓の患者が死亡。
これにより、石黒は手のひらを返すように手を引く。
協力してくれた研究医たちも各々進路が…。無理強いは出来ない。
振り出しに戻ったかのように孤立。
気付けば莫大なお金が…。人手、新技術の開発、アメリカからの機器の取り寄せ、本業もある。数千万単位ではない。億単位…。
さらに絶望的な報せ。佳美の症状が重くなる。心臓が弱まり、それと共に他の内臓機能も弱まる。つまり、例え奇跡的に人工心臓の開発に成功して移植手術しても、他の機能の低下により助かる見込みはない。
佳美の死は避けられない。
何だよ、それ! 人工心臓さえ成功すれば助かるんじゃなかったのか! じゃあ、今まで俺がやってきた事は何だったんだ…!?
家族や佳美の傍にも居てやれず。全て佳美の命を救えると信じて…。
だったら、佳美の傍に居てやれば良かった…。何をしてたんだ、俺は…。
諦めが悪い宜政。が、この時ばかりは諦めかける。
そんな宜政を救ったのは、救おうとしていた佳美の言葉だった…。
佳美はこの時、もう自分の運命を受け入れたのであろう。
自分の死は避けられない。
でも、お父さんがやってきた事は無駄じゃない。
私の命は救えなくても、これからたくさんの人たちの命を救う。
私の命は大丈夫だから…。
これを言った佳美の本心は、本当は辛かっただろう。泣きたかっただろう。
そんな本心を押し殺して。…いや、家族の為に前向きな心こそ、佳美の本心であろう。
健気な妹の前では気丈な姉・奈美。ひっそり咽び泣く。
佳美の日記を読む宜政。傍に居てやれなかったのに、溢れんばかりの愛と感謝の言葉が…。
娘の命を救う事はもう無理かもしれない。
が、そんな娘との約束、娘の夢…。
お父さんの作ったもので一人でも多くの命を救う。
宜政や家族の歩みは、苦難や壁の連続だった。
それにぶち当たったら…。
諦めろとは言わない。時に諦めたくなるほどの絶望もある。ならば…。
発想を切り換える。
娘一人の命から、同じ病に苦しむ人たちを救う。
人工心臓の開発から、バルーンカテーテルの開発へ。
恥ずかしながらバルーンカテーテルという言葉を初めて聞いた。
血管などに通し、圧縮の膨らませを繰り返し、心臓などの補助をする装置。
あくまで補助装置なので根本的な完治は出来ない。
ちなみに現時点でも永久的な人工心臓の開発の成功には至ってないという。
しかしこのバルーンカテーテルで、どれほどの命が救われた事か。その数実に、世界中で17万人以上!
それをやってのけた宜政氏の功績は、本当に人間国宝級だ。
それもこれも娘との約束。一人でも多くの命を救って。
だが無論、それに至るまでの道のりはこれまた苦難…。
開発をまた一から始める。
またまた莫大な時間とお金…。
が、やる。諦めの悪い男なのだ。
再び石黒に協力を乞うが…、門前払い。出禁。
と言うのも、当時国内で使われていたバルーンカテーテルは、アメリカからの輸入製。それで事故が相次いでいた。
事故は仕方のない事。
仕方のない…? それが医師が言う言葉か…?
人工心臓の時と同じく、国産バルーンカテーテルなど“いずれ”の事。
何故、今やらないのか…?
保身、金や地位や名声、事なかれ主義。権力に屈する病院の体制は変わらない。
事故が多いのなら、その原因は…? 誰もそのデータを取っていないのか…?
いた。研究医の富岡。が、彼は人工心臓開発の時、一番に逃げ出した人物だった…。
石黒に逆らえず。また、自分の保身の為。
それを悔やんでいた。
今回は協力。その協力あって、原因を突き止める。
アメリカ製のバルーンカテーテルが、日本人の体型に合っていない。
ならば、日本人の体型に合ったバルーンカテーテルを作る。
そこからまた試行錯誤、試作の連続。
治験も繰り返し、遂に実用化しても問題ナシの国産バルーンカテーテルの開発に成功した。
が…
石黒は実用化を認めない。他の病院にも圧力をかけて。
ここまで来て、ここまで来て、また阻まれる。
認めないなら、認めさせるまで。認可ナシに実用を。
責任は全て自分が取る。そう断言したのは、宜政ではなく富岡であった…。
人工心臓開発の時協力してくれた元研究医の現医師が実用。
結果は良好。全く何の問題もナシに、完璧なほどに。
実用化成功が知れ渡り、あちこちで買い手が付く。海外にまで…!
大借金返済のメドが付いた。
石黒の勤務する病院でも病院長の命により、実用へ。
石黒のまたまた手のひら返し。
この時の宜政の返しと「よっしゃ!」に本当にスカッとした。
どれほどの歳月が経った事か…。
全ては娘の命を救う人工心臓開発から。
当初の目的から変わったが、娘との約束を果たし、多くの人の命を救った。
そんな佳美も宣告の余命から生きた。成人式も迎えた。
佳美は大変喜んだ。また一人の命を救ったね。
だが、“その時”は確実に迫っていた…。
あざとさとか、お涙頂戴とか、確かに否めない。そう言うなら言えばいい。
23年の歳月を2時間の尺に収め、本当はもっともっともっと、苦難は計り知れない。
が、月川翔監督の演出と林民夫による脚本は、医療や専門技術の事など全く無知でも見れる分かり易さと作りに徹し、好感。
キャリアの絶好調ぶりと安定を示す大泉洋の好演。
菅野美穂、川栄李奈、松村北斗らも好助演。福本莉子もいいが、少女時代を演じた鈴木結和のアラレちゃんに匹敵レベルの眼鏡っ娘姿もキュート。
最初は協力するも、途中から協力を拒否する光石研の憎々しい巧演もあってこそ。
後年、功績が認められ、国から栄えある賞を。
が、宜政の顔は浮かない。
俺は、娘の命を救えなかったダメな父親だ…。
直接的な描写はないが、佳美は他界。宜政はずっと悔やんでいた。
確かに娘の命は救えなかった。が、多くの人の命を救った。目の前にも。
開幕のバルーンカテーテル手術。有村架純演じる記者。
ここは創作だろうが、命を救われた人が大勢いるのは事実だ。
世界中の人々が、感謝してもしきれない。
父は亡き娘に感謝を。佳美、ありがとう。諦めない事を教えてくれて。
亡き娘は父に感謝を。お父さん、ありがとう。私の夢を叶えてくれて。
次はどうする?
約束を諦めない。
夢を諦めない。
命を諦めない。
まだまだ。
諦めが悪いのだ。
おはようございます。
いつもありがとうございます。
ご自身の体験も踏まえた、説得力あるレビューを拝読しました。
重みがあるなあ、と思いました。
他の方のレビューも、多くが映画の内容を語っている事にも、感慨を覚えました。映画の持つ力でしょうか。
では、又。返信は不要ですよ。
最初から泣かせようとする映画製作は避けられないんでしょうが、少しでもモヤモヤ感を感じさせないような作品にするのも技倆でしょうね。次女の臨終シーンを描かなかったのも一つの手段でしょう。