ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディのレビュー・感想・評価
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どのように同士になるか
1970年クリスマス。バートン校の寮生が自宅に帰る中、家庭の事情で数人が留まる。結局アンガスと、嫌われ者の先生ポール、料理長のメアリーの三人だけが残る。当然、ポールと過ごすことが嫌で嫌でしょうがなかったアンガスは。
偏屈で堅物、体臭も含め同僚からも敬遠されているポール。反抗的だが、家庭にちょっと訳ありなアンガス。息子をベトナム戦争で亡くしていたメアリー。ポールとアンガスが、どう打ち解けていくのかが見ものです。途中からロードムービーの要素が入って、より楽しめました。
「セント・オブ・ウーマン」「いまを生きる」を思い出しました。それらより目立たないのが残念、いい作品だと思います。
⭐︎4.0 / 5.0
クリスマス休暇
…寄宿学校の全寮制
クリスマス休暇で家族と過ごす
ために家族の待つ家に皆帰っていく
そんな中
家の事情で寄宿舎に残る学生が
初め五人ほどいたが…
最終的に学生のアンガス一人になる
そして教師のポールと
料理担当のメアリー
この三人のクリスマス
いまから五十年前のアメリカ
髪型、服装が年代を物語るそして
携帯もない
…三人の心の内には
それぞれの悩み傷を抱えている
それらを語り話して認めることで
お互い家族のような関係
信頼関係ができて
ラストは…
親以上にアンガスを
思っていたポール先生
若いアンガスにとっては
いつか忘れてしまうと思うけど
年齢を重ね“ふと“あの時のクリスマスを
思い出す…かも
ポール先生の優しさと
メアリーの決断力があって
楽しいクリスマスを過ごすことができた
ポール先生の見まもる目があたたかい。
誰の心にもいた、あの先生
久しぶりに良く出来た映画!
クリスマスにほっこりしました
乾いた所で寝とけ
それでも人生は生きるに値する
ペイン監督の渋い一作。ベトナム戦争の終盤期に時期を置いているけど、...
ペイン監督の渋い一作。ベトナム戦争の終盤期に時期を置いているけど、9.11以後のアメリカは常時予備役部隊を戦地派遣展開している状態。徴兵制は停止しているものの大学進学の学費稼ぎで入隊したりしており映画が描いた状況と似ている。みんな嫌な属性を抱えているけどそれには理由があってという事が丹念に解かれていく。そして不発弾とでもいうべき出来事が物語を決定付ける。終わってみると監督の人を信じる姿勢が残る作品になっていた。
劇中に出てくる「士官学校」、おそらくMILITARY ACADEMYから訳されてると思うのですが、アメリカにはいわゆる軍設置の士官学校(陸軍ならウェストポイント)の他に大学・短大としてヴァージニア工科大学などいくつか軍事学科を設置していて士官資格も取れるようになっているところがある。そことはさらに別に高校で士官学校を模したカリキュラムを取るところがあって(ウェストポイントなど目指す予備校的なところと普通高校だけど士官学校方式をとっているだけのところに分かれたはず)こういうところもMILITARY ACADEMYを名乗っている。トランプもそういうところを卒業していたりするんですが、劇中言及がある学校も士官学校方式の全寮制高校じゃないかなと思った次第。コロンボとかこの種の学校が出てくるケースがありますが翻訳はみんな区別してないのは少々不満ですね。日本の陸軍幼年学校とは話が違うのが大半でしょうから。
人間臭さ。あたたかみ。
この作品、よくある話かなと思いつつ観てみたが、なかなか面白い映画。心温まる内容。寒さが厳しくなり何となく人恋しくなる12月頃にはとてもよかった。
このようなパターンの話では、ふつう生徒のほうが未熟で欠点だらけだと思うが、ここでは師の側の人間的デコボコや未完成さがクローズアップされていて、ちょっと面白い。おとなのクセ、欠陥、不完全さが素直にされけだされる。
ポールは、最後に、彼の立場でできる最も誇るべきことをした。大仕事を成したという自信がポールをも変えていく。アンガスは、受けた愛情をまた他の誰かに伝えていくだろうな。
アンガスとポールの間には垣根を取り払った人間性のぶつかり合いがあった。先生だから、家族だから、他人だから、という仕切りは不可欠な社会の秩序なのだが、本当に人を変え得るのは本音の付き合いの方なのだろう。柔軟性のある風通しの良い社会なのだろう。
作品では、ストーリーが思いがけない方向に展開していく楽しさも。わずか数日でもたいへん充実した時間になることが人生にはたまにはある。ノリのよい音楽と一緒に、そんな≪ご馳走的の数日≫を映画で観られ、楽しかった。
孤独との向き合いかた
淡々と物語は進んでいき、サラッと終わる感じでしたが、しばらくの間思...
淡々と物語は進んでいき、サラッと終わる感じでしたが、しばらくの間思い出す度に感動していました。
これが良い脚本ということなのかな。
長い人生の中では、一冬のクリスマス休暇は短い期間なのかもしれませんが、あの3人には背負ってきた荷物が少し軽くなり、心の糧となる大事な期間だったのかもしれません。
とても共感できて、疲れたときには見返したい作品になりました。
これがアカデミー賞作品賞でも良かったと思う。
一応、これもクリスマスムービーになるんでしょうか。
本当に味わい深い映画でした。これを本年度のベストムービーに挙げる人が多いのも頷けます。
「いまを生きる」や「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」が好きな人はこちらもおすすめです。
最初は、キービジュアルに反して意外と登場人物が多く、あれ?と思ったのですが、途中からの急展開で納得。
もうちょっと早めにあの展開でも良かった気はしないでもないですが。138分もあるので。
ラストのとある「握手」のシーンが特に良いですね。あえてハグじゃなくて握手なのが良い。
キャストは、一番の驚きは文字通りのニューカマーであるドミニク・セッサ。
ロケ場所にいた人物がスカウトされてそのまま映画デビューという、どこぞの鈴鹿央士を思わせるシンデレラボーイで、
それがしかもあのアレクサンダー・ペイン監督作、更にベテランのポール・ジアマッティ相手役という大役にも関わらず、驚嘆するほどの堂々たる熱演でした。
また、大きな喪失を抱える母親を好演してダバイン・ジョイ・ランドルフはオスカー受賞も納得の存在感でした。
見事な肝っ玉母さんぶりで、ポール・ジアマッティと肩を並べるような立ち位置でしたが、
実際はジアマッティよりも二回りも年下というのに驚愕。
そのジアマッティも、キャリア屈指の演技だったと思うのですが、アカデミー賞受賞ならずは残念。
もちろんアカデミー賞が全てとは言いませんし、「オッペンハイマー」が悪いとも決して思いませんが、やはり本作の方を個人的には推したいです。
(余談 DVD特典だとちょっとした別エンディングが追加されています)
ボーっとしてたら見落としてしまう繊細な映画。
最近の映画としては非常に地味な映画です。
だけどそれが素晴らしい。
本作は大変繊細な映画です、ボーっとしてたら見逃してしまう小さなことが作中の人物の心を変化を表しています。
例えば、前半と後半で2回レストランで料理を注文するシーンがあるのですが、前半では「未成年にアルコールはダメ」と主人公の先生は断るのですが、後半では未成年にアルコール提供を断った店に対して「なんて頭の固い店なんだ」と怒ります。
こういう小さなセリフ一つ一つに主人公たちの心がどんどん変化していくのが分かります。
非情に繊細な映画です。
最後に主人公の先生が言う「こっちだこっちの目を見てくれ」というセリフも非常に繊細な意味を持っています。
おススメ。
性格も古典
目的が功名心にまみれている──と思うことがある。
何をするにも、自分の内心に承認欲を感知してしまう。
ほめられたい、好かれたい、栄誉をさずかりたい、バイトくんから尊敬されたい、さりげなく自慢したい、多数のいいねやフォロワーがほしい──そういうことを、日常の端々で、連続的に思っている自分に気づくことがある。
しかし、それを言うなら世の全体がそうである。
大谷翔平のような天才ではないわたしたちは誰もが浮かばれるチャンスをねらっている承認欲のごまめである。SNSは謂わばその歯ぎしりである。わたしたちは毎日スマホを眺めてそういう人々の歯ぎしりを聞いている。と思っていたら、聞こえていたのはじぶんの歯ぎしり、だったりする。
そんな世界のなかで、しばしば無欲な人間に会うことがある。じっさいにハナム先生のような人に会ったことがある──ような気がする。その記憶は、きっと自分が今より廉直に生きていたから、でもあるだろう。
わたしたちはやがて、青少年の健全な育成の理想を掲げるハナム先生に対して、いみじくも校長が言ったように「それはその通りだ、校長になるまではな」というポジションの傘下で生きるようになる。
学校の経営をあずかっている校長が「大口寄付者の息子にCマイナスをつけるな」とハナム先生を諫めるのは当然だからだ。
すなわちひとたびポジションを得てしまえば今まで通りの理想を掲げていくわけにはいかない──という大人の事情に与するわけである。
が、それは言い訳でもある、と映画「The Holdovers」は言っている。
ハナム先生はしがない古典教師であり、生徒にきらわれ女にモテず、やぶにらみなうえ魚臭症だが、職分をまっとうして生徒の訓育につとめた。名利とは無縁だが高潔な人物だ。アンガス青年の心に、永遠に生き続け、かれの人生をよりよい徳へとみちびくだろう。
つまり生徒に嫌われようとも、浮世の欲得から縁遠くあろうとも、信念に正直に生きるならそれで十分ではないのか──とこの映画は言っていて、それが欲得に生きているわたしには新鮮でかゆいのだった。
簡単に例えるなら、いまを生きる(Dead Poets Society、1989)の地味バージョン。加えてビジュアル偏重時代への警笛でもあった。この映画は間接的にせよ、人を外見で判断しようとするな──と言っていたと思う。
もうひとりの主役はノスタルジーだろう。
映画はさいしょからフィルムノイズがのり、レコード針をおとしたようなジリパチ音が混ざる。
『スタッフはフォーカスフィーチャーズとミラマックスのためにレトロ調のタイトルカードとロゴのバリエーションを制作し、映画のオープニングを飾ることで、この映画の1970年代の様式美をさらに際立たせた。』(wikipedia、The Holdoversより)
アレクサンダーペイン監督は実際に1970年代に作られたかのような雰囲気を醸し出すためにEigil Bryldを撮影監督に抜擢し、Eigil Bryldは監督の意向を汲んでフィルム乳剤とカラーグレーディングによって70年代の映像の見た目をつくりだした──という。
おかげでわたしは製作年度を二度見した。まるでさらば冬のかもめ(The Last Detail、1973)を見ている気分だった。
最新技術でつくられたレトロ調がThe Holdoversの雰囲気に大きく貢献し、よってもうひとりの主役はノスタルジーだった──と思うのだ。
また、どうやったのかわからないがハナム先生のやぶにらみ(斜視の特殊効果)が自然だった。オスカーでは作品賞と主演男優賞と助演女優賞と脚本と編集の5部門がノミネートされ、ランドルフが助演女優賞をとった。たしかにランドルフが演じたメアリーは哀しさがあらわれた名演だった。ジアマッティはどこでも巧いので賞レースでは与えすぎないような均衡がとられる。
本作でも他の役者は後配役だったがジアマッティのハナム先生は最初からきまっていた。ジアマッティありきの映画だった。
いい映画だったが老成したアンガス青年がなにかの拍子にハナム先生の写真を見つける──みたいな回顧シーンが、最後にあればよかった気がする。孫に「だあれ」と尋ねられるような。アンガスは懐かしく遠い目をしながら恩師だと答える。そんなラストシーンがあれば時代をまたぐことができた。
──が、ペイン監督は、わざわざ70年代に作られたような雰囲気を重視したのだから、ラストで現代に飛んでしまっては整合が損なわれる。この考察はわたしに蛇足という言葉の成り立ちを思い起こさせた。
imdb7.9、RottenTomatoes97%と92%。
映画の中身と同様にアレクサンダーペインは功名心(承認欲)を感じさせないストイックな監督だと思う。どの作品にも「いぶし銀」の感じがあるがそれは本作にもあった。
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