「なぜ歴史教育をするのかという疑問に対する答えとしての真摯な教師の姿を描いた作品です。」ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
なぜ歴史教育をするのかという疑問に対する答えとしての真摯な教師の姿を描いた作品です。
学生の頃、東京の学生寮に入っていた。年末年始は基本的に寮は閉鎖されるのだが事情があれば居残ることはできた(食事は出ない)例年、かなりの人数が居残っていて、年末年始はバイトの給料が良いとか理由をつけていたけどやっぱり帰省費用を出せないというのがホントウのところだっただろう。我々は「越冬する」と言っていて残るもののことは「越冬隊」と呼んでいた。もちろんがらんとした寮に数人で取り残されるのは寂しいのだが、なにか奇妙な開放感と残るもの同士の連帯感があったことをこの映画で思い出した。
さて、映画はこの越冬隊の3人(途中までは7人だった。掃除夫のダニーがなぜ数に入らないかはよくわからない。通いか?)ハナム先生と学生のアンガス、料理人のメアリーのそれぞれの事情と連帯感が描かれる(ことになっている)しかし、3人の連帯という意味では割と淡々と映画は進みそれほどエモーショナルに盛り上がらない。そのあたりを物足りなく感じる向きはあったようだ。
私はむしろ、この映画は、ハナム先生が歴史教師として、そして子供たちの指導教官として戦い、そして敗れて学校を去るまでの物語として受け止めた。「チップス先生さようなら」や「いまを生きる」のような教師ものなのである。
ポール・ハナムは古代文明の教師である。古代文明っていうと何か「ムー」っぽいのだが要はギリシャ・ローマ史を教えていることになる。歴史教師というものは昔も今も、例えばペロポネソス戦争のことを覚えて何か得られるのか、という生徒や周囲からの疑問に接することになる。
歴史のテキストはテキストでしかなく、そこから未来に繋がる叡智を読み取ることができるというのはおそらくウソである。テキストは延々と教師と生徒という関係の中で教え、教えられてきた。テキストをリズミカルな言葉で伝えその豊潤な世界観と詩情を表現するのが教師であり、それを的確な洞察力で受け止めるのが生徒である。おそらくこの関係性自体に意味があるのであって、真摯に生徒に対することができる教師は、人生の教師としても多分、優秀なのである。
この映画は、歴史教師であるハナム先生が、真摯に生徒や生徒以外の人たちに接して、そして世俗や、もっと端的にいうと金満主義に敗れて学校を去るところを描く。でも、アンガスは学校に残り、ひょっとしたらメアリーの妹の子(ティモシーというミドルネーム)もいずれはこの学校に入ってくるかもしれない。教育というものは永遠に続いていくものであるということを微かに希望として提示して映画は終わる。