ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディのレビュー・感想・評価
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世代や立場を超えた魂の触れ合いから生まれる希望
70年代当時のミラマックスのロゴで始まる、あたたかい音楽と、人の不器用さを包み込むように描き出すストーリー。誰もが心の底にそっと隠している弱さや悲しみに優しく触れて、慰め励ましてくれるような作品だ。
キリスト教圏では、基本的にクリスマスは家族と過ごすものだ。人の生き方が多様化した現代はいざ知らず、1970年のクリスマス休暇に家族の元に帰れないというのは、現代の日本人の私が想像する以上に疎外感や孤独感を覚える状況だったのではないだろうか。
しかもアンガスは、帰れるつもりでいたのに終業日当日に母から帰ってこないよう連絡があったのだからかなりきつい。資産家と再婚した母親は、毎年クリスマスディナーは取り寄せで(他の場面で愛情を伝えていればそれでもいいのだが)、クリスマスグリーティングには現金を送りつけるのみ(これはいけない)。
嫌われ者の教師ハナムは、学校に大口の寄付をしている議員の息子に対しても成績に色をつけない信念の持ち主だが、クリスマス休暇の過ごし方にさえ揺らがない信念を持ち込む堅物でもある。
序盤、2人の相性は見るからに最悪だ。ハナムは休暇中なのに規律を強要し、アンガスは勝手にホテルに予約の電話をしたり、体育館で暴れて肩を脱臼したりする。だが、事務員のクレインのホームパーティーに行ったりメアリー手作りの料理でクリスマスを過ごすなど、小さな出来事を共にするうちに相手の本音や弱さを知り、心の距離が近づいてゆく。
本作が銀幕デビューのドミニク・セッサが、あの年頃の危なっかしさや不安をリアルに伸びやかに演じて、経験豊富なジアマッティやランドルフに負けない存在感を示していたのが印象的だった。
彼らが互いに少しずつ心を許してゆく過程がとても自然で、微笑ましかったり切なかったりして魅了される。それに伴ってそれぞれの悲しく重い背景も明らかになってゆくのだが、不思議と物語自体の印象がヘビーなものになったりはしない。堅苦しさや意地を張った態度の内側が見えてくると、表面的な印象とは違うその素直さや人間臭さ、ぬくもりに目が潤んだ。
息子を亡くしたメアリーは、アンガスとハナムを繋ぐ存在でもあった。クレインのホームパーティーで、息子の死を嘆き心を乱したメアリー。アンガスはハナムを呼びに行って2人で彼女のそばにいた。翌日のクリスマスにメアリーは料理の腕を振るう。食卓を囲む3人にはどこか気の置けない、擬似家族のような雰囲気がうっすらと漂い始めていた。
このかすかな絆が芽生えたからこそ、最初は亡くなった息子を思って学校にとどまっていたメアリーは、新しい命を宿す妹の元を訪れる決心がついたのではないだろうか。
一方、「バートン・マン」の精神として嘘をつかないことを重んじていた堅物のハナムは、アンガスに振り回されるうち、次第に言動が柔軟になってゆく。アンガスが自分と同じ向精神薬を服用していることや実父の真実などを知るにつれ、ハナムの心の殻が剥がれていった。
そして最後に、アンガスを迎えに来た両親の前でハナムは信条を曲げ大きくて正しい嘘をつき、アンガスの前途を身を挺して守った。この短くて濃いクリスマス休暇で、彼は鶏小屋のはしごのようだった人生に形式的な信念よりも大切なものを見出し、変わったのだ。
心和むあたたかさと、メインの3人それぞれに違う色合いで滲むペーソスが胸に沁み入る本作。ラストシーンを迎える頃、私はある作品を思い出していた。マーティン・ブレスト監督作品「セント・オブ・ウーマン」(1992年)。珠玉の名作という表現がよく似合う作品だ。
2作には共通点がある。アメリカの寄宿学校の生徒が、クリスマス休暇に帰省せず過ごす間に体験するエピソードであること。青年と老年期を迎えた男性が、孤独な環境にあって邂逅し、互いの人生観に影響を与え合う物語であること。学校の同級生が金持ちのクズであること(笑)。年長男性が青年の未来を守るクライマックス。車が遠くへ走り去るラストシーン。
だが本作は、メインキャストのキャラクターや関係性の違いによって、違うテイストの物語になっている。「セント・オブ・ウーマン」で、スレード中佐とチャーリーは親子のような関係になったが、ハナムとアンガスの間に醸成された関係性は友情に近いものに見えた。
根底で共通するのは、人が世代を超えて人生の苦楽の一片を共有し相手を認め合う時、そこに見えるのは純度の高い魂の触れ合いであり、その絆が生む希望は心に響くということ。その過程を丁寧に紡げば、必然的に見る者を癒す名作になるのだ。
留学中の記憶を刺激された
疑似家族関係を描く秀作。クリスマスシーズンに全寮制の高校で、帰る家のない青年と、家族のいない教師、ベトナム戦争で息子を失った寮の料理長が束の間のホリデーをともにする。生徒は生意気な問題児だった。ことあるごとに教師にぶつかる。教師の方は気難しい性格で、生徒たちから嫌われている。ホリデーシーズンにも関わらず、寮での生活を厳しくルールで縛ろうとする教師に生徒はうんざりするが、料理長が緩衝材となっていって、打ち解けていく。
アメリカ人にとってのクリスマスシーズンは家族の時間。家族を持たない人はその団らんの輪を築けない。団らんの輪を築けない人同士がちょっとデコボコした輪を築く物語だ。筆者もアメリカ留学時代、その空気はちょっと体験した。学生はみなクリスマスには実家に帰るが、留学生はわざわざ帰らないので、クリスマスは孤独になる。やることなく手持ち無沙汰で一層の孤独感を感じたものだ。
クリスマス映画として異色の作品だと思うのだけど、誰にとっても大事なことが描かれていて、心が温まる素晴らしい作品だった。
前向きなノスタルジーの成果。
1970年代というのは、映画でもポップ・ミュージックでもある種の黄金時代であり、ノスタルジックな憧憬の対象で有り続けている。ソダーバーグ、リンクレーターあたりに顕著だと思うが、アレクサンダー・ペインが70年代趣味を全開にしてきたのがこの作品。音楽のチョイス、映像や編集のスタイルなど、形から入れ!とばかりに、もう70年代にできた映画ですと言われても信じそうになるくらい、細部まで時代性を表現している。デジタル撮影なのに、35mmフィルムの上映用プリントまで作ったのも、監督の強いこだわりの現れだろうう。
じゃあ、ただの形式主義かというとそうではなく、70年代的なルックが、特に新味があるわけではないけれど、繊細で沁みる物語にピッタリあっている。というのも、ペインが参照している70年代が、しっとり、かつ飄々とした70年代ヒューマンドラマだから。アルトマンみたいに尖っているわけでもニューシネマみたいに抗っているのでもない。ハル・アシュビーとか『ペーパー・チェイス』とか『ヤング・ゼネレーション』とか、今では滅多に見られなくなった地味だけど愛すべきタイプの映画が、この時代にも価値を持つと信じているからこその、前向きなノスタルジーの成果なのではないだろうか。
いい映画を見た、と幸福な溜息が出た
本作の序盤、寄宿学校で暮らす人々の関係性は不協和音に近いほどギクシャクしている。なかなか素直になれない。身の回りのすべてに反発する。あえて他者と距離をおく。自分は嫌われ者だと高を括っている・・・などなど理由は様々。彼らは家庭がとびきりの温もりに包まれるクリスマスシーズンにも帰省できない人たちなので、よっぽどの事情があるのは明らかだ。そんな「ワケありさん」たちが、誰もいなくなった学校で、まるで擬似家族にでもなったかのように過ごす数日間。最初はしょうがなく、しかし途中からは本心で、苦笑いを浮かべながらもぎこちなく、ありったけの心を持ち寄り始める姿がなんとも胸を打つ。自分のことだけで精一杯の意識にふと「他者のために」という気持ちが芽生える時、人は誰もがルビコン河に挑むカエサルになりうるのだろう。そうやって人生は押し開かれていく。監督によるジアマッティの演出が相変わらず冴え渡った至福の一作である。
誰もがどこかで感じている"置いてけぼり感"
人生のレールから逸脱した人々にもひとかけらのプライドがあることを描かせて、今のハリウッド映画では右に出る者がいないアレクサンダー・ペイン。その最新作も期待通り、皮肉と優しさとユーモアに満ちた作品になっている。
その厳しすぎる性格から生徒からも同僚からも疎んじられている教師と、母親に見捨てられた男子学生と、息子をベトナム戦争で亡くした料理長。以上、3人の主要キャラには同じ寄宿学校の住人という以外に何の共通点もないのだが、たまたま、クリスマス休暇で誰もいなくなったキャンパスで共に過ごすうちに、互いの心の奥底に同じ傷を隠していることに気づいていく。でも、ペインは彼らが傷を癒し合う話にはせず、絶妙の語り口で矛盾だらけの人生を生きることの悲しさと可笑しさを同等に配分して、温かみのある後味を残してくれる。こんな贅沢な時間は滅多にない。
ポール・ジアマッティ、ドミニク・セッサ、ダバイン・ジョイ・ランドルフが醸し出すケミストリーも芳醇だ。"置いてけぼりのホリディ"という日本オリジナルの副題が、誰もがどこかで感じている置いてけぼり感を言い当てていて、なんかこう、今の日本人にピッタリの映画であり、副題だと思う。
これがアカデミー賞作品賞でも良かったと思う。
一応、これもクリスマスムービーになるんでしょうか。
本当に味わい深い映画でした。これを本年度のベストムービーに挙げる人が多いのも頷けます。
「いまを生きる」や「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」が好きな人はこちらもおすすめです。
最初は、キービジュアルに反して意外と登場人物が多く、あれ?と思ったのですが、途中からの急展開で納得。
もうちょっと早めにあの展開でも良かった気はしないでもないですが。138分もあるので。
ラストのとある「握手」のシーンが特に良いですね。あえてハグじゃなくて握手なのが良い。
キャストは、一番の驚きは文字通りのニューカマーであるドミニク・セッサ。
ロケ場所にいた人物がスカウトされてそのまま映画デビューという、どこぞの鈴鹿央士を思わせるシンデレラボーイで、
それがしかもあのアレクサンダー・ペイン監督作、更にベテランのポール・ジアマッティ相手役という大役にも関わらず、驚嘆するほどの堂々たる熱演でした。
また、大きな喪失を抱える母親を好演してダバイン・ジョイ・ランドルフはオスカー受賞も納得の存在感でした。
見事な肝っ玉母さんぶりで、ポール・ジアマッティと肩を並べるような立ち位置でしたが、
実際はジアマッティよりも二回りも年下というのに驚愕。
そのジアマッティも、キャリア屈指の演技だったと思うのですが、アカデミー賞受賞ならずは残念。
もちろんアカデミー賞が全てとは言いませんし、「オッペンハイマー」が悪いとも決して思いませんが、やはり本作の方を個人的には推したいです。
(余談 DVD特典だとちょっとした別エンディングが追加されています)
ボーっとしてたら見落としてしまう繊細な映画。
最近の映画としては非常に地味な映画です。
だけどそれが素晴らしい。
本作は大変繊細な映画です、ボーっとしてたら見逃してしまう小さなことが作中の人物の心を変化を表しています。
例えば、前半と後半で2回レストランで料理を注文するシーンがあるのですが、前半では「未成年にアルコールはダメ」と主人公の先生は断るのですが、後半では未成年にアルコール提供を断った店に対して「なんて頭の固い店なんだ」と怒ります。
こういう小さなセリフ一つ一つに主人公たちの心がどんどん変化していくのが分かります。
非情に繊細な映画です。
最後に主人公の先生が言う「こっちだこっちの目を見てくれ」というセリフも非常に繊細な意味を持っています。
おススメ。
性格も古典
目的が功名心にまみれている──と思うことがある。
何をするにも、自分の内心に承認欲を感知してしまう。
ほめられたい、好かれたい、栄誉をさずかりたい、バイトくんから尊敬されたい、さりげなく自慢したい、多数のいいねやフォロワーがほしい──そういうことを、日常の端々で、連続的に思っている自分に気づくことがある。
しかし、それを言うなら世の全体がそうである。
大谷翔平のような天才ではないわたしたちは誰もが浮かばれるチャンスをねらっている承認欲のごまめである。SNSは謂わばその歯ぎしりである。わたしたちは毎日スマホを眺めてそういう人々の歯ぎしりを聞いている。と思っていたら、聞こえていたのはじぶんの歯ぎしり、だったりする。
そんな世界のなかで、しばしば無欲な人間に会うことがある。じっさいにハナム先生のような人に会ったことがある──ような気がする。その記憶は、きっと自分が今より廉直に生きていたから、でもあるだろう。
わたしたちはやがて、青少年の健全な育成の理想を掲げるハナム先生に対して、いみじくも校長が言ったように「それはその通りだ、校長になるまではな」というポジションの傘下で生きるようになる。
学校の経営をあずかっている校長が「大口寄付者の息子にCマイナスをつけるな」とハナム先生を諫めるのは当然だからだ。
すなわちひとたびポジションを得てしまえば今まで通りの理想を掲げていくわけにはいかない──という大人の事情に与するわけである。
が、それは言い訳でもある、と映画「The Holdovers」は言っている。
ハナム先生はしがない古典教師であり、生徒にきらわれ女にモテず、やぶにらみなうえ魚臭症だが、職分をまっとうして生徒の訓育につとめた。名利とは無縁だが高潔な人物だ。アンガス青年の心に、永遠に生き続け、かれの人生をよりよい徳へとみちびくだろう。
つまり生徒に嫌われようとも、浮世の欲得から縁遠くあろうとも、信念に正直に生きるならそれで十分ではないのか──とこの映画は言っていて、それが欲得に生きているわたしには新鮮でかゆいのだった。
簡単に例えるなら、いまを生きる(Dead Poets Society、1989)の地味バージョン。加えてビジュアル偏重時代への警笛でもあった。この映画は間接的にせよ、人を外見で判断しようとするな──と言っていたと思う。
もうひとりの主役はノスタルジーだろう。
映画はさいしょからフィルムノイズがのり、レコード針をおとしたようなジリパチ音が混ざる。
『スタッフはフォーカスフィーチャーズとミラマックスのためにレトロ調のタイトルカードとロゴのバリエーションを制作し、映画のオープニングを飾ることで、この映画の1970年代の様式美をさらに際立たせた。』(wikipedia、The Holdoversより)
アレクサンダーペイン監督は実際に1970年代に作られたかのような雰囲気を醸し出すためにEigil Bryldを撮影監督に抜擢し、Eigil Bryldは監督の意向を汲んでフィルム乳剤とカラーグレーディングによって70年代の映像の見た目をつくりだした──という。
おかげでわたしは製作年度を二度見した。まるでさらば冬のかもめ(The Last Detail、1973)を見ている気分だった。
最新技術でつくられたレトロ調がThe Holdoversの雰囲気に大きく貢献し、よってもうひとりの主役はノスタルジーだった──と思うのだ。
また、どうやったのかわからないがハナム先生のやぶにらみ(斜視の特殊効果)が自然だった。オスカーでは作品賞と主演男優賞と助演女優賞と脚本と編集の5部門がノミネートされ、ランドルフが助演女優賞をとった。たしかにランドルフが演じたメアリーは哀しさがあらわれた名演だった。ジアマッティはどこでも巧いので賞レースでは与えすぎないような均衡がとられる。
本作でも他の役者は後配役だったがジアマッティのハナム先生は最初からきまっていた。ジアマッティありきの映画だった。
いい映画だったが老成したアンガス青年がなにかの拍子にハナム先生の写真を見つける──みたいな回顧シーンが、最後にあればよかった気がする。孫に「だあれ」と尋ねられるような。アンガスは懐かしく遠い目をしながら恩師だと答える。そんなラストシーンがあれば時代をまたぐことができた。
──が、ペイン監督は、わざわざ70年代に作られたような雰囲気を重視したのだから、ラストで現代に飛んでしまっては整合が損なわれる。この考察はわたしに蛇足という言葉の成り立ちを思い起こさせた。
imdb7.9、RottenTomatoes97%と92%。
映画の中身と同様にアレクサンダーペインは功名心(承認欲)を感じさせないストイックな監督だと思う。どの作品にも「いぶし銀」の感じがあるがそれは本作にもあった。
ぼくと先生の秘密と嘘と親愛
アレクサンダー・ペイン監督の作品を見ていると、日本の人情映画が思い浮かぶ。
家族や友人、他人同士の交流。ユーモアとペーソスを交えて。
ハリウッド古き良き時代の作品も思い起こさせ、ペインが愛される由縁。
前作『ダウンサイズ』が異色作だっただけ。本来の持ち味を取り戻し、ペインがまたまた秀作を届けてくれる。
1970年の冬。ボストン近郊の全寮制の学校。
クリスマス休暇で多くの生徒や教員が帰る中、問題児のアンガスは学校に残る事に。母親と旅行に行く予定が、再婚したばかりの母親が相手と新婚旅行を優先してまい…。
他にも居残り組は“訳あり”面々。
そんな彼らの監視役になったのは、古代史の先生ポール。生徒や同僚からも嫌われ者。学校に多額の寄付をした有力者の息子に落第点を付けた為、校長から罰として。
もう一人。ベトナム戦争で息子を亡くした学食のおばさん・メアリーも。
程なくして、居残り組のボンボンが親の力で脱出。他の面々も便乗するが、アンガスだけは…。
最終的に学校に残ったのは、アンガスとメアリーとポールだけ…。
日本で言ったら冬休み。クリスマスに年明け…年末年始の行事続く楽しい筈の大型連休が、最悪の連休に。
学校に残り、嫌われ者の先生と一緒。
しかも、寒い外をランニングさせられたり学習したりと普段と変わらず。
勘弁してくれよ。マジ最悪…。
自分が学生時代、同じ状況だったらやっぱり思うだろう。勘弁してくれよ。マジ最悪…。
ずっと言いなりにはならないアンガス。何かと反発。
厳しくするも、問題児に手を焼くポール。
これが爆笑学園コメディだったら、嫌われ先生vs問題児の仁義なき戦い!
アンガスが現在立ち入り禁止の体育館に入って怪我を。
監督不届きでクビになる…と嘆くポール。
病院でアンガスが機転を利かし、何事も無く。
意外と頭が切れるアンガス。意外と人間味があるポール。
こういう特異な状況でもないと知らなかった事。初めての二人だけの秘密と嘘。
毒舌ながらもクッション役のメアリーの存在もあって、休みの過ごし方は少しずつ改善。
ちょっと変わり始めたクリスマス休暇と居残り面々の関係。
学校の女性職員の自宅パーティーにお呼ばれ。
ポールはその女性職員と話が弾み、いい雰囲気になるが…。
アンガスはその姪とお互い意識し合うが…。
メアリーは学校の掃除夫といい感じになるが、お酒を飲み過ぎてしまい、感情不安定で泣き出してしまい…。
ちょっぴり切ない恋路の結末。
抱える悩み、悲しみ、孤独…。
不思議とそれらが3人の距離を縮めていく。
そんなある日、アンガスがボストンに行きたいと言い出し…。
アカデミー賞ではダヴァイン・ジョイ・ランドルフが前哨戦から圧倒的な強さで助演女優賞受賞。肝っ玉な学食のおばさんを、ユーモアと息子を失った母の悲しみを滲ませ、印象的に。
だけどやはり、ポール・ジアマッティのさすがの巧さが際立つ!
真面目で相手が誰の子供であろうと成績に忖度しない。教師の鑑。
その一方、堅物で不器用で融通利かず皮肉屋。序盤はまさにそんな感じ。
しかし、次第に情が移っていく。序盤と終盤ではがらりと違う印象。誰もがこの先生を好きになっている筈。
嫌われ者を愛され者に。ドラマとコメディの絶妙過ぎるバランス。これも全てジアマッティの巧さの賜物。
映画ファンや業界からも愛されるジアマッティ。そもそも嫌われの要因など無かった…?
ジアマッティの代表名演と言えば同じペイン監督の『サイドウェイ』。またまたペイン監督作で新たな代表名演を。『オッペンハイマー』のキリアン・マーフィーのアカデミー主演男優賞に異論は無いが、ジアマッティにも獲って欲しかったなぁ…。
名演がアカデミー賞で話題になった二人だが、もう一人。ドミニク・セッサ。
本作がデビュー。デビュー作がいきなりペイン監督作で名優ジアマッティと共演のラッキーボーイ。にしても、本当に新人ですか…?
問題児ならではのひねくれ感、嫌いだった先生と次第に交流を深めていく演技力、複雑な家庭環境でその苦悩を繊細に。終盤である人へ思いを語るシーンの表情と演技は絶品。本当に新人とは思えない…!
イケメンでもあるし、こりゃこれから売れるね。
ペインにしては珍しく、脚本は担当せず。
しかし、他人の脚本をしっかり読み取り、それを演出で表現するのも監督の才。ほとんど脚本を書かないスピルバーグやイーストウッド然り。
脚本家も本作が映画デビュー。この脚本とウマが合ったのか、純度100%のペイン作品に。
1970年代の雰囲気。会社のロゴも当時風に。これらがいい。
クリスマスの雰囲気。楽曲もいい。願わくば、クリスマス・シーズンに見たかった…。
アンガスのボストン行きは、やはりクリスマスらしい休暇をしたいからと言うが…。
学校の規則でも決まっており、ポールは反対。が、“社会見学”という名目で…。
メアリーは妹の家へ。ポールとアンガスの二人旅。
ボストン巡り。美術館ではポールがうんちく垂れるが、この時ばかりはアンガスも聞く耳立てる。いつもの講義もこうだったらいいのに…。
途中、ポールは学生時代の同級生と再会。何か訳ありで、見栄を張る。
実は意外や“問題児”であったポール。またまた二人に秘密と嘘。もう一つ。
良好な旅に思えたが、アンガスがこっそり抜け駆けしようとする。
結局これが目的だったのか。叱責し、がっかりするポール。
そうではなかった。アンガスの本当の目的は、父親の見舞い。
アンガスの両親は離婚。母親は再婚。アンガスは父親を慕っていたが、精神を病み、ボストンの精神病院に入院。
一目、会いたかっただけ。真意を知り、ポールも否定する理由は無い。寧ろ、言ってくれれば…。
久し振りの父との対面。嬉々として今の自分の事や学校の事を話すが…。
この直後のアンガスの表情と心情が悲しくも絶品。
落ち込むアンガスをポールはディナーに。メアリーも合流して。
ルール厳しいレストランに嫌気が差して、3人で駐車場で“ファイヤー・クリスマスケーキ”。
先生や生徒、思いがけない友人や交流を超えて、擬似家族のような…。
息子を失ったメアリーにとっても。
複雑な家庭環境のアンガスにとっても。
独りが好きだと言うポールにとっても。
一人で居るのも悪くないが、人は独りでは生きていけない。
人の温もりが恋しくなる時期、誰かと寄り添いたい、一緒にいたい、孤独を感じた時こそ…。
メリークリスマス。そしてハッピーニューイヤー!
年明けて、学校に普段が戻ってきた。
ポールもアンガスもメアリーも、普段通りに。
“居残り組”と冷やかされるけど、その実は…。
ところが、問題発生。原因はあのボストン行き。
アンガスが父親に会った事、それが発端で父親がまた家族と暮らしたいと暴れた事。母親と再婚相手が猛抗議。
ポールもアンガスも呼び出し。順々に話を聞く。
アンガスは退学になって母親が推し進める軍学校に行く可能性が…。父親も別の病院へ。
浅はかな事だったかもしれないが、言うまでもなくこの母親(と再婚相手)は毒親。自分の事しか考えていない。
軍学校に行きたくないアンガス。彼の事を思ってくれる大人はいないのか…?
いた。ポール。
学校の伝統に反してある嘘を付く。
そしてアンガスがどんなに素晴らしい青年か力説する。
彼の人生を滅茶苦茶にするな!
このシーン、響いたなぁ…。
嫌われ者の先生なんかじゃない。素敵な先生だ!
アンガスは退学を免れる事に。
が、ポールは退職。色々噂が飛び交う…。
あの休暇以来、二人で話すポールとアンガス。こんな形で…。
「君なら大丈夫」。これからの人生へ心強いエールと、固い握手。
人生を変えてくれた出会いや恩師ってよくあるけど、アンガスにとってはこのクリスマス休暇が。
ポールにとっても。「君なら大丈夫」は自分へのエールでも。再出発。
余韻たっぷり。心もほっこり。ちょっぴり切なくも、いっぱいいっぱいの優しい気持ちになれる。
ありがとう、と言いたくなる。
シンパシー
は感じるものの、そこまでは入り込めなかった。
友達はいらない(いない)
パーティや宴会は苦手で大嫌い
1人で十分楽しいし気楽
一方、どこかで何かを期待してしまう
そんな主人公にはとてもシンパシーを感じる、
学校にもなじめず家族に依存してしまう生徒の気持ちもよくわかる。
だから、周囲の無意識なのかもしれない身勝手さや差別には腹が立つし、
ラストは爽快で心に染み入るものがあった。
そういう意味では悪くなかった。
だが、冗長でテンポが良くない。
特に序盤は悪ガキどものどうでもいい生態がだらだら続いた。
助演女優賞を穫ったから重要な役回りなのだろうが、
調理係の女性の立ち位置もいまいちすっきりしなかった。
黒人女性故の苦渋ってこと?
むしろマジョリティとしての校長秘書?をもっとクローズアップして欲しかった。
長い割りに生徒のGFについてなどは中途半端でモヤモヤ感も残った。
作中全体を包むアナログの温度
雰囲気が、ずっと好きだったなあ。
1970年代のボストンかあ〜。
1970年代っていうと自分の両親が幼少期、って感じだな。
改めて思うけど、この時代がもしかしたら一番楽しそう?
どの時代が一番、なんて決めれることじゃないし
当時渦中を生きてる人は「この時代最高〜!!」なんて思ってないだろうし。
だけど、客観的に見てこの時代ってほどよく便利でほどよく発展して。
見てて本当ちょうどいいなあ〜〜って思う。
自分はずっと夏が好きで冬が苦手だったのに、近頃冬の魅力に気づき始めてからこういう冬・クリスマス・年末年始、みたいな作品を見るのが好きになった。
寒さで頭がシャンッとする感じ、冷たい空気を吸った時のスンっとした感じ、部屋にこもりたくなる感じ...ああいうのが、とても好きになった。
だから今作の「ボストン近郊」という寒いエリアのクリスマス・年末年始のお話はとても好物だった。
まだ9月で暑さが続くけど、もうそろそろ寒さが訪れて来てくれても良いよって思う気持ちが、今作を見て倍増した。
青年アンガス役の子は、今作でデビューらしい。演技経験もないというのが信じられないくらい、すごくリアルで絶妙な演技をしていた。演技経験がないとうのが逆に良かったんだろうか。いや、そんなことないな、「初めてです」感出る人もいるもんな。だからこの子は上手なんだろう。コツを掴むのが。憎たらしさもありながら、まだ純粋さ、幼さももっていたり。そんな演技が絶妙に上手だった。
冬の屋内、1970年代の雰囲気、アナログのものたち、
すべてのものがなんか温かみ?温度?をもってる感じというか
包まれてる感覚、ほっとするような感覚があって。
ギザギザしてない、鋭利ではない、
全体的に角がなく、まるみを帯びている。そんな雰囲気。んー言葉で表すのは難しい。でもそんな感覚が心地よくて、この映画を見てる最中ずっと癒されていた、包まれていたと思う。
街の雰囲気も好きだったな。
ボストンに出かける、パーティーに出かける。
あの先生の車も格好いいし。屋外の本を売ってるところもよかったなあ。飲み屋の雰囲気も好きだった。ジムビーム、飲みたくなる。笑
店で断られたチェリーのお酒を使ったデザートを、3人で外で作っちゃおうぜってなってるシーンも好きだったな。
3人の距離の縮まり方が不自然ではないのも良かったな。
近づきすぎるわけでもなく、ほどほどにまだ距離はある、でも確実に前よりお互い愛着が湧いた感じ。
先生の部屋も好きだったなあ。物に囲まれてる感じ。
クリスマス当日の紙袋に入れたプレゼントの渡し方も好きだったな。
あの紙の感じ...そしてそれに入った本....
最後はどうなる?先生クビになっちゃったけどもしかしたら救済ある?と思ったけど、そういう全てを完璧にハッピーエンドにするみたいな演出はなく、至って現実的なエンディングではあったけどそれでも良かったんだろうな、と思えたのは最後の方のシーン、
学校を車で去る先生。途中おもむろに停車し、あの憎き校長からくすねた?高い酒を口に含んで「ぺェッ」と外に吐き出したシーン。
あれを見て、ああこの先生はきっと大丈夫。図太い。クビになってしまったけどきっと、なんとかして生きていく人だ。
そう視聴者がニタッと笑いながら安心できたシーンだったと思う。
ずっと、全体的に好きな雰囲気だった
こんなペースで、まずは自分の半径5-10mくらいの世界を一生懸命生きる気持ちで、しっかり生きたいなって思ったりした
1970年の雰囲気と俳優さんの演技が良かった
レコードのノイズから始まった本作は、1970年の空気感が抜群。ポール・ジアマッティさんもダバイン・ジョイ・ランドルフさんも良かったが、新人ドミニク・セッサさんはピッタリな役どころといった感じ。
テレビの秀作ドラマ レベル
配給側がこの内容では“ぬるい!よわい!”と感じて『おいてけぼり』の副題をつけたらしいが、それがハマって好評価!いや~日本てどうなの?この先生と生徒、ベトナム戦争で息子を亡くした料理長を全くスルー。当時の政治的背景や社会問題にコミットせず、ただ二人の個人的な問題に共感させるだけの内容。 映画じゃなくてテレビでいいのでは?
ベトナム戦争の戦火がまだ収まらない1970年。エリート校と思われ...
ベトナム戦争の戦火がまだ収まらない1970年。エリート校と思われる全寮制男子高校で、クリスマスに帰郷できなくなったたったひねくれ学生、その面倒を見る事になった偏屈教師、寮の料理長を務める女性の3人が過ごす冬の日々を描く物語です。
寒い冬の鯛焼きの様に小さいが確かな暖かみを有する秀作でした。軽みを失うことなく丁寧に綴られるお話には滋味あふれる言葉が散りばめられています。そして、物語の中にさほど強く描かれる訳ではありませんが、映像・音楽などから漂う1970年の時代性こそが本作の持ち味です。これを現代を舞台にしたら成立し得ないのでしょう。我々が生きている現代はそんなにもギスギスしていて、こんな小さな物語すら生息出来ない時代なのだろうと思うと寂しいな。
哀愁漂うヒューマンドラマ
全寮制男子校を舞台に教師と生徒と料理長の関係性を描いたヒューマンドラマ。辛い事情を背負った3人の秘密が徐々に明らかになるにつれ、深まっていく人間関係を上手く表現していて、哀愁漂う街並みやレトロな雰囲気も絶妙で酔いしれました。
2024-143
バートン男子
ホールドオーバーズとは残留者という意味らしい
70代前半の名門バートン校の寄宿舎が舞台で
クソ真面目偏屈教師、家に帰れない問題生徒、傷心の調理マネジャー
の3人が織りなすヒューマンドラマ
クリスマス休暇はクルスチャンでないと気持ちがわからないけど、
日本人なら大晦日と正月にひとりぼっちだと嫌だよね…
バートン男子はウソをつかない…のだが
終盤はウソも方便みたいに人情味溢れる展開に
それぞれの家庭環境や過去の事情があり今がある
これを機に自分の過去や家庭環境と向き合ってみるのもいいかも
大人と子供の成長
偏屈教師と問題児生徒と傷心寮母
あれでタリーだけスキー行けないの辛いよなあ
勉強ができるタリーの問題児っぷりはそんなに出てなかったけど偏屈教師の偏屈っぷりはよく出てた。
メアリーの最後の贈り物は粋だ
ポールのこれからに心配をしてしまうけど最後のお酒のところで前向きな感じがでて少し安心
夏の暑い日に冬の話
最初、時代背景が分からなかったが、ベトナムやアポロ11号の話題が出るので60年代か?と思いきや70年代初期だった。
クソ生意気な生徒と意地悪先生の裏の部分が出てきて良い感じに。
意地悪先生にも、モテキ到来かと思いきや・・・最後、冷めちゃった感じになったのが残念?
子供から見ると冷たい母親に見えなくもないが、元夫と完全に切れているわけでもなく・・・
意地悪先生の行動に敬意を表する。
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