ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディのレビュー・感想・評価
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世代や立場を超えた魂の触れ合いから生まれる希望
70年代当時のミラマックスのロゴで始まる、あたたかい音楽と、人の不器用さを包み込むように描き出すストーリー。誰もが心の底にそっと隠している弱さや悲しみに優しく触れて、慰め励ましてくれるような作品だ。
キリスト教圏では、基本的にクリスマスは家族と過ごすものだ。人の生き方が多様化した現代はいざ知らず、1970年のクリスマス休暇に家族の元に帰れないというのは、現代の日本人の私が想像する以上に疎外感や孤独感を覚える状況だったのではないだろうか。
しかもアンガスは、帰れるつもりでいたのに終業日当日に母から帰ってこないよう連絡があったのだからかなりきつい。資産家と再婚した母親は、毎年クリスマスディナーは取り寄せで(他の場面で愛情を伝えていればそれでもいいのだが)、クリスマスグリーティングには現金を送りつけるのみ(これはいけない)。
嫌われ者の教師ハナムは、学校に大口の寄付をしている議員の息子に対しても成績に色をつけない信念の持ち主だが、クリスマス休暇の過ごし方にさえ揺らがない信念を持ち込む堅物でもある。
序盤、2人の相性は見るからに最悪だ。ハナムは休暇中なのに規律を強要し、アンガスは勝手にホテルに予約の電話をしたり、体育館で暴れて肩を脱臼したりする。だが、事務員のクレインのホームパーティーに行ったりメアリー手作りの料理でクリスマスを過ごすなど、小さな出来事を共にするうちに相手の本音や弱さを知り、心の距離が近づいてゆく。
本作が銀幕デビューのドミニク・セッサが、あの年頃の危なっかしさや不安をリアルに伸びやかに演じて、経験豊富なジアマッティやランドルフに負けない存在感を示していたのが印象的だった。
彼らが互いに少しずつ心を許してゆく過程がとても自然で、微笑ましかったり切なかったりして魅了される。それに伴ってそれぞれの悲しく重い背景も明らかになってゆくのだが、不思議と物語自体の印象がヘビーなものになったりはしない。堅苦しさや意地を張った態度の内側が見えてくると、表面的な印象とは違うその素直さや人間臭さ、ぬくもりに目が潤んだ。
息子を亡くしたメアリーは、アンガスとハナムを繋ぐ存在でもあった。クレインのホームパーティーで、息子の死を嘆き心を乱したメアリー。アンガスはハナムを呼びに行って2人で彼女のそばにいた。翌日のクリスマスにメアリーは料理の腕を振るう。食卓を囲む3人にはどこか気の置けない、擬似家族のような雰囲気がうっすらと漂い始めていた。
このかすかな絆が芽生えたからこそ、最初は亡くなった息子を思って学校にとどまっていたメアリーは、新しい命を宿す妹の元を訪れる決心がついたのではないだろうか。
一方、「バートン・マン」の精神として嘘をつかないことを重んじていた堅物のハナムは、アンガスに振り回されるうち、次第に言動が柔軟になってゆく。アンガスが自分と同じ向精神薬を服用していることや実父の真実などを知るにつれ、ハナムの心の殻が剥がれていった。
そして最後に、アンガスを迎えに来た両親の前でハナムは信条を曲げ大きくて正しい嘘をつき、アンガスの前途を身を挺して守った。この短くて濃いクリスマス休暇で、彼は鶏小屋のはしごのようだった人生に形式的な信念よりも大切なものを見出し、変わったのだ。
心和むあたたかさと、メインの3人それぞれに違う色合いで滲むペーソスが胸に沁み入る本作。ラストシーンを迎える頃、私はある作品を思い出していた。マーティン・ブレスト監督作品「セント・オブ・ウーマン」(1992年)。珠玉の名作という表現がよく似合う作品だ。
2作には共通点がある。アメリカの寄宿学校の生徒が、クリスマス休暇に帰省せず過ごす間に体験するエピソードであること。青年と老年期を迎えた男性が、孤独な環境にあって邂逅し、互いの人生観に影響を与え合う物語であること。学校の同級生が金持ちのクズであること(笑)。年長男性が青年の未来を守るクライマックス。車が遠くへ走り去るラストシーン。
だが本作は、メインキャストのキャラクターや関係性の違いによって、違うテイストの物語になっている。「セント・オブ・ウーマン」で、スレード中佐とチャーリーは親子のような関係になったが、ハナムとアンガスの間に醸成された関係性は友情に近いものに見えた。
根底で共通するのは、人が世代を超えて人生の苦楽の一片を共有し相手を認め合う時、そこに見えるのは純度の高い魂の触れ合いであり、その絆が生む希望は心に響くということ。その過程を丁寧に紡げば、必然的に見る者を癒す名作になるのだ。
留学中の記憶を刺激された
疑似家族関係を描く秀作。クリスマスシーズンに全寮制の高校で、帰る家のない青年と、家族のいない教師、ベトナム戦争で息子を失った寮の料理長が束の間のホリデーをともにする。生徒は生意気な問題児だった。ことあるごとに教師にぶつかる。教師の方は気難しい性格で、生徒たちから嫌われている。ホリデーシーズンにも関わらず、寮での生活を厳しくルールで縛ろうとする教師に生徒はうんざりするが、料理長が緩衝材となっていって、打ち解けていく。
アメリカ人にとってのクリスマスシーズンは家族の時間。家族を持たない人はその団らんの輪を築けない。団らんの輪を築けない人同士がちょっとデコボコした輪を築く物語だ。筆者もアメリカ留学時代、その空気はちょっと体験した。学生はみなクリスマスには実家に帰るが、留学生はわざわざ帰らないので、クリスマスは孤独になる。やることなく手持ち無沙汰で一層の孤独感を感じたものだ。
クリスマス映画として異色の作品だと思うのだけど、誰にとっても大事なことが描かれていて、心が温まる素晴らしい作品だった。
前向きなノスタルジーの成果。
1970年代というのは、映画でもポップ・ミュージックでもある種の黄金時代であり、ノスタルジックな憧憬の対象で有り続けている。ソダーバーグ、リンクレーターあたりに顕著だと思うが、アレクサンダー・ペインが70年代趣味を全開にしてきたのがこの作品。音楽のチョイス、映像や編集のスタイルなど、形から入れ!とばかりに、もう70年代にできた映画ですと言われても信じそうになるくらい、細部まで時代性を表現している。デジタル撮影なのに、35mmフィルムの上映用プリントまで作ったのも、監督の強いこだわりの現れだろうう。
じゃあ、ただの形式主義かというとそうではなく、70年代的なルックが、特に新味があるわけではないけれど、繊細で沁みる物語にピッタリあっている。というのも、ペインが参照している70年代が、しっとり、かつ飄々とした70年代ヒューマンドラマだから。アルトマンみたいに尖っているわけでもニューシネマみたいに抗っているのでもない。ハル・アシュビーとか『ペーパー・チェイス』とか『ヤング・ゼネレーション』とか、今では滅多に見られなくなった地味だけど愛すべきタイプの映画が、この時代にも価値を持つと信じているからこその、前向きなノスタルジーの成果なのではないだろうか。
いい映画を見た、と幸福な溜息が出た
本作の序盤、寄宿学校で暮らす人々の関係性は不協和音に近いほどギクシャクしている。なかなか素直になれない。身の回りのすべてに反発する。あえて他者と距離をおく。自分は嫌われ者だと高を括っている・・・などなど理由は様々。彼らは家庭がとびきりの温もりに包まれるクリスマスシーズンにも帰省できない人たちなので、よっぽどの事情があるのは明らかだ。そんな「ワケありさん」たちが、誰もいなくなった学校で、まるで擬似家族にでもなったかのように過ごす数日間。最初はしょうがなく、しかし途中からは本心で、苦笑いを浮かべながらもぎこちなく、ありったけの心を持ち寄り始める姿がなんとも胸を打つ。自分のことだけで精一杯の意識にふと「他者のために」という気持ちが芽生える時、人は誰もがルビコン河に挑むカエサルになりうるのだろう。そうやって人生は押し開かれていく。監督によるジアマッティの演出が相変わらず冴え渡った至福の一作である。
誰もがどこかで感じている"置いてけぼり感"
人生のレールから逸脱した人々にもひとかけらのプライドがあることを描かせて、今のハリウッド映画では右に出る者がいないアレクサンダー・ペイン。その最新作も期待通り、皮肉と優しさとユーモアに満ちた作品になっている。
その厳しすぎる性格から生徒からも同僚からも疎んじられている教師と、母親に見捨てられた男子学生と、息子をベトナム戦争で亡くした料理長。以上、3人の主要キャラには同じ寄宿学校の住人という以外に何の共通点もないのだが、たまたま、クリスマス休暇で誰もいなくなったキャンパスで共に過ごすうちに、互いの心の奥底に同じ傷を隠していることに気づいていく。でも、ペインは彼らが傷を癒し合う話にはせず、絶妙の語り口で矛盾だらけの人生を生きることの悲しさと可笑しさを同等に配分して、温かみのある後味を残してくれる。こんな贅沢な時間は滅多にない。
ポール・ジアマッティ、ドミニク・セッサ、ダバイン・ジョイ・ランドルフが醸し出すケミストリーも芳醇だ。"置いてけぼりのホリディ"という日本オリジナルの副題が、誰もがどこかで感じている置いてけぼり感を言い当てていて、なんかこう、今の日本人にピッタリの映画であり、副題だと思う。
良い映画
人に近付くことは地雷を踏み抜くこと
1970年代ボストン。
アメリカでも屈指の古い都市であり、保守的な考えが強い場所。
そんな場所だからバートン校も結構締め付けの厳しい学校なんじゃないかな、と。
ベトナム戦争の爪痕も生々しい時期だけに「君たち生徒は恵まれている」という言葉も重い。
そんな中、クリスマス休暇に寄宿舎に残った変な組み合わせの3人。
お互いに親しいわけではなく、教師と生徒は敵対的と言っても良いほど険悪。
アメリカのクリスマスは、恋人と家族の違いはあるが、日本と同様に孤独感を感じやすい季節。
共に過ごす家族が”いない”という事実は、日本よりも淋しく、自尊心を損なうものなのだろう。
反目し合いながらも、クリスマス休暇を過ごす中で、クリスマスという許しと親切の季節が不器用ながら少しずつ対話を重ねさせる。
作中で教師と生徒は、時に父子、時に叔父甥と偽る。
周囲から見れば、それはそのように映るのかもしれないが、一時として彼らは教師と生徒以上の関係にはなっていない。
2人にとってはどこまで言っても嫌な教師と愚かな生徒でしかない。
しかし、対話は触れられたくない事実と明かした事情を引き出し、お互いの美徳と敬意を払うべき高潔さを見出していく。
互いの幸運を真摯に祈れる関係にまで昇華していくのは非常に尊い。
「立派ではないが、聡明である」
タイトルなし(ネタバレ)
アマプラにて。
誰もが家族と過ごすクリスマスシーズンに
行き場のない 問題児の男子高校生 嫌われ者の教師
孤独な料理長 が高校の寮で2週間生活をする。
反発し合う生徒と教師だが
ちょっとしたきっかけで相手の背景にある孤独や諦めや絶望を知ると互いに相手を受け入れるようになる。
そして、嫌いだった他者を理解する事で自分を理解して自分のことも許せるようになってゆく
きっと3人ともこれから大丈夫だと思えるラストが秀逸
"最高!"の一言に尽きる
初ミニシアター
宇多丸の受け売りだけど、これほど尊く崇高な映画を観たことがない。
言葉の使い方が非常に巧みで、例えば"我々だけの話(アントルヌー)"や"バートン男子"、"キャンディケーン"など、アンガスとハナム先生の間だけで使われる言葉が度々登場するが、それらの使い所がオシャレすぎて感服する。
加えて終盤ハナム先生が校長に対して口にする"人間の形をした陰茎癌"はピカイチのセンスにコミカルさも相まってすごく笑えた。
これらのユニークな言葉を巧みに使いながら、ラストシーンでハナム先生がアンガスにかける言葉は"頑張るんだぞ、君なら大丈夫"というなんとも普通で気取らないありきたりな言葉。
真に大事なことを伝えるときは、カッコつけずまっすぐに伝えるというメリハリのある台詞遣いがたまらなく良い。
実際にバートン校の演劇部に所属するドミニク・セッサの演技には脱帽。
声質が非常に耳心地よく、表情の演技も素晴らしい。
ポール・ジアマッティの過去作で最も印象に残っていたのは"アメイジングスパイダーマン2"でのライノ役だったが、これほど素晴らしい演技ができる役者とは知らなかった。
アカデミー主演男優賞はキリアン・マーフィーではなく彼に贈られるべきだったとさえ思う。
音楽や映像からもレトロな雰囲気が敢えて醸し出されており、70年代の古き良きドラマ映画が現代に甦ったかのような感覚に陥った。
間違いなく映画史に残る大傑作!
タイトルなし(ネタバレ)
ハナムは根はいいやつだけど過去の出来事もあり劇的に不器用
アンガスも根はいいやつだけど環境のせいで不器用かつ生きにくそう
どっちも人間関係下手くそだけど、ぶつかり合ってお互いの理解者になっていてよかったな
あんなに嫌なハナムが、人と関わって少しずつほぐれていって、最後は身を挺してアンガスを守っていた変化にぐっときた
最後チクショウの親のせいで解雇になったのは納得いかない。親チクショウすぎる
ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ
恵まれた環境の満たされない子ども
教育とは何か
もうちょっとリアリティを
勧善懲悪でないあたりが本作の魅力か
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