ゴースト・トロピックのレビュー・感想・評価
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【終電を乗り過ごした老掃除婦が”偶々手に入れた非日常”の夜中の大都会を彷徨い、様々な人々と会い、彼らの実情の姿を、虚飾を廃して描いた、バス・ドゥヴォス監督の独特の静謐な作風を堪能した作品である。】
ー フライヤーには、この都市がブリュッセルとあるが敢えて記さない。老掃除婦の名もハディージャとあるが、これも又記さない。
バス・ドゥヴォス監督作品に固有名詞は不要と思ったからである。
■2024.4.30追記
尚、私は面白く鑑賞したが、起承転結のある物語を期待すると、”何だ、この作品?となるので、敢えて追記します。寝不足で鑑賞するのも止めた方が宜しいかと思います。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・冒頭、老掃除婦が住む居間を固定カメラで捉えている。部屋は明るい状態から徐々に暗くなり、最後は夜になる。
長廻しで撮ったこのシーンがラスト、全く逆パターンで映される。巧い。
・終電を乗り過ごした老掃除婦は途方に暮れながらも、街を歩きショッピングモールの守衛の青年に頼み中に入れて貰いATMを使おうとするが、残高不足と出る。
老掃除婦は青年と何気ない会話をして別れる。
ー ここから、二人の間に何も発展していかないのがバス・ドゥヴォス監督作品の特徴のようだ。-
・老掃除婦は道端で寝ている浮浪者を気遣って救急車を呼ぶ。
・老掃除婦はコンビニでお茶を飲み、店員と少しの会話をし家に送って貰う事になる。だが、途中で娘を見て車を降り、こっそりと娘の様子を伺う。
娘は若い男達と楽しそうに話しているが、酒を呑んでいる事に気付き、老掃除婦は警官に注意を求める。
■と言う感じで、老掃除婦は”終電を乗り過ごした事で手に入れた非日常”を楽しんでいく。
こういう風景が淡々と描かれるのだが、優し気なアコースティックギターの音色も画にマッチし、観ていて飽きない。
<漸く家に帰ったと思ったら、すぐに朝が来て老掃除婦はヒジャブを被って仕事に出掛けるのである。
再び、日常に帰って行くのである。
ラスト、イキナリ椰子の木が並ぶ海岸で、老掃除婦の娘は遊び仲間達と戯れている。
不思議だが、嵌ると癖になりそうな作品である。>
ベルギーのブリュッセルに暮らすカディジャ(サーディア・ベンタイブ)...
ベルギーのブリュッセルに暮らすカディジャ(サーディア・ベンタイブ)。
彼女の仕事は清掃係。
長い一日の仕事を終えたある日、帰宅時の電車で眠り、乗り過ごして終点まで乗り過ごしてしまう。
電車は最終電車。
17歳の娘に電話をしたが、出ない。
終着駅から自宅までは、どうにかすれば歩いて帰れるかもしれない距離。
歩き始めたものの、やはり疲れている。
タクシーで帰ろうとするが、手持ちの金がない。
深夜のショッピングセンターを警備員に無理を言って開けてもらい、クレジットカードで金を引き出そうとするが残高不足となってしまう。
警備員は、深夜バスがあるから、と親切に言ってくれ、バスに乗り込んだが、突然の運行取りやめ。
もう、歩いて帰るしかない・・・
といった物語で、『Here ヒア』と比べて、エピソードがいくつも織り込まれていて、ちょっとしたロードムービー。
その後、かつて掃除婦をしていた屋敷を訪れたり、深夜営業(とはいえ終夜ではないので、閉店寸前)のコンビニで売り子の女性と出逢ったり、電話に出なかった娘の行動を垣間見たりとエピソードは続き、オフビートな笑いも含まれていて、ジム・ジャームッシュの映画を彷彿させます。
主人公のカディジャは常にスカーフを巻いているので(外にいて寒いので防寒なのかとも思ったが)、たぶんムスリム女性なのだろう。
彼女が垣間見る娘の姿は、おおよそムスリム的ではないのだけれど、その世代間の差がこの映画のテーマの一つかもしれません。
また、途中で、カディジャを掃除人として雇いたいという中年男性は「ポーランドから来た掃除人が逃げた・・・」と言っていることから、ベルギーでは隣国フランス同様、他国からの移民流民が非常に多いのだろう。
そこいらあたりも、この映画のテーマのひとつかもしれない。
ラスト、娘が訪れる南国の地が唐突に映し出されて、ぶった切ったように終わるのだけれど、その南国の地が「幻のトロピカル」、カディジャには訪れることがないリゾートという意味なのだろうか。
少し、よくわからなかった。
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