「あのひと夏、少女は愛に包まれて」コット、はじまりの夏 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
あのひと夏、少女は愛に包まれて
大自然の中で大家族と暮らす少女。
世界名作劇場を実写化したような光景が浮かぶ。
アイルランドのある田舎町。木漏れ日や風景の美しさは特筆もの。
その中で、元気ハツラツ娘が躍動するのがお決まりだが、原題通りの“クワイエット・ガール(=寡黙な少女)”。
上に姉たち、下に弟。
母親は妊娠中、父親はろくに愛情も示さない。父親が現れると家族は静まり返り、明らかにDVの疑いが…。
学校でも独り。男子がぶつかってミルクをこぼすも、何も言えない。
家にも学校にも居場所が無い9歳のコット。
母親が出産する事になり、コットは夏休みの間だけ親戚の家に行く事に。
何だかこれ、不条理に感じた。姉や弟は家に残るようで、コットだけ。
姉たちは母親の手助け、弟はまだ幼いからかもしれないが、要は厄介払い。
それくらい、コットは家族から見られてもおらず…。
ショーンとアイリンのおじおば夫婦。
おばさんは優しいが、おじさんはぶっきらぼう。
最初は馴染めず。夜、お漏らしも…。
またここでも結局居場所は無く、短い夏休みが長く感じる独りぼっちと寂しさを抱えていたが…。
余計なサイドエピソードなど一切無い、シンプルな物語。
これは9歳の少女の視点という事が分かる。見るものや範囲も狭いが、そこには…。
“クワイエット・ムービー”でもある。コットの性格や心情とリンク。作品も寡黙(ただ静かな作品ってだけじゃなく、説明的な描写もほとんどナシ)だが、たっぷりの詩情や情緒溢れる。
その中で紡がれる物語も、はっきり言って展開はすぐ分かる。が、それがとても心地よいのだ。
髪を解かしてくれるおばさん。
ちょっと怖そうだったおじさんも不器用ながら優しさを見せてくれる。
牛の乳搾りを手伝ったり、さりげなくテーブルの上に置いてくれた小さなクッキー。
じんわりじんわり、その温かさが滲み伝わってくる。
コットも少しずつ少しずつ、心を開き、話をするように。やはりただ寡黙なだけの子ではなかった。そうさせていたのは…。
ある時コットは知ってしまう。おじおばがずっとある悲しみを抱えている事を。
二人の間には息子が一人いたが…。今も悲しみと喪失を埋められない。
コットも心に孤独の穴が空いていた。おじおばも心に悲しみの穴が空いていた。
その穴を埋め合うかのように。
まるで本当の親子のようになっていく。
本作は何と言っても、キャサリン・クリンチ無くして成り立たなかったであろう。
本作で映画デビュー。デビューどころか、演技も初めて。そう思わせない演技力と透明感とフレッシュさ。
…などと使い回された形容ではある。が、本当に本当にそうなのだから仕方ない。
“THE少女”。アイルランドからまた一つ、ダイヤの原石が。かつてのシアーシャ・ローナンを彷彿。大成して欲しい。
おじおば役も好演。
監督のコルム・バレードも本作で長編劇映画デビュー。これまで子供や家族を題材にしたドキュメンタリーを手掛け、その手腕が活かされた。
少女の成長と自己の解放、“家族”になっていく瞬間…。
見ていて誰もが思った筈。コットがずっとここで、おじおばと暮らせたら。
あっという間のひと夏。帰る時が。
どうしてこうもひと夏って、郷愁感じるのだろう。胸かきむしられるのだろう。心が切なくも、温かくなるのだろう。
帰ってきてからの家の居心地の悪さ。
家の雰囲気も家族との関係も何も変わらないかもしれない。
が、コットの中では確かに何かが変わった。
もう独りじゃない。私を愛してくれる人たちがいる。
本作のラストシーンは映画史に残るだろう。
帰るおじおばの元へ、髪をなびかせながら、ダッシュするコット。
おじは抱き上げ、車内では涙を流すおば。コットが囁いた言葉。
このひと夏を忘れないだろう。